[いや、俺は溶かして固めただけなんですけど【悠凰】]
「お、凰香さんがこれを俺に……⁈」
その日俺は何を思ったのか、悠人の部屋を訪れて、その目の前に、無言で紙袋を差し出していた。中身はチョコレートだ。バレンタインデーであるこの日、きっとこの男は嫌っていうほど沢山のチョコレートを貰っているのであろうことは想像するに容易かったし、高そうで美味しそうなチョコの中で俺が作ったチョコなんて、不格好でみっともない出来なのかもしれない、とは思ったものの、それでも俺が、なんとなくやつにチョコをあげなければ、という義務感に駆られてしまったのは、数週間前に翔と交わした会話が原因だった。
「チョコを……、作る?おまえが?」
何気ない、午後のティータイムのひと時だった。優雅な所作で紅茶を啜っていた翔が、なんとなしにそう言い出したのを、俺は聞き逃さなかった。チョコ……?そうだ、来月には、バレンタインというイベントが控えていた。けれども一応俺達は男なのだから、どちらかというと貰う方に気が向くと思ってしまうのだが。チョコを作ると言い出した翔の瞳は、正に恋に恋する乙女、そのものだった。あの小野田翔にこんな顔をさせるとは……。自分のところのリーダーの顔を思い浮かべてなんとも言えない気分になる。そんな翔の様子を見下ろして隣の黒髪の男が、苦笑を浮かべていた。
「で、俺のところに来たってわけね」
「岳だったら、優しく教えてくれるかなって!」
「いや、別にそれは構わないけどさ。凰香は?」
「ふふふ、折角だから、凰香も一緒にどうかなって思ってさ」
「なんだそれは……別に俺は、あげる相手なんて……」
「悠人、甘いもの好きだよ?」
「……ぐっ」
その名前を出されて、俺は茶菓子に伸ばしていた手をピタリと止めた。
悠人、そうだ。……悠人。一応、恋人みたいな関係にある、俺の大切な人。けれども男同士なのだし、別に、バレンタインに拘らずとも良いのではないかと思っていた俺は、特に何も用意するつもりは無かったのだ。第一仕事もあるから必ずしも当日中に会える保証なんて無かったし、チョコなんて作っている暇も——と言い掛けた俺の両手をグッと握って、翔はその、有無を言わせぬような柔らかな笑顔を俺に向けてくる。「凰香も、やるよね?」って。
「やったぁ!一緒に頑張ろうね、おーか♡」
「お、おまえは……」
こういう時の翔は、……なんというか、あざとい。キュルンとした瞳を向ける翔に、断る理由もタイミングも完全に失った俺は、翔に両手を握られながら、がくりと項垂れるしか無かった。
翔の小狡いところは、こういうところだと思う。
ROCK DOWNでは、包丁も握らせて貰えない不器用さんなのだと聞いていた。俺と同じじゃないか!と手放しで喜んでいた事もある。だから、料理の腕は正直言って同レベルだと思っていた。
——まさかこんなに、やるときにやる男だとは思わないだろう。
翔は、それはもう真剣そのものだった。これが作りたい、と言って翔が岳に持ってきたレシピは、ホワイトチョコレートとベリーのガナッシュだった。チョコレートを溶かしてビターチョコで小さなカップを作り、その中にホワイトチョコレートを流し込んでいく。元々そんなに器用では無いのは事実だとは思うのだが、真剣に作業に取り組む翔が作るチョコレートは、レシピの写真通りの形になっていった。対して俺は。別に俺が手を抜いていたわけではないが、不器用なのは生まれつきみたいなもので、俺はとにかく、あの温厚そうな岳の笑顔すらも歪ませていた。
ドロドロのビターチョコのカップを見下ろして、岳は「はは」と笑っていた。
「凰香、同じやつは諦めよう。俺、ハートの型持ってるから、それでハートのチョコにしようか?」
「あ、……あぁ、」
「大丈夫だって!いや、むしろ翔と違うチョコの方が、バリエーションがあって良いんじゃないか」
「………色々すまない」
溶かして型に流し込んだだけの、ハートのチョコレートはとりあえず形になった。いや、なってくれないとやばいくらいには、その工程は簡単だったわけだが、作り終わる頃には俺も岳も疲労困憊、という感じで、実に申し訳無い感じだったのだ。一人だけ満足そうなホクホク顔の翔と並んでラッピングをして、俺はバレンタイン当日を迎えた。
そして訪れた悠人の部屋。悠人は俺からチョコレートなんて貰えるとは思ってもいなかったようで、差し出されたチョコレートに目を丸くしていた。
「あがって行ってください、一緒に食べましょう?」
「いや、俺はこれを渡せればそれで……」
「凰香さん、明日早いですか?」
「いや、でも、」
「じゃあ、上がって行ってください。俺今、凄く感動していて、感謝を伝えきれそうに無い」
「はぁ?」
悠人に手を引かれて、その部屋にお邪魔する。家主の性格を表すように、整然と片付けられた部屋は相変わらず生活感が無くて、こいつはいつもこんな風にあっさりとした印象なのに、今俺の腕を引っ張っていく悠人の手のひらは熱くて、妙にドキドキしてしまうから厄介だった。
「悠人、その……」
「凰香さん?」
リビングへと続く廊下。その途中で、悠人の手のひらを握り返して、俺はポツリと呟く。
「その、……上手に出来なかったんだ。おまえの口に合わなかったら、その……」
「手作り、なんですか⁈」
「いやその、だからそんな、期待に満ちた目をするな……!」
「あぁ、おーかさん、……あなたってほんとうに……」
悠人はキラキラとした瞳で俺を見下ろしていて、それから一拍置いて、躊躇いがちに全身をぎゅうっと強く、抱きしめられた。ボトッと悠人の手から紙袋が落ちた音がして、あぁ、チョコレートが割れてなければ良いなと思いながら、俺はその温かさに包まれて泣き出しそうになっていた。

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