My sunshine

 

 

恋のはじまりは、穏やかな陽気の春の午後だった。

昨夜は珍しくてっぺんを越えるまで撮影が押していて、寮に帰ってきたのが午前様。それを気遣ったマネージャーが土曜の今日を夕方までオフにしてくれていた。けれど、しかし、壁に掛けられた時計を見つめて、その時間に唖然とする。11時半。流石に寝過ぎなんじゃないか。ルームメイトの幸はとっくに出掛けてしまっているらしく、もぬけの殻の隣のベッドを見つけて、深いため息を吐く。どうやら正午前の寮は人も少ないらしく、耳をすませても物音一つ聞こえなかった。

「・・・はらへった。」

未だ寝ぼけている頭を抱えて、冷蔵庫の中身を思い出す。朝の残りがあればいいが、男所帯のここでは食料はあっという間に無くなるからあんまり期待できない。昨日帰りに井川に頼んで何か買っとけばよかったなって後悔してももう遅い、非常食のカップ麺・・まだ残ってればいいけど・・散々庶民の食い物だとバカにしてきたが、一度夏組のやつらに勧められて食べてみたら意外と美味くて驚いたものだ。椋なんかは苦笑して、「あんまり身体にいいものじゃないからね・・」って言っていたが、今はそんなこと言ってられないくらいには空腹だった。

「はら・・へった・・・・」

這うようにしてベッドを出て部屋を出ると、外の日差しが目に突き刺さりそうだった。
今年の春は暖かい、今日も外に出ると暑いくらいで、半袖でもいいなって考えていると、ふと、階下にいる人影に目がいく。中庭のど真ん中、広い花壇の土を耕している、青いつなぎの人物。つばの広い麦わら帽子を被っているから、ここから表情を伺う事は出来ないけど、こんな時間のこんな場所で、土いじりをしている人なんてこの劇団では1人しか思い浮かばない。

「あ、」

声をかけてみようかと廊下の手すりに手をかけたところで、向こうもこちらに気付いたらしい、ほんわかとした声が静かな空間に響いて、俺を見上げる顔に笑顔が浮かぶ。

「天馬くん!」

手には、華奢なこの人に不釣り合いなくらいに大きなスコップ、白い軍手は土で茶色く汚れていて、何も咲いていない花壇の中にぽつんと佇む姿は、まるであの人自身が花みたいだなって柄にもない事を思ったりするんだけど。

「紬さん、何してんすか?」
「ちょうどよかった、一緒にやらない?」

「へ?」

傍らに置かれた皿の上にのっている植物の種。
花なんて全然知識のない俺ですら知ってるくらいの、メジャーな花の種だ。
夏の暑い日に咲き誇る、大輪の、太陽みたいな花だ。

 

「一緒に植えよう、ヒマワリ」

 

真冬の太陽みたいな笑顔でそんな事を言うあんたに、ヒマワリ、似合わねーなって思ってると、俺の腹がぐぅっと鳴って、思ったより大きな音は下まで聞こえたらしい、紬さんがぷっと吹き出して笑った。

 

 

 

My sunshine

 

 

 

「いただきます」
「いただきまーす」

つやつやの白米で握ったおにぎりは形がいびつだったけど、味はなかなかだった。この前臣さんと三角が共同でおにぎり用に大量に漬け込んでいた梅干しを拝借して、あとはおかかとツナ。2人で並んで握って、ちゃんと海苔も巻いて。これにインスタントの味噌汁と、梅干しと一緒に漬けてあった沢庵を添えれば立派な昼飯になった。お米、たくさん炊いておいて良かった、とおにぎりを頬張って言う紬さんの顔を眺めて、俺はちゃんとした飯にありつけた事に感謝する。

