[傾国の唄]
「──中日まで、ご無事で。」
もう何度その言葉を告げたのだろう。宮の外の世界では燦々と陽光が降り注いでいて、俺はその何度過ごしても慣れない晩夏の暑さにすっかり参っているところであった。
「ねぇ、あと何人くらいいるの?」
「今日はあともう4、5人ほどで終わりますので、もうすこしだけ頑張りましょう?」
「4、5人、……ま、いっかそれくらいなら。ねぇ、終わったら俺と遊ぼ?君今年からの新入りでしょ?かわいいな〜って思って見てたんだ〜」
麒麟──それは最高位の神獣。その本性は獣で、自国の王を選び、王が立った後は、自分が選んだ王を補佐して王に仕える事が麒麟の生きがいだとされている。十二国世界の中央、蓬山で生まれ育ち、年に四度だけ開く四令門からやってくる自国の昇山者の中から、王となるに相応しい人物を選定するのが俺のお役目だった。
もうすっかり活気のない宮の中を見渡して、重苦しいため息を吐く。
俺はその、麒麟。自らの王を探すためにここに生を受けて、もう24年ほどになる。これまで何人もの昇山者を迎え、見送ってきたけれども、俺の王は未だに姿を見せることはなかった。あんまりにも長いこと現れないから、自ら国に下って探しに行ったことも数知れない。けれど、どうにもこうにも見つからなくて。王気とはすなわち「この人が俺の王である」という強い直感だと言われている。でもそんなものを感じたことは今までに一度も無くて、だからもうどうせ、俺の王なんて、本当は存在しないんじゃないかって、半ば諦めているくらいだった。
──今日もまた、王は現れなかった。
静かに閉じられる宮の扉を見送って、俺はまたため息を一つ。
先ほどナンパした可愛い女仙とも遊ぶ気にもなれなくて、俺はぼんやりと宮を後にする。外へ出ると月明かりが思ったよりも明るくて、これなら夜灯がなくても過ごせそうだなって、夜の散歩に繰り出す。宮の外には昇山者たちが野営するためのテントが張られていたけれど、これも俺がまだ幼かった頃に比べてだいぶその数は減ってしまっていた。人が昇山出来るチャンスは一生に一度だと言われているから、それもまぁ、仕方のない事だったんだけど。
ふと、夜の闇を彷徨う俺の耳に、どこからともなく、歌が聴こえてきた。
歌声はどうやら、その、ひときわ派手な外装のテントから聴こえてくるもので、ちらっと視線を移したのは俺の気まぐれだった。だからそこで、静かに歌声を奏でる天女のようなその人を見つけたのも、偶然が重なった結果だ。月明かりだけが差し込む仄暗いその場所で、キラキラと輝く光の粒みたいなものが、その美しい人をまとっていた。同年代だろうか、女性?俺が生まれ育ったこの蓬山には女しかおらず、もちろん美しい人や可愛い子も沢山いたけど、その人は、俺が出会ったなかで誰よりも美しい容姿をしていた。長いことうっとりと、その声に聴き惚れてしまっていた俺の視線に気付くと、歌声が止んで、美しい人が緩慢な動作で顔を上げる。と、視界の中に俺を認めたその瞬間、真ん中に二つ並んだ、赤い宝石みたいな瞳が驚きで丸くなるのが見てとれた。
「こ、れは………蓬山公?」
「……こんばんは、美しいお姉さん」
「こんばんは。えぇ?どうして?……何をしていらっしゃるのですか、一人でこんなところを出歩いていたら危ないのではないですか?」
「あなたも昇山者?」
「えぇ。あ、でも俺は。父親に付き合ってここまで付いてきただけなんだけど」
上品に微笑む顔、身に纏う煌びやかな衣装。ゆったりとしたデザインの服は、彼女のたおやかな雰囲気によく似合っていて、ここまで死にものぐるいの山旅をしてきたとは感じさせない優雅な所作で、月明かりが差し込むテントの小窓からそっと、俺を見上げる。苦労を知らない、豊かそうな感じだし、大事に育てられた商人の娘、といったところか。
「ねぇ、外に出てこれない?君ともっと話しがしたいな」
「え……でも」
「いいでしょ?内緒で出ておいでよ。素敵な歌、もっと聴かせてほしいんだけど」
艶やかで真っ白な、絹のような手触りの手を引いてそう微笑むと、娘の頬が赤く染まる。その拍子に、彼女を纏う光の粒子みたいなものがパチパチと弾けたのだった。
