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72.lush(キス魔/アルコール/芽吹く)
やってしまった、そう、今の今まで気持ち良さそうに、ふわりふわりと酔っ払っていたアイスブルーの瞳が、一瞬でサーッと青ざめていく様が、俺には手に取るように分かった。俺の目の前に一瞬だけ近づいて離れていったのはさっきまでずっと楽しく眺めていた綺麗な王子様の顔面で。
ふわりと香る、甘いアルコールの匂いを漂わせて一瞬だけ唇に触れた熱を確認する様に指先で触れると、真っ青だった優馬くんの顔色が、そのままみるみるうちに今度は真っ赤に染まった。
「…………え?」
「あぁぁっ‼︎あ、あのっ‼︎」
俺も一瞬、何が起きたのか分からなかったんだけど。その、唇の熱と優馬くんの反応ですぐに気付いた。キス、されてしまったのだ。可愛い後輩だと思っていた、年下の男の子に。
「すみっ‼︎すっ、す、すみません‼︎」
真っ赤になった王子様の顔が、もうテーブルに擦れてしまうんじゃないかってくらいに深々と下げられて、ゴリゴリ音を慣らしていた。綺麗な顔が台無しだ、おでこ、赤くなっちゃうよ?……って、顔全面が耳まで真っ赤だけど。俺の方も相当混乱していたけれど、そんな様子の優馬くんの様子を見てしまっては、狼狽えている暇も無い。「頭上げて」って、困ったように言ったら、泣き出しそうに潤んだ瞳で、俺を見つめている。子犬みたいで可愛いだなんて、思ってしまうのは俺がこの子に甘いからである。可愛い後輩なのだ、みんなに可愛がられている王子様で、最近ハタチになったばかりの年下の男の子。今日だって、この子が、お酒が飲めるようになったのが嬉しくて、俺から誘ったのだ。「俺とも飲みに行こう!」ってね。それが。
「優馬くん、……キス魔だったの?」
「違うんです……、本当に……、」
瞳が潤む。泣いちゃうって思って眺めていると、すっかり酔いが覚めたらしい凛とした瞳で俺を見つめて、泣き出しそうなままではあったが、優馬くんが俺の手を引いて音を乗せる。
「ルカさんだから、なんです」
「へっ?」
「ルカさんだから触れてみたくなってしまって……でも本当に、すみませんでした」
君の言う、それは一体どういう意味なのだ。優馬くんの熱い手のひらで左手を握られたまま、今度は俺が顔を赤くする番で、でもそれがどういう事なのかわからなくて、くるしい、胸の奥が。
ぶわりと、生暖かい風が吹いて、蕾が芽吹く感覚。
初めて感じたような、でもどこか懐かしいような、それは。
……間違いなくそれは、この王子様に、恋に落ちた瞬間だった。
90.jour(ダンス/君のせい/ワンルーム)
今日は午前中からダンスの自主練を入れていた。最初はナオも一緒にって話だったんだけれど、急に仕事が入って行けなくなったと朝方に知らされて、今は広いワンルームに一人で鏡に向かっている。鏡に映った俺は浮かない顔をしていた。昨日は、久しぶりにルカさんと……ルカさんに誘われて、その、お食事に出掛けたというのに、俺が酔っ払って粗相をしてしまって。お酒を飲んで気持ち良くなって、ぼんやりしていたのだ、ふわふわと浮ついた気分で、お話をしていて、隣にはルカさんの可愛らしい顔があって、距離だって近かった、そこが都合良く個室で、そんなのも、今思い返せば言い訳に過ぎないのだけれど、気付いたら、その柔らかそうなピンク色の唇に触れてしまっていた。これまでにも何度かお酒は飲んでいたし、保護者監督の元、酔う、という体験もしていた。それでも酔っ払うと、キス魔になるなんて話は今まで無かったから、本当に、あれは衝動的なものだった。
自分のしでかした事の重大さに、やらかして初めて気が付いたのだ。
キスしてしまった。まだ、お付き合いだってしていないその大切な存在に。
