⒈
思い出は、今も一番美しい形のままで、心の中で生き続けている。
俺がかつて愛した人は、それはもう、美しい人だった。伸びやかに歌を歌う、その透き通った声が好きだった。派手では無いけど、上品で整った容姿も。みんなが安心して後ろを付いていけるような頼りがいのあるその広い背中も。全部。初めてその思いを自覚したのは中学2年の頃、まだ、13歳だった。三つしか歳が離れていないのに、当時高校生だったその人はとても大人に思えて、最初は素直に、真っ直ぐな憧れみたいな感情だと思っていたのだ。ジュニア時代から、格好良いな、と思って斜め後ろからずっと見ていたあの人。優しい思い出。それが、一丁前に恋愛感情だと気付いたのは、憧れていたその人と、デビューをして間もなくの事だった。ずっと後ろを、背中を追いかけていたのだ。淡い初恋だった。同性の、先輩。男の人を好きになるのは初めてで、誰かを愛して、こんなにも思い焦がれるのも生まれて初めて。そんな、大き過ぎる背中に手が届いたのは、忘れはしない、もうすぐ中学3年になるという、暖かな春のある日だった。
「……え?……は?」
「だから……!あぁもう、クソ、言わなきゃ良かった……言うつもりなんて無かったのに」
つい、口が、滑ってしまったのだ。ライブに向けたレッスンの帰り道だったか、あるいは収録の帰り道だったか。もうそこは忘れてしまったけれど、とにかく二人っきりの帰り道だったと思う。斜め前にあった、ずっと憧れていた存在が今は隣を歩いていて、年月の経過とともに少しずつ、ほんの少しずつだけど、近付いていく目線の高さ一つまで、愛しくて仕方がなかった。若気の至りだった、と言ってしまえばそれまでだったけれど、「好きだ」って、そう呟いたっきり顔を真っ赤にして伏せてしまった俺に、あんたは目を丸くして、言ったんだ。
「やー……普通に、嬉しいよ?ありがとう。俺も好き」
俺を見つめる、慈愛に満ちたその笑顔も、頭を撫で付ける大きくて温かい手のひらも、ずっと大好きだったんだけど、今はちょっと意味合いが違うんだって気付いて欲しい。俺が望んでいたのはそういう、弟を見るような目じゃなくて。俺はこの人の、もっとずっと特別な存在になりたかった。
「だから!……そういうんじゃなくて」
ぐ、っと掴んだ、コートの裾。
コートの生地はだいぶ薄い、それくらい暖かい日だった。もう春か、なんてようやく気付けるくらいには、ここまで怒濤の日々だったのだ。事務所を上げた一大プロジェクト、ジュニアの中から社長の秘蔵っ子を集めたグループだった。鳴り物入りでデビューをして早半年。デビューアルバムはヒットチャートの一位を記録し、若い女の子の中では知らない子なんていないんじゃないかってくらいには、知名度もそこそこ。今は、夏のデビュー1周年記念ライブに向けたレッスンで忙しい毎日だった。だからそんな、自分勝手な恋心に浮ついている暇なんて無かったはずだったんだけど。
「……どういうの?」
「……っ、」
「孝明」
裾を掴んでいた手がやんわりと解かれて、それはもう、優しげな力でふんわりと包み込まれる。俺を見つめる優しい瞳。低い声が、そう、名前を呼んで呼び止められる。世界で一番好きな音の響き。
大好き。ずっと、ずっと、好きだったんだ。
「俺も好き」
夕暮れ時、人通りも無いその道端で、そっと抱きしめられる。俺よりも少し背の高いその人。いつか追いつきたくて、追い越したくて必死だった。でも、そのすっぽりと収まりの良いサイズ感に、このままでも良いのかもしれないと思ってしまう。石鹸みたいな優しい匂いがした。あんたの側に行くと香る匂い。付けている香水の匂いも、大人だ、なんて思ったりして、憧れていたんだった。
「好きだよ、孝明」
「あんたは……っ、」
「なぁに?」
「…………ずるい」
「どうして?」
俺を見つめる夕闇色のその瞳が、ゆったりと細められる。穏やかで優しい時間。夜になっていく一瞬の空の紫。そんな色々が印象的で、美しい光景。一生、忘れないんじゃないかってくらいの。
「……孝明」
貴方の声と共に、静かに、唇と、唇が重なる。ファーストキス、なんていう甘い響きが頭の中に浮かんで、生まれて初めてするそれは甘酸っぱい味がする気がした。一瞬だけ触れて離れて行ってしまう薄い唇を名残惜しそうに見送って、俺はふるふると頭を振った。
「ずるい、そうやって、いつもいつも」
「えー?……どうして?」
「いつもいつも、……俺をガキ扱いする」
「そんな、思ってないって」
「……もう、やだ、」
繋がったままの腕をぶんぶんと振って、俺はじっと、あんたを見上げた。
日が暮れた空を背に、美しいその人は、フッと困ったような笑みを浮かべている。
「おまえの事、ガキだなんて思ったこと、一度も無いよ」
「……嘘だ」
嘘じゃ無い。そう言ってもう一度重なった唇は、今度はしっかりと感触が確かめられるくらいの長い口付けだった。そんなキスの仕方も大人びて感じて、俺は、少しだけ背伸びをしていた。
[ビタースイート]
多分、一生忘れることはない。俺は、その人の影を今も追い続けている。
初めての恋は、思ったりもゆっくり順調に進んでいた。当時は事務所の方針でユニット全員が寮生活送っていたんだけれど、帰る場所が同じとはいえ、元々、仕事が忙しかった事もあって、顔を合わせるのは仕事中だけ、みたいな生活がずっと続いていた。それでもあの人は、ちょっとした隙を狙って俺にキスをしてきたし、俺はその度に顔を真っ赤にしていた。同年代のカップルみたいに街中をデートする事は叶わなかったけれど、暇を見つけて、お互いの部屋を行き来していた。清らかなお付き合いに物足りなさを感じていたけど、でも今思えば、中学生の「恋人同士」なんて、普通はそんなものだろう?高校生だったあの人はどうだったかなんて、今はもう定かではないけれど。
距離が、一歩進んだのは、俺が中学を卒業する年の冬の事だった。
あの人も、同じタイミングで高校を卒業するって時。あっちは既に大学への進学を決めていたし、俺も推薦で、高校はあの人と同じところに行くって決めていた。芸能科もある私立校。時期は被らないけれど同じ制服を身に纏いたくて、最初からそこしか候補に入れてなかった。お前だったらもう少し頭の良いところに入れそうなのにねって笑われたけれど、俺は別になんでも良かった。大学へ行くかなんてまだまだ先の事過ぎてわからなかったし、でも、大学もあんたと同じところに行けたら、一年間は一緒に通えるんじゃないかって、そんな事ばかりを考えていた。仕事も順調で、年末年始だからか、音楽番組への出演が増えていた。そんな大事な時期に、なぜ?っては思うけど。突然だったんだ。突然、「そういうムード」になってしまった。
「…………え?」
「……っと、悪い」
あの人の部屋で、先日放送された、自分達が出演した音楽番組を録画した映像を見ていた時のことだ。「孝明」って、俺の一番好きな声で俺の名前を呼んで、重なる唇。何度も何度も口付けを重ねて行くうちに、深いキスに誘われる。大人のキスは、もうだいぶ前に教わっていた。舌と舌とが絡み合う、粘膜の接触。何度交わしても慣れないその蕩けるような甘いキスに飲み込まれそうになって、息が出来なくて苦しくて、身を震わせていると、俺はそのままゆっくりとソファに押し倒される。その美しい顔を見上げて、続けるべき言葉を失ってしまっていた。目を丸くして疑問符を浮かべる俺に、あんたは、僅かに頬を染めて、戸惑ったような顔をしていた。
「えーと。……ごめんな?」
「……、」
「魔がさした……、ってか、その……」
「…………──じゃない」
「え?」
「いやじゃ、……ない、」
俺は、いつも以上に、真っ赤な顔をしていたと思う。頼りになるリーダー、憧れの先輩、兄のような父のような、俺にとってはずっと、そんなポジションだと思っていた。可愛がって貰っていたのだ、みんなよりもずっと。でも、それ以上に俺は、あんたに特別扱いされたかった。
「嫌じゃない」
「……孝明」
「……も、もっと凄いこと、……その、したい」
部屋着にしているシャツの裾をぎゅっと掴んで、背中に、ソファの硬い座面が当たっていて、見上げるあんたの顔は、いつになく飢えた獣のような様相をしていた。
「……何するか、わかってる?」
「……」
そんなもの、確認されなくても承知だ。
コクコクと首だけ振って頷く俺を見下ろして、貴方は綺麗な笑みを浮かべている。骨張った硬い指先が、シャツの裾を捲って中へと侵入してくる。大きな手のひら。くすぐったくて、ものすごく、あつい。何をするのかわかってはいるんだけど、それがどういう事なのか、まだよく知らなかった俺は、未知のものに対する好奇心と恐怖感で、思わずギュッと目を瞑った。
「怖かったらやめるから、言って」
「……平気だって」
「おれも、男相手にするの初めてだから。うまく出来なかったらごめんな」
クスクスと笑って呟かれたそんな言葉に、目蓋に降ってきた優しいキスに、思わず目を丸くして、その優しげな瞳を見上げる。男相手は、初めて?てっきり、俺よりもずっと大人なあんたに初めてのものなんて無いって思っていたのに。嬉しい、と、女の子みたいな思考が頭を過ぎって、自分の頬が熱くなるのを感じていた。
初めての行為は、痛くて、苦しくて、正直全然良くなくて散々だったけど。
でも、このまま死んでしまいそうなくらいに嬉しかったんだ。
「タカちゃんのそれ、バレないように気を付けた方がいいと思うよ」
4月になって、俺は高校生になった。最近、レッスンの帰り道に呂庵と寄り道するのが日課になっていて、今日はラーメン屋。二人掛けのテーブルに座って、目の前に運ばれてきた醤油ラーメンに箸を付けようとしている時だった。呂庵が自分の分のラーメンに胡椒を振りながら、ふと、そんな事を言ったのだ。最初は意味が分からなくて「は?」と首を傾げた俺に、呂庵はニコニコと可愛らしい笑みを浮かべて、なんてことない風に軽い調子で言い放つ。
