ワードパレット『color』 - 7/13

[chapter:6.あおいろ(悠凰)]
足、見えないもの、街灯

この世で最も怖いものがある。それは、お化けとか幽霊の類いだ。いや、もっと言えば高いところとか不安定な足場とか怖いものは沢山あるのだけれど、お化けはもう、桁違いにダメで。こんな、VAZZROCKでは生粋のチキングである俺だが、なんと可哀想な事に霊感もある方なのである。可哀想な事に。見えないものが見えたりするし、声無き声が聞こえて来たりする。たまにバズとロックと共に部屋の隅の方を見上げていると、ビビり仲間の歩さんに割とガチ目のトーンで「やめろ」と言われたりもする。その俺が、である。
その日は凰香さんと二人でファッション誌の撮影を終えた帰り道の事だった。近場だったからマネージャーの送迎は断っていて、電車もまだあったから電車で帰ろうと、役に立つのかわからない変装用の、俺はキャップ、凰香さんは眼鏡を取り出して、それぞれ装着して電車に乗った。凰香さんはともかく俺はステルス機能が得意な方で、こういう場でも他人から気付かれない方なんだけど、終電近い電車は混み合っていて、みんな疲れた身体を引き摺って帰るのに必死で、こちらに気付いている人は居ないみたいだった。
二駅分の距離を満員電車に揺られて、最寄りの駅に降り立つ。
普段だったら降りる人が結構多い駅なのであるが、今日は俺と凰香さんの二人だけだった。
「コンビニ寄って行ってもいいか?お茶を買いたい」
「良いですよ、俺も何か買っていこうかな」
駅前のコンビニに寄って、いつもの愛想の良いおじいさん店員じゃないな?新しく入ったバイトの方かな?そんな事を考えながら、その、無愛想な店員さんにレジを打ってもらう。凰香さんにお茶をご馳走になってしまった。「今度は俺が支払います」って言ったら、凰香さんには「生真面目だなぁ」と笑われてしまった俺である。
寮までの道のりは徒歩で十五分程度。閑静な住宅街で、普段から人通りが少ないのだ。帰り道は、街灯が多いから、夜でも明るい印象だけれど、今日はなんだかその街灯も、仄暗い、気がしていた。気分的な問題なのだろうけど、ビビリな俺には少し怖い。人通りの少ない帰り道で、凰香さんがそっと、俺の手を握ってきた。お付き合いをしている仲とはいえ、凰香さんがこんな風に外で積極的に手を繋いで来ることなんて稀で、嬉しくて、だから俺は少しだけ、暗闇を怖がっていた気持ちが落ち着いた気がしていた。
「今日は悠人が一緒でよかった」
「え?」
「実は最近、誰かにつけられている気がしていて」
「それって、ストーカーとかじゃないんですか?大丈夫ですか?」
「俺もそう思って、振り返って見るんだが誰もいなくて……」
凰香さんの話を聞いて、震えているのは凰香さんの手なのか俺の手なのか、それすらもう定かでは無い。手汗が凄くて手のひらは暑いのか寒いのかわからないくらい震えている。震えているのは俺の方だ。俺は正直なところ凰香さんの話にかなりビビっていたし、心なしか、この人通りの無い道で、俺たち以外の足音が聞こえて来る気がしている。カツン、カツン……と暗闇に反響する音に、もうそれだけで意識が飛びそうだったし、なんならチビりそうだし、凰香さんと繋いでいる手だけではなく、全身がビリビリと痺れるような、この感覚は。
「……凰香さん、何か、足音が聞こえるのは俺だけでしょうか」
「いいや、大丈夫だ悠人、俺も聞こえる」
「この場合大丈夫では無い気がするんですが……お化けって足あるんですかね……」
「…………さぁ?」
もう、駆け出してしまいたかった。この人の腕を引いて。けれどもそれが出来ないのは俺の両足が何かに貼り付けられたように動かなかったからだ。凰香さんが心配そうに「悠人?」って声を掛けてくれるけれど、もう、声を出す事も出来なくて、身動きが取れない状況で、俺は冷や汗が止まらないでいる。
「悠人」
俺の一歩前にいるはずの凰香さんが俺の背後から名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
振り返った俺の足が、グイっと何かに引っ張られる感触、気を失う一瞬前に凰香さんが「悠人!」って呼ぶ声が聞こえて、俺は持っていかれそうになる意識をそこで繋ぎ止めた。

フッと、意識を取り戻したらそこは、渋谷の雑踏の中だった。俺は息を切らしながら凰香さんの腕を引いていて、凰香さんも息絶え絶えに、真っ青な顔をして俺を見上げている。俺たちは寮への帰り道を一緒に歩いていたはずだ、それがなんで、渋谷の街のど真ん中にいる。
「な、なんだったんだ……今のは……」
「……べ、別の世界に、取り込まれそうになっていたのではないかと……」
とはいえ、霊感の強い俺ですら、今回のような事象は初めての経験であり、恐怖のあまり凰香さんの前で醜態を晒さなくて済んで良かったという思いが強い。例えば、チビった、とか。多分この人だったら黙っていてくれそうなものだけど。
渋谷の喧騒に包まれる。けれどもそんな人の多さにホッと胸を撫で下ろしていると、凰香さんがさっきコンビニで買った緑茶を飲んで息を整えているところだった。
「どうする?また電車に乗って帰るか?」
「いえもう、あれが原因としか思えないので歩いて帰りたいです」
電車は、間違いなく『二駅分』の距離を走っていた。渋谷から代官山までの距離を。思えばあの空間から、俺たちはおかしな世界へと迷い込んでいたのでは無いかと、そう、思っていた。
凰香さんは苦笑して、俺の手をぎゅっと握り直してくれる。
「わかった、じゃあ歩いて帰ろうか?」
「…………えぇ」
いつも繋いでいるはずの凰香さんの手のひらが、今日はやけにひんやりとしていた。

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