翳りゆく部屋 - 1/5

その奇妙な二人暮らしを始めるきっかけとなったのは、俺の30回目の誕生日のことだった。
「まずは一年、冒険してみないか?」という社長の一声で集まったバズロックプロジェクトも、延長に延長を重ねてもう5年の月日が経とうとしていた。それも、この春には解散が決まっていて、12人はそれぞれ、自分が活躍するフィールドに旅立って行くことになる。
俺の最後の誕生会は、仕事が早く終わったROCK DOWNのメンバーも何人か顔を出してくれて、賑やかなものになっていた。それこそ、感傷に浸る余韻なんて無いくらいに。
ひと段落ついたら、俺はしばらく、芸能界から離れる事を決めていた。とりあえずの、一年間の休業、という事で社長には話をつけていたけれど、俺自身、二つのユニットに籍を置いていたこの17年間で、やりたい事は全てやりきったという思いが強くて、戻ってくるかどうかは未定だった。今後の仕事も入れないようにして、ソロ活動をしてきた時期からバズロックでの5年間、ずっとお世話になってきたマネージャーとも別れを告げて、次に担当するタレントへの引き継ぎも行っていた。当初、休業中は、アメリカへ行く予定で、旧知の仲である、前のユニットのリーダーとその相方だった男が向こうに居て、「休むんだったらちょっと遊びに来ないか?」と、誘われていた。俺は二つ返事で了承し、居心地が良かったらしばらく向こうで暮らすつもりでいた。パスポートの更新まで終えていたのだ。あとは、もう、春を待つばかりで……いや、と、暗い部屋の中で静かに首を振った。こんな俺にも、残していたものがある。最後に残ったのが、この男だった。賑やかだった誕生会を終えて帰ってきた自分の部屋は恐ろしいほどに静かで、ピッと電気を点けて部屋に明かりを灯すと、さっきからずっと手を繋いでいた男の、色白な輪郭が部屋の中に浮かぶ。二人とも良い感じに酒が入っていて、心地が良くて、このまま一緒に風呂に入って寝てしまうのも悪くはないと思っていた。
思っていた、が、俺には今日、どうしてもこの男に、向き合わなければいけない事情があった。
「翔、大事な話があるんだけど」
「?」
リビングの明かりの下で、ずっと隣に合った夕焼け色の瞳が、俺を映して揺らいでいた。
バズロックプロジェクトでの5年間は、ROCK DOWNのリーダーである翔と支え合って駆け抜けてきた5年間だった。初めて顔を合わせたあの社長室での出逢いから、ちょうど5年と半年、あっという間に過ぎ去った、日々であった。その中で、翔に「好きだ」と伝えられて、付き合う事になったのは、バズロックでの活動が1周年を迎えようかというとある日の事だった。翔はかけがえの無いビジネスパートナーだと思っていたけれど、分かっていて俺はその想いを受け入れたのだ。告白を、受け入れて、そのまま身体を重ねた。誰にも打ち明ける事のない内緒の関係だった。特に公表する必要も無いと、メンバーにも仲の良い友人にも言わないでいた。共同生活を送っている以上、勘の良いメンバーなんかには気付かれていると思っていたけれど、誰もその事について言及して来なかったから、その状況に甘えていた。翔との交際は、この男の穏やかな性格そのままに、それはもう穏やかな日々であった。お互いに忙しい日々を送っていたけれど、仕事が一緒の日なんかは一緒に食事をして帰ってきたり、一緒のベッドで眠ったり、一緒に朝ご飯を食べたり。そんな、おおよそ普通のカップルの真似事をしながら俺たちは、気付いたら5年半、付き合い始めて4年、一緒にいた。翔から切り出された関係ではあったけれど、この5年一緒に過ごしているうちに、俺の中にもこいつに対する愛着なんかも湧いていて、だから、本当はこんな事を切り出すのは気が引けていた。
穏やかな色を灯して俺を見上げる、その瞳は5年前出会ったあの日から何一つ変わっていない。「なあに?」って首を傾げる仕草一つも可愛くて、見ていられなくて、無意識に逸らしてしまいそうになる顔を、グッと引き戻したところであった。
「別れよう」
「え?」
夕焼け色の瞳が、一気に曇って行くのを、まるで人ごとのように見守っていた。
ここを巣立つ準備は整えていた、プロジェクトの解散を迎えて、メンバーそれぞれの行き先もしっかり決まっていて、マネージャーも送り出したし、社長への報告も済ませてある、寮を出る準備も、渡米する準備もすっかり整えてしまっていて、……翔を、最後まで残してしまったのは、多分俺の中でこいつと離れ難かったからだ、だから別れをギリギリまで先延ばしにしていた。それが大きな誤算だった。愛着が湧いてしまう前に離れておくべきだったのだ。ううん、本当は、もっとずっと前に。そもそも俺たちは付き合うべきじゃなかったのかもしれない。そんなifばかりが頭の中を駆け巡っていて、真っ白な顔を更に青く染めた翔の瞳が、泣き出しそうに揺らいでいたけれど、強情にも、涙がこぼれ落ちる事は無かった。
「別れよう、翔」
「…………いやだ」
「は?」