「最初は彼女でも出来たのかと思ったけど」
「……なんの事言ってんの?」
呂庵は俺よりも一つ年下で、まだ中学生だったけれど、ユニットではセンターを張っていて、コンサートなんかではMCも担当している。明るくて可愛くて天真爛漫な弟キャラだったけど、俺の中では凄く頭の良い奴っていう印象が強い。呂庵が賢いのは、多分学校のお勉強とかではなく、こういった人の感情に機敏なところによるものが大きい。人の事を良く見ているのだ。だからこういう、些細な心境の変化なんかにはすぐ気が付いてしまう。それが功を奏す時が多いんだけど、今は多分、厄介な方だ。
「事務所の人も言ってたでしょ〜?スキャンダルは厳禁だって」
「だから。なんの事言ってるのか意味が分からないんだけど」
シラを通すつもりでいた。知らんぷりをしてラーメンを啜る俺を見上げる、一対の無邪気な瞳。
「俺以外、たぶんまだ誰も知らないと思うけど。バレバレ」
「はーぁ?!」
「好きな人を見る目って、誤魔化せないよね。なんでかな?俺にはよく分からないけど」
ずるずると啜ったラーメンの、味がしないくらいには、俺はきっと肝を冷やしていた。室内はじっとりと汗ばむくらいには暑いのに、背中にはひんやりと冷や汗が伝う。
「…………おまえほんと、誰にも言うなよ」
そっと呂庵の碗の上にのせた味玉は、ちょっとした口止め料みたいなものだった。呂庵は目に見えて分かるくらいに、そんな、半分の卵ごときに喜んでいて、ニコニコと俺に向かって愉快そうに、歯を見せて笑っていた。そういうところはまだまだ子供だなって、そんな事を思う。
「ふはは、リョーカイ。俺とタカちゃんの秘密ね」
「ふはは」と愉しげに呂庵が笑っていた。
既に二度三度行為を終えて気怠さだけが残るベッドの上から笑い声のする方に顔を向けると、呂庵は派手なパンツ一丁でその童顔に似合わない10ミリの強いタバコを吸っていた。前に寝た時はタバコなんて苦くて不味くてキラーイって言っていたのはどこのどいつだ?この2年で何があったのか不思議でならなかったが、少年みたいな面影すら残る横顔でハァと紫煙を吐き出してテーブルの上に置かれた灰皿に灰を落とす仕草は、よく慣れたそれだった。一緒に酒を飲みに行ってもタバコを吸う姿なんて見かけた事は無かったのに、セックスした後は吸うんだな、なんて事を思って、友人の横顔に浮かぶ笑みを見つめている。呂庵は、この十数年でだいぶ大人になった。俺の中ではずっと、対等な存在だったけど。
「そういえばあの人から、連絡が来たよ?」
なんて、飲みに誘われて、うっかりついて行ってしまった俺が浅はかだったのだ。そもそも元々そんなに酒が強くない呂庵はすぐに酔っ払って、俺に絡んできた。「今、恋人いないでしょ?」って。呂庵は俺の一番の友人だった。今までも、今も、多分よっぽどの事がない限りこれからもずっと。初めて関係を持ったのは俺らがまだ高校生だった頃だ。俺は普通にあの人と付き合ってたし、呂庵にも、彼女みたいな存在がいたのも知ってる。お互いにそういうのを打ち明け合うような、それくらいの、仲良しだった。俺らは歳が近いせいか地方でのコンサートツアーなんかでホテルを取ってもらった時に相部屋になる事が多くて、その時どちらからともなく、「そーゆー事」になってしまった。俺が上になる事がほとんどだった。なんとなく、後ろはあの人のためだけに取っておきたくて、そんな女々しい感情が働いてしまったのだ。呂庵も別にそれで良いよと言ってくれた。猫が戯れるみたいな遊びの関係はダラダラ続いて、最近はそういうのもなかったから終わったのかな?なんて思ってたんだけど、今現在もこうしてまた、2年ぶりにセックスしてしまった。昔馴染み、仲良しのこいつに「タカちゃん、抱いて?」なんて可愛くおねだりされてしまったら、俺には、はいはいって頷くことしかできない。呂庵は寂しがり屋なのだ。昔からずっと。基本的に大勢の人に囲まれて笑ってるようなやつだし、いつだって誰かに愛して貰ってる。だから一人になりたくない夜には、俺のことを呼ぶんだと思っていた。ユニットが解散して、一番最後まであの人と一緒に居たのも呂庵だった。寂しがり屋の呂庵が一人にならないようにって、優しいあの人は最後まで二人での仕事を入れていた。呂庵の心が落ち着くまでは、こいつの側に居てくれたのだ、と思ってしまえば妬かないわけでは無かったけれど、そういう感情を表に出してしまうほど、呂庵との仲も決して浅いわけではなかったのだから、難しいところだった。ふよふよと立ち上る煙を目で追っていると、呂庵が俺の視線に気が付いてクスクスと笑みをこぼす。
「まだこっちに戻って来るつもりは無いみたい」
「…………へーぇ、」
「孝明は元気?なんてね、自分で聞けば?って言ってやったけど」
灰皿に短くなったタバコを押し付けて、細かに散った灰を寄せ集めている。そんな仕草もすっかり大人みたいで気に入らなくて、俺は気の無い返事で返してしまう。どうせお前がそんな事を言ったところで、あの人からの連絡が来る事は無いっていうのに。
「呂庵」
俺がベッドサイドから名前を呼ぶと「なぁに?」って身を翻して、やって来てくれる。両手を伸ばす。これは、抱きしめて欲しい合図。ぎゅっと腕の中に包まれて、俺はそっと目を伏せる。
「かわいそうなタカちゃん。本当に一番の寂しがり屋さんはタカちゃんなのにね」
よしよしと、俺の頭を撫でる優しい手。ツンと尖った柔らかな唇が、鼻先に、チュと口付ける。
そう、賢い呂庵には全部お見通しなのだ。
俺の思いも、あの人の気持ちも。10年前のあの日から、今もずっと。
2.
切れない関係もある中で、綺麗に切れた関係も、あるにはある。
天羽玲司もまた、かつて俺を愛してくれた男の一人だった。
テーブルの上に並んでいるつまみはほとんど俺が作ったものだ。俺がホスト、向こうがゲストの立場だったからこれくらいは当然かと思ったんだけど、玲司は目を丸くして感動してくれた。そういうところも、何年経っても愛しいなと思う。玲司が買ってくれた缶ビールを開けて、乾杯。今日の宅飲みは俺の方から誘ったのだ。珍しく二人での仕事の帰り道、「どっか寄って飲んでいく?」って杯を傾ける仕草をした玲司に、俺の方は翌日の仕事を考えて一度は断ったのだ。けど、その一瞬後に、部屋に飲みかけのワインがある事を思い出して、「あ、」と声を上げる。
「俺の部屋で飲まない?酒買ってってさ。そしたら遅くなっても平気」
「え〜?孝明のメシ食えんの?」
「まぁ、簡単なものしか作らないけどな」
「じゃあいく。酒買って帰ろ!」
ニヤリと笑う悪戯を思いついた少年みたいな笑い方は、昔からのこいつの癖みたいなものだった。そういうのは変わらないんだなって懐かしくなって、俺はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。
玲司と出会ったのは、VAZZROCKプロジェクトが始動するちょうど2年くらい前だ。古巣が無期限の活動休止……事実上の解散に陥っていた時、あの人と別れて一人になった直後。ある意味では一番ドン底だった時に出会ったのが、この男だった。ドラマの撮影だったのだ。この歳になっても学園ドラマの仕事なんてくるのだなと思いつつ、ちょっと不自然さも漂う制服に腕を通していると、同じ事を考えてそうな男と目があったのが、初対面。顔と名前は知っていた。向こうも結構な有名人だったから。人気俳優の天羽玲司。今回出演するドラマの主演俳優だった。
「はじめまして、眞宮孝明です」
「知ってる。有名人じゃん」
差し出した手を握りかえされる。カラッと笑う、きっぷのいい男だと思った。それが第一印象。
「アンタ幾つだっけ?」
「俺?23」
「俺は21。あー、でも良かったわ。俺も自分の制服姿に違和感しかないなって思ってたから」
「やっぱりそうなんだ。俺も、そろそろきついかなって思ってたところ」
玲司は、やたらと親しげで、話しやすい男だった。話していてすぐに分かった。多分こいつも呂庵と同じタイプだ。人の心の動きを読むのが上手くて、人に好かれやすい人種。頭が切れて、賢い。こういうタイプは好きだった。だから俺と玲司が仲良くなるのに、時間は掛からなかったと思う。このドラマのメインキャストの中では一番歳が近かったせいもあって、玲司とは暇を見つけては飲みに出掛けた。そして玲司はやっぱり、話の上手い男だった。この男が俺の影の部分に気付いたのは割と早い段階で、酒の勢いもあって、俺の過去をスルスルと引き出されてしまっていた。長いこと付き合っていた人がいた事、最近別れてしまった事、ユニットを離れてやっぱり一人はしんどい事。そんな事を話しながら、断片的にだけど、頭の良いこの男は状況を察してくれたのだと思う。その夜はそんなに飲んだつもりは無かったのに泥酔してしまっていて、気がついたら、俺はこいつとベッドの上にいた。乱れたベッド、下の方には脱ぎ散らかしたらしい衣類がそこら中に散らばっていて、背を向け合って眠る男の、程良く筋肉ののった背中を見つけて、俺は眠たげな目を擦って問いかける。
「あ〜……っと……、やっちゃった?」
「見りゃわかんだろ。……あーケツいてぇ……」
「えっ、俺が上なの?」
てっきり、抱かれたものだとばかり思っていたが。そういえば特有の下半身の怠さは無くて、腰も痛くは無かったから、多分玲司の言ってる事は正しかった。
俺が、おまえを抱いたの?俺よりもガタイの良さそうなこいつを?