「みんな出掛けちゃってるから、俺一人でお昼かなぁって思ってて。天馬くんがいて良かった」

それにしてはこの米の量、すごくないか・・
男二人分のおにぎりを作ってもなお大量に炊飯器の中に残ってるご飯を思い出して、この人の考えてる事はいまいちよくわからん、と味噌汁を啜る。

「昨日は遅くまで仕事だったの?」
「あ、あぁ・・。その、勉強会、参加できなくて悪かった」
「お仕事なら仕方ないよ。また、時間のあるときにでも声かけてくれたら見てあげるね」

か、神さまだ・・
にこにことそんな風に言ってくれる紬さんにジーンときて、思わず沢庵を落としそうになった。

「そんで、なんでヒマワリなんだ?こんな春先に撒いて夏までに咲くのか?」
「うん、今の時期くらいの、日差しがあったかくなってきたなって感じたら撒きどきなんだ」

種は土と一緒に午前中の間に園芸店で買ってきたらしい、のんびりした風貌からは想像できない行動力に感心していると、紬さんはじっと俺の顔を見て大きな目を更にまんまるにしている。

「なんだ、な、なんか付いてるか?」
「ううん。・・やっぱり天馬くん、ヒマワリだなぁって。」

は?と言いかけたが、口の中に入っていた米のお陰で音を発する事はなかった。
この人は、頭はいいのに・・いや、逆に頭がいいからか、時々文学的過ぎて何を言いたいのか伝わらないことがある。誉さんとか椋とかみたいに、紬さんもきっと、脳内で自分の世界が完結してんだろう。なんで俺がひまわり?って疑問が浮かんで、1番最初に思い出すのは劇団の宣材写真だ。

「イメージフラワーの話だったら、あんたが考えたんだろ?」
「そう、だから。我ながら的を射ているなーと思って」

前に、ウェブサイト用に劇団の宣材写真を撮影したときに、一人一人違った花を持たされた事があった。その時俺が手渡されたのがヒマワリで、まあ夏組のリーダーだし、夏っぽいからなのかな程度に思っていたけど、その花を選んだのが紬さんだっていうなら、何かもっと理由があるのかもしれない。そんな難しいこと考えていた俺に、紬さんは笑顔を崩すことなく告げる。

「キラキラしてて、華やかで、天馬くんみたいでしょ?」

小難しい答えを予想していたのに、答え合わせが意外にも単純で抽象的なもので、俺は呆気にとられてしまった。いやいやいや、それ以前に、そんな恥ずかしいセリフを臆面なく言うとは。
やっぱりこの人、侮れない。
返す言葉に困って、皿に残っていたおにぎりを一気に詰め込んで、味噌汁をぐっと飲み干す。

ーー赤い顔を、おわんの中に隠せていればいいけど。

 

 

昼食を終えて再び中庭へ。種まきに参加するつもりなんて無かったのに、汚れてもいい格好で来てねって言われて、きちんと稽古着のTシャツと学校ジャージに着替えて庭に出ている俺は、すでに結構あの人のペースに巻き込まれている。
中庭の花壇の前に並んでしゃがんで、手渡された皿の中には種が数粒。

「ヒマワリってね、太陽に恋する花なんだよ」
「太陽に?」

その中のつやつや綺麗なひと粒を土の中に埋めて、上からさらさらと土を被せながら、雑談の一つみたいに紬さんがそんなことを言うから、俺は思わず聞き返してしまう。

「ヒマワリはね、太陽に向かって咲くんだ、太陽だけ、あなただけを見ているって花言葉もあってね。」

あなただけを、見ている?

