10年先もキミに恋して

最初に言っておくが、俺は別に女の子になりたいって訳ではない。

可愛い服を見るのが好きで、作るのが好きで、それを自分で着て、自分自身が可愛いものになれる瞬間が好きなだけだった。恋愛対象も女の子で、容姿に騙されて言い寄って来る男どもも、そう言って一掃してきた。もちろん中には、聞き分けのない男も居るには居たんだけど、そういうのは、まぁ、裏で「お片づけ」されてきたのは俺の知ったことではない。

「女の子になりたいわけじゃない」
「好きになるのは、女の子」

周りにも自分にも、そう言い聞かせてきて早二十数年。
ただ、恋はまだ、知らない。

 

 

 

***

 

 

 

その記憶は、もうだいぶ朧げなんだけど。
あれは確か、梅雨の合間のよく晴れた日の、いつもと同じ帰り道だったと思う。

夕焼けの小道に、長い影が伸びる。影は二つ、同じくらいの大きさで、隣同士並んだ藤色のセーラー服、同じ指定カバンに、指定のローファー。影は、近づいたりちょっと離れたり、でも決して重なることは無くて、平行線みたいにゆらゆらとコンクリートの上で揺れていた。

「ゆきくん」って俺を呼ぶ声は少し低めのアルトで、声質、なんだろうけど、いつだってふわふわと軽い砂糖菓子みたいな甘さを含んでいる。

その頃の俺は、学生業の傍で、とある劇団の衣装係兼役者みたいな事をやっていて、「彼」はそこで知り合った友人、であった。劇団で知り合った、というのは些か語弊があって、向こうはどうだか知らないけど、俺は以前から彼のことをよく知って居た。
向坂椋は、隣のクラスの、いわば王子様みたいな存在だった。
成績優秀で運動もできる、のに、控えめで穏やかな性格で、どんな生徒にも分け隔てない。少女漫画やおとぎ話が好きで、王子様やヒーローに憧れていて、少々夢見がちなところはあるものの、それが許されてしまうような独特の雰囲気があった。

第一印象は、「こいつ、絶対に気が合わない」

だってそうだろう、第一、誰に対しても分け隔てないっていうのがまず、胡散臭すぎる。人間誰しも、好き嫌いがあるのが普通だろう。けど、椋にはそれがない。あるのかもしれないけど、表に出しているのを見たことがなかった。そうやって、気が弱そうな様子で俺のパーソナルスペースにスルスルと入り込んできて、クラスでも浮いた存在だった俺の「友達」のポジションに落ち着いている。

そう、気が合わないって、思っていたはずなんだけど。

「課題、いっぱい出されちゃったね」
「一緒にやればすぐ終わるよ。お風呂上がったらバルコニー集合ね」

劇団が寮生活ってことも影響してると思うんだけど、気がつけば、朝から晩までずっと、椋と一緒に過ごしている。今までは家族にだって干渉されるのを拒んでいたはずなのに、椋は、俺の生活の一部みたいになっていた。
いつものように一緒に学校を後にして、いつものように、並んで歩く帰り道。赤い空に、二つの影。
6月、梅雨、最近はずっと傘をさして歩いていたから、こんなに近くを歩くのは久しぶりだった。

「あ、見て、幸くん。クローバーがたくさん」

河川敷を歩いていると椋がおもむろに足を止めて、目下に広がる緑色を指差して歓声を上げる。

「すご・・」
「わぁ、四葉のクローバーあるかなぁ!」

すごい、確かに、広い河川敷一面のクローバー畑は中々見れるものじゃない、けど。
なんだそのはしゃぎようは。おいおい、俺たちもう、中3だよ?四葉のクローバー探しで、そんなにはしゃいじゃうの?今にも駆け出して、河川敷に降りてしまいそうな逸る背中を見つめながら、俺は、あぁ可愛いなあなんて思ってしまう。
穏やかな春風に乗って桃色のくせ毛が揺れて、駆け出した背中は、俺の右手では捕まえられないくらい身軽。
向坂椋は可愛い。長い睫毛も、林檎みたいな頬も、お人形みたいに可愛い。
その可愛い顔で、おとぎ話みたいな恋を語ったり、王子様の真似事をしたり、チョコレートが大好きだとか言っちゃうんだから、可愛くて仕方ない。そういうのはずるい。
俺は可愛いものが大好きだったから、だから椋と一緒にいても負担じゃなくて、驚くほど馴染んでしまうんだろうなっていう、一つの結論を出していた。

