10.朧雲【玲紗】
「陰間」と言うのは「男として」色を売る男の総称だ。古くは歌舞伎における女形として舞台に立てない男たちが男娼になって身を売っていたらしいが、今はもう役者も何も関係は無く、女装をせずに見世に立つ男は全て陰間と呼ばれていた。玲司がこの夜の世界に捨てられたのは十五の頃である。その頃食い扶持を減らす為に、実の親に、この妓楼『牡丹』に売り飛ばされた。当時、もう成長期を迎えていて、女装をして遊女として見世に立つ選択肢は無かったため、男衆として店の雑用をこなして一生を終えるか、「或いは、お前は顔が良いから、陰間として生きていく道もある」と、先代の店主にそう言われたのをきっかけに、玲司は陰間を志すようになる。
陰間の客は、一般的には男色を好む男が多いと言われているが、全盛期、彼の馴染みの客は男と女、半々だった。女色を禁じられている僧侶や、男を好んで抱く、いわゆる男色を好む男、女の人は裕福な商家のお嬢さんや未亡人なんかが多くて、男に抱かれる方法と共に女を喜ばせる手腕も学んでいかなければならなかった。しかし数年もすれば、玲司は恵まれた容姿と体格、それから生来の人当たりの良い性格のお陰で、陰間としては異例の、店の人気ナンバーワンに登り詰める程の存在にまでになっていた。自他共に認める、花街のスタァであったし、当時、三味線芸者として政財界に多数のファンを持つ翔とは、妓楼『牡丹』の人気を二分する存在であった。
今はもう、不鮮明な思い出である。
今では先代も引退して、店は翔が引き継いで経営をしているし、後輩が沢山育っているから、玲司も第一線には立たずに、昔からの馴染みの客ばかりを相手にしていた。玲司自身は、自分の事を年増だと思っていたのだが、特に女性は、歳を重ねた男の方が好きだと言う人も少なく無くて、だからはっきり引退をするわけでも無く、ずるずると仕事を続けている。
これは、イレギュラーなケースだった。
最近ずっと、ここに通っている男の華奢な背中を抱いて、玲司はその硝煙の匂いの消えない、うなじまで伸びた長い髪の毛に鼻先を埋めて、クン、と鼻を鳴らした。病的に細く、病的に色白な肌は吸い付くようにきめが細かくて、この男は本当に軍人なのかと疑わしくなる。でもはっきりと、血の匂いがするのだ、そのギャップに頭がおかしくなりそうで、癖になりそうな自分がいた。陰間に抱かれにくる、男は物珍しかった。だから、頻繁にここに通ってくれるこの酔狂な男に興味を持ってしまって、自分では珍しく、客に入れ込んでいた。言い方である。翔なんかは揶揄うように「恋だね」と言ってくるのだが、そんな可愛らしいものではない事は、玲司自身が一番良く分かっていた。
恋なんてもう遠い昔に置いてきてしまった感情だ。だからこの男に、過去に好いていた男の面影を探すわけでもない。一紗はただ、一緒にいて楽だったのだ。そうでもなければ、この歳になって、こんな、誰かを待つなんて真似はしたくはない。玲司は雨が降り出しそうな暗い空を見上げていた。
まだ昼間なのに真っ暗で、もう夜が来たのかと思った。気付いたらあいつがやって来る夜を心待ちにしているのだから笑ってしまう。煙管の煙草に火をつけて、マッチの残り火を灰皿へと押しつける。フゥと吐き出した煙がふよふよと空を昇って行くのを見送った。
「玲司、恋だね」
玲司の部屋を覗き込んだ翔が、クスクスと楽しそうに笑っていた。
まだ昼間だ、お前は何をしているのだと暇そうな主人にぼやきたくもなる。
「うるせーよ」
「ふふ」
もう、誰かを待つなんて、勘弁して欲しかった。
【朧雲】
空一面にひろがる灰色の雲。高層雲。雨の前兆という。

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