にわかに信じ難くて目を丸くしていると、ジトリと刺すような玲司の視線が俺に向けられる。
「上が良いって言ったのは、おまえ」
「え?」
「おまえなんも、覚えて無いの?酔っ払って元彼の名前呼んで、『あの人以外には抱かれたくない』って駄々こねてたの」
「ええぇ?まさか!」
まさかそんな、冗談だろうと思っていたが、意識を失う前後の記憶から、玲司の言っている事は大体が本当なのだろうと悟って俺は真っ青になった。名前を呼んだって、俺が、あの人の名前を?頭が痛い。二日酔いだろうか、そういえばずっと、気分も優れなかった。
「まぁ俺は、どっちでも良いけど。お前本当に勿体ないよな、その顔で男が好きなんて」
ファンの女の子が知ったら泣いちゃいそう。なんて軽口を叩く玲司は、俺の知っているいつもの玲司だった。そんな事を言うんだったら、お前の方こそ、だろう。玲司は俺を抱き寄せて、俺も大人しくその腕の中に収まる。鼻先と唇に、甘ったるい恋人みたいなキスを交わした。
玲司との関係はそれ以降2年ほど続いた。セフレみたいなものだ。恋人というポジションにならなかったのは、どうしても俺の中にあの人の存在が根付いていたからで、玲司もそれを良しとしていた。多分、俺が思うに、こいつにも俺以外のところに別の、ちゃんとした想いを抱いている相手がいるような気がしていた。本人が言及する事が無かったから、敢えてこちらからは聞かなかったけど。
2年。思えば長い付き合いになってしまったが、なんで関係が切れたのかというと、俺が今所属しているVAZZROCKプロジェクトの計画案を聞いた時に、相手方のユニットの中に見慣れた名前を見つけてしまったからだった。天羽玲司。事務所を上げた一大プロジェクトであると知らされてはいたものの、まさかこんな人気俳優にまで声がけが行っているとは思わなくて、俺は驚きすぎていっそ唖然としていた。メンバーと寝るつもりはもう無かった。離れる時に、つらくなるから。
玲司にはそれを正直に打ち明けると、彼はあっけらかんとした顔で、さらりと言い放った。
「良いぜ?じゃあ、今日でお終いな」
「……やけにあっさりしてんのね」
「だって俺も、身内と寝るのはちょっとなって思ってたから、ちょうど良いかなって」
「お前は本当に、そういう性格で助かるよ……」
「あー、……お前、あっさり別れられなさそうなの多そうだもんな……」
玲司の苦笑の通りに、この新プロジェクトを機にこれまで遊んでいた相手から手を引こうと考えていたのだが、俺の性格故かなんなのか、玲司のようにあっさりと離れて行ってくれるパターンは本当に稀で、別れ話を切り出した後もなんだかんだでずるずると別れられないパターンが多かった。そういうのも、すっぱりと切り捨てられたら楽なんだろうな、とは思うし、実際玲司みたいな器用なやつはそんな思いもしないのだろうけれど。これは俺の性分みたいなものだから仕方がないのかもしれない、そんな事を考えながら、この晩も俺はいつものように玲司の事を抱いた。
それが、最後。その後も同じ寮で生活するようになったり、今夜みたいに二人きりで一緒に飲んだりする機会もあるけれど、セックスはあの夜以来、この男とはしていない。玲司はその辺はちゃんとした男だった。呂庵が、自分以上に寂しがり屋である俺を気遣って、今でも一緒に寝てくれるのと同じような感じで、玲司も俺の事を気遣って、俺がずるずる引き摺ってしまわないように、あの夜以来関係を持たないようにしてくれているのかもしれなかった。
こういう愛情の形も、心地が良い。
そんな事を思いながら、俺は瓶に半分くらい残った赤ワインを自分のグラスへと傾ける。
「……そういえば、最近どうなの?」
玲司が言う「どうなの?」には、きっと様々な意味合いが込められている。仕事の事やプライベートな事まで、色々。その中にはもちろん、そういうことも含まれているから、俺は自分で揚げた唐揚げを口へ運んで、それをワインで流し込む。どうなの?って言われてもなぁ、そんな。
「ぼちぼち……まぁ、リーダー業で忙しくて、遊んでる暇なんてないんだけどさ〜」
玲司も「遊んでる」の意味を察したらしい、クスリと笑って、静かにつまみの袋を開けていた。
「うちのもお前くらいしっかりしてくれると良いんだけどな」
「うちのも」という言葉に、ワインを傾けていた手が止まった。ROCK DOWNのリーダー、小野田翔の優雅で泰然とした笑みが脳裏に浮かんで、飲んでたワインをうっかり気管へ詰まらせてしまいそうになる。ケホ……と一つ咳き込んでグラスを置いた俺に怪訝な表情を向けると、玲司は袋に入ったサラミを摘んでゆっくりと咀嚼していた。
「あはは……あれはあれで、やる時はきっちりやってくれてるよ」
「まぁ、面倒見が良すぎるくらいのおまえとは、良いバランスだと思うけどな」
「そうなのかなぁ……自分では自覚ないけど」
「ほんっと、一人じゃなんも出来ねぇからな〜……どうやって生活してるんだか」
クスクスと笑う、玲司の言葉が、俺は未だに良くわからないでいる。朝は、一人じゃ起きれない眠り人、危ないからと料理のために刃物を持たせてはいけなくて、不器用だから料理の取り分けもさせて貰えない。俺にとっての翔は、そんな風な、人におんぶに抱っこの甘ったれじゃ無いんだけどなぁと思うけれど、それもまぁリーダーズとして仕事をしている間の話であったから、プライベートの翔に関してはイマイチ謎な部分が多かった。天才的な腕を持つヴァイオリニストだと言うから、その天賦の能力を与えられた引き換えに、仕事から離れた場、プライベートな時間では何もできなくなるのかもしれない、そんな事を思った。そういう翔も、見てみたいとは思うけれど、リーダーとしての公の場で甘ったれな部分を出されても困ってしまうし。そういう面ではちゃんと、公私の使い分けを出来ている、あいつも頭の良い人間なのかもしれない。
俺にとっての翔は、いざというときに頼りになる、リーダー仲間、仕事上のパートナーであった。
それ以上でも以下でもない。だから、プライベートな部分には踏み込まないようにはしていたんだけど。どうしてもその、身の回りを覆う雰囲気というか、イメージが、どことなくあの人と重なってしまうのは、翔を作り出すカラーが白である事が大きいように思える。しかも、純粋な真白ではなく、どこか影を帯びたくすんだ白。ライトグレーとも呼べるような。
認めてはいけないと思っていたんだけど、翔の隣は居心地が良かった。それは、リーダー仲間としての頼り甲斐とか、翔が纏う穏やかな雰囲気だとか、そういうもの、だと、思っていたんだけど。
「翔の事は頼りにしてるよ」
「あー?……あぁん?」
グラスに一口だけ残った、ワインを傾けてそんな事を言う俺に、玲司は変わらず怪訝な表情を浮かべていた。だから俺も笑い返して、何事もなかった様に自分で作ったつまみを口へと運ぶ。
そう、それ以上でも以下でもない。翔はビジネス上のパートナーでしかないのだ。だから翔がどれだけあの人と似ていようと、これ以上深入りするつもりは、毛頭無かった。
3.
