4.光芒【直歩】
「歩、最近楽しそうだね」
贈り物の瑠璃唐草を小瓶に挿しながら、大業なため息を吐き出した歩に、通りがかった翔が、クスクス笑いながらそんな事を言った。翔の言葉に、思わずどきりと、心臓が跳ねる。
最近、可愛らしい馴染みの客が出来た。馴染みの、とはいえ、妓楼『牡丹』の人気ナンバーワン太夫である歩にとって常連の客は多数居て、頻繁に通ってくれる人も少なくは無かったから、月に一、二度現れる程度の客を「馴染みの」と呼んで良いのかは定かでは無かったのだが。それでも、気付いたら郭中に知れ渡ってしまっていた。「今月も来たね」「また歩くんをご指名だ」そいつが来ると、店の仲間達が色めき立つのだ。その男は、まだ年若い軍人であった。この店の上客であるとあるお偉い軍人さんの直属の部下らしく、女遊びも花街遊びも初めてだという事で、「ここのイロハを教えてあげて」、との翔の言葉によって、夜伽の相手に選ばれたのが店一番の人気太夫である歩だった。第一印象は子供だ。それから、子犬。女も抱いた事が無いと言っていて、布団の上で固まってしまった男に、結局、一から教えてやる事になったのは記憶に新しい。ガッチガチだった。だから、「もっと女と遊んで練習した方が良い」と素直に言ってやったのだが、歩のそんな率直な言葉を聞いて、男は今にも泣き出しそうな顔をしていた。突き放されたと勘違いをしたらしい。そんな事もあって、もうここにはやって来ないと思っていたのに。その若い青年——直助は、それから何度も歩の元を訪れるようになった。最初に一緒にやって来た先輩軍人と一緒の時もあったし、一人でビクビクしながら顔を出す事もあった。座敷が立て込んでいて忙しい時なんて応対を断る事もあったのに、直助はそれでもめげる事なく歩の元に通い続けた。歩の客は年齢層も高く、落ち着いた男性達が多かったから、ただその、若い男が新鮮に写っていただけかもしれなかったのだけれど……。
何度目かの逢瀬。行為を終えて布団で寝息を立てる、天使のような寝顔を見つめて、ふふ、と笑いが溢れ落ちてしまうのだから世話なかった。可愛いと思うのだ、素直に、この子犬が可愛い。
ある日、まだ昼間だった。昼間は、基本的には遊女は眠りに就いている。せっかく客に時間を買われているのだ、一晩中求められる事も少なく無かったから、昼間は眠くて仕方のない事が多い。客と一緒に寝てしまった時なんかは早起きして市街に買い出しに出掛ける事も無くは無かったのだが、基本は朝、軽食を取ってから眠りについて、夕方くらいに起き出して支度を始めるのだ。だからその日、目を覚ましていたのは本当に偶然だった。白昼夢を見ているのかと思った。真昼に見る夢、夢心地なのはきっと、まだ身体が眠りを求めているからで、ぼんやりとした意識の中で、直助の声が聞こえたような気がしていた。
「歩さん!」
まだ少年らしさの残る甘い声で、俺を呼ぶのがいっとう好きだった。
だからその声に誘われるがまま、寝間着姿のまま、窓から顔を出す。
建物の構造上、遊女の部屋は二階にあるのが一般的だ。だから、ここは二階で、窓の向こう側、庭の柿の木の上に見慣れた子犬の姿を見つけて、歩はギョッとしていた。
「なっ、何をしてるんだ……落ちて怪我をしたら!……いや、誰かに見つかったら……」
「今日非番で!市場に行ったら素敵な花を見つけたんです!歩さんにあげようって思って!」
直助が、真っ直ぐに手を伸ばす。
そうして差し出された小さな花束は、青い花で作られた本当にささやかな花束で、可愛い、なんて思う。嬉しくて油断をして、ふわりと笑みをこぼした歩に、真っ赤になったのは直助の方だった。直助は赤い顔をふるふる振って、からりといつもの愛らしい笑みを浮かべていた。
「夜!また来ます!今日は孝明さんも一緒なので、翔さんにお伝えください!」
「あぁ、」と頷いている間もなく、直助はスルスルと器用に柿の木を降りて行ってしまう。
夢みたいな時間だった。真昼の流れ星のような一瞬の逢瀬に、これは夢なんじゃ無いかって思ってしまって、キラキラとした星の軌跡を残して、去っていってしまう後ろ姿を名残惜しく追いかける。
皆が寝静まっている時間だが、誰にも見つからずにここを出れるだろうか?と心配だった。遊郭への不法侵入は大罪だ、見つかったら命の補償はない。それなのに、会えて嬉しい、なんて思ってしまうのだから。歩は貰った花束を抱きしめて、ぎゅっと目を閉じる。
こんな気持ちは初めてすぎてどうすれば良いのか分からない、胸がきゅーっと締め付けられるようで、直助の事を考えると頭がごちゃごちゃする、はぁ、と吐き出した息が熱っぽかった。
【光芒】
尾を引くように見える光のすじ。ひとすじの光。
【白昼夢】
真昼に夢を見ているような、非現実的な空想。

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