 

[***翳りゆく部屋]

 

あの日、別れを切り出したあの日に俺は、翔によってベッドの中に引きずりこまれて、力尽くで服を脱がされて襲われた。セックスを強要された。強姦紛いのその行為の中で、翔は俺の腰の上に乗って、俺を揺さぶって、その真っ青な顔のままで俺を見下ろして静かに告げた。「別れたく無い」「渡米?絶対に許さない」「孝明は僕を嫌いになったの?」その、言葉の一つ一つが、翔が泣いているようで心が痛かったのだけれども、乾いた指先で真っ白な頬を拭っても湿り気を帯びる事もなく、結局、行為の中でこの男が涙を流す事は無かった。
「嫌いになったわけじゃ無い」
「じゃあどうして」と、射抜くような視線が俺を見下ろす。
「どうして別れなきゃいけないの?」
叫ぶような問いかけに、泣き出しそうな表情に、返す、言葉が見つからなかった時点で俺の負けは決まっていた。翔が、この穏やかな気性の裏側で、相当に強情で頑固な事なんて、本当はずっと前から知っていたのだ。それを、俺の前では見せて来なかっただけで。
一人じゃ何も出来ない甘ったれだと言ったのは誰だ。
包丁を握らせてはいけない、料理を取り分けさせてはいけない、朝は一人じゃ起きれないから起こしてやる。全部、そういうの全部甘やかして来たのは誰だ?どれもこれも俺なのであるが、まさかこんな形で翔の行動力を見せつけられる事になるとは思いもしないだろう。
翔が、そのマンションを借りて来たのは、まだ桜も蕾を付けた頃、3月も終わりのある日の事だった。メンバーがそれぞれ進む道を決めて、一つ、また一つと寮に空き部屋が増えてきた3月のある日、引越し業者の大きなトラックが寮の前に停められていて、今日は誰の引越しだったか……と考えているうちに、業者の人間が俺の部屋にもやって来た。傍らでは翔がニコニコと笑っていて、「え?」と首を傾げている暇もなく、家具や雑貨が運び出されるのをただ見送る事しか出来なかった。
元々、寮は出るつもりで身の回りのものは減らしていたのだけれど、それでも、部屋が一瞬で片付いて行ってしまう業者の手際の良さに唖然としていた俺は、何にも無くなってしまった部屋の中で、笑顔の翔を振り返る。
「絶対にアメリカになんか行かせない」
「はぁ?」
「一緒に暮らそう。それで、孝明がその気になるまで家から出さない」
その、お言葉通りに、翔はいつの間にかに二人暮らし用のマンションを仕事場にも程近い都内某所に見つけて来ており、引越し業者の手配も、水道ガス電気なんかのライフラインの手続きも済ませていた。それと、これは後から知った事なんだけど、社長や事務所の重役、それからメンバーに至るまで、俺の周辺の人物への根回しも済ませていたと聞いてゾッとした。
「まぁ、変なスキャンダルが出なきゃなんでも良いよ」
3月の最後の日に、事務所に顔を出した俺と翔に、仲良くね、と社長は笑ってそう言っていた。