ふわふわと春風に乗って飛んでいってしまいそうな背中を追いかけて、のんびりと坂を下る。

「幸くん!見て!すごい、シロツメクサ!!」
「はいはい、はしゃぎすぎ」

遠くの方でクローバーに埋もれるピンク色を見つけて歩み寄ると、椋はそれはもう真剣そのものといった様子で姿勢を低くして四葉のクローバーを探していた。

「一緒に探そうよ」
「やだよ。そんな簡単に見つかんないって」

簡単に見つからないからこそ有難い、幸せの四葉のクローバーなのだ。
2人でこの一面のクローバーの中を探して、見つけられるとは思えない。

「もー。夢がないなぁ」

口ではそんな事を言いつつも、もう俺を巻き込むことは諦めたらしくて、白い指先は再び緑の草むらをかき分けていく。俺は、四葉のクローバー探しよりも、そうだな。草むらにしゃがみこむ椋からは少し離れた場所に腰を据えて、白くて可憐な花を、一本一本丁寧に摘み取っていく。

夕暮れの赤い色が辺りを包んで、そろそろ日が暮れそうだった。
未だに四葉のクローバーを探して葉っぱと睨めっこをしている後頭部をツンと突いて、驚いて反射的にこちらを向いた顔に、ふわりと真っ白な花かんむり載せる。

『椋が、素敵な王子様になりますように』

ちょっとした、エチュードのつもりだったのだ。
目を丸くしてこちらを見上げる王子様のすみれ色の瞳に俺が写って、それが妙に得意げな顔で可笑しかった。椋が王子様なら、俺はなんだ?冠を授ける妖精?聖職者?魔法使い?
やばい。おとぎ話脳がうつっちゃったなってくすりと笑うと、椋の大きな瞳がすっと細められて自分の胸元にそっと手を添える。それは、王子役に入った合図みたいだった。

『ありがとう、マイプリンセス。それじゃあこれは、ボクからのお礼だよ』

足元にすっと跪いて、俺の手を取る。
左手、薬指、ピンポイントのそこにきゅっと結ばれたのは、1、2、3、4枚の葉っぱのクローバー。

え、俺がお姫様役?それよりも、なんだこれは。このクローバー。指輪?左手薬指にはめる指輪の意味なんて、みんな知ってる、けど、その意味でとってもいいの?じゃあこれは、結婚指輪?
手の甲を掲げて緑色の幸せの象徴を夕日に透かして、王子様の意図を探る。

『マイプリンセス。大人になって、ボクが立派な王子様になったら、キミを迎えにいくよ』
『お、王子様?』
『そしたら、ボクのお嫁さんになって?』

ちゅ、と、手の甲に触れるか触れないかくらいの距離感でキスを落とされて、そのあまりにも自然な仕草にこちらが面食らってしまう。アンタは、どこでそういう、かっこいい事を覚えてくるの?
真っ赤な顔して続く言葉を失ってしまった俺を見上げる涼やかな顔は、俺のよく知っている、「友達」の向坂椋ではない。お姫様に恋する王子様。その目も、演技だっていうのか。

「・・ーーなんてね。」
「えっ」
「幸せのクローバー、見つけたから・・幸くんにあげるね」

ぱたぱたと制服の裾の汚れを払って、側に置いていた学校カバンを手に取る。
背を向けられてしまったから表情を伺う事はできなくて、そっぽを向いた横顔が赤いのも、夕日のせいなのかもしれなかった。それからまた、いつもの帰り道を、いつもみたいに並んで帰って、寮に着いたら夕飯の時間を過ぎていて、寄り道して遅くなってしまった事を少しだけ咎められた。
その頃にはいつも通りの、「友達」の向坂椋に戻ってたんだけど。