優しい微笑みを浮かべる横顔があまりにも綺麗で、ぼんやりと見惚れていると、紬さんが困ったように笑って、ふた粒目の種を手に取る。

「そんなジロジロ見てないで、天馬くんもやって」
「なっ・・ジロジロなんて見てない」

俺も見よう見まねで種をまいて、上から土をかけてとんとんと優しく叩いた。
紬さんはその様子を満足げに眺めると、おもむろに側に投げ出されていたホースを手にとって、少し離れた場所まで歩いてって、キュッと蛇口を捻る。

「全部埋めたら、たっぷりのお水をまくから」

そう言って、俺が等間隔に種を蒔いていくのを見届けると、ホースの手元をぎゅっと握って水を放出させた。じゃあじゃあと音をたてながら、畑の土を濃い色に染めていく水を眺めて、紬さんが鼻歌を歌っているのに気付く。今日は意外な発見が多い。この人に、こんなあどけないイメージなんて無かったのになぁ。
同じリーダー同士とはいえ、俺は夏組だし、あっちは冬組。年齢も8個くらい離れているし、フリーターのこの人と学生の俺は、根本的に生活リズムが違う。こうやって、寮で顔を合わせるのも飯の時やリーダー会議、後は定期テストの前に開かれる勉強の時くらいだったから、紬さんの印象はいつだって、穏やかで優しい、頼りになるお兄さんだった。けど、今のこの姿は・・

「植物ってね、人の声がわかるんだよ。だから大きくなあれ、綺麗になあれって言って育ててあげると、本当に綺麗な花を咲かせるんだ」

ホースの水の飛沫を受けて、濃紺の髪の毛がキラキラと輝いて、太陽みたいな笑顔が眩しい。
凍てつく寒さの冬でも、紬さんの周りだけは暖かい、陽だまりみたいな人。

「紬さんは、かわいいな」
「・・へ?」

だから思わず口をついて出てきた言葉を、俺よりも早くこの人が理解したらしく、色白な顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていくのが目に見えてわかった。ホースが軌道をそれて花壇の外にびちゃびちゃと大きな水たまりを作っていて、それを見て俺もようやく、自分が言ったことの重大さを理解する。

「はっ、いやっ、待て、今のは違う!・・悪い、こんな、年上の人に言う言葉じゃないよな、」
「違うの?」
「うっ、違わない、けど」
「可愛いの?」

キュッとキレのいい音を鳴らして蛇口を締めて、俺を見上げるような視線でそんなことをいう。
首から下げた真っ白なタオルで、鼻のてっぺんにかいた汗を拭って。頬はまだ赤い。恥じらったような顔が白いタオルに隠れて、隙間からちらりと、こちらを伺うようにブルーの瞳が覗いて、呟くような大きさの声で、俺に届くように小さく響く。

「・・可愛いのは、天馬くんじゃないかな?」

それは一体、どういう意味だろう。
可愛いの意味するところを頭の中で考えてみたけど答えは出なくて、そうしている間にも紬さんは水のまかれた花壇に満足して、後片付けを始めていた。

 

ーーあなただけを、見ている。

 

この人が教えてくれたヒマワリの花言葉が頭の中で反芻する。
心臓が苦しいくらいに痛い、ばくばくと高鳴って、鼓動が止まりそうにない。

 

「夏が待ち遠しいね」

 

夏という季節からは縁遠そうな、青いくらいに色白な人がそんなことを言って、眩しそうに目を細める。穏やかな春の、ある日。

 

 

 

***

 

 

 

気付いたら恋に落ちていただなんて、そんなものは物語の中の世界のものだとばかり思っていた。
いくつもの恋の物語の主人公を演じて、いくつもの恋をしてきたが、俺自身は未だに、映画の主人公のような身を焦がすような熱烈な恋なんてした事がない・・って言ったら馬鹿にされそうだから言わない。第一、身を焦がすような恋なんて、17年そこらのちっぽけな人生で、出会えるようなもんじゃないだろう。

この人は、あるのだろうか。
焦がれるように誰かを想う事が。

1週間ほど前に植えたタネが芽を出して、小さな芽はタネの殻を被っていた。つんと突こうとしたら紬さんに優しくダメだよと諭されて、俺は出しかけた指先を引っ込めた。

「こんなにちっちゃな芽が、夏には天馬くんよりもおっきな花になるよ」
「そんなにデカくなるのか?」
「そう、1番大きな品種を選んだからね。いっぱい水を飲んで、お日様の光を浴びて」

