極夜 - 10/18

9.催花雨【優ルカ】

シトシトと、朝からずっと雨が降り続いていた。春先になると雨が多い、「春の雨はね、花の便りを届けてくれる雨なんだよ」なんて。そんな事を教えてくれたあの人は、今日もあの窓の向こう側で優馬の事を待っていてくれているのだろうか。早く逢いたいなんて、その久々の逢瀬を待ち焦がれる優馬に、前を歩いていた二人が足を止めて、傘を傾けながらこちらを振り返る。優馬も思わず足を止めた。小さな雫が一つ、ぽたり、濃い藍色の番傘を伝って地面へと滴り落ちる。
「どうした?優馬」
「あ、すみません……、考え事をしてしまって……」
「優馬、ずっと楽しみにしてたんだよな。あの芸者さんに会えるの!」
「な、ナオ!!それは言わなくて良い!!」
「えー?」
「へー、そうなんだ。あの赤毛の子だよねぇ?へー、ほー……優馬ってば、そういう……」
「孝明さんっ!?本当に、違いますからね?」
ニヤニヤと、笑う孝明と直助に、優馬は大業に首を振って否定をする。
俺は別に、そういうんじゃ無い、あの人は、ルカさんは、そういった存在などでは無いのだ。

ルカと出逢ったのは、これも、御座敷での事だった。「直助と優馬に花街遊びを教えてあげよう」と言い出した孝明に連れられて、優馬が訪れたのが、街でも有名な店である『牡丹』だった。
花街遊びだなんて気乗りしない優馬に、最初は「俺がお酒飲んでる横で美味しいご飯食べてれば良いからさ」なんて言っていた孝明であるが、優馬の願いも虚しく、孝明はここの店主と知り合いらしく、顔を出した美しい男に、二言三言言伝をしていた。
「この子たちに可愛い子つけてくれる?」
店主の男は「はぁい」と微笑んで、それから程なくしてやって来た遊女の方と、直助は一緒に座敷の奥に消えて行ったんだけど、直前になって尻込んでしまった優馬は、そのまま、孝明と共に座敷に留まる事になる。
「あれ?お気に召さなかった?」
「す、すみません……やっぱり俺には無理です……」
孝明と、店主の男と、それから優馬に付く予定だった遊女の女はそんな優馬に苦笑して、席を離れた遊女と入れ替わるように、艶やかな赤い着物を着た、これまた美しい男が顔を出した。
「うちの看板芸者のルカだよ。今度はそういう事、しなくても良いから、純粋にルカの芸を楽しんで行ってくれると嬉しいな」
「ルカです、よろしくお願いします」
そう、店主の男に紹介されて、現れたのが、芸者であるルカだった。
多分、一目惚れだったに違いない。正座をして手を付いてお辞儀をしていたルカが顔を上げた瞬間に優馬と目が合って、その、金色に光る瞳に捉えられたと思った。心まで。
「優馬さま?優馬さん?……優馬くん!ねぇ、何して遊ぼうか、俺、なんでも出来るよ!」
結局その晩は何もすることが出来ず、優馬は一晩中、このルカという芸者と共に花札や貝合わせで遊んだわけであるが。これがとても、楽しかったのである、ルカは話上手で、それから優馬の話も楽しそうに聞いてくれる聞き上手でもあった。その話を直助にしたらちょっと呆れられた。孝明には、生優しい目で見られて「優馬は可愛いなぁ」なんて言われたりもした。

そういった経緯もあって、「優馬に馴染みの芸者さんが出来た」と孝明は揶揄ってくるのであるが、優馬にとっては滅相も無い話だった。ルカは本当に、そういうんじゃ無くて、ただ、舞も三味線も琴も上手い、それから色々な遊びを教えてくれるのが楽しくて、また逢いたいなんて思ってしまって。……でも自分から逢いにくる勇気は無くて、こうして、再び孝明に誘われるまで半月も要してしまったわけである。愛だとか恋だとか、そんなんじゃ無い、と思いつつ、こんなにも逢いたいと願ってしまうなんて。まだ、幼い想いなのかもしれなかったけれど、春に花を咲かせる雨のように、想いが一つずつ、心の中で花開いていくみたいだった。
優馬は傘を傾けて雨を滴らせて、前を歩く二人を追いかける。

【催花雨】
桜をはじめいろいろな花を催す(咲かせる)雨。

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