花かんむりはそっと草むらに置いてきた、けど、幸せの四葉のクローバーはこっそりポケットに入れて持ち帰ってきたのは俺だけの秘密。あの後すぐに押し花にしてしまったんだけど、どこにやったっけな。そんな程度の、朧げな記憶。初恋とも呼べないような、淡い、思い出。

 

 

 

 

そんな事をふっと思い出したのは、親しい人の結婚式に出席していたからだった。

厳かな雰囲気の教会、純白のウェディングドレスから覗くのは、俺の恩人みたいな人だ。俺を劇団に誘ってくれて、演劇の楽しさを教えてくれて、中学生という多感な時期に親元を離れた俺の、母親がわりとして沢山の世話を焼いてくれた人。10個も年上で、ある意味では姉よりも母よりも近くにいたその人には、恋とも愛とも呼べないような複雑な感情を抱いている。おそらくこの場に列席した男たちの大多数がそうで、まあ中には本気の恋心を抱き続けている奴らもいたけど・・まだ式も序盤だというのに涙している者もいればぶっ倒れそうなくらいに青い顔をしている者もいて、教会の中はなかなかのカオスな状態だった。無理もない。みんなあの人が大好きだったから。
30過ぎても誰のものにもなろうとしないあの人には、散々やきもきさせられたけど。いざ嫁に行ってしまうとなったら寂しいものだ。
ぼんやりと、純白のグローブ越しにゴールドの指輪をはめられる美しい花嫁の横顔を眺めて、ふと、幼い頃の思い出がフラッシュバックする。・・いや、幼くなんてない、10年ほど前の話だ。10年前には既に劇団に入っていて、その頃の思い出はどれもこれも鮮明に頭の中に残っているって言うのに。なんで俺は、こんな大切な約束を忘れていたんだろう。

「わぁ、監督さん、綺麗だねぇ〜。お姫様みたいだなぁ」

声は低くなっても、内に秘める甘さは変わることがない。
呑気そうな声に思わずばっと振り返ると、10年前からずっと変わらない、すみれ色の瞳いっぱいに涙を溜めて、うるうると夢見がちな様子で花嫁を見つめる横顔があった。

向坂椋との腐れ縁は、色々あって10年以上も続いていた。

 

 

「あーあ、嫁に行ってくれて本当によかった」
「そんなこと言わないでよ、あんなに綺麗な人だったらいくらでも貰い手あるって」
「貰い手はあっても、本人のやる気の問題でしょ?あのまま劇団で団員の世話焼いて、気づいたらババアになってましたーなんて、笑えないわ」

挙式が終わって披露宴が終わって、今は親しい友人や関係者だけが集まった二次会の場。人で溢れかえっている花嫁の周りの輪から少し離れた壁際を背にして、もう何杯目かわからないシャンパンのグラスを傾ける。いい感じに酔っ払っていたけど、俺なんてまだ可愛い方だ、監督にすがりついて泣いてる男どもは、どうやって帰るんだろうかってこっちが心配になってくる。
見苦しい一団を遠巻きに眺めて、昔を懐かしむような様子で、椋がぽつりと呟くのが聞こえた。

「みんなが監督さんに、恋してたからねぇ・・」

へぇ、アンタもか。
口に含んだシャンパンがしゅわしゅわと発泡して、喉の奥にちくりと刺さったみたいだ。

「幸くん!椋くん!今日は来てくれてありがとうね!」
「監督さん、おめでとうございます!」

人の輪の中にいた監督がこちらに気付いてわざわざ足を向けてくれる。ウェディングドレスを脱いだ花嫁は二次会用の真っ白なワンピースを着ていて、これは、結婚が決まった彼女に俺が作ってプレゼントしたものだった。これにもまぁ、色々と理由があって。

「おめでと、本当に綺麗だった。」
「・・幸くんにはたくさん協力してもらって、ありがとうね」
「・・ほんとなら、俺が作ったドレスで嫁に出してやりたかったんだけどな」