じゃあじゃあとホースで水をまく。芽が出たからって、今までよりも優しく、霧雨みたいな強さで。
紬さんの麦わら帽子がにこにこと微笑む横顔に影を落として、俺はそれが眩しくて目を細めた。

 

濃いブルーの細いフレームの眼鏡を掛けた横顔は、いつもよりも大人っぽい。
添削用の赤いボールペンが少しとがらせた薄い唇にちょんと触れて、サラサラと無情にもペケの印を描く。俺は結構、紬さんが描くこのばつ印が好きで、解答欄の隅っこに控えめに付けられた×の分だけ、この人の話を聞く時間が増える、だなんて。言ったら怒られそうだけど。

「はい、正解も増えてるよ。テストが楽しみだね」
「そうかー?また補習なんて事になったら紬さんに申し訳ないんだが・・」
「そしたらまた、ここにおいで。一緒におさらいしよ」

ふふ、って笑った顔が綺麗で、白い頬に触れそうになる、けど、昼間ヒマワリの芽に手を伸ばして「ダメだよ」って諭されたのをふと思い出して、俺は再び指先を引っ込めた。
触れてみたい、けど。その、白くて冷たそうな肌はほんとうに冷たいのかなとか、でも、お日様みたいなこの人だから実は温かいのかもしれない。そんなことを考えていると白い手がすっと伸びてきて、俺の汗ばんだ頬を撫でる。ひんやりとした感触で、心地よいが。なんだ、これは。

「天馬くん、顔、赤いよ?熱でもある?大丈夫?

紬さんの手のひら、って気づくまでに数秒を要した。
筋張っていて、でもひらは柔らかくてすべすべしてる。あんなに庭仕事をしてるのに、手入れでもしてんのかな。思ったよりも大きくて、俺の頬をふわりと包み込んでくれる。

「熱なんて、ないぞ、」
「そう?良かった。俺もよく寝込むから人のこと言えないけど、役者は身体が資本だからね」

熱はない、が、頬が熱い自覚はある。だからこそ心地のいい冷たさに身を委ねてしまいたくて、目を閉じてうっとりとその冷たい感触に頬を寄せた。

「あんた、意外と・・」
「えっ?」

上ずった声が聞こえてぱちりと目を開くと、目の前には、顔を赤くして、澄んだ色の瞳を滲ませて、差し出した手を引っ込められずにわなわなと震える紬さんの姿。
俺の頬に触れたままで行き場を無くした手をぎゅっと握ると、繋がった部分がじんわりと汗をかいていた。俺のものか、紬さんのものかわからなかったけど。

「ほらやっぱり、手、大きいな。おれとおんなじくらいだ」

手のひらと手のひらを合わせて、大きさ比べてみると、ぴたりとはまる。
色も、太さも、爪の長さも違うけど、手の大きさはおんなじなんだなあって思ってまじまじと眺めていると、なんだか面白くてふっと笑みがこぼれる。すると、それまで顔を赤くして反応に困っていた紬さんがぷっと吹き出して、静かだった空間に笑い声が響き渡った。

「やっぱり、天馬くんが可愛い」
「はぁ?俺が?」
「そういうの、なんの下心も無しに言えるのずるい。」
「は?え?下心ってなんだ??」

そんなものはない、・・・と、思いたい。
それまでにこにこと目を細めて笑っていた紬さんが、声を潜めて、重なった俺の指に、一本ずつ自分のそれを絡めていく。五本の指が全部絡まったところでぎゅっと握られて、青くて丸い瞳が反応を伺うように、俺を見上げていた。

 

「・・これが、下心。」

ーーー可愛い。

 

 