古巣初期の頃の眞宮孝明を知る人物は、実はあまりいないのかもしれない。
元国民的アイドルユニットに所属していた事を知ってる人は多いけれど、昔はイメージカラーがピンク色だった、と言うと「嘘だろ?」と返される事が多い。昔の話だ。大昔、俺がまだ子供だった頃の話。その頃ユニットにはまだ志季が居て、紫のイメージカラーは志季の色だったのだ。じゃあなんで俺がピンクだったのかは、それを決めた社長しか知らないんだろうけど、イメージカラーが紫に変わった経緯は色々あった。これも、昔の話だ。思い出すとチリ……と耳のピアスが熱を持った気がして、思わずそこに触れてしまう。志季の色だったのだ、元々は。あいつとも、色々あった。
志季とは、今でこそ酒を飲み交わすような仲であるが、昔からそんなに仲が良かったわけではない。とはいえ別に不仲というわけでも無かったから、志季は俺にとってはごく普通の、同じユニットの仲間でしかなかったのだと思う。今更だけど。あいつには結成当初から柊羽が懐いていたし、俺はどちらかって言うとリーダーの後ろを付いて回っていたから、どうしても志季とは距離があったのだ。リーダーと、志季には、若干の確執があった。それはメンバー内では共通の認識だったし、一時期ファンの間でも噂されていた事だから、古くからのうちのユニットを知る人だったら、二人の名前を聞くと何かしら思うところはあるのかもしれない。確執って言うほど目に見えて仲が悪かったわけでもないけれど、二人が対峙すると、なんていうかギスギスしたものが間にあるようで、側から見ていただけの俺もなんとなく居心地が悪かったのを覚えている。人の感情に機敏な呂庵辺りはもっと繊細に感じとっていたのかもしれなかったけれど、俺にとってはその程度の認識だった。
「志季の作る曲は、なんつーか……すごいな。オトナって感じ」
「……なんだそれは、」
昔々の大昔、レッスン室でたまたま二人きりになった時に、一度だけ、その楽譜を見せてもらった事があった。その頃の志季はまだ高校生だったんだけど、アイドルをやる傍らで、社長に見初められて既に作曲活動にも手を出し始めたところで、自分で作った曲をコンサートで披露していたりしていた。ユニットの方向性とはまるで真逆だったけれど、俺は志季の作る、大人で雰囲気のある曲がなんとなく好きで、楽譜を見てそんな事を言ったのだった。
「爛々と燃える、炎?みたいな」
「お前の言う事は抽象的すぎてよくわからないな」
「俺もよくわかんない」
「……」
俺の言葉に志季は面食らった顔をしていたが、仕方ないだろう、自分でもよくわからないのだから。でも、感覚的にその曲が好きだったし、志季が才能があるやつだっていうのはなんと無くわかっていたから、それを伝えたかったんだろうけど、幼かった俺にはその感想を伝えるだけの言葉が備わっていなかったのだ、今思い返してみれば。多分きっと、あの人もそうだったんだと思う。
あの人は最初から、志季の作った曲には否定的であった。才能は、認めていたと思う、けれども誰よりもユニットの調和を大切にしていたあの人は、志季がライブで自分が作った曲を披露する事にも、その曲をアルバムに収録する事にも異論を唱えた。「ユニットのテイストに合わない」そんなような事を言っていた気がする。結局は社長がバックに付いていた志季の方が強かったんだけれど、志季自身はそんな事どうでも良さそうな様子だったし……その頃既にあいつはもう、アイドルとして活動していく事に疑問を抱いていたようだった。俺たちメンバーは、そんな年長組二人の対立を、半ば呆れたような目で見守っていた。リーダーが志季の才能を尊重したくて、敢えてそういう風に口を出してしまうのも分かってたし、志季本人は全てにおいて興味が無さそうな様子だったから、当の本人達は自分達が対立してしまっているとは思ってなかったのかもしれない。
初めてピアスを開けたのは、そんな、年長組二人の対立が如実になってきた年の冬の事だった。志季の脱退が囁かれ、原因はリーダーとの対立?あわや解散?とも、噂される中で、高校生になっていた俺は16歳の誕生日迎えていた。2月の終わりの事だ。憧れは、ずっとあった。校則はそれほど厳しくなかったから開けてるやつは多かったし、何よりあの人が髪をかき分ける時に覗く、シンプルな大人っぽいデザインのピアスが羨ましくて、いつかは俺も、と思っていたのだ。心機一転のつもりだった。ユニットが揉めていたのも知っていたから、そういう、自分の身の回りのいざこざにもうんざりしていて。大人たちへの反抗、みたいなものもあったと思う。誕生日の夜に、パーティを終えた自分の部屋で、ピアッサーで自分で開けた。最初、ピアッサーを手にしたときは針を見てぶるりと震えたけれど、想像していたよりも痛みはそれほど無くて、開けたての穴にキラリと輝く、チタン製の小さなファーストピアス。それを鏡越しに見つめて、俺は満足げな顔をしていた。
これが、予想外にも多方面から怒られたのは言うまでもない。
まずはマネージャー、後は事務所の偉い人。社長は笑っていたけど、事務所に呼び出されて重役に囲まれ、注意を受けたのは後にも先にもこれが初めてだった。先述の通り、イメージカラーはピンク、なんでも器用にこなす優等生キャラだった俺は、私生活でもそれを守るようにとそれとなく言い含められて育ってきた。実際、学校では勉強もスポーツもそつなくこなす優等生だったし、ユニットの中でもそのポジションを守ってきた。でもまぁ、今回のはそういうのから脱却したかったわけだったんだけどなぁ。結局事務所では、大人しく頭を下げておいた。隣にリーダーがいて、一緒に謝ってくれたから俺も素直に口から謝罪の言葉が出てきたのだ。あの人は自分も頭を下げて俺の頭も力ずくで下げさせると「すいませんでした」ってよく通る声で、一言だけ、そう言った。俺も同じように「すいませんでした」って言ったけど、多分心は篭ってなかったと思う。開けちゃったものは仕方ないし、それ以上は穴増やさないようにね、とだけ社長に言われて、俺とリーダーは解放された。
「……俺は、いいと思うよ?似合ってる、大人っぽい」
「…………え?」
「ピアス」
帰り道、その日はすごく寒い日で、俺たちは肩を寄せ合って、寒いな、って言い合いながら寮へ向かっていたところだった。俺の方からは気まずくて、敢えてピアスの話題に触れないようにしていたのに、あの人の方から、そんな風に話を切り出された。冷たい指先が熱を持った耳たぶに触れて、俺を見下ろす、夕暮れ色の瞳がふんわりと細められる。微笑混じりにそう呟いた言葉は、白い息となって空気中へ消えて行った。
「化膿しないようにちゃんとケアしろよ?」
「……う、うん」
追い越せそうで中々追いつかない身長は、あともう、ほんの数センチといったところ。
もう少しで届きそうなのに届かなくって、俺はずっともどかしい思いを抱いていた。
4月、俺は高校二年生になって、同じ頃、志季が正式にユニットを脱退した。誰も驚かなかったし、メンバーの誰もがそれを責めなかったけれど、志季の引越し作業を手伝いながら「アイドルを辞めてどうすんの?」って聞いた俺に、志季は珍しく笑みを浮かべて「のんびりやるさ」とだけ答えた。しばらくは社員として事務所に所属しながら、作曲作業に専念出来るそうだ。憑物が落ちたみたいな志季の様子にはなんだか釈然としなかったけれど、志季が決めた事だったら俺はとやかく言えるような立場ではない。18歳、たった二つ歳が違うだけなのに、「高校生」という肩書きから抜け出したその背中は大きく見えるのだから、不思議なものだった。
憑物が落ちたような、さっぱりとした様子の志季とは対照的に、目に見えて落ち込んだ様子を見せたのは、意外な事にリーダーの方だった。俺を抱く手付きは相変わらず優しいものだったけれど、その夕闇色の瞳が、時折、ここではないどこかを見つめているようで、俺は、あんたまでどこかに行ってしまうんじゃないかって不安になって、その身体に縋り付いた。
「孝明」と、俺の名前を呼ぶ、その声が好きだった。だから、もっと呼んでって、うわごとのようにそう言った俺に、あんたは一瞬だけ目を丸くして、それからいつもの優しい笑みを浮かべてくれた。
翌朝俺が目を覚ますと、リーダーは俺に、小さな包みを渡して寄越した。中身は小ぶりなピアス。ラウンド型の紫色の石で、よく見ると、彼が付けている物と色違いのデザインだという事に気付く。
「何……これ?」
「……プレゼント。俺からの」
「なんで、紫……、アメジスト?」
「そう。今日からお前の、イメージカラーな」
寝起きで、ぼんやりとした頭の俺の耳に、そんな言葉が伝えられる。最初は意味が分からなくて疑問符を飛ばしていたけれど、徐々に明瞭になっていく視界に、あんたの笑顔と手のひらに乗せられた一対のピアスが映った。は?どういう事だ?紫、俺の、色?だって、紫は志季の色だった筈だ。ファンだってみんなだってそう認識しているし、今更、変えられるわけがないだろう。
「なんで……」
リーダーは、そう、呟く俺の耳たぶに真新しいピアスを付けて、満足そうな笑みを浮かべていた。悠然と笑みを浮かべるその瞳に、涙が滲んでいたように見えたが、もしかしたらそれは俺の気のせいだったのかもしれない。次の瞬間には俺は彼にぎゅっと抱き締められていて、息苦しさに腕の中で唸り声を上げた。
「よく似合う……大人っぽい」
「……あ、りがと、」
結局のところ、イメージカラーが変わったところでファンにどうこう言われるわけでもなく、俺の生活にこれといった大きな変化は無かったけれど、慣れ親しんだマゼンタピンクに、新しく紫色が滲んでいく感覚はあった。志季の紫色とはまた違う、マゼンタが混じった鮮やかな紫。アメジストパープル。俺の新しい色は、ピアスと一緒に、自分の身体にじわじわと馴染んでいくみたいだった。
志季が居なくなってからのあの人は、前にも増してユニット愛が強くなったように思える。
あの人は志季の事が好きだったのだ。それが、恋愛感情から来るものなのか、それよりももっと強い感情から来るものなのかは俺には分からなかったけれど、志季の作った曲はどれも、どこかこの人が重なるような気がしていた。二人がそういう仲にあったとは思えなかったけれど、それ以上に強い精神的な繋がりみたいなものに、俺は分かりやすいやきもちを妬いてしまっていた。
最早ここまで来ると呆れてしまうのだが、志季とも一度だけ、寝た事がある。
「……なんで俺だったんだ」
十代の終わりだった。19歳という年齢は、大人になりきれないくせに、もう、子供のままではいられない気もしていて、そんな事を考えるくらいにはどこまでもクソガキだった俺は、当時ツキプロの社員だった志季を呼び出して、一夜を共にしてしまった。既に酒の飲める年齢に達していた志季はいい感じに酔っ払っていたが、俺は未成年だったから、もちろん素面だった。その辺はちゃんと弁えていたし、そんなくだらない事で、もうあの人の頭を下げさせるのはごめんだと思っていた。のに、志季を抱いてしまったのは、勢いみたいなものだったのだ。言い訳すらも思い浮かばないくらいには、強い罪悪感を抱いていて、行為を終えたベッドの上で、そう、気怠そうな声で志季が言ったのを背後に聞いていた。
「……アンタを抱いたら、何かわかるかと思ったんだけどなぁ」
あの人の考えも、俺に対する思いも、大人になるということも。
志季は男を知っていた。手慣れた様子で俺に抱かれる細い身体を見下ろして、相手は誰なんだろうなどと思うわけであるが、それも、もう、あの人じゃなければどうでも良かった。
「くだらない」
「……俺も、本当にそう思うよ」
結局何一つ、分かることなんて無かった。後には、とてつもないほどの罪悪感しか残らなくて、俺は傷だらけの志季の背中を撫でる。爪なんて立てたつもりは無かったのに、その真っ白な背中は、引っ掻き傷と真っ赤なキスマークが付けられていて、見ているのも痛々しいほどだった。
「お前がどう足掻こうとあいつはお前を大事にしてるし、これだってもう、お前の色だ」
志季はそう言って、俺の耳たぶのピアスに触れる。それがどういう事を意味するのかも、俺にはよくわかっていた。志季は、大人になっていた。俺の知らないところで、ずっと。じゃあ俺は?19歳になったところで、何一つ変わらない。どれだけ身長が追いついても、追い越せないみたいに、中身は13の頃の、あの人の背中を追いかけていたクソガキのままだ。
「……そうだったら良いと、ずっと思ってた」
ぽろぽろと、涙が溢れる。申し訳無さと、情けなさでいっぱいで。
志季は静かに、俺の頭を撫でていてくれた。
4.
