♡MY SWEET DARLING♡
キッチンの方から甘い香りが漂ってくる。
そういえば数日前、オーブンが壊れたとか言ってオカンが騒いでいたけど、直ったのだろうか?匂いの元であろうオーブンの中身を想像して、甘い気分になる。
チョコレートって、普段あんまり食べないんだけど、この時期、こうも沢山世の中に溢れていると、食べたくなってしまうものだから不思議だ。それに加えて最近は、学校の近所に見つけたチョコレートの専門店に通っている事もあって、チョコレートとは縁がある生活を送っていた。
暖房が効いてる暖かい談話室にて、チョコレートの香りに包まれて、午後のひととき。
「出来たぁ〜!!」
ピピピピっというオーブンの音、それからキッチンでの談笑の声の中にチョコみたいに甘ったるい声を見つけて、綻ぶ顔を雑誌の中に隠した。
「ゆきくん、見て!クッキー出来たよー!!」
ぱたぱたとスリッパの音を響かせ、ベビーブルーのエプロンを付けて、手にはハートのクッキーが沢山乗ったお皿。キッチンから甘い匂いを運んでくる、天使みたいな笑顔付きで。
「・・いいにおい」
「よかったらおひとつどうぞ、まだ、アツアツだけどね」
にっこりと、語尾にハートマークでも付いちゃうようなテンションで俺を促す。
焼きたてのチョコチップクッキーは、食欲をそそる綺麗な色に焼けている。お言葉に甘えて一つ頂戴すると、なるほど焼きたてアツアツ、でも口に運ぶとサクッといい音を立ててほろけて、口の中に程よい甘みが広がった。
「美味しい」
「ほんと?!よかった〜。みんなも喜んでくれるといいなぁ」
ピンク色の両頬に手を当てて、「一安心」とでも言いたげな顔でほっと息を吐いて笑う椋に、俺までつられて笑顔になってしまう。
季節は冬、2月某日。来るべきバレンタインデーに向けて、この、チョコレート大好きなチョコレート王子は、学校で友達と交換する友チョコ用のチョコチップクッキーを焼くのに精を出していた。
もともと、椋はチョコレートを始めとして、甘味全般が大好きなんだけど、最近では臣の指導のもとでお菓子作りにもハマっているらしく、バレンタイン以外でもこんな風にキッチンに立って、チーズケーキとかガトーショコラとかを作っている姿を目撃している。
器用で慎重な性格が出ているせいか、その腕前は回を重ねる毎に確実に上がっているようだった。
ーーー何で俺がそんなに詳しく知ってるのかって言うと、必ず製作現場に同席して、ご相伴にあずかってるからだ。
「椋!次のやつもオーブンに入れちゃうぞ!」
「わわわっ、すいません、ありがとうございます!」
そう、カウンター越しにキッチンの方から声を掛ける臣にぺこりと頭を下げて、椋はソファで雑誌を読んでいた俺の隣にちょこんと座る。エプロンを外すとふんわり甘い匂いが漂ってきて、美味しそう、だなんて思ってしまうんだけど。
「幸くん幸くん」
こっそりと、誰も聞いていないのに、口元に手を当てて、俺の耳元で囁く甘い声。
「明日、交換会しようね」
それはひと月ほど前に、学校帰りに交わした約束。
『ねぇねぇ、バレンタインデー、チョコレート交換しようよ』
いつもの帰り道。その日も寒い日で、そんな事を言った椋は、白い息をはぁと吐いていつもの笑顔でニコニコ笑っている。バレンタイン、という事で、大方クラスの女の子にでも誘われたのであろう。人当たりが良くて優しい椋は、こっそり裏で女の子によくモテる。「椋くん、バレンタイン、チョコあげるね」「わぁ嬉しい!でも僕なんかが貰うばっかじゃ申し訳ないから、何かお返し作ろっかな」・・・まあそんなとこだろう。
やり取りが目に浮かぶようで、なんだか心がギシギシいって、面白くない。
椋はみんなの王子様。いい意味でも悪い意味でも、誰に対しても分け隔てない。
もちろん、学校でもプライベートでも一緒にいる俺は、他の子よりも仲がいいって自覚はあるけど、それでもこの場合は、みんなと一緒に友チョコを交換するから、その中の一つに俺が含まれているってだけの話だ。
だから色んな思いを孕みながらも「いいよ」って言った俺に、予想外にも過剰に「絶対ね!絶対、忘れないでよ!」と、念押ししてくる姿はなんだか意外で。
なんだ、俺、そんなに忘れっぽそうに見える?ってちょっとショックだったくらいだ。
ちょうどその頃学校の近くにチョコレート専門店を見つけていて、あ、椋が好きそう。今度一緒に行こうって思っていたんだけど、店の存在に気づいていないならバレンタインまで内緒にしておこうと思いついた。
俺は、椋と違って料理が得意じゃないから、手作りなんて最初から頭になかったし、せっかくのバレンタインなんだから、とびきり美味しいチョコを食べさせてあげたかった。
自室の机の上には、さっき買ってきたチョコレートの入った袋が乗ってる。
金色の王冠が描かれた、可愛い箱。買ったら自分でラッピングするつもりだったけど、あのお店のセンスが中々良くて、結局そのままあげることにした。