「ーーー可愛いって、『愛す可し』って書くじゃない?それって、すごく愛情に満ちた素敵な言葉だと思うんだよね」

 

ある日の夜、仕事で遅くなった俺は、みんなの夕食の時間とは少しずれて一人で食事をしていた。とは言え消灯前の談話室は人で賑わっていて、ダイニングテーブルの向かい側では、一足先に風呂の時間を終えて並んで少女漫画を読んでいる椋と幸が、そんな雑談を交わしている。

「なにそれ。じゃあ可愛い女の子は全部恋愛対象なの?軽すぎでしょ」
「そっか。・・でも女の子に面と向かって可愛いって言う機会無くない?」
「・・・・自覚ないの?」
「へ?」

喧嘩になりそうでならない、と、ちらりと盗み見をすると、幸のジト目には気付かないままで、椋の視線は再び漫画の世界へと戻っていく。ピンクと水色の揃いのモコモコのルームウェアは、劇団のファンからのプレゼントだ。そういうのを着た二人は、高校生になったというのに、男なのに、世間一般的には「可愛い」と言われる部類に入る人種だ。
じゃあ俺は?俺より8個も年上の、あの人は?
可愛いってなんだ。なんであの人の事、可愛いなんて思うんだ。それから、あの人が俺のことを可愛いって言う理由も。可愛いが「愛す可し」だって言うなら、じゃあこの想いは、恋愛感情だって言うのか。恋なんてしたことが無くて、まだ経験のないそれは、ドラマや映画で演じるような焦がれるように苦しいものだと思っていたんだけど、あの人の隣にいるといつだって、穏やかで心地いい。

 

 

***

 

 

しとしとと、雨が降る。
雨粒の滴る窓ガラス越しに、道を行き交う車の光をぼんやりと眺める。金曜日の夜の道路は混み合っていて、あぁ早く寮に帰れないものかって考えるんだけど、俺もよくまあ一年でこんなにも考え方が変わったものだって感心してしまう。車内にはあふれんばかりの花束と、共演者からもらったプレゼントの山で、むせ返るほどの花の匂いに包まれていた。

18歳になった。いや、正しくは、あと数分で18歳になる。

誕生日直前の夜、俺は、明日のオフをもぎとる為に前日に仕事を詰め込んでいて、慌ただしいスケジュールを全てそつなくこなして帰路に着いているところであった。明日が休みだと気を使ってくれたドラマの撮影現場のスタッフが、今日お祝いをしてくれて、巨大なケーキを食べて、持ちきれないほどの花束を貰ってきた。紬さんと一緒にいると自然と花の名前を覚えてしまう。貰った花束は薔薇とかガーベラとか、明るい色の花が多い。事務所に寄って置いて来ても良かったのだが、持ち帰ることを選んだのは、この沢山の花を見て、あの人の顔が綻ぶのを見たかったからだ。
明日は土曜日で、朝早くから夏組のやつらと遊びに出掛ける約束をしている。夜は、劇団のみんなが誕生日会を開いてくれるって。団員たちが祝ってくれる誕生日は今年で2回目だったが、慣れるような事はなくて、くすぐったい気分でいっぱいだった。

寮に着くまでに少し眠ろうかなと目を閉じると、ふと、後ろのポケットに入れたスマホからピポンと音が鳴る。その後も、ピポン、ピポン、と、LIMEの通知の音が止まることはなくて、あ、と閉じかけていた目を開いて車の電子表示の時計に目をやると、深夜零時を記していた。

「起きてたんですね。お誕生日おめでとうございます、天馬さん」
「あ・・・あぁ、ありが、とう?」

少し大きさを小さくした井川のそんな声には疑問系で返して、未だ通知音の鳴り止まないスマホを取り出して確認する。一番最初にカズナリの名前、九門、三角、幸、椋、と続いて、他の組のメンバーや、仕事先の仲のいい知り合い、何度か事務的なやりとりをしただけのクラスメートの名前も並んでいる。その中にあの人の名前を見つけて、思わず開いてしまうと、画面にずらりと、団員からのメッセージが並んだ。