ルカさんの事は、ずっと、「可愛い人」だなって思ってた。笑顔が眩しくて、元気いっぱいの子猫みたいで、それでいてとっても大人で面倒見も良い。いつだっておしゃれで、昨日も、雰囲気の良い個室居酒屋に連れてってもらったというのに。おしゃべりが、楽しくて、ルカさんが勧めてくれるお酒がつい美味しくて、飲み過ぎている自覚はあった。あったのだ、セーブだって出来たはずで。
「はぁ……」と、予想外にも深いため息を吐き出して、その場にずーんと蹲ってしまう。
日曜昼間の事務所のレッスンルームは思ったよりも人が来ない。
誰もいないのをいい事に、俺は音楽を掛けて、レッスンもそぞろに、猛省を繰り広げていた。
ガチャリ、とドアが開いたのはそのタイミングだった。
全く、タイミングが良いのか悪いのか。いつもだったらその邂逅を喜んでいるはずの俺だったけれど、今日はどうしたって、顔を合わせたく無かった相手、というのは、正直な本音である。
長い髪の毛を低く一つに結わえて、タオルを首から下げて、黒とピンクのレッスン着姿のその人は、俺を見つけるなりボッと顔を真っ赤に染め上げた。
「ゆ……、優馬くん⁈」
「ルカさん……」
「なんでぇ⁈」
「今日、オフなんです……、新曲の自主練しようと思ってて……」
「えー、えー、えー……」
両手で赤くなったほっぺたを押さえて、俺から顔を逸らす、ルカさんの、その反応に首を傾げる。一体どうしたというのだ?この反応はどういう事だ。昨日の俺は、怒られたって不思議じゃ無い事をやらかしたはずだった、それなのに昨日この人は、いつものあの優しい調子で、笑って許してくれたのだ。「お酒の失敗は誰にでもあるよ」「大丈夫だよ」って。
それで、俺は、そのあとどうした?
昨日の俺は何を言ったのだ、この人の手を掴んで。
「ルカさん、どうしたんですか?顔が真っ赤……、熱でもあるんじゃ……」
「…………君のせいだよ‼︎」
いつもは元気なルカさんの瞳が、熱を帯びてうるうる潤んでいる。
顔も真っ赤だし、どこか様子がおかしい、俺にだって分かるくらい挙動不審で、今はタオルの中に赤い顔を隠してしまっている。少し低い位置にあるその人を見下ろして、思うのは、「可愛い」だなんて。非常識にも程がある、が、可愛くて仕方がないのだ。どうしたって。
あぁもう。ルカさんが、可愛い。
118.freeze(そこを動くな/駆け引き/パーティ)
名積ルカの恋愛は、いつだってオープンでド直球である。好きな子が出来たら惜しげもなく「好き」って言うし、その上恋の駆け引きが上手くて、昔から女の子によくモテた。そんな事を言うと逆に「えー?がっくんもでしょ〜?」なんて俺の色恋沙汰について言及してくるから、深く追求する事は無いんだけど、少なくとも俺と出会ってから二十年近くずっと、俺はルゥのその、鮮やかな恋愛遍歴を一番側で見てきた。彼女が出来た時も、彼氏が出来た時にも、俺には筒抜け。それでも、その俺ですら、ルゥのこんな姿を見たのは初めての経験であった。
あの百戦錬磨のルゥが、こんな中学生みたいな恋をしているだなんて。
お茶を入れに訪れたコミュニケーションルームのキッチンのこちら側から見える景色の中に、ダイニングテーブルに顔を突っ伏して深いため息を吐き出す、ルゥがいるのには、ここを訪れた時から気付いていた。ルゥは俺が入ってきたのにも気付いていないみたいで、さっきからその手のひらに握りしめられているiPhoneからは、キラキラ明るいパーティーチューンが流れている。これは、先日発売されたVAZZYの新曲では無いだろうか。ずっとリピートされているその曲に、「はて?」と首を傾げる俺。ルゥからはもう一度、「はぁ」と、ため息がこぼれ落ちる。
「……かっこいい……」
それは、ひとりごとなのだろうか、それとも心の声が漏れ出しているのか。
