●HONEY BITTER HONEY●
これは、私のお店に現れる、美しい常連さんのおはなし。
最寄りの駅からは少し離れた、閑静な住宅街にある古びた外観の洋館。元々は骨董屋だったそこを買い取って、ショコラの専門店としてオープンしたのは半年前の事だ。フランスで修行をして3年、念願の自分だけのお店。立地が悪いと言う知り合い達の心配の声はつゆ知らず、近所の主婦の方とか、仕事帰りの若い女性で、それなりに、食べていけるくらいは商売は成り立っていた。
店頭には、宝石みたいなチョコレートが並ぶ。
ふんわり口当たりが柔らかなトリュフ、ビターな口どけのガナッシュ、あとは柚子やベリーを加えた、鮮やかな色合いのフレーバー系のチョコレートも。
どれもこれも、私の自信作。我が子のような存在だった。
午前11時開店、昼過ぎまでは主婦のお客様が多くて、店内は中々に賑わう。ご家族と一緒に食べるのか、皆さん大量に購入していってくださるから、主婦のお客様はお得意様だった。夜のピークは19時過ぎ。仕事帰りの女性が多い。夜は仕込みもあるからバイトの子を入れていて、接客は殆ど任せてしまっていた。
その、美しい常連さんは、お昼のピークと夜のピークにまったくかぶる事のない夕刻に現れる。
最初にうちのお店を訪れた時から、彼はとても印象的な少年だった。
真冬の夕暮れ時、日が沈むのが早くて、最近は直ぐに暗くなってしまうなって、誰もいない店内を見渡して、夕日の差し込む店の窓に目をやる。そろそろブラインドを閉めようかと言う頃合い、入り口の重たいドアがキィと開く音がして、その子が姿を現した。
「ーーーいらっしゃいませ」
おそろしく可愛らしい、女の子、だと思った。
藤色のセーラー服に真っ白なマフラーを巻いて、学生鞄を手にしている。このセーラー服は確か、近所の進学校の制服だった。幼い見た目は中学生くらいだろうか、口元と短めのショートボブをマフラーに巻き込んで、印象的なチョコレート色の瞳だけがキョロキョロと店内を眺めていた。
トコトコと、静かな店内にその子の足音だけが響き渡る。あっちへ行ったりこっちへ来たり、チョコを眺めて、焼き菓子を眺めて、可愛らしい顔の眉間にシワが寄っている。
「何かお探しでしょうか?」
だからつい、そう声を掛けてしまうと、大きな瞳をこちらに向けて気の強そうな口調で続ける。
「すいません。見てるだけです。お邪魔でしたら帰ります」
聴き心地のよい声が静かな店内に響いて、鳥が鳴くようなソプラノボイスを想像した私は、その子の声が意外と低いことに驚いた。それから、隣に並ぶと細身で、背もすらりと高い事にも。
凛とした顔立ちも相成って、なんだか女子校の王子様みたいだなって思う。
「いえ、ゆっくりご覧頂いて大丈夫ですよ。何かございましたらお声をお掛けくださいね」
そう言った私にペコリとお辞儀をして、セーラー服の王子様は、再び店内を徘徊し始めた。
カウンターに戻って、夜の品出しをしながら、その様子をぼんやりと眺める。本当に綺麗な子だった。けど、眉間のシワは消えることがなく、長い睫毛を伏せて、チョコレート達をじっと見つめる。
ーーーその、美しい顔を困らせる原因は何なんだろう。
カウンターのショーケースの中から試食用のトリュフをふた粒取り出して、トレーに乗せる。
「よかったら、試食、どうぞ?」
「え?」
「こっちがビター、こっちがスイートね。食べ比べて見て」
王子様は目を丸くして、トレーのチョコレートと私の顔を交互に見比べる。警戒心丸出しって感じの様子だけど、こちらがにこりと微笑み返すと、とりあえずは納得したようで、白いピックに刺したチョコレートのカケラをぱくりと口へ運ぶ。
・・これも意外で、アイドルのような可愛らしい顔で選んだのは、ビターなチョコレートの方。
「・・美味しい。甘ったるくないのに、苦味が口に残らない」
寒さで冷たくなった真っ白な頬を少しだけ紅潮させて、そう、ぽつりと呟く。
「チョコレートは好き?」
「俺はまあ、人並みに。でも・・・ともだち?がチョコ大好きで、「これ美味しいよ」って、たまにくれたりするから、色々食べてる」
ーーー俺?