実際に、酒に酔った勢いで何度か、「俺がウェディングドレスを作ってやるからさっさと嫁に行ってしまえ」って啖呵を切ったことがあって、俺自身もそのつもりだったんだけど、式の日程に合わせて海外での衣装デザインの仕事が決まってしまい、自分の夢を優先させてくれと、彼女から丁重にお断りされたのだった。だからせめて、と、この白いワンピースを贈ることにしたんだけど。

「手作りウェディングドレスは自分のために取っておきなよ」
「アンタはまだそういうこと言う。俺はもう似合わないし、・・そんな奇特な相手いないって」
「あら。・・ふふふ、そうなの?きっと似合うよ、そのドレスも素敵だよ?」

くすくすと花が咲いたように、人妻になってしまったこの人は朗らかに笑う。
結婚式の打ち合わせで、「幸くんはドレス着てきなよ」って言ってくれた監督のお言葉に甘えて、用意したのがこのグリーンのイブニングドレスだった。流石に、ケジメの意味も込めて挙式と披露宴はスリーピースのスーツで出席したのだけど。姉の結婚式もスーツだったし、特別な場で、こういうドレスを着るのは初めてだったからなんだかくすぐったいし、ヒールの靴も履きなれない。

「それに、幸くんが気づいてないだけで、すごく身近にステキな相手がいると思うんだけどなぁ」

夢見る少女みたいなうっとりとした顔で、そんな事を言う。誰だよ、それは。つーかアンタ、自分が結婚したからって言って、いきなり余裕ぶっちゃうの?助けを求めようと思ったら、隣にいたはずの椋は九門や十座に連れられて遠くの方へ行ってしまっていて、後には監督と俺だけが残されていた。

「・・・ステキな相手、なんていないし」

シャンパングラスを傾ける。
キラキラと、バーの照明がグラスに反射して光って綺麗だった。

「いづみちゃーーん!おめでとーー!!」
「いづみほんとうに綺麗だったよ!!俺!もう!感動して!!」

困ったように笑う監督の隣でシャンパンを飲んでいると、やたらと賑やかな男たちが声をかけてくる。見覚えのないこの人達は、うちの劇団の関係者ではない。二次会には監督が懇意にしているよその劇団の人たちとか、学生時代の友人とかも出席しているって言っていたから、そっちの知り合いかなって思って、少し身を引いて、様子を伺う。2人とも結構酔っ払っていて、陽気だった。
この人たちも、監督のことが好きだった男たちの1人か・・って、そんな事考えてると。

「・・ーーあれ〜〜?いづみちゃんの知り合い?」
「うっわ、スッゲー美人じゃん。モデルさん?それともどっかの劇団の女優さん?」

2人の視線がこちらを向いた。・・まずい、最近はこういう格好をする事が無くなっていたし、身長も骨格も、顔立ちも、成長して男のそれになってからは「女の子みたい」って言われる機会も大分減ったんだけど。バーの薄暗い照明のおかげか、酒で酔っ払ってるせいか、どうやらこの人達の目には俺が、絶世の美女に写っているらしい。

「若いね、いくつ?お兄さんとLIME交換しようよ」
「馬鹿お前、嫁さんに怒られんぞ」

ーーおいおい、既婚かよ。

「ごめん、あの、この子は・・・」

おろおろとフォローの言葉に迷っている監督が不憫で、どうこの場を切り抜けようかと思案する。監督の大切な友人だし、相当酒に酔っているみたいだから、あまり責められたものではない。まあこの人の奥さんの立場だったら怒ってもいいけど・・どうにか穏便に、お断りを入れたい。
思案を巡らせていると、不意に左腕をぐいっと掴まれて、タバコのニオイのついた黒いスーツの胸元に引き寄せられる。普段彼からはしない香りに戸惑っていると、低い声が頭上に降ってくる。

「・・すいません。この子、僕のツレ、なので」

10年の間ににょきにょきと伸びた身長は、もう俺には追いつけない。低い声色からはいつもの甘さがどこかへ消えてしまっていて、怒りを含んでいることが手に取るようにわかって怖い。ヒールを履いてもなお、頭一つ分高い位置にある顔を見上げるのが怖くて頭を抱えていると、掴まれた腕に力を込められて、痛い、と、思わず眉を顰めた。

