[**この広い世界の片隅で]
転機は思っても無い所から訪れるものだ。翔との監禁生活も半年を過ぎる頃、その「嵐」はなんの前触れも無くやって来た。壁の時計を見ればもう22時だ。今日は仕事の付き合いの飲み会があるから夕飯はいらないと言われていて、一人だったからそれも簡単に済ませていた。
風呂にも入って、猫を膝に乗せて、テレビを見ながらのんびりと翔の帰りを待っている。そんな穏やかな時間を切り裂くように、ピンポンピンポンと部屋のインターフォンがけたたましく鳴り響いた。よく頼んでいる配送業者などでは無い、こんな時間に来る事はないから。じゃあ誰だ?ここに来て半年、来客などの類いが訪れた事はこれまで一度も無かった。
「はーい」
カメラのモニターを応答に切り替えると、よく見覚えのある明るい赤毛がモニターに大写しになる。ギョッとして瞬きを繰り返していると、モニターの向こう側、好奇心の塊みたいな金色の瞳がきょろりと動いて、向こうからは見えないはずの俺を仕留めてじとりとした視線を向けられる。
『お届けものでーす』
夜だから、落ち着いた声のトーンではあった、けれども、無言で「開けろ」と言わんばかりにもう2、3度、ピンポンピンポンと鳴り響く、インターフォン。よく見ると傍らに淡いグレーの毛並みを抱えて、その人、元ROCK DOWNメンバーである名積ルカは、俺の声を確認して、モニター越しにニッコリと微笑みを浮かべていた。
『孝明クン、久しぶり』
半年ぶりに顔を合わせたルカは、プロジェクトが解散して別れを告げた時と変わらない、いつもの調子で俺を見上げていた。自分よりも大きな翔に肩を貸して、引きずるように部屋に入って来るから、慌てて俺も手を貸した。翔からはふわりと、いつも嗅いだ事のないレベルの酒とタバコの臭いがして、飲み会だと言っていたが、普段から酒の強い翔がこんなに酔っ払っている所を見るのは珍しいと思って、とりあえず水を飲ませて、その身体をソファに寝かしてやる。
気持ち良さそうに眠っている。爆睡。見たところ、悪酔いという感じでは無いようだけど。
これだけ飲んでいても気持ち良く酔っ払っているなんて、羨ましいやつだ。
翔にブランケットを掛けてやって、俺はそこでようやく、仁王立ちをしているルカを振り返った。
「えーと。……コーヒーでも飲む?」
「お構いなく」
来客の無いこの家には、客用の洒落たカップなど無い。結局、自分で飲む用ともう一つ、翔が普段使っているカップにコーヒーを注いで、ルカの前に差し出す。「確かこいつは……」と記憶を手繰り寄せて、冷蔵庫から牛乳も出して傍らに置いてやった。ルカは手元のコーヒーに砂糖と牛乳をたっぷり入れて甘いカフェオレにすると、それを一口だけ飲んで、ジッと俺の表情を伺っていた。
「…………監禁生活だって聞いたけど」
「翔から?」
しばらくの沈黙の後に、最初に口を開いたのはルカの方だった。
俺も、コーヒーを啜りながら、同じようにルカの表情を伺う。
「随分と良い生活してるね。マンションの玄関、デカすぎてびっくりしちゃった」
「翔が見つけて来た物件だよ。俺は引っ張り込まれただけ」
「だから監禁?本当に一歩も外出てないの?」
「本当に。一歩も。驚くことに、このマンションの中だけで生活が成り立ってる」
そう、驚くことに。俺はこの半年の間、ここから一歩も外に出た事は無かったし、今日の今日まで、翔以外の人間と話す事も無かったのだ。その分、翔相手には話題に事欠かなかったから、「人と話す」事自体には何一つ不自由してなかったんだけど。ソファでぐうぐうと眠る存在に視線をやってそう微笑むと、ルカが怪訝そうな表情で俺を見つめていた。
「仕事休んで、優雅に幽閉生活って聞いたから、どんなもんかと思ってたけど」
「それで?押しかけて来たの?」
「人聞き悪いなぁ、俺は翔くんを送り届けに来ただけだよ」
「こんなに飲ませておいて?」
「飲んだのも翔くん!飲み過ぎじゃない?って、俺は止めたんだからね」
ぷくっと頬を膨らませて、「心外だなぁ」とルカが膨れる。まぁ多分、こいつが嘘をつくようには見えないし、翔だって久しぶりに昔の仲間と顔を合わせて嬉しくなって飲み過ぎてしまったのかもしれない。それも理解は出来たんだけど。俺が気になっていたのはルカのこの、不穏な表情の方で。
だからジッと反応を伺っていると、ルカの方も負けじと、俺に視線で返して来る。
「誰にも会わないんだ」
「翔がそうしろって言うから」
「部屋からも出ないで」
「……翔、が」
俺が言葉に詰まったのを確認すると、ルカはカップのカフェオレに視線を落としながら、静かな空間に似合った静かな声でそっと告げた。
「じゃあ誰も言わないだろうから、俺が言うけど」