その子の発言に、改めて上から下まで容姿を観察すると、なるほど。セーラー服の下に、同色のスラックスを穿いているのが目に留まった。何で気づかなかったんだろう、いや、でも、こんなに可愛い男の子がいるんだなって驚いてしまうくらいには、美しい外見をしている。
不躾にも、まじまじと見つめる私の視線に眉を顰めると、美少女ーーーもとい少年は、もう一方のスイートなチョコレートを口に運ぶ。
「こっちも美味しい。・・やっぱり、甘い方が好きそうかな」
消え入りそうな小さなつぶやきは、けれど私の耳には届いていた。
少年はピックをくず入れに入れて、同じくらいの高さにある私の顔をじっと見つめる。至近距離で美しい顔に見つめられて、うっと狼狽えるけれど、彼はお構い無しに続ける。
「ご馳走さま、・・・あの、また来てもいい?」
まあ確かに、男の子に、見えないこともない。
聴き心地のいいアルトは、大人になりきっていない少年の声。
すらりとした体躯には、女の子らしい柔らかさが感じられなかった。
「えぇ。もしよかったら、そのチョコレート好きのお友達も一緒に、是非」
***
それからと言うものの、その美しい常連さんは、基本的には週一回、毎週水曜日の夕方に、迷い猫のようにぽっと現れて、チョコレートと睨めっこを繰り広げていた。
初回と違ったのは、2回目以降の来店の際に彼は、必ず一粒単品のチョコレートを買って、店の隅にあるイートインスペースで食してから帰るようになった。彼が選ぶチョコレートは本当にまちまちで、1番最初にビターチョコを選んだから、甘いチョコよりはそっちが好きなのかなって思ったんだけどそうでもなくて、甘いミルクのチョコを選んだり、キャラメルペーストの入ったチョコを選んだり、その様子は、毎回違う種類のチョコレートを試食しているかのようだった。
3度目の来店の際、サービスで紅茶を出しながら「何でいつも水曜日なの?」と聞いた私に、彼は、「一緒に帰る友達が委員会の仕事で遅くまで残ってるから」と教えてくれた。どうやらその子が最初に話してくれたチョコレート好きの友人らしい。友人のことを話す少年は、いつもよりも声が弾んでいた。
「図書委員なんだ。本が好きで、いっつも少女漫画読んでる」
「その子と、いつも一緒に帰ってるの?」
「そうだよ。・・優しくて、お人好しで、本当に俺には勿体無いくらいのいい友達なんだけど」
「仲良しなんだね」
「・・べつに」
そんなことをいいつつ、そっぽを向いた頬は赤くって。その様子から、その子は彼にとっての特別な存在なんじゃないかと勘ぐるようになってしまった。
彼女だろうか?ううん、この様子からいって、まだお付き合いをしていない、好きな子なのかも。
こんな王子様みたいな美少年に想われるなんて、どこの素敵なお姫様なのだろうか。
おとぎ話みたいな恋物語を想像して、大人げなくも、くすぐったくなってしまう。
少年は、最初は人見知りの子供のように、警戒心丸出しの様子だったけれど、慣れるとこの年頃の男の子らしい表情も見せてくれるようになった。それからおしゃべりも。
自分から、彼自身のことは多く語らないけれど、閑散とした時間帯の、私の暇つぶしのおしゃべりには律儀に付き合ってくれる。
「どのチョコレートが美味しいと思った?」
「・・どれも美味しいよ。でも、おれ結構見た目も重視するから、こういうハートとか、可愛い形のチョコが好き。可愛いと思う。あと、キャラメルのチョコも美味しかった」
「そうなんだ、あっさり系が好きなのかなって思ったけど」