どちらにせよ困った話なのであるが、マグカップを二つ、俺の分とルゥの分、紅茶を入れてお湯を注いだところで、さっきまでじっと動かなかった後頭部、その赤毛が、ピクリと何かに反応した。
同じタイミングで、ガチャリと入口のドアが開く音が聞こえる。
「ルカさん、いらっしゃいますか?」
聞き心地の良い涼やかな声は、俺もよく知った少年のものだ。それに気付いて、キッチンからチラリと顔を出そうとしたものの、俺よりも早くルゥが反応して、バッとその場に起き上がると、慌ててスマホをタップして、それまで大音量で流していた音楽を止めて姿勢を正している。
「ゆ、優馬くん!どうしたの?」
「あぁ、良かった、会えました」
「探しに来てくれたの?」
……その、パァッと花が開いたような笑顔はなんなんだ。俺も見た事の無いような、その表情は。花が咲いている、どころか、これはもう、分かりやすくハートが舞っている。先述の通り、俺は二十年間ずっと、ルゥの隣で、こいつの恋愛遍歴を見守ってきた。その俺が言うのだから間違いない、これは、完全に、「恋をしている時のルゥ」そのものなのである。いや、しかもこれは、それどころじゃない。俺が見る限り、これは、優馬の方だって……満更でもないんじゃ……。
俺は、その場から動き出す事も出来ずに、すっかり硬直してしまっていた。
「あの、先日のお詫びに、また食事でもどうかなって」
「優馬くんと……?ご飯⁈」
「はい。今度は俺に、エスコートさせてください」
チラリと覗き見た向こう側のダイニングから見えた、そんな、王子様スマイルが眩しい。ここからじゃルゥの表情は見えなかったけれど、背中から出ているハートマークは見える気がする。
「ルカさんの、ご都合はいかがですか?」
「……に、日曜日!夜ならっ!」
「じゃあ、来週の日曜の夜に。LINE送りますね?」
「うん!」
優馬が颯爽と部屋から去って行くと、ルゥはひと心地ついたらしい。はーっと息を吐き出して椅子に座り直すと、ふと、視線をこちら側、キッチンへと向ける。ぱちりと目が合って、そこでようやく、ルゥは俺の存在に気が付いたみたいだった。さっきまでふんわりと赤く染まっていた頬が、みるみるうちに真っ赤になるのが、俺にもよく分かった。
「……え?……がっくん、……いつからいたの?」
「最初から。ずっと、最初」
「……………………見た?」
「見た」
そこを動くな、と、ルゥの危機迫った声が聞こえる。言われなくたって、俺は驚きのあまり、動けそうに無いんだけれど。ルゥ、お前のその顔、一回鏡で見てきた方がいいぞ、なんて。
「お願い、誰にも言わないで」
耳まで真っ赤な顔を両手のひらで隠して、でも隠しきれなくて、そこだけ見える唇からは、そんな、消え入りそうな声がする。誰にも言わないで、なんて、俺がお前の恋愛について、誰かにホイホイ話した事があるか?無いだろ?そんな事を考えながら、すっかり温くなってしまった紅茶を啜る。
ルゥの分は入れ直してやろうと、もう一度電気ケトルに水を入れてスイッチを押すと、再び机に突っ伏してしまったルゥからは、「はーーーーー」っと、長いため息が、こぼれ落ちていた。
いや、ため息なんかでは無い、これは。
「好きが垂れ流しだぞ〜」
「知ってる……」
俺の幼馴染は、恋をしている。
106.dominant(恋人ごっこ/虜/ハイヒール)
日曜日の夜の渋谷の喧騒は、何度来ても慣れる事はない。つい先日、好きな人と一緒に飲みに出掛けて、浮かれて粗相をしでかしてしまった俺は、名誉挽回と言わんばかりに、ルカさんを再び食事に誘う事に成功して、その日からずっと、今日を待ち侘びていた。事故みたいなファーストキスから一週間が経とうとしていたけれど、その間もルカさんは相変わらず挙動不審で、避けられているのかとも思ったけれど、どうやらそういうわけでも無いらしい。俺の誘いには満面の笑みで頷いてくれたのだ。演技の上手い彼だったけれど、流石にあれまで演技だとは思えなかった。