【お誕生日おめでとう、天馬くん。素敵な一年になりますように】

よくあるなんて事のない言葉が逆にあの人らしいなって顔が綻んだけど、井川に気付かれることは無かった。深夜零時、寮に着く頃にはもう寝てしまっているだろうけど、明日になったら会いにいこう。あの人の口から直接、あの優しい声でおめでとうって言って欲しいなんて、柄にもないことを考えてみたりもする。

窓の外を見ていると雨が止んでいた。カズナリが調べていてくれた予報通りに、明日は朝から晴れそうだなって安心する。雨上がりの湿度で曇った窓ガラスに気付いて、井川が除湿を入れてくれていた。

 

 

 

その日帰宅したのは午前一時に近い時間だった。明日は昼頃から出掛ける予定であったから、8時間くらいは眠れるかなって、両手にプレゼントと花束をたくさん抱えて、働かない頭で考える。撮影後にシャワーを済ませてきた自分を心の中で褒めてやりたくなった。真っ暗なMANKAI寮には人の気配は無くて、シンとした談話室と廊下を抜けて、このまま部屋に戻ってベッドに飛び込もうって考えながら階段を上っていた。
みんな寝ているだろうから、・・まあ至さんとか万里さんとかは起きてそうだけど、外にまで気配を感じることはない。特に明日出掛ける夏組のメンバーは夜が早そうだから邪魔しないようにしようと、忍び足で廊下を歩いていると、ふと、階下に人の気配を感じる。視線を落とすとそこにはあの春の日と同じようなシチュエーションで、今は夜だったけど、ぼんやりと、青々と葉の茂る花壇の前に立ち尽くす青い人影を見つけて、暗かったけどあぁ花が咲いてるって、そんなことを思った。

「・・紬さん?」

夜の静けさに消えていってしまいそうな小さな声だったけど、俺の声に気付いたその人はばっと弾かれた様にこちらを見上げて、最初は驚きに包まれていた表情が次第に崩れて行くのが、ここからでもわかる。

「眠れなくて、ここで待ってたら会えるかなぁって思ってたら、本当に帰ってきた。すごいね」
「あんたまさか、ずっとそこにいたって言うのか?」
「まさか。ついさっきから、だよ」

そう言いつつもこちらを見上げた顔は青白くて、真意は定かではない。

「ちょっと待って、すぐそっちに行く」
「いいよ、仕事疲れてるでしょ?」

そんなことを言っても、会えるかなって待っててくれたんだろ。どれくらいそうしていたかなんて俺は知らないけど、俺のこと待って、そこに居てくれたんだろ。

「いや、待っててくれ」

って、一言だけ告げて、さっきのろのろと登っていた階段を今度は駆けるように降りて行く。足音は極力立てないようにして、だけど。待ってろって言えば律儀なあの人が待っていてくれるってのはわかってたけど、あの人、放っておいたらどっか飛んでっちゃうんじゃないかなって、心配で。
暗い廊下を抜けて、両手の荷物は廊下に置き去りにして、適当にサンダルを履いて、飛び出すように中庭に出る。

「紬さん!」
「天馬くん・・おかえり」

ふわりと笑った笑顔は、やっぱり暗闇の中に消えていってしまいそうなくらいに儚くて、別に夏だから寒いわけでもないのに半袖Tシャツから露出した腕が肌寒そうで、思わず。そんなことを言い訳にして、俺は衝動的にその身体を抱きしめてしまっていた。