「行くよ、幸」
「はっ、はい!・・監督、ごめん!また連絡する!」
「あっ、うん!またね!」

あっけにとられている監督とお兄さん2人を尻目に、椋に腕を引かれて会場から連れ出されてしまう。腕痛い、つーかあんた、仲良しの従兄弟達はもういいのか。久しぶりに会ったんじゃ無いのか。二次会会場となっているバーのテラスに出て、夜風に当たると、身体の奥まで浸透していたお酒とタバコの淀んだ空気が、スッと浄化されるみたいだった。

「ありがと、」

椋と過ごしたこれまでの10年間は、別に、恋なんかじゃなかった。
腐れ縁って言葉が一番しっくりくる。中学高校と同級生で、寮でも学校でもずっと一緒だった。高校を卒業して進路が分かれても距離感が変わることがなかったから、それぞれ就職して、同じタイミングで劇団を抜けるってなって初めて寂しいって思って、ルームシェアを申し出たのは俺の方だった。だから今でも俺たちは、同じ部屋に帰って、同じものを食べて生きている。
椋を繋ぎとめたのは俺の方だ、それは認める。けれどもそれは恋じゃない。戯れでキスをした事は何度かある。寂しくて眠れない夜は、一緒に寝ることもある。そこまでしておいて一度も、甘い雰囲気になった事は無くて、結果的に身体の関係を結んだ事は一度も無かった。
はたから見ても、俺たち自身の認識も、ちょっと距離感の近い男友達、でしかない。
きっと第三者にこの不思議な関係を明かしたら、「変なの」って言われるんだろうけど。

未だに怒りで固まった顔を見上げると、それまで強く握られていた手をパッと離されて、真っ青な顔色になった椋がその場にしゃがみ込む。

「っ・・・はぁ・・・き、緊張した・・!」
「はぁ?」
「ごめん、だって、目を離したら幸くんと監督さんが男の人に絡まれてて、僕、助けなきゃって」

だからって、がたがた震えちゃって、そんな風になる?
図体がでかくなって、多分喧嘩させたらめちゃくちゃ強くて(そんなの俺が許さないけど)、それでも、気が弱くて優しいところはずっと変わらないのが椋だ。小さくてお人形みたいに可愛かった面影は整った横顔に残ってるけど、あの頃よりもずっと、王子様みたいに美しく成長した。

俺の足元に跪いたふわふわの髪の毛を撫でると、今はムースでセットされていてゴワゴワに硬い。
家に帰ったらシャンプーをして、ブローしてあげよう。
それまでに俺も酔いを覚ましておかなければならない。
そんな事を考えていた俺の手を捕まえて、こっちを見つめるすみれ色の双眸が捨てられた犬みたいな悲しそうな色を浮かべていた。泣きそうな顔のまま、ぎゅっと抱きついてくる。

「ちょっと、椋、」
「・・ウェディングドレスなんて着ないで・・幸くんは誰のものにもならないで・・」

ーーさっきの会話、聞いていたのか。

瞳に涙をいっぱいに溜めて、ふぇ、と、赤ちゃんみたいな顔で泣き出す、180オーバーの成人男子は中々に滑稽だ。気付かなかったけど椋も披露宴の時から相当な量のお酒を飲んでいたみたいで、普段はそんな風に酔っ払ったところなんてみせないから、やっぱり椋も監督の結婚には思うところがあったのかもしれなかった。号泣って言ってもいいくらいにめそめそ泣いているでかい背中を撫でてなだめて、俺は、俺たちの不思議な関係性はこれなのかなぁってぼんやり思う。

これは、依存だ。それもだいぶ、タチが悪いタイプの。

「椋、おうち帰ろう」

カンパニーのみんなが残って、三次会をやろうって話が出ていた。でも既に椋がこんなんじゃ、これ以上ここにいても周りに迷惑をかけるだけだろう。ハレの日に、監督の困った顔は見たくない。