今日は、駅前で待ち合わせをしていた。時計をちらりちらりと見下ろしながら愛しい人を待つ時間は、デートみたいだな、なんて思ったりもするんだけど。「デート」だなんて。自分で考えて、恥ずかしくなって頬を染めた。俺とルカさんはまだそういう関係ではなくて、言ってしまえばこんなものは恋人ごっこ、なのかもしれなかったけれど。少なからず、今日の俺も浮かれていた。……またこんな調子では失敗を繰り返してしまいそうで、「いけないいけない」と、気を引き締め直す。
「優馬くん!」
お待たせ、って声が聞こえて顔を上げると、さっき引き締め直したはずの気合いが、一気に緩んだ気がしていた。だって、目の前に現れたルカさんが、あまりにも可愛らしくて。アイボリーのコートに、真っ白な丈の長いニットに黒いスキニー。可愛らしい顔をギンガムチェックのマフラーに埋めて、ルカさんは白い息を吐き出してふふふ、と笑う。そこで、あれ?今日はなんだか目線が近いような気がする、と金色の瞳を見つめて首を傾げていると、ルカさんは「あぁ」と、頷いて見せた。
「最近買った可愛いブーツ、履きたくて履いてきちゃった!」
見て見て、とルカさんが指差した先は、成る程、ハイヒールまでいかないけれど、高めのヒールのショートブーツで、それで目線の高さが近づいたのだと納得する。ヒールの分だけ近付いたお顔が嬉しくて、ニコニコと緩む頬が止まらない俺に、ルカさんもご機嫌そうに笑っていた。その笑顔だって、可愛くて、眩しい。
とっくの昔に、自覚はしていたのだ。ずっと可愛らしい人だと思っていた。
構って貰えると嬉しくて、優しくされるとドキドキして、一緒にいると、すごく楽しい。もっと近付きたいって思ってた。もっと一緒にいたいって。
気付いたら、俺はもうすっかり、ルカさんの恋の虜になっていた。
「どこか寄りたいところ、あります?」
「ううん。ちょっと早いけどご飯行こっか?俺もうお腹ぺこぺこでさぁ〜」
「えぇ、もちろん」
今日行くお店は、もう決めていた。「お酒好きな人と食事に行くんですけど……」なんて言って、孝明さんに相談して教えてもらったそのお店は、写真で見た外観からもう、おしゃれな雰囲気の居酒屋さんだった。メニューも美味しそうで、お酒の種類も豊富で、でも、決して背伸びしていない感じで、渋谷の喧騒からは少しだけ離れた場所にある。だから駅からは少し歩くけれど、その分、代官山の寮にも歩いて帰れるくらいの距離だったから、帰りは歩いて帰ろうかな、なんて、思っていた。
「ちょっと歩きますね」
そう、言った俺のコートの袖をおもむろに掴む、手は、これは。
手を、繋いでも良いのだろうか?と目を丸くして隣のルカさんを振り返った俺に、ルカさんはふわりと微笑む。今日はちょっとだけ高い位置にあるその顔が、小さくコクリと頷いて、それを合図にして、俺はゆっくりと、下の方で手を絡め合わせた。多分、これだけ人がいたら、俺たちが手を繋いでいることになんか誰も気づかないんだろうけれど、誰かと手を繋いで街中を歩くことなんて初めてだったから、ドキドキする。ルカさんもそうなのだろうか?まさか。それでも、繋いだ手のひらの熱から、ほんの少しだけ緊張が伝わってくる。
「……なんかドキドキするね」
「ドキドキします」
「お店までだから、許して」
って、悪戯っぽく笑うルカさんが可愛くて、胸がキュンと鳴って。
俺は手のひらをギュッと握り返す。そしたらルカさんもギュッて答えてくれる、それだけでこんなにも嬉しい。
恋人ごっこだなんてとんでもない。
恋人よりもずっと甘酸っぱいこの時間が、永遠に続けなんて思ってしまうのだ。
56.moment(深夜/瞬く間に/ラストチャンス)