「わ、悪い・・あ、あの・・俺の、誕生日プレゼントだと、思ってくれ」
「え、えぇ?」

抱きしめた身体は、まあわかっちゃいたけど、男のそれで。華奢だけど壊れてしまいそうなほどの頼りなさではないし、柔らかいわけでも、小さなわけでもない。ただ、でも、こんなに冷たそうな人なのに、肌はきちんと、温かかった。誰かを抱きしめるなんて、芝居の役柄以外では今までに経験したことのない事だったけど、人の 温もりがこんなに心地いいなんて。ぐるぐると頭の中で考えていると、肩口に額を寄せた紬さんがくんと鼻を鳴らして、小さな声で呟く。

「お花の匂いがする・・」

そういえばさっきまで、両手いっぱいの花を抱えていた。

「プレゼントだって、花束、たくさん貰ったんだ。持ちきれなくて、抱えて帰ってきた」

そう告げたら腕の中の紬さんがくすくすと笑って、まるで自分のことのように、それはそれは嬉しそうな様子で、俺の顔見上げてこんなことを言った。

「それってすごく素敵だね。みんなが、天馬くんの事を思って、贈ってくれた花だよ。」

朝が来たら花瓶に生けよう。きっと花瓶が足りないね、ドライフラワーにしても素敵だよって。話が止まらない、溢れる笑顔も。あぁ、やっぱり、事務所に置いてこないで持ち帰って良かったなって思って、抱き締める腕の力をぎゅうっと強める。

「すごく、嬉しかったけど、やっぱりあんたの声が聞きたかった。わがままついでにプレゼント、もう一つ。・・おめでとうって、言ってくれないか?紬さん、」
「・・そんなことでいいの?」
「・・紬さんの声で、おめでとうって言ってほしい」

珍しく、強気にねだるように言った俺に、きょとんとした様子の紬さん。
あんたにとってはそんなことでも、俺にとっては、それがほしくてほしくて仕方なかったから。ダメか?って小さく言ったら、紬さんが困ったように笑って、それまで胸の間に置かれていた腕が、きゅっと俺の肩に回されて、それから、耳元に、声が吹き込まれる。

「お誕生日おめでとう、天馬くん。」

優しくて穏やかで、温かい。紬さんの声。
ぶわり、と、愛しいという思いが流れ込んできて、胸の中に貯めきれずに口元から吐き出してしまいそうだった。けど、「好きだ」という言葉を伝えてしまったらあんたはきっと、その笑顔で曖昧に流してしまうんじゃないかって、思って、我慢する。だから俺は、この付かず離れずの心地よい距離感のままで、ずっといられたらなんて、考えたりもするんだけど。

18歳になった。
まだまだ、大人にも、あんたにも、程遠い。

 

 

***

 

 

「なにしてんの。めっずらしー」

中庭の花壇にじゃあじゃあと水をまく。
日焼け防止にと仕事帰りに園芸店で買ってきた麦わら帽子を深く被って。

「うるせーなー。水やってんだよ、見ればわかんだろ。」
「だから珍しいつってんの。紬のお手伝い?」

上からふって来た声は、中庭を覗き込むように手すりに寄りかかって茶々を入れてくる幸のものだ。
月が変わって真夏みたいな日差しが感じられるようになった頃、ヒマワリはだいぶ大きくなっていて、茎は俺の顔ぐらいの高さまで伸びていた。青々とした葉っぱをたくさんつけて、蕾が日に日に成長しているのが、目に見えて分かる。もうすぐ花が咲くねって、そんな事を嬉しそうに話してくれたお庭番長は、昨日から冬組の地方公演のため、5日ほど寮を空けていた。

『天馬くんにしか頼めないお願い事があるんだけど・・』

数日前、紬さんによって二階の談話スペースに呼び出された俺は、お願い事とは果たして何事なのかと期待したのだが、聞けばそれは冬組の地方公演中の水やりを俺に頼みたいってだけの話で、お願いもなにも、頼まれなくても紬さんのいない間は庭の花壇の世話を引き受けるつもりでいたから、こんな風に改まってお願いされてしまって拍子抜けしたものだ。

だからこれは紬さんのお手伝い