「美しいお姉さん、お名前は?」
「里津花。………あと、こんな格好してるけど、一応、男なんだ」
「…………へ?」
「うちの父親にね、女として育てられてきて。まともに外に出るのも初めてなんだ」
照れか、恥じらいか、或いは。言いにくそうにそう呟いた里津花の顔に、僅かばかりの憂いみたいなものが含まれていて、それが彼の清廉そうな雰囲気に似合わず、やけに艶っぽく見えたのが印象的だった。
なるほど、それは、いくら探しても出てこないはずだ。家の奥に、隠されていたのだから。
出会った瞬間に「見つけた」と思った。王気、これはたしかに、一発で分かってしまう。
王気というものはその人その人で違っているものだから、具体的にこういうものだと例える事が困難だと聞いてはいたけれど。この人のそれは、優しくて温かい。春の陽だまりみたいなとても穏やかなオーラだった。キラキラとした光の粒子みたいな黄色い光が見える。
とある豪商の家の、一人息子だと言っていた。家の都合で、女の子として育てられてきたのだと教えてくれた。随分と豊かな暮らしをしているのであろう、里津花は、それはそれは煌びやかな衣装を身にまとっていた。肩まで伸びた桃色の髪の毛はよく梳かされていて柔らかそうで、髪にも赤い玉の飾りが付けられている。とても美しい顔をしていた、けど。いや、それよりも何よりも、特徴的なのはその、瞳だ。宝石よりも美しくて、強い、意思が込められたその一対の赤い瞳は、今は楽しげに細められて、すこし低い位置から俺を見上げている。
「俺の王様になってよ」
「俺、が王?」
「そう、君が」
「いやでも、俺は付き添いで来ただけで」
「付き添いの者にも平等に、選定の機会は与えられているんでしょう?それに、王を決めるのは麒麟である俺だ。俺の直感は、君が王だって言っているよ?」
俺の主張には、そう、面食らったような顔をして、最初は言葉も紡げずにいたのだが、俺の目を真っ直ぐに見て、どうやらこの言葉が真実なのだと言う事を悟ると、里津花はその意思の強い瞳に光を宿して、凛とした佇まいでその場に立する。
「俺は、先にも言った通りに、外の世界を全く知らない、世間知らずな男だよ?」
「でもそれは、俺だっておんなじだからね。だから二人で、学ぶことも多いと思う」
「一緒に成長して行くってこと?ふふ、それも素敵だなって思うけど、きっと君や俺が思っているよりも現実はずっとしんどいよ?」
月明かりを並んで見上げて、里津花は困ったような笑みを浮かべる。それから愛おしそうに、顔に見合わない大きな手が俺の頬を撫でてくれた。温かい手だった。その温かさにうっかり、泣いてしまいそうになるくらいには。やっと会えた、俺の王。俺だけの王様。初めて彼を見かけた時は、それはそれは美しい人だって思ったけど、こうやって隣に並んでいると、あぁやっぱり、男の人なんだなって、思う部分も多々ある。生まれ年は俺の二つ上だって言っていた。今まで何で、見つけてあげられなかったんだろう、もっと早くに出会っていたかった。そうすればもっと早いうちから、君はこの世界の美しさを知ることができたのになって。
「──それでも、俺は君を選んだ。俺の選択は間違っていない。だから一緒にいてくれる?里津花」
「君は強いね。いいよ、わかった、王になろう」
全てをその温かさで包み込むようなゆったりとした笑みは、きっと王の風格で、この人について行くのだ、と、頭の一部が俺に、そう言い聞かせてくるようだった。これが天の意思なのかなって、漠然とそう思いながら、無意識のうちに膝を折ってその場に頭を垂れる。麒麟が唯一、頭を下げることのできる人物だ。膝をついて額を地面へと付けて、やっぱりあなたは俺の王なのだと、この行為を持って実感させられる。
「──天命をもって主上にお迎えする」
20年間何度も空で練習してきたその口上は、ただ一人の、あなただけのために。

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