「俺はね。でも、アイツは、もう本当にびっくりするくらい甘いものが好きだから」
そこまで口走って、少年はあっ、と言葉を漏らす。
「あいつ?」
「ごめん、忘れて」
にやにやと笑みを浮かべた私に、頬を染めて顔の前で両手を振る。
忘れて、だなんて。そんな真っ赤な顔して焦るなんて。
普段はクールな王子様の慌てふためく様子は新鮮で、可愛らしい。
「よかったら、試作のチョコがあるんだけど、持って帰らない?そのお友達と一緒に食べたら?」
新作は、近々やってくるバレンタインに向けた、いろんな味のトリュフのアソートだった。試作用のがたくさん余ってるから、明日のランチタイムにでも食べたらどうかと持たせてあげようかと思ったんだけど、少年はふるふると首を振って、丁重に断りを入れてくる。
「せっかくだけど、バレンタインまで、ここの事は内緒にしてるから。」
そうなのか。そう言うことか。
少年が毎週のようにこのお店に通う理由も、毎回違う種類のチョコを一粒一粒試食のように食べていた理由も合点がいって、心の中で納得をする。
「バレンタインに、好きな子にチョコあげるんだ」
「ちがっ、好きな子じゃない!友チョコ!」
「そうなの?」
「そーだよ。交換するって約束したの。その子、チョコレートクッキー作るって言ってたから」
「へー、手作りなんだ。素敵だね」
「俺は料理できないから、じゃあ、とびきり美味しいチョコをプレゼントしたいなって思って」
少年が初めて見せた満面の笑みは、美少女ってよりはやっぱり年頃の男の子らしい無邪気なもので、今時の中学生可愛いなぁって微笑ましい気分にさせてもらった。
「おかし作りが好きだなんて、可愛い子だね」
「可愛い?うーん、見た目は、まあ可愛いけど・・」
お姫様の手作りクッキー。
でもそれ、バレンタインに手作りのクッキーをくれるなんて、その子もこの少年の事を、憎からず想っていてくれるんじゃないかと思うんだけどなあ。
「そんな大事な友チョコに、私のチョコを選んでくれるの?」
「・・そーだよ。だからどれが美味しいかなって試してて。でもプロにお任せにしよっかな、とびっきり甘くて美味しいやつがいいんだけど」
「そうね、じゃあこういうのはどうかな・・・ーー」
暦の上ではもうすぐ2月。ショコラ専門店にとって、1年で1番忙しい日が、まもなくやってくる。
当日を含む3日間は、製菓の専門学校時代の友人達が手伝いに来てくれることになっていた。お店をオープンしてから初めて迎えるバレンタインだから、どれくらいの人が来てくれるかわからなかったけど、期間限定バイトの子も入れたし、試作のチョコも順調だし、準備は万端。
けれども、この王子様の笑顔を見て、私は新しく、とある一つの構想を思いついたのであった。
***
真っ白な箱に詰め込んだ、小さな、幼い恋心
外箱はサンプルにいくつかもらっていたうちの一つを使っている。白い箱に、金色で王様の冠が描かれたデザインで、ちょっとうちの客層には幼すぎるかなってボツにしたものだったけど、あの王子様みたいな少年にはピッタリだった。念のためにとっておいて良かった。
箱を開けると中に詰まっているのは沢山の愛。
ピンクと茶色のたくさんのハートが、小さな箱に詰まっている。ピンク色のほうはストロベリーのフレーバー。茶色は、ベーシックなビターチョコ。こっちにはキャラメルペーストを入れてみた。
口の中でとろけるような柔らかさにしたかったから、手が汚れないようにピックも二本添えて。