貴方は俺の光だった。それこそ、デビューするずっと前から、ユニットが解散して何年か経った今でもなお、俺の行先を照らしてくれている。
それは、船乗りがただ一つ目指す灯台の明かりのような存在。
あの人は、とにかく自分のところのユニットが大好きだった。もちろん、俺もだけど。
ユニットとは不思議なもので、それぞれ「カラー」のような物が出る。例えば友達みたいな関係性だったり、運命共同体だったり、個性の集まりだったり、色んな形がある中で、君たちは一つの「家族」みたいだね、と昔、社長がそんな事を言っていたのを思い出していた。父のような、母のような大らかさで、みんなを包み込む。大黒柱がこの人で、俺たちはみんな子供みたいなものだ。志季が抜けてから6人になったユニットは、余計に、そんな風に感じていた。
酒の味を教えてくれたのはあの人だった。上手な酔い方、楽しい飲み方。それから、煙草の不味さも。俺がまだ二十歳になりたての夜に連れて行って貰った高そうな個室居酒屋で、酔っ払ったあの人は気を良くしてリーダー論ってやつを俺に語ってくれた。
「俺はずっと、リーダーたるもの、メンバーを照らす光であれとずっと思ってきた」
「光?」
「先も見えない、足元も覚束ない、そんな真っ暗闇みたいな芸能界の中で、俺はずっと、お前たちの行先を照らす、灯台の明かりであろうとしていたんだ」
気がつけばデビューから、8年近い年月が流れていた。その間ずっと俺たちはガムシャラに駆け抜けてきたし、この人はいつだって先頭を走っていてくれた。時折俺らのことを振り返って、「大丈夫か?」なんて言いながら。でも、思い返して見ればこの人だって、まだ十代の子供だったのだ。それなのに、俺には想像出来ないくらいの重責を背負い続けてきて、俺たちをここまで引っ張って来てくれた。そこは、多分、頂点とも言って良い場所だった。芸能界の頂点、国民的アイドルユニット、もう老若男女、俺らの事を知らない人はいないんじゃないかってくらいには、有名になっていた。そんな絶対的な人気を得ても尚、上があり続ける。芸能界はそういう業界だった。先は見えない、でも登り続けるしかない。アンタがその行く先を照らし続けてくれるから。
「あんたは俺の、光だったよ」
教えてもらった、日本酒を飲んでいた。これまで数える程度しか酒を飲んだことは無かったけれど、俺はどうやらアルコールには強いらしい、結構色々な酒を教わって飲んできたけど、まだビールの美味しさはわからなくて、さっぱりした味のカクテルが好きで、今日教えて貰ったみたいな、美味しいと言われる日本酒はいくらでも飲める、と、そう感じていた。孝明が、酒が飲めて俺も嬉しい、ってあんたは笑って、俺の頭を撫でつけた。そういうところはまだまだ子供扱いするのだなって思ったけれど、上機嫌のこの人には言わないでおいた。
「そういうリーダーでありたかった。ずっと。お前らにとっての俺がそうだったら良いなって」
湯呑みの日本酒をグッと煽って、あんたは笑って言った。最初は、どうして俺に?と、そう思っていたのだ。どうして、自由が好きで縛られるのが嫌いで、リーダーシップのかけらもない俺に?って。その時は不思議だったけれど、今思えば彼はその後のことを予兆していたのかもしれなかった。
「万が一どうしようもなくなっちゃった時は年長者の役割は果たす」
「お前も含めてメンバー全員俺が守るよ」
あの人の、口癖みたいだった言葉だ。俺は、縁起でもないと思っていたし、実際、ユニットは人気の絶頂を極めていた時期だった、何かある、なんて考えられないくらいの。それまでツキプロの社員として作曲活動に専念していた志季が、セルフプロデュースでユニットを立ち上げた、という話を風の噂で聞いていた。アイドルとは方向性の違う、新しいタイプのユニットで、社長も気合が入っているのだと。古い仲間の活躍は素直に嬉しい。志季とも色々あったし、あいつの作る曲が好きだった俺は、上手くいけばいいな、などと、その時は人ごとのように感じていたのだ。
ユニットの、無期限活動休止……事実上の解散が通達されたのは、10周年記念コンサートが行われた夏の終わり。窓の外では寒い北風が吹き荒ぶ、秋も深まったとある日の事だった。
「そ、……んな、う、うそだろ?」
事務所の応接室みたいなところに、メンバー全員が集められていた。ここを訪れるのは以前無断でピアスを開けて重役連中に怒られた時以来だったから、また、てっきり誰かが不祥事かなんかを起こして呼び出された物だと思っていたのだ。誰が何をしていても、あの時のあの人みたいに、一緒に頭を下げるくらいの心の準備はしていた。それくらい、この場所は俺にとってのもう一つの家みたいな大切な場所だったし、みんながみんな、大事な家族みたいな存在だったんだ。それが。
社長の口を通して伝えられた言葉を上手く咀嚼出来なくて、俺は縋るように隣の呂庵の顔を覗き込んだ。呂庵は泣き出しそうな目をしながらも、何も言わずにジッと前を見つめていた。その向こう側では柊羽が表情を崩さずに社長を見つめている。相変わらず感情を露わにしないやつだな、と思いながら、俺の視線は最後にリーダーの顔へと向かった。
「うそだろ?俺らは家族じゃ無かったのかよ?」
社長の目があった、他の偉い人もいっぱいいて、部屋の隅ではマネージャーがシンとした様子で立っているのも見える。そんな状況下で、俺はリーダーに掴みかかる勢いで、そんな事を言った。そしたらあの人は、いつも見せてくれるような優しい笑みを浮かべて言ったのだ。
「俺が言い出したんだ。10年一区切り、やりたい事は一通りやって来たし、そろそろ、自分たちで選んだ道を進んだほうがいいんじゃないかって」
貴方の目は、俺を通り越して背後に並ぶメンバーを優しげに見守っている。
「海外に行きたいって、言ってたろ?少し休むのも良いと思う、ここまで全力だったからな。芸能界に残ってこれまで通り活動するっていうなら、俺も、尽力させてもらう」
「…………っ、」
「孝明、」
一人一人に向けられた視線は、最後に俺の元に戻ってきて止まった。
ずっと見てきた目だ。真っ直ぐに前を見据えるこの瞳が頼もしくて、ずっと、憧れていた。
「お前は何がしたい?この場所から離れて、」
俺には何が出来るんだろう。この場所から、あんたから離れて。
ずっとそこにある存在だと思っていたのだ。絶対的な安心感と共に。それが。ユニットの解散、という事実は、予想よりも重く、俺の身体にのしかかっているみたいだった。
「孝明、別れようか、」って、あんたは言った。まるで世間話の一つでもするかのように、行為を終えたベッドの上だった。乱れたシーツをかき分けて、脱ぎ捨てられた下着を拾って履いていた俺の背中に向かって、あんたはいつも通りの美しい笑みを目元に浮かべて、そう、言い出したんだ。
ユニット解散の話を聞いて、ある程度は覚悟していた事だったけれど、俺の口からは「は?」という言葉がこぼれ落ちた。なんで、急に、という思いは別に無い。ただ、素直には認める事が出来なくて、それが色々重なって「は?」という疑問符へと変わる。
「……なんで、」
「……ずっと考えてた。お前をいつ解放してやろうかなって」
そう言ったその瞳は、愛し子を見つめる親のような、優しい色をしていた。夕暮れ時の一瞬だけ見える紫がかった金色。一対の宝石みたいなその色は、俺の言葉全てを持ってしても表現する事は出来そうに無くて、ただただ美しい。ずっと側にあると思っていたのだ、ユニットも、この人も。それが、なんで?どうして?という思いが強い。咄嗟に掴んだ腕が、俺が思っていたよりずっと細くて驚いた。別にこの人が痩せたわけじゃなくて、俺がでかくなっただけだと思うんだけど。10年分、ずっと追いかけていた背中。追い越せるとは思っていなかったけれど、それでも俺は成長していて、気づいたら背丈は、あんたと同じくらい、並ぶほどになっていた。
「解放、……なんて言わないでくれよ……、俺はずっと、あんたを追いかけてきたんだ」
「孝明、だからだよ」
「……は?」
「俺以外の世界も見つけて。……お前は、一人で歩いて行ける強いやつなんだから」
「そんな……」
泣き出してしまいたかった。迷子になった、幼子みたいに。けれども最後の意地が働いてそれは叶わなくて、俺はきっと、変な顔をしていたと思う。顔が歪んで、あんたの綺麗な瞳が見ていられなくて逸らした視線を、捕まえられた。重なる唇、触れるだけの優しいキスだった。それでも、きっとこれが最後のキスになるんだろうなって思って、俺は逆らう事もせず、貴方に身を任せる。粘膜まで蕩けあってしまうような深いキスでは無かった、けれども、離れがたいみたいに、ずっと触れ合ったままの唇は熱くって、俺は、初めてキスを交わした10年前の事をふっと思い出していた。
最後に俺たちは、手を繋いで一緒のベッドで寝た。10年以上も一緒にいて、そんな事をするなんてくすぐったいと思ったけれど、俺は何も言わなかった。
眠りに落ちる緩やかな微睡みの中で、あんたは俺の手をぎゅっと力一杯握って、言った。
「孝明がやりたい事を見つけたら、教えてほしい。俺に出来る事なら、協力するから」
「アンタは、……なんでそうやって全部一人で背負い込むんだ」
「一人じゃないだろ?お前たちがいたから、俺はリーダーでいられたんだ。……それに、」
閉じかけた瞼の向こう側に、美しい笑みが浮かぶ。
俺の頭を撫で付けるその温もりが心地良くて、俺はそっと瞳を閉じた。
「俺らは一つの家族みたいなものだ。家族の事は無条件で愛するもんだろ?」
朝になって目が覚めたらあんたはもういなくなっていて、後には冷たいベッドだけが残された。
俺たちの関係はここでおしまい。俺は、これで本当に一人になってしまった。
5.