「うん、」
「家で2人で、飲み直そう?」

こくりと頷いた頭をもう一度撫でて、手を引っ張って立ち上がらせる。せっかく今日は、ブラックスーツを着て、かっこよく決めてきたのに。なんか色々と台無しだ。涙に濡れた瞳を白いハンカチで拭ってやると、見慣れた顔がふにゃりと笑って、俺もつられて、苦笑する。

「着ないよ、ウェディングドレスなんて。」

吐息みたいな呟きが、夜に溶けていく。
男の俺が、誰のためにウェディングドレスを着るって言うのだ。

 

 

帰りはタクシーを拾った。もちろん、終電の時間にはまだ余裕があったんだけど、荷物も多かったし、いい感じに酔いが回っていたから、電車で帰るのも億劫だった。
椋が悪酔いしてしまったから連れて帰る旨を監督に伝えに行ったら、彼女は何か言いたそうにニヤニヤした笑みを浮かべて、俺の背中をバッシーンと叩いた。そのまま居てくれてもいいのよ、どうせみんなベロベロに酔っ払ってるんだし。でもそうね、せっかくの2人の時間だもんね。そんな風な意味合いのことを早口で告げて、帰りがけに手渡されたのがこのブーケだった。
ブーケトス用の生花の頑丈なやつは、監督の同級生だっていうお姉さんに拾われていたから、じゃあこれは。見覚えのあるこの純白のブーケは、一つ一つシルクやオーガンジーの布の切れ端を縫って作った、繊細な造花の花束。ウェディングドレスに合わせて、俺が作ったものだった。

「ーーこれは、幸くんの。」

小さな手で両手を包み込まれてそう言われてしまったら、俺にはもうそれを突き返す事なんて出来なかった。予定外のブーケトス、結婚の予定なんて無いのに。

狭いタクシーの後部座席で、少し高い位置にある肩に、頭を寄せる。
椋は、さっきまであんなに号泣していたのに涙はすっかり引いていて、今は呑気なことに、くぅくぅと寝息をたてて眠ってしまっていた。運転手は物静かなおじいさんで、行き先だけを告げると、あとは話しかけられることも無く黙々と運転に集中してくれている。静かな車内のカーステからは、母親がよく聞いていた古いラブソングが流れていた。メロディラインは知っていた、けど。別れの歌なのかそうじゃないのかイマイチはっきりしないその歌詞を頭の中で追って、その中の一節で、ふと思考が止まる。ーー2人出会った日が、少しずつ思い出になってもーー、なんて。

椋は、覚えているのかな。俺は結構、もう、朧げだけど。
空いた右手で、寝ている椋の左手を握って、10年前の記憶を辿る。

「クローバーの、約束。」

あの四葉のクローバー、押し花にしたと思うんだけどな。ほんとに、どこにしまってあるんだろ。そう考えていた俺のつぶやきは思ったよりも大きな音で漏れていたらしくて、隣で寝ていたはずの椋が弾かれたように飛び起きて、驚きを隠せない形相で俺の顔をまじまじと見てくる。

「覚えててくれたの?!」
「へっ・・てか、寝てたんじゃないの?」
「もうちょっとで寝そうだったんだけど、目が覚めちゃった。ほんとに?覚えてるの?」
「ちょっと、ちかい!」

繋いでいた右手を、今度は両手でぎゅうっと握られて、白いシートに白いブーケが音もなくそっと落ちた。キラキラ輝く瞳からはすっかり酒気は抜けてしまっているようで、やたらとスッキリした顔には笑顔すら浮かんでいる。

「お嫁さんになって、ってやつ?」
「そう!ずっと、忘れてたでしょ?」

覚えてるもなにも、あれはエチュードだったんじゃないのか。
口を挟みかけた俺を、椋の言葉が遮る。

「卒業後は一緒に暮らそうとか、椋と離れるの寂しいとか言って、てっきり遠回しなプロポーズだと思ってたんだけど。一年以上一緒にいても、何も進展ないし。」
「そ、そんなこと言ってない!」
「言ってた。思わせぶりな事いっぱいしてきて、僕がどれだけ、我慢してきたと思ってるの?」