・・喜んでくれるかなって女々しいことを考えてしまう自分にびっくりしている。
「あのさ」
「・・ん?なあに?」
同じ高さにあるまん丸の大きな瞳覗き込むと、挙動不審な自分の姿が写っていた。
ーーーべつに、「特別」になりたい訳では無い。
いっつも一緒にいるわけだし、距離はたぶん1番近い。
今でも充分に「特別」な関係で、例えばそれに「触れたい」とかの、それ以上の感情が加わってしまったら流石の俺でもいい加減認めると思うけれど。そういうのは特にない。
「・・ごめん、何でもない」
椋にはその穏やかな心のまま、ずっと隣で笑っていてほしい。それだけ。
***
俺は特別になりたい訳ではなかった。
みんなの王子様で、いつも穏やかで誰にでも優しくて、友達に囲まれてニコニコ笑っている椋を見るのが好きだった。例え醜い嫉妬心が心の奥底に生まれても見て見ぬフリをして、1番近くにいる友達として、上手に接していたと思う。
きっと椋には、俺の醜い心の中など、ばれてなかった。はず。
「・・なにこれ」
「ハッピーバレンタイン!」
ここ数日の椋は、とにかく臣にべったりでずっと一緒にお菓子作りをしていた。流石にそれに焼きもちを焼くほど心に余裕がない訳じゃないけど、放課後とか、帰宅後の宿題とか、いつも一緒にいる時間までお菓子作りに費やしていたから、構ってもらえなくて俺はちょっとだけ拗ねていた。
でもそれだけ頑張って作っていたチョコチップクッキーなのだから、きっとめちゃくちゃに美味しいのだろうって期待していたのだ。けど、これは・・。
両手サイズくらいの大きなタルト生地に、艶やかな茶色のチョコレートを流し込んで、可愛らしい、金粉のハートマーク入り。なんだこの、本気度の高いチョコは。
「・・クッキーじゃないの?」
「えっ?!クッキーの方が良かったの?タルト嫌いだった?」
テーブルに置かれたキラキラのチョコレートタルトを前に慌てる椋だったけど、俺はこのチョコレート王子の真意を読み取れなくて、頭がいたい。
「チョコ交換って言ってたから、学校のやつらみたいに、俺もクッキーだと思ってたんだけど」
「そんなわけないよ!幸くんは特別!!」
幸くんは特別。
特別って、なんだそれ、どんな意味合いでの特別なの?
俺だって、椋のこと特別な友達だって思ってるけど。椋もそうなの?それともそれ以上?
金色の細身のフォークを差し出してにっこりと微笑む様子に、思わずそれを受け取ってしまう。
食べて食べてと言わんばかりに期待でいっぱいのキラキラな視線を送られて、勿体なかったけど、つるつるの表面にサクリとフォークを入れる。断面からはベリーの赤いソースが流れ出てきて、それも一緒に掬って、口へと運んだ。
甘い甘いチョコレート。タルトの生地はさくさくで、甘酸っぱいベリーのソースが爽やかで、結構甘ったるいチョコだったけど、食べやすい。
俺の次の言葉を待って、期待に目を輝かせた椋に居たたまれなくなって、俺はうっと視線を逸らす。
「えー、も、もしかして、美味しくなかった・・?」
「あれ、味見してないの?」
「試作品は食べたけど・・口に合わなかった?」
こんだけパクパク食べてるんだから、美味しくない訳がないのに。
さっきまでのキラキラな瞳を、悲しそうな色でいっぱいにして、目に見えて凹んでいる椋が可笑しい。コロコロ変わる表情をちらっと盗み見して、ふと思いつく。
「一緒に食べよ?美味しいけど、俺1人じゃ食べきれない」
サクリとフォークを指して、「はい」って差し出す。
・・いわゆる「あーん」のポーズなんだけど、こんなの今更気にするべきところでは無い。
って、おれは、思ってたんだけど。
「えっ、えっ?」
差し出されたタルトを前にして、ぼっと、顔を真っ赤に染めて。
頬っぺたを抑えて顔を隠してしまった椋に、切り出したこっちまで恥ずかしくなってしまう。
「た、食べなよ」
「う、うん。いただきます」
ぱくりと、遠慮がちに開いた唇が差し出されたチョコレートを口にして、咀嚼して、ごくりと飲みこむ。その様子から目が離せない俺の頬もきっと、真っ赤になっているんだろうと思う。
赤い唇にチョコレートが付いている。赤と茶色とのコントラストに、心臓がうるさいくらいに脈打って、フォークなんかじゃなくて、もっと違うものでそこに触れたいなっていうのは、今までよりも一段階上の気持ち。
椋の特別がいい。みんなのものなんかじゃ嫌だ、独り占めしたい。
もう一口分のタルトをフォークに刺して、未だ赤い顔で俺を見つめる椋に差し出す。
観念してしまえ、俺。
認めてしまえ。
「ねえ、これもしかして、本命チョコ?」
我ながら小狡い問いに、ふぇ?って、間の抜けた声がチョコレートの付いた唇から漏れ落ちて。
真っ赤になって視線を逸らした横顔が、「そうだよ」って小さく呟いた。
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