小野田翔と初めて出会ったのは2017年の夏の事だった。蒸し暑い夏だった。雑誌か何かの撮影を終えて、俺はマネージャーに事務所に呼び出されていた。通されたのな嫌な思い出しか無い応接室ではなく、広めの会議室みたいな場所で、そこには社長と、俺専属のマネージャーの原田さんと、それからもう一人、父親くらいの年齢の、上品な壮年の男性がいた。この人も社員の人かな?なんて思いながら、促されるがままに椅子に腰を下ろす。それまで古巣の無期限活動休止を受けてソロで活動していた俺を呼び出して、何事だ、とは思うけど。これまで大人しく活動していたつもりだ。あの人と別れて、遊びで寝ていたやつも何人かいたけれど、バレないように上手くやっていたはず。何もしでかして無いはず……そんな俺の内心を見透かしてるみたいに、原田さんは苦笑を浮かべていた。
「……そう小さくならないでください、孝明さんに新しい仕事ですよ」
「……は?」
新しい、仕事?わざわざ会議室に呼び出して?そう首を傾げた俺に、社長までもが穏やかな笑みを浮かべている。……やっぱり、怒られるような雰囲気では無い事は察するけど、呼び出されたのは俺だけらしいこの状況に、不安を抱いてしまうのは仕方のない事だろう。
「あーもう、なんなんですか?一体。そろそろネタばらしをしてくださいよ」
「まぁまぁ、そう焦らないで。……実は、もう一人の到着が遅れていてね」
「すみません、もうすぐ着くとは、言ってるんですが……」
そこで初めて、部屋の隅にいた上品そうな男性が声を上げて、俺はちら、とそちらに視線をやった。黒いカバーのスマートフォンを持って、その人は申し訳なさそうな笑みを浮かべている。
もう一人?余計に状況が飲み込めない俺の耳に、背後から、夏の蒸し暑さには似つかないような涼やかな声が飛び込んできた。
「遅くなってすみません!!」
「あぁ、良かった。翔くん、こちらへ」
「すみません、飛行機の発着が遅れて……」
「聞いているよ、災難だったね。暑いところご苦労様、」
翔くんと、呼ばれた、声をした方を振り返った俺の目に飛び込んで来たのは、圧倒的な白のオーラ。形のよく整った眉を下げて困ったように笑うその人の瞳が、夕暮れの空のような色をしていてゾッとした。同じ事務所の、までは分かる。名前が出てこないのは失礼かもしれないが、「そちらの業界」についての情報には疎かった俺には仕方がない事に思えた。肩に掛けられた小さなヴァイオリンケースを机に置いて、その人はなんの躊躇いも無く俺の隣の席に腰を下ろす。
急いで来てくれたのだとは分かる、息が上がっていたから。けれどもこの暑さの中で汗一つかいていない横顔は、どうしても浮世離れした存在のように思えた。じっと見つめていると、睫毛が恐ろしく長くてビックリする。その男は、日本人離れした、よく整った容姿をしていた。
「じゃあ、揃ったようだから話をさせてもらうね」
社長が目配せをすると、側に控えていた秘書の女性に一揃えの書類を手渡される。俺とこいつの分、並んだ2部の冊子を前にして、その表紙に書かれた文字に目を丸くした。
「VAZZY……ROCK DOWN?」
「これは?」
「中を開いて読んでくれるかな?」
「……はい、」
そう、社長に促されて開いたページの一番上に、自分の名前を見つけて唖然とした。ちらりと隣に視線をやると、1ページ目を開いたこいつも、同じタイミングで動きを止めていた。
それは、新しいユニットの企画書。
1ページ目にはメンバー候補者の名前が記されていて、次のページからはメンバー12人のソロCDを毎月発売していく企画や、イベント、ライブなどの活動案なども事細かに掲載されていた。
「眞宮くん、」
「……はい」
「小野田くん」
「はい」
社長の穏やかな声に、隣の男の返事が重なる。澄んだ声だった。聞き心地の良い音は、夏の蒸し暑さには相応しくないくらいに凛と涼しげで、俺はどうしてか、自分の意思に反して、この男の美しい横顔にぼーっと見惚れてしまっていた。
「君たちを中心にして、新しいユニットを作りたいと思っている。どうかな?」
社長の言葉に、俺はすぐに返答を返す事が出来なかった。
それはこの男も同じだったみたいで、彼はその澄んだ声で、考えさせて欲しいと告げた。一方で俺は無言でその書類に視線を落としていると、社長はゆったりと微笑んで、「良い返事を待っているよ」とだけ伝えて、自分は席を立って部屋を出て行ってしまった。
そんな反応から、怒っているようには見えなかったけれど、俺にはどうしてもあの人の本意が分からなくて、手持ち無沙汰になって、書類をパラパラと捲っていた。
VAZZROCKプロジェクト──書面にはただ、『新プロジェクト』とだけ記されていたが、VAZZYとROCK DOWNの二つのユニットからなるその事務所をあげた一大プロジェクトであろうその企画は、自分にとっては全くの寝耳に水の話だった。これまでの概念に捉われない、全く新しいタイプのユニット、所属する分野の垣根を越えて集められた、宝石の原石達。完全な人ごとだったらまだ、社長もおもしろい事を考えるものだと感心していたと思う。けれどもそのメンバー候補の筆頭に、自分の名前を見つけてしまったら、話はまた別だった。名前の前に小さく書かれた『リーダー』の文字が、俺の胃の奥の方、この2年間でずっと押さえ込んで、潜めていたものを刺激するみたいに、キリキリ痛む気がした。リーダー?俺が?自由が好きで、縛られないのが好きで、この2年間、古巣が解散してからずっと、一人で上手くやってきたつもりだった。あの人の言葉通り、俺はずっと一人で歩いてきたのだ。お陰さまで、自由に伸び伸びとやらせて貰っていた。それをなんで、今になって、新しいユニットのリーダーだなんて。俺じゃなくても、他に適した人間が沢山居るはずだ、それなのに。なんで、という言葉が頭の中を埋め尽くす。なんで、どうして。ふ、と胃の部分を押さえた俺に気付いた、のかどうなのかは定かでは無かったが、それまで静かに書類に目を通していた隣の男が、ようやくこちらに気付いたらしい。ハッと俺を振り返って、その夕焼け色の金色の瞳にふんわりとした笑みを浮かべて、俺に右手を差し出してきたのだった。
「あぁ、すみません。ご挨拶が遅れまして……小野田翔です、よろしく」
小野田翔。名前を聞いて、そこでようやくその、音楽家部門の有名人の顔と名前が一致する。顔だけは知っていた。名前までは、詳しく知る機会が無かったけれど。世界的なヴァイオリニストだ、という事だけは、クラシックの業界に疎い俺でも知っていた。 ROCK DOWNのリーダーとして呼び出されたこの男もまた、今回の話には驚いているのだろう。さっきからずっと、困ったような顔をしている。まぁそもそもこの人は畑違いなわけだし、いきなりタレント業なんて言われてもピンと来ていないだけなのかもしれなかったけれど。
「眞宮孝明です」
「存じてます。有名人でしょう?すごいな、本物だ」
「そっちこそ……」
「君は受けるんだろう?この話、」
「……いや、正直俺も、この話を受けるかどうか、迷っていて……」
「えぇ?そうなのかい?」
人柄を表すようなおっとりとした様子の垂れ目が、笑みの形を浮かべて、クスクスと笑っていた。
「僕らに、拒否権なんて無いのだと思っていたけど、違うんだね」