手のひらを包まれて、両手の指先に順番にキスされる。この感じ、まだ酔ってんのかもしれない。だってここはタクシーの中で、物静かだけど、運転手のおじいちゃんもいるのだ。
熱のこもった目にうっとたじろいで、椋が言った言葉を反芻する。我慢してきたって、つまりそう言うこと?一緒にお風呂入ったり、同じベッドで寝たりしてたけど、俺のこと、そういう目で見てたの?それでずっと、我慢してきたの?すごいよそれ、どれだけ紳士的なんだよ、この王子様は。

「着きましたよ」

キキッとブレーキの音を立ててタクシーが止まると、そこは見覚えのあるマンションで。それまで物静かだった運転手さんがそこでようやく言葉を発した。お金を渡して、その場から逃げるようにタクシーを降りると、酔っ払ってんのか正気なのか未だによくわからない椋が、俺の分のキャリーケースと2人分の引き出物を持って、後に続く。運転手さん、変に勘ぐってないといいけど・・。側から見れば結婚式帰りのカップルの痴話喧嘩に過ぎないやりとりを微動だにせず聞いていた運転手さんの仕事ぶりに拍手を送りつつ、歩きながら、椋の手から着替えの入ったキャリーケースを奪う。
エレベーターに乗り込んで階数表示を押すと、再び密室の中に2人きりになってしまって、気まずい空気に包まれた。
まずいことになった。このままだと、別れるか一線を超えるかの二択しかない。
別れるのはやだ。さっき自覚したけど、俺はだいぶ、椋に依存している。居なくなってしまったら寂しいし、椋の作ったご飯が食べられなくなるのも嫌だ。どうやって一人で生きていけばいいのかわからない。けどでも、この、10年以上一緒に育ってきた双子の半身みたいな友人と、セックス、なんて、出来るのだろうか。しかも俺が下?痛いのは嫌だ。じゃあこの、王子様を抱くの?レベル高くない?それも無理。どっちも無理。選べない。

・・恋じゃないと、思ってたんだけどな。

ちらりと、盗み見ただけのつもりだったんだけど、俺の視線に気づいた椋がにこりと笑って、不覚にも、その笑顔にきゅんとしてしまう。なにそれずるい。やっぱり椋は可愛い。

チン、と静かなエレベーター内に音が響いて、目的の階に到着する。
部屋はエレベーターの隣。椋が鍵を取り出してガチャガチャと玄関のドアを開けると、見慣れた部屋が目に飛び込んできて、少しだけホッとした。我が家に帰ってきた。履きなれないヒールの靴が、もうそろそろ限界だったところだ。靴を脱いで部屋の電気を点けると、当たり前だけど、出かける前と同じ光景が広がっていて、整然と片付けられたリビングもキッチンも、いつもと変わらないって安心する。ああ、わかっちゃいたけど、俺にはこれを手放すことはできない。
リビングのソファに顔面から飛び込んで、染み付いた家の匂いに泣きそうになる。

「わ・・別れたくない」
「はぁ?いきなりなに?」

零れた本音はしっかりと椋のところまで届いていた。
ネクタイを解いて、ジャケットをハンガーに掛けながら、呆れたような声をあげる。

「別れようなんて、一言も言ってないじゃん・・」
「だって。俺のこと好きなんでしょ?」
「好きだよ?だから別れるつもりもないけど」
「でも俺が、好きじゃないって言ったら、」
「えっ?!僕のこと、好きじゃないの?」

違う、そういうことじゃない。
俺の言葉に真っ青になって、脱ぎかけたシャツはそのままにして、慌ててこっちへやってくる。
ソファの側にしゃがんで、俺と顔の高さを合わせてくれて、だからちらっと顔を見たんだけど、やっぱり無理だった。意識しすぎて、こっちは顔から火が出そうなくらいに熱い。

「椋のことは・・大事すぎて、今更恋人になるとか・・無理・・恥ずかしい・・」
「・・なんだ、そういうこと?」
「恋人じゃなくなったら、椋と一緒にいれなくなるのも嫌だ・・」

くすんだピンク色のクッションに顔を隠したけど、すぐに取り払われてしまって、真っ赤な顔がさらけ出されてしまう。今度は慌てて手のひらで隠して、それすらも椋に捕まってしまって、観念して見上げた椋の顔もまた、赤くなってることに気づく。
見つめられると恥ずかしいし、胸が痛くて、苦しい。
なんだこれ、これがまさかの、恋?