ルカの薄茶色の水面が揺れる。俺のカップに残った濃い黒色も。
「異常だよ、孝明くんも、翔くんも」
そんな事は、分かっている、最初から。
分かっていて俺は、翔の手を取ったのだ。
真夜中に一人で、空を見上げながら歩くのが好きだった。それは誰にも邪魔されない、俺だけの時間で、その時ばかりは、俺はアイドルである「眞宮孝明」から解放された気分になっていた。そんな事を馴染みの友人らに話すと「深夜徘徊?」「大丈夫?おじいちゃんみたいじゃん」って心配された事もあって、ただ俺は一人が好きなだけなのに……と言い返そうと思ってそこでやめた。
一人が好きなのはほんと。でもずっと、俺は、多分、孤独を抱えて生きてきた。
実家には弟と妹が一人ずついて、両親も健在な一般的な家庭、昔から人付き合いは得意だったから、学校でも一人になった事は無くて、若い頃から芸能界で活動してきて、仕事で知り合った仲間や知人も沢山いる。どこからどう見ても「孤独」からは縁遠いような人生だ、でも俺は、孤独だった。人は大多数の中に紛れれば紛れるほど孤独を感じるものだ。本当に一人だったら、それが当たり前だったら、一人に慣れてしまったら、それはもう孤独では無いのだと、俺は思う。
俺は大多数の中で孤独を感じて生きてきた、そんな中で出逢ったのが、たった一人の「個」、一人きりでも生きていけると言わんばかりの、圧倒的な輝きだった。小野田翔である。
翔はROCK DOWNという集団の中で生きていながら、そのリーダーでありながらも、己という個人を大切にしている男だった。最初はもしかしたら、無意識のうちにその強さに惹かれていたのかもしれない、翔の孤独は彼のモチーフであるダイヤモンドのように美しくて、それから、とても強かった。俺は翔の強さに、憧れみたいなものを抱いていた。
翔が俺の深夜徘徊を知る事は無かったと思うんだけど、もしこいつに、俺の孤独がばれていたのだとしたら。……気付いたら、俺は一人じゃ無かった、少なくとも、翔を抱いた夜は、翔に抱かれて眠る夜は、一人である事を忘れる事が出来たんだ。ここに来てから半年、そう言えばもう随分と前から、俺は夜中に一人で出歩く事は無くなっていた。翔と一緒にいるようになってから、ずっと。
離れ離れになるかもしれなかった、あの、別れを切り出した夜の事を思い出していた。俺は翔から離れようとしていたのだ。翔だけでは無い、何もかもをおしまいにして、手放して、本当の意味で一人になろうとしていた。一人になった俺に何が出来たのかは、今となってはもう分からないけれど、全てを手放そうとした俺の手の中に、最後まで残っていたのが翔だった。
翔はそのまま、ずっと、俺の中に居座り続けている。
俺は手放そうとしたのだ、でも、翔はそれを許してくれなかった。「監禁」という形で俺を閉じ込めて、それから、翔以外のものを見えなくしてしまった。甘やかな束縛、優しい、呪縛だった。
すっかり冷たくなった残りのコーヒーを啜って、静かな部屋には、翔の寝息だけが響いている。
「ルカどうしよう、俺が異常なのかもしれないけど」
「え?」
俺の手の中には、もう、翔以外のものはない。
翔がそうしたから、そう望んだから、俺は。
「どうしよう、もう、翔がいないと生きていけないと思う」
泣き出しそうに言う俺に、ルカは笑っていた。さっきまでの不穏な空気はすっかり取り払ってしまって、何かを悟ったような、それでいて呆れたような笑みを浮かべている。
「だってさ?翔くん」
「…………は?」
そう、ルカはソファで眠る塊に声を掛けていた。
嘘だ。だって翔は酔っ払って熟睡しているはすだ。ソファの向こうからは気持ち良さそうな寝息が聞こえていて、こうなったら明日の朝も起きれるかどうかって思っていたのに。ソファの向こう側からも、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきて、俺はもう一度「は?」と声を上げた。
「……は?……え?……寝たフリ?」
「人聞きが、悪いなぁ」
「だって、ルカは、」
「俺の演技力、知ってるっしょ?」
はぁぁ、と大業なため息を吐き出して、頭を抱えた俺は、クスクスと楽しげな二人の笑みに包み込まれる。だって、そんな馬鹿な。最初から全部、なんならこの暮らしを始める前から、翔には全部お見通しだったって事か。俺の性格も、全部、見透かされていて、知っててこの監禁生活を提案してきたっていうのか、こいつは。
「……もう、僕から離れられない?」
ソファの上に身を起こした翔が、クスリと一つ、笑う。

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