そんな、なんでもない言葉の最後、ほんの一瞬、その瞳が光ったような気がした。
新しいプロジェクトに、わざわざ畑違いの音楽家部門から、社長が連れてきただけある。多分、この一瞬の表情で、ただならぬものをこの男に感じて、俺はそれを悟られないように表面上は笑顔を取り繕っていた。
「……いくらなんでも、拒否権くらいはあるでしょ?」
「ふふ、……これは僕の予想だけど、君はきっとこの話を受けるよ」
「は、ぁ?」
「僕も、多分。……また会えると嬉しいな、孝明」
それだけ言い残すと、翔は書類まとめて席を立ってしまう。凛とした後ろ姿を見送っていると、彼は二言三言、先ほどからずっと部屋の隅にいた男性……彼のマネージャーらしき人物に言伝をすると、颯爽と部屋を去って行った。最後に俺を振り返って、優雅な笑みと、それから上品そうなお手振りを残して。残された俺はマネージャーの原田さんに目配せをすると、彼からは苦笑とも取れる表情が返ってきた。俺はハァ、と大きなため息を一つ吐いて、机に突っ伏す事しか出来なかった。
胃が痛い、まさかこんな事になるなんて。
認めたくはないが、結局俺は翔の言葉通りにこの企画を受ける事となった。
この新しいプロジェクトを立ち上げるに当たって、そのリーダーに、と俺の名前を挙げたのがあの人だったのだと、風の噂で耳にしたからだった。「お前のやりたい事が見つかったら教えてほしい」「俺に出来る事だったら協力するから」そういえば確かにそんな事を言っていたものの、まさかこういった形で関わってくるとは思いもしなかったわけで。どういう事かと直接本人に話を付けに行こうともしたのだが、向こうは既に芸能活動に区切りを付けて米国へ発ってしまった後らしく、それを人づてで聞かされた俺は驚きで目を丸くしていた。まさか、そんな。本当に、手の届かない場所に行ってしまうとは思いもしなくて、俺は途方に暮れていたのだった。
新しい寮に引っ越したその日、部屋を片付けていた際に現れた小野田翔は、思ったよりも早く訪れた再会にきまりの悪そうな表情を浮かべる俺を見上げて、あの日みたいにクスクスと優雅な笑みを浮かべていた。翔が笑うと周囲に白い花が咲き誇るような、この、圧倒的な白のオーラが、俺はどうにも苦手だった。
翔とは多分、意図的に距離を置いていた。ツキプロはリーダーズという括りを思いの外重要視していて、揃って雑誌の表紙を飾る機会や、ファーストライブへ向けたインタビューなど、二人での仕事は多かったものの、俺も翔も個人での仕事がまだ幾らか残っていたため、そもそも二人でゆっくり話す機会は無かったのだ。俺にとってそれは好都合だった、必要以上に踏み込まなくて済むから。
だから、春が過ぎて夏が終わる頃、外の世界は涼しくなって、ライブのレッスンにも、身が入る、そんな季節。その告知が俺らに知らされたのは、秋のAGFのイベントへ向けたリーダー会議の、その最中であった。
「当日、SNSでは各ユニット、来年のCD展開について、ファンに向けて告知を出す予定です。詳細は手元にお配りした資料をご覧ください」
案内役のスタッフに言われるがまま、束になった書類を捲って行く。グラビプロセラ、他のユニットのページを読み飛ばして自分のところのVAZZROCKのページを開くと、『colorシリーズ』、『ユニットCD』、それから、今も毎月発売されているメンバー12人のソロ曲を一月毎に送る『bi-colorシリーズ』のセカンドシーズンの情報もあって、来年一年も精力的な展開が期待された。
bi-colorシリーズは、一枚のCDが、自分のソロ曲ともう一曲はユニットメンバーの誰かと組んで歌うデュエット曲の2曲からなる。ファーストシーズンは相方である凰香と、 ROCK DOWNの名積ルカとだったから、セカンドシーズンは誰と組むんだろうなと思って資料を熟読していると、そこに書かれた名前を見て、思わず目を丸くした。『眞宮孝明&小野田翔』リーダーズで組む事があるのか?と驚いて見下ろした隣の人物。彼も全く同じページを見ていたようで、珍しく……本当に普段からのんびりとしていて驚いたり騒いだりするようなやつではないのだ、それでも彼なりにびっくりしているようで、まん丸に見開かれた瞳の真ん中に、困惑した表情の俺が写っていた。翔と、デュエット?しかも相変わらずの第一弾、初っ端だから、もうそれほど発売まで日がない事も予想された。
結局、それ以降はスタッフの話もろくに頭に入ってこない状態で、会議はお開きとなり、俺たちは一緒に帰る事になった。翔のマネージャーさんが寮まで送ってくれるというから、お言葉に甘えて、連れ立って車の後部座席に乗り込む。手には先程渡された資料を持っていた。緩やかに発進した車内で、沈黙を打ち破るように、翔が口を開く。
「bi-colorシリーズ、楽しみだね。僕たちの歌、どんなメロディなるんだろう」
ふわりふわりと軽やかに笑う、優雅な笑顔を横目で見やる。翔は本当に心の底から楽しそうにしているようだったが、俺は些か、いや、大分憂鬱な気分であった。デュエット曲、翔との。まともな気分で歌えるだろうか、という不安がどこから来るものなのか、俺にはまだ認められなくて、純粋な視線から逃げるようにして、車窓へと目を逸らしたのだった。
年が明けて、翔とのデュエット曲のデモテープが送られてきたのは、もうまもなく26歳の誕生日を迎えようとしていた、2月のある日だった。CDの発売は春先、と聞いていた。とはいえ他のユニットのCDが遅れている事から後ろ倒しになるかもしれないと言われていたが、収録だけは先に行っておくらしいとの話も聞いた。デモを聴くのも躊躇うくらいには、俺の心は少なからず動揺していたのだ。それが何故、とは分からなかったのだけれど。ぼんやりとした不安の中、送られてきたデータをiTunesに落として耳にBluetoothイヤホンを掛ける。
Home Sweet Home……タイトルを見た瞬間に、まさか、とは思っていたが。大人のムードの漂う曲だったり、或いは激しめのダンサブルなミュージックだったら、まだ違ったのかもしれない。それでも、翔とそういった曲を歌うイメージは出来なくて、ある程度の覚悟はしていたのだが。これは、なんというか、予想以上であった。イントロから流れてくる温かなメロディ、一人ぼっちの帰り道、寂しげな雰囲気と、それを包み込むような、優しいメロディとメロディの調和。これは、まずいのではないか、という思いが心の中を埋め尽くしていた。これを、翔と歌うのは、まずい。
翔のオーラは、温かみを帯びた、優しい白だった。それは、容姿も含めて彼が纏う雰囲気だったり、彼自身の穏やかな性格にもよるところが大きいと思うんだけど、そういうのも含めて、翔の周りを包み込むような優しいオーラが、好ましいと思っていた。好ましいと、思ってしまっていた。
似ているところなんて一つも無かった。はずなのに、どうしても重ねてしまう。あの人の面影を、追いかけてしまう。それは俺の意識に反した所で、そう、思ってしまう自分がいて、俺は大分参ってしまっていた。容姿や雰囲気は全く似ていないのだ。中性的でおっとりとした翔と、俺様気質なところがあるあの人とは対照的で、全く違う、と思っていたのに、真っ直ぐに芯が通ってるところや一点集中型なところ、自由気ままなところは似てる、と、そんな事を考えてしまう。
それから、一番は──、
6.