「別に恋人じゃなくても、・・僕たちもう家族みたいなものじゃん」

椋が言った家族、という言葉は、なるほどしっくりと、俺の胸の中に染み込んでいくようだった。
がばりと、赤い顔のままで身を起こすと、椋は椋で気まずそうな顔でぽりぽりと頬をかいていた。

「ほんとはもっと、ロマンティックなシチュエーション、色々考えてたんだけど」
「え?」
「今年でちょうど、出会って10年だって、気づいてた?」

10年前と同じ色の瞳が俺を見上げていて、あの頃よりも一回り大きくなった手が、俺の左手をそっと持ち上げる。左手、薬指、ピンポイントのそこにはめられたのは、四粒のダイヤモンドが四葉のクローバーを象った、細身のシルバーリング。おい、どっから出てきた。いつの間に、こんな物を。
サイズはもちろん、重みも、形も、驚くほどしっくりとはまるそれをまじまじと見つめていると、王子様は安堵したような顔で、指輪のはまった左手の甲にちゅっとキスをする。

「約束通り迎えにきたので、僕の家族になってくれますか?」

アンタは、どこでそういう、かっこいい事を覚えてくるの?

 

 

 

 

***

 

 

 

 

向坂椋との腐れ縁は、色々あって10年以上続いていた。
そして多分、これからもずっと。

ぱちり、と重たい瞼を開けると、ベビーブルーのカーテンの隙間から陽が差し込んでいて、ベッドサイドのデジタル時計に視線をやると、もう正午過ぎだって気づく。
俺を後ろから抱く色白で細身な腕も、規則正しい寝息も、赤ちゃんみたいな甘い匂いも、いつもとなんら変わりのない馴染んだ光景だけど、一点だけいつもと違うのが、2人とも、何も身につけてないって事。肌と肌が触れ合う優しい感触に、今更恥ずかしくなって、するすると布団に潜り込む。

ーーやってしまった。親友みたいな、家族みたいな、しかも同性と。

やる前は絶対無理って思っていたけど、いつものように椋のふわふわとした空気感に流されて、トントン拍子に事が進んでしまったのは言うまでもない。出会った頃からずっとそうだった。俺の拒絶なんてなんの意味も無いみたいに、椋は俺のパーソナルエリアの中に入ってくる。
振り返って、未だスヤスヤ眠る「家族」になってしまった「元親友」をまじまじと眺めると、改めてその顔の造形が素晴らしい事に感心してしまうわけで。

睫毛長いし、鼻高いし、くちびるプルプル、肌は色白すべすべ。

「・・・恋じゃないと思ってたんだけどなー」

その一つ一つをちょんちょんと指でなぞって行くと、くすぐったそうに眉が寄せられて、睫毛を揺らして億劫そうに目が開く。瞳は、色素の薄い菫色。そこに写ってるのは、俺、ただ1人だけ。

「・・・・僕はずっと、恋だったよ?」

見上げた顔は満面の笑顔で、なにそれ、10年間一緒にいて、そんな顔見た事ないし。
そういうこと、平気で言うんだから。やっぱりうちの王子様は侮れない。

俺だって昨日の夜自覚した。自覚したのが昨日ってだけで、思い返せば10年前のあの日から恋に落ちていたのかもしれない。自分でもよくわからないんだけど。
恥ずかしさで逃げ出したくなる身体を後ろから捕まえられて、左手薬指を指先でなぞられる。
昨日貰った指輪はぴったりと今も変わらずそこにあって、陽にかざすとキラキラ輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シロツメクサの花言葉は「私を思って」「約束」
四つ葉のクローバーの花言葉は「私のものになって」「幸運」

そんなことが書かれた植物図鑑の間から、年季の入った押し花が出てくるのは、また後日のお話。

ーーー10年先もキミに恋してーーー

送信中です

×

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です