[***ミニチュアガーデン]
結局のところ翔の寝たフリというオチだったのだけれど、その日は珍しく相当飲んでいたらしい、ルカ曰く。そんなに飲んでいてもけろっとしているのが翔の底知れないところだ。酒には強くも弱くもないと言いつつ、俺との晩酌では一度も前後不覚になるまで酔ったこともなく、見たところ悪酔いもしないみたいだったから相当強いと思うのだけれど。相手がルカだったから、気を緩めていたのかもしれない、そう、結論付けて、ルカが帰った後も、差し出された水を飲んでぽやぽやしてる翔を呆れて見下ろしていると、翔は遠く、窓の外をぼんやりと眺めて言った。
「明日、どこか出掛けようか?」
「……え?仕事は?」
「おやすみ。じゃなきゃこんな飲まないよ……そうだね、公園とかでも良いし」
「じゃあ、弁当でも作ろっか」
そう、提案した俺に、翔は笑顔を浮かべて了承した。
ミネラルウォーターのボトルから唇を離して、翔が、可笑しそうに笑いながら呟く。
「胃薬あったっけ?」
「そんなに飲んだの?」
俺の半年ぶりの外出は、家から徒歩数分の公園になった。本当に久しぶりに外に出ると、もう秋だというのにポカポカと暖かくて、まだ俺があの家に閉じ込められた春先なんじゃないかって勘違いしてしまいそうになるくらいだ。翔に言われて着てきたパーカーだと汗ばむくらいで、でも、歩いているとどこからか金木犀の香りがして、やっぱりもう秋なのだと再認識させられる。この監禁生活の中でもベランダに出て日の光は浴びていたし、定期的にジムに行って運動もしていたからちょっと歩いたくらいで疲れるわけでもなかったけど、それでも家から一歩外の世界へ出るという事は俺にとっては特別な事のように思えた。
隣同士ぴったり並んで歩くけれど、手を繋ぐわけでもない。
翔との距離感も、前よりもずっと居心地が良い。
「……なにかな?」
「いんやぁ?」
チラリと視線をやったつもりが、翔にはすぐに勘付かれてしまって、ぱちぱちと瞬く瞳に、俺は不自然に笑って返す事しか出来ない。翔は首を傾げて、それからいつもの調子で微笑んでいた。
公園まで、本当に歩いて数分の道のり。こんなに近所なのに一度も訪れた事が無かった俺に、「夕方になると小学生が沢山遊んでいるんだよ」と、翔が教えてくれた。けど、午前中の、もうすぐお昼ご飯の時間帯の公園には散歩途中といった様子の若いお母さんとベビーカーに乗った赤ちゃんがいたくらいで、その様子を眺めて「可愛いなぁ」って翔が微笑む。人気の少ないその公園で、俺と翔は木陰に置かれたベンチに落ち着くことにした。
寝坊助&二日酔いの翔をベッドに放置して作った弁当は、家にあったありあわせのもの。それでも大きなおにぎりにはシャケと梅を入れて、冷凍の唐揚げと、卵焼きと、プチトマト。弁当箱の蓋を開けたら、翔が「わぁ」と歓声を上げて、早速、とおにぎりを手にする。朝ご飯を食わせて来なかったから、さっき起きたばかりの翔にとっては遅めのブランチになってしまった。お腹が空いていたのか、あっという間にパクパクと無くなってしまう。相変わらず良い食べっぷりだなぁと感心してニコニコと眺めていると、翔は俺の視線に気付いたのか、ちょっと照れ臭そうに笑ってみせた。
「…………がっついちゃった」
「良いの良いの、いっぱい食べなさい」
「美味しいなぁ、幸せだなぁ」
両手でおにぎりを持って、遠くを眺めながらそんな事を言う。
水筒に入れてきたお茶を取り出した俺に聞こえるくらいの小さな声で、翔はぽつりと呟いた。
「本当はね、今日、君を解放してあげるつもりだったんだ」
「…………え?」
「僕も、そろそろ潮時かなって、思ってたんだ。だからルカに協力してもらった」
翔が、言っているのは、この監禁生活の事だ。最初は、渡米する予定だった俺を引き止める為に無理矢理始まった共同生活だった。でもそれは、思っていたよりもずっと居心地が良くて、俺も、長居をし過ぎた自覚はあった。翔が作ってくれるこの箱庭の中で、羽を伸ばしていたのは俺の方だった。
ほかほかと湯気が立つ、温かな玄米茶を差し出して、俺は翔の顔を伺った。穏やかそうに笑っている、けれど、それはいつかに見たような、泣き出しそうな顔をしていた。
「でも無理だったんだ。君から離れられないのは、僕の方だよ」
翔にそんな顔をさせるのは、いつだって俺だった。そんな事にもとっくに気付いていた。
「翔」
俺はお茶の入ったカップを置いて、温かな手のまま、翔の手を握る。いつの間にか公園には誰の姿もなくて、二人っきりだった。おかしいな、せっかく外の世界へ出てきたのに、ここはあの部屋の延長みたいに、二人だけの箱庭によく似ていた。それは温かくて優しくて、居心地の良い場所。
ぎゅっと握った手のひら越しに、翔の緊張が伝わってきた、けれど、俺が切り出したかったのは別れなんかじゃなくて、もっと、別の道だ。
「監禁生活はおしまいだけど」
「え?」
「二人暮らしは延長しちゃ、ダメ?」
俺の笑顔の向こう側で、翔が泣き出しそうに微笑んでいる。
「昨日も言ったけど、俺、翔がいないと生きていけなくなっちゃったから」
抱きしめた、腕の中で、ふふ、と小さな笑い声がこぼれ落ちる。いつだったかこいつが言っていた、「君が僕から離れられなくなるまで」という言葉を思い出していた。本当にその通りになってしまった、俺はどうやら、翔から離れられそうにない。翔がそう望んだから、そういう風にさせたから。半年、もっと長い時間をかけて。その粘り強さには呆れてしまうんだけど。
しなやかで美しい、翔の強さがずっと大好きだった。
この手のひらの中には翔がいる。俺が、孤独を感じる事はもうない。

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