あの少年は好きな子じゃないって言ってたけど、きっと、本命チョコなんだろうなって思って、ちょっと余計なお節介を焼いてしまった。なんとなく、少年の話から、甘いものが大好きで優しくて可愛くて、ピンク色でふわふわなお姫様みたいな女の子を想像したのだ。だからピンクのストロベリー味のハート。それから、いつぞやのキャラメルチョコを気に入ってくれた王子様には、甘い想いは内に秘め込んで、外側はクールでビターなチョコレートで包み込んだハート。
2人で食べてくれたら嬉しいなって、店頭に並べるチョコレートとは別に、特別に製作して、特別にあの子用にラッピングしてみた。白い箱に、ピンク色のリボンを掛ければ完成だった。
「日曜日に約束してるから、土曜の朝一に取りに来てもいい?忙しい?」
今年のバレンタインは平日だったから、ちょうど1週間前の来店の際に、少年はそんな事を言っていた。もしかしたら校則に厳しそうなおぼっちゃま学校だったから、学校で渡すのはNGなのかも。
少年の言った通りに土曜日は比較的忙しかったけれど、朝ならばまだ人気も疎らだろうと思って了承した。
約束の、土曜の朝。開店から数十分おいても少年は未だ現れず、私はワクワクする胸の高鳴りを抑えて、今か今かとレジの前に待ち構えていた。
「ーーいらっしゃいま・・・え?あ、あれ??」
初めて彼がここを訪れた日のことがフラッシュバックした。
キィと扉を開けて登場したのは、美少女ーーー真っ白なショート丈のダッフルコートに、チェック柄のミニスカート。頭にはラビットファーのふわふわのベレー帽を被っていて、顔はほんのりお化粧もしてるみたいだった。それは、水曜日の放課後、いつもここでチョコレートを食べていくあの美しい王子様で、接客の片手間でチラッと視線を送った私をじろりとひと睨みすると、ピンクのリップを塗った形のいい唇をツンと尖らせる。
「・・なに。人の顔ジロジロみんな」
「いやあの、・・・・私服可愛いなぁって」
え?あれ?女の子??いやでも、制服は男の子の物を着ていたはずだ。
え?どっちが本当?訳がわからなくて、とりあえず当たり障りのない事を言ってしまったが、私の頭の中ははてなマークでいっぱいだった。
店内の女性客の視線を振り返らせるほどの美貌で、少年はおとなしくレジに並んでいた。
「それでは、お取り置きのお品物になります。お会計、1480円です」
「・・安すぎない?」
こそっと、声を顰めて問われる。
確かに、材料代くらいしか貰っていないんだけど。でもいいんだ、彼は毎週店に通ってくれるお得意さまで、これは、そんな小さな美しい常連さんから頼まれた、特別なオーダー品なのだから。
「今回はオーダー品扱いなので、大丈夫ですよ。その代わり、バレンタインが終わったら今度こそ、お友達と一緒にこのお店に来てくださいね」
「・・うん。俺が誘わなくても、行きたいって言うと思うけど」
黒地に金の文字で店の名前の入った紙袋を手渡して、少年に微笑みかけると、彼は去り際にもう一度振り返るとバツの悪そうな顔で、言いにくそうに呟いた。
「・・本当に友達だからね。変な期待込めないでよ」
白いコートにチョコレートの袋をぶら下げて、颯爽と去って行く姿は、紛れもなく美少女。
チョコレート、喜んでくれると嬉しいなって思いつつも、いつもクールな様子でチョコレートを食べていた王子様が、実はとびっきり可愛いお姫様だった衝撃に、しばらく現実に戻ってくることが出来ず、彼が去っていった古びた木のドアをぽかーんと間の抜けた顔で眺めていることしか出来なかった。
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