こうして、緩やかな監禁生活が幕を開けたわけである。

外の世界では桜が綺麗に咲き誇る季節であった。新居は10階建て高級マンションの最上階だったけれど、窓の外に見える景色が綺麗で、俺は、「ここで監禁?」なんて思っていたのだ。ここに来るまでに昔使っていたベッドは処分してしまった。寝室に置かれた新しいキングサイズのベッドには翔が選んできたグレーのシーツを掛けて、ダイニングテーブルは、VAZZYのコミュニケーションルームから持ってきた俺のお気に入りのブランドのもの。木目の美しいそのダークブラウンの上に、お揃いで買ったコーヒー入りのマグカップを並べて。コーヒーメーカーも新調したけど、暇が出来るならサイフォンを買えば良かったなんて思いながら、カップのコーヒーを啜る。
「……新婚生活みたいだ」
なんて、ふざけて言った俺に、翔は頬を膨らませて、なんとも言えない表情を浮かべていた。
「監禁生活だよ」
世間一般で言う監禁生活とはどんなものなのか、これまで平凡な生活を送ってきた俺には想像もつかなかったが、翔との新生活は、それはもう穏やかなものだった。とりあえず、と、ここに越してきた際に、スマホは解約した。仕事は休業中だし、実家にも予め連絡してあったから、そうして初めて「常時連絡をとりたい人」は翔以外にいないものなのだなと実感している自分がいた。メンバーや事務所からもし何か急用が有れば、翔を通して確認していたし、あとはもう、特に不便する事はなかったのだ。世間から隔絶されて、煩わしいものが、一気に取り払われた気分だった。監禁、とは言え、拘束の類いは一切無かったから、実際は外出が制限されるくらいなもので、それも、買い物はネットスーパーやネットショッピングを利用していたし、「運動不足の解消」だと言って、週に3回はマンションの2階にあるジムやプールに、翔と共に訪れる事は許されていたから、不便に感じる事は無かった。あとはもう、翔のために朝食を作って仕事に送り出して、掃除や洗濯をして、夜は、何品もの夕ご飯を作って翔の帰りを待つ。日中は暇だなって思う事が多いけれど、専業主婦のようなものだと、一人で納得していた。ずっと溜め込んでいた本を読んだり、映画やドラマを観たりしていたけれど、それも数週間で飽きてしまった。夜は、今まで通りに一緒にセックスをする事もあったし、翔が休みの日は、一日中ずっと一緒にいてくれる。何もしないで二人で抱き合って昼間まで眠って、それから日がてっぺんまで昇りきった頃に起き出してシャワーを浴びてコーヒーを飲むのだ、前日に焼いたパンも添えて。なんて緩い監禁なんだと思ってしまう。けれど、そうやって、本当に何もしない今の生活が、ずっと走り続けてここまで来た俺を、それはもうゆったりとした調子で癒してくれていた。
翔の甘やかな檻の中で生かされている心地だった。元より、束縛をする女の子は苦手だったんだけど、翔の緩やかな束縛は思いのほか居心地が良くて、俺はすっかり、その腕の中で甘えていたんだ。
「いつまで続けるつもりなの?」
だから、日中、室内でも暑さを感じるようになった、季節が夏になる頃。もうすぐ梅雨がやってくる6月頭。食事の席でなんとなしにそう尋ねた俺に、翔はうーんと、首を傾げていた。
「君が僕から離れられなくなるまで、かな」
思えば、アイドル時代の、芸能界にいた頃の俺はいつだって「みんなの眞宮孝明」であり続けていたのだと思う。それはずっと若い頃からそうだったから、そうでなければいけない、とすら思っていたのだ。世間の人が抱く、イメージの中からはみ出さないようにして、そうすればみんなは俺を必要としてくれる。ユニットの「リーダー」である俺も、常にみんなの先頭を歩く存在であれと、5年間ずっと、背筋を伸ばして生きてきた。もう、それが性分みたいなものだったから、苦痛に感じる事は無かったけれど、可愛い子ども達が自分の手を離れて行った今、芸能界から距離を置いている今、俺を必要としてくれる人なんているのだろうかと、そう、思ってしまう日もあるにはある。
「翔、俺は……」
そんな日は都合良く、ベッドの中で翔を抱いて、そうして一通り行為を終えてしまえば、翔の腕に抱かれて眠るのだ。ちぐはぐな関係の、自覚はあって、でもここに来てからずっと、もう3ヶ月以上も、俺たちはそんなアンバランスな関係を続けていた。
「俺はここに居てもいいのかな」
翔は体温が高い。そんな、温かな腕に抱かれて、泣き出しそうになりながらそう問いかける俺を、優しく抱きしめて、頭を撫でて、翔は俺の耳元で、歌うように囁きかける。
「…………僕がそれを望んだんだよ、孝明」

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