シンデレラの魔法も解ける午前〇時、子供はもう寝る時間である。そう、子供は。この子も数ヶ月前まではその「子供」と呼ばれるような年齢で、でも誕生日を迎えてハタチになって、先日成人式をして、めでたく大人の仲間入りを果たしたわけだ。
「あんまり飲ませ過ぎないでね」と、彼のところのユニットの保護者である孝明くんからは、事前にこっそり言い含められていた。孝明くん曰く、「酔っ払っても、優馬はどこまで行っても優馬。ただ場の空気に流されやすい」との事だったんだけど、まさか酔っ払ってキスされてしまうなんて思ってもなくて。流石にそれは、孝明くんにもがっくんにも、他のメンバーには誰にも打ち明けてはいない。だって誰にも言えないだろう。これは、俺と優馬くんだけの秘密だった。
はじめて触れたこの子の唇は案外柔らかくて、それから、熱かった。
あまりに一瞬の出来事だったから、何事もなく、事故として処理されるのかと思ってたのに、そこで芽生えてしまったのだ。というか、改めて気付かされた、優馬くんへの思いに。
そうしたらもう一度、あの唇に触れてみたくなってしまって。
俺はあの日からずっと、悶々とした想いを抱えていた。
「はー!美味しかった〜!優馬くん、ごちそうさま!」
「良かったです!お酒も美味しかったですね」
「すっかり遅くなっちゃったね〜」
スマホの時計を覗き込むと、深夜〇時に程近かった。優馬くんと話し込んでいると、すっかり時間を忘れてしまうから危ない。終電はまだあったし、渋谷の街はまだまだ明るい、けれど、と、お店に来た時と同じように俺の手を取ってぎゅっと手を繋いだ優馬くんは、少し酔っ払っているのかもしれなくて、俺を見つめてふわふわと柔らかな笑みを浮かべている。
「ルカさんと、もっともっとお話ししたいです」
「え?」
「今日は歩いて帰っても良いですか?」
良いですか?なんて、そんな、可愛い顔を向けられてしまったら、俺は。
「…………うん!」
都会でも、ビル群の明かりから少し離れてしまえば、或いはよく晴れた夜だったら、星が見える場所もある。寮の周辺は静かな住宅街だったから、屋上まで登れば、天気の良い日には星が見えるのだ。そんな話をしながら、俺たちは人気の無い道を、手を繋いで帰った。今日は星が綺麗な夜だったのだ、お月様も良く見えて、寒いからかな?なんて思う。優馬くんは俺の雑談にも楽しそうに耳を傾けてくれていて、時折相槌を挟みながら、寮まで二十分近くの道のりを二人で歩いていた。
「……優馬くん、あの、」
「どうしました?」
もうすぐで、寮に着いてしまう。あの最後の曲がり角を曲がれば、そこからはもう見慣れたマンションが目に入るだろう。ここがラストチャンスだと思った、声を掛ける。
くいっと、繋いだ手のひらを引いた俺に、優馬くんは不思議そうな顔をして振り返った。
「ルカさん?」
好きだって気付いたのはつい最近の事だ、キスされてようやく、自分の気持ちに気付けた。
けれど俺はずっと前から、君のことが……、
「……あの、もう一回、キスしたい」
「……え?」
「事故なんかじゃなくて、今度はちゃんと、優馬くんとキスしたい」
星が一つ瞬く間に告げた言葉は、優馬くんに届いたのだろうか。届いている、多分、だって、そのお酒で上気していた赤い顔が、俺の言葉を受けて更に真っ赤になってしまっていたから。
「き、……キス、ですか⁈」
「そう……、チューして?」
多分、これは、俺も相当に酔っ払っていた……と言い訳をしておく。もちろん俺がサワー三杯程度のお酒で酔うわけが無いし、足取りも軽かったし、十分、正気だったんだけど、だってもう我慢出来なかったのだ、胸の中に溜め続けていた想いが一気に溢れ出してくるみたいで、大好きで苦しくて。俺はそのネイビーのコートの裾を摘んで、ぎゅっと目を閉じる。キスを待つ。