2月の終わり、Home Sweet Homeの収録の日を迎えていた。
その日は緊張で中々寝付けなくて久しぶりに寝る為に酒を飲んだくらいだったんだけど、それすらも効果は無いみたいで、朝から欠伸を噛み殺していた。
ブースへと入る、機材を前にして、流れてくるメロディに耳を傾けていた時だった。
『────眞宮くん?』
「あ、……あれ?」
『大丈夫かい?一回止めようか』
「すみません、」
ぽろぽろぽろと、次から次へと溢れ出す涙が、止まりそうに無かった。
曲の収録は、スケジュールが合わなくて、翔とは別録りだった。そんなつもりは無かった、別に泣くつもりなんて。けれども、「収録前に一度、小野田くんの分も聴いておいておこうか」というディレクターさんの言葉に「はい」と頷いた俺は、先に録られた分の翔の曲を聴く事になった。耳に当てた、ヘッドフォンからメロディが溢れ出した瞬間だ。瞬間、その、一瞬で、俺は翔の世界にグッと引き込まれていた。温かい、全身が、温もりに包み込まれるような、優しい感覚。
気付いてはいけない思いだった、これは一生、俺の心の中に潜めておくつもりだったのに。
翔とあの人が一番似ているのは、その、優しい声だ。声質は、全く似ていなかったけれど。それから、春の木漏れ日のような、温かな包容力。包み込むような母性と父性。そういうものが心地良くて、俺はずっと、あの人とずっと一緒にいた。置いていかれて、一人になった後もずっと思い続けていた。だから、俺は。
涙があふれていた。止まらなかった。ブースの外側からタオルが差し入れられて溢れる涙を拭っていると、「体調が優れないようだったら後日にするかい?」とも言ってもらえたけれど、俺は首を横に振って、最後にグッと一つ、涙を拭ってマイクへと向かう。
『──行けそうかな?どうだろう?』
「すいません、多分、大丈夫だと思います」
歌わなければいけない、と思った。この曲は。それは俺から離れて行った後もずっと、背中を押してくれたあの人への感謝の想いもあるし、今隣にいる翔へ抱いている気持ちを表現するためにも、必要な事だったんだ。唇を開く、優しい、包み込まれるようなメロディに乗せて、声を重ねる。
────孝明、おいで。
あの人が俺を呼ぶ声が大好きだった。世界で一番優しい響き。その、音に乗っかるようにして、俺はその腕に抱かれて、貴方の温もりに包み込まれる。石鹸の香りが漂うそれが、歳を重ねる毎に甘い香水の匂いに変わってからも、そこは俺の特等席だった。初恋だった。たった一人、貴方だけを愛していた。例えば俺が、もし貴方以外の別の誰かを愛する事になったとしても、きっとその初恋を忘れることはない。貴方が俺を愛してくれたように、他の誰かを愛するんだろうなって、そう思う。
収録は、無事に終わった。予定よりも大分押してしまったけれども、最後まで、やり遂げることが出来た。マネージャーの運転する車で寮に帰ってきた俺は、自分の部屋では無く、真っ直ぐに翔の部屋を目指していた。今日もソロの仕事が入ってると言っていたから部屋に居ないかもしれないという心配はあったけれど、翔は部屋にいた。考えてみれば俺の収録の方が時間がかかり過ぎてしまっていたのだ。翔の部屋の時計を見たら22時を回った所で、「こんな時間にどうしたの?」という翔の言葉は真っ当なものだった。
「孝明、どうしたの?」
「……翔、俺は、」
俺より少し下の位置にある、夕暮れ色の金色の瞳。宝石みたいに美しいその色を、俺は良く知っていた。パッと見たら頼りなさげな華奢な肩は、けれども触れれば男のそれらしい硬さで、そんな事を考えながら俺はグッと、その細い身体を抱きしめる。こんなに近づいたことは無い、触れ合った事も。俺の方が避けてきたのだ、必要以上に踏み込んでしまわないように。翔は大切なビジネス上のパートナーで、リーダー仲間でしか無かった。それなのに。
その首すじに顔を埋めた俺に、石鹸のような、甘いミルクのような、優しい香りが香った。
「……今日、デュエット曲の収録だったよ」
「あぁ、あれ?どうだった?僕は君の歌を聴くのも楽しみだなって」
「俺は、」
抱きしめると、もう、懐かしさしか無かった。翔とあの人は違うって分かっているのに、それが上手く情報として処理しきれなくて、抱きしめた身体を引き寄せて、耳元に唇を寄せてしまう。
「翔お願い、こんな事言うの、ほんとおかしいと自分でも思うんだけど、」
「孝明、本当にどうしたんだい?」
「翔、俺を、抱いてほしい」
「……え?」
え、という彼の疑問符は至極真っ当な返事だと、思う。
きっと驚いているのだろう、その表情は俺の場所からは全く見えなかったけれど、翔に困った事を言い出している自覚はあった。けれど、もう、どうしようも無くて。俺は、その柔らかな耳たぶを唇で食んで、直接頭に吹き込むように言葉を囁く。もう一度、「抱いて、」と。
「……僕が君を抱くの?」
「うん……そう、だめ?」
俺の腰に細い腕が巻き付けられる。至近距離にある翔の美しい顔が、いつも通りの優雅な笑みを浮かべて、その中でクスリと小さく笑った気がしていた。
「良いよ。──おいで、孝明。ベッドへ行こう」
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼント、あの人から貰った物はたくさんあった筈なのに、一番最後まで俺の側にあったのが、この、アメジストのピアスだった。いい加減、外して別のものに付け替えてもよかったようなものだけれど、これだけはどうしても外せなくて、捨てられなくて、今もずっと、俺の両耳で光り続けている、その、紫色の輝き。
翔が、俺の身体を組み敷きながら、耳たぶのピアスにそっと触れた。その顔は笑顔を浮かべていたけれど、瞳の奥底に、燃えるような嫉妬心、みたいなものを感じていた。
「僕はずっと、このピアスの向こう側に誰がいるんだろうって、思ってたんだよ」
「なんで」
どうして、気付いたんだろう、と、細い腕に抱かれながらぼんやりと思う。
男に抱かれるのは本当に久しぶりだった。あの人と別れて、2年以上ぶり。相当慣らさないと入らないと思っていたんだけど、翔はそういうのも全て承知していたみたいに、それはもう丁寧に解してくれた。手慣れていた、のは多分俺の気のせいでは無くて、男同士のセックスをある程度は経験しているのだろうなと思う。けど、過去にどんな恋愛をしてきたかなんて、詮索するつもりは無かった。そういうのを追求するのは面倒だと思っていたし、俺には関係のない事だと思っていたから。
けれど翔は違うみたいで、その穏やかそうな甘い笑顔は崩さないまま、俺の肩を掴んで、ぐいと自分の方へ引き寄せて耳元で囁く。
「君は僕を通して、誰を見ていたの?」
「……っ、俺……は、」
「……君をこんな風にしたのは、だぁれ?」
正直言って、翔がこんな男だとは思っていなかったのだ。もっと、さっぱりとした性格の男だと思っていた。独占欲、執着、そんなものがギラギラと光る瞳の奥に垣間見えて、そこは、あの人とは違う部分だ、などと思う。あの人は、俺には執着する事が無かった。多分、他の誰にも、そうだったんだと思うけれど、それが心地良い時もあったし、寂しく感じる事もあったから、翔のこれは新鮮で、悪くない、と思う。
「……俺のことが好きだったの?」
ぎゅっと、翔の身体を抱き寄せる。そのまま唇を重ねて、噛みつくようなキスを交わすと、鼻と鼻とが触れ合いそうな距離で、翔が、俺のそんな問いかけにクスリと笑って見せた。
「…………今頃、気付いたんだ」
「どうして……」
「僕はずっと、君が好きだったよ。君のアンバランスな美しさに、ずっと惹かれていた」
ゆったりと弧を描いて笑う夕暮れ色の瞳が美しくて、思わず手を伸ばすんだけど、俺には一生届きそうに無いと思う。ずっと俺が好きだったって?そんな可愛らしい事を言い出す翔が途端に可愛く思えて、チュ、と重ねた唇。甘い吐息に混じって、唇と唇の隙間から、小さな言葉がこぼれ落ちた。
「……もう俺を、一人にしないで」
それは、誰に向けたものだったのかは、今はもう定かでは無かったけれども、俺を抱きしめる翔の腕の力がぎゅっと強くなって、俺は、その腕の中で密やかに涙を流していた。もう誰かを愛する事なんて無いと思っていたんだけどな、けれども、俺を抱きしめるこの腕の温もりが心地良かったんだ。温かな白い光に、抱かれる幸福。俺が一度失くして、もう一度見つけた、宝物。
「孝明、」
「……え、」
両頬を包み込まれて、静かに涙を流す、顔を上げられる。
滴る涙を唇で拭い取られると、翔はその美しい色した瞳に俺を写してうっとりと微笑んで見せた。
「君は涙まで美しいんだね」
「……な、っ……」
「……大丈夫、もう泣かせないから、」
それは、これまでずっと中性的だった印象の翔が見せる、男の部分だった。
俺らはそのまま再び、ベッドの中へと沈んでいく。
翔とはその後も、身体を繋げる関係が続いていた。メンバーとはもう寝ない、と言っていたのは誰だったか。メンバー以上に、多分一番関係を持ってはいけない相手だったとは思いながら、俺はその面影に惹かれて近づいてしまったわけではあるが、この男、ふんわりとした中性的なイメージを持ちながら、中身は意外と男前で、俺の未だに懐疑的な愛情も、まるっと包み込んでしまうだけの、胆力を見せつけてくれていた。そういうところも、好ましいと思う、けれど。
ただ少々、嫉妬深いのがたまに傷で……
「これは?」
「ふふふ、僕から君への、少し遅い誕生日プレゼントだよ?」
外の世界が暖かくなってきた頃。春がそこまで来ていた。ある日突然手渡されたのは小さなプレゼントボックス。誕生日はとっくに過ぎてしまっていた。なんなら、お前の方が誕生日近くない?ってくらいの。当日も、きっと忙しくて一緒にはいられないだろうから、どこかで暇を見つけられたら、と思っていたんだけど。そうして目を丸くした俺に、翔はふふ、と軽やかな笑いを重ねる。
白いリボンを解いて開いた、白い箱の中身。
「あ」
中身は、アメジストのピアス。
澄んだ紫色のそれは、四角……ダイヤカットに加工されていた。
「プレゼント。付けてくれるよね?」
優雅に笑う、その横顔は何を考えているのか俺には計り知れない。まぁそりゃあ、思い返して見れば、お前がこの、あの人からのプレゼントのピアスに触れて苦々しい顔をしていたのを思い出すけど、そこまでする?唖然としていた俺の膝の上に乗って、クスクス笑いながら、元々付けていたピアスを外されて、新しいダイヤカットのそれをそっと差し込まれる。う、っとくぐもった声を上げた俺を見下ろしてうっとりと微笑む顔は、それはもう、満足そうな顔をしていた。
「よく似合っているよ」
「はは……そりゃあどうも……」

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