優馬くんの方は、だいぶ狼狽えていた。肩に添えられた手は震えていたし、鼻先をくすぐる、吐息がくすぐったくて。どうしたものかと僅かに開いた瞼の隙間から、真っ赤な顔が覗いた。クスリ、とこぼれ落ちそうになった笑みはグッと堪えて、俺はもう一度目を閉じる。
「失礼します」と囁かれた小さな声に「どうぞ」って笑うと、冷えた唇にそっと、冷たい、でも確かに人の体温を感じる温かな感触が、一瞬だけ触れて離れて行った。
パッと目を開くと、真っ赤な顔を更に赤く染めて、ジッと、おれを見つめる王子様。
おかしくて嬉しくて、どうしよう、ニヤニヤが止まりそうに無い。そんな俺を見つめて、優馬くんは真っ直ぐに告げる。曇りのない瞳は、夜空に輝くお星様のように美しい。
「順番が逆になっちゃいました、けど」
「なぁに?」
「好きです、ルカさんの事が」
122.play(こんなところで/スカート/最愛の人)
「チューして?」
街灯の明かりだけが灯る暗い帰り道。そんな中で、ぎゅっと腕を引かれて立ち止まると、そう呟いてぎゅっと目を閉じてしまったルカさんを見つめて、俺は固まってしまっていた。だって、こんなところで?なんて思ってしまうのは、俺の、良識的な部分で。そこの曲がり角を曲がってしまえばマンションはもうすぐそこで、誰が通り過ぎるかも分からない道端で、キス、だなんて。
とはいえ心の中のもう一人の自分は行ってしまえって背中を押していた。最初にこの人にキスをしたのはどこのどいつだ?気持ち良くて、もう一回触れてみたいって思ったのは誰だ?って。第一、時間は真夜中なのだから人通りなんてあるわけない。なによりも、大切で、愛しい存在が、ここまでしてくれているのだ。据え膳食わぬは──と、俺はその一瞬で決意を固めていた。
「失礼します」
「どうぞ」
ふふっと軽やかな笑いが聞こえた気がして肩に添えた手に力を込めると、それまでぎゅっと閉じられていた瞼がふるりと震えて睫毛を揺らした。今日のルカさんはなんだか可愛いのだ……いや、いつも可愛いんだけど。スカートみたいに長いニットも、凝ったヘアアレンジも、揺れるイヤリングも、全部が可愛くて、それから、唇がプルプルしていた。もしかして色の付いたリップでも塗っているのかなって、ピンク色で艶々の、ふっくらとした唇にキスを落とす。
最初はただ、親しい先輩の一人だった。社交的で人に好かれるこの人にとっては、俺なんて「沢山いる後輩のうちの一人」だったのだろうけど、俺にとってのルカさんはいつだって「特別」だったんだ。特別、そう。ずっと目で追いかけていた。その輝きを。可愛い人だなって、目が離せなくて。そんなささやかな想いだったのに、気付いたら、もっと近付きたいって、あなたに、触れてみたいって、思うようになってしまっていた。実際、その唇に触れてしまったら、もっと、って思ってしまって。もっと、って、思うんだけど。俺の唇は名残惜しくも離れてしまって、後には、パチリと目を開いて俺を見つめてニコニコと笑う、ルカさんの楽しげな表情だけが残された。
「ふっ……ふふ……」
「あの、」
あぁ、好きだなって、思う。この人の可愛いところも、かっこいいところも全部。
「好きです、ルカさんの事が」
口に出して言ってしまえば、「好き」って言葉はこんなにも甘やかなものだったのかって驚いてしまう。自分は今どんな顔をして、この人に好きって告げてるのだろう、って、思う。
ぎゅっと、俺の背中に手を回して、ルカさんに身体を引き寄せられる。
抱きしめられている、と理解する頃には、同じくらいの高さにある鼻先が、鼻先に触れていて「キスされてしまう」って思った瞬間にはもう、唇が触れていた。今度はルカさんの方から。
「俺も好き!」
朗らかな笑顔に胸がぎゅっと締め付けられる。
最愛の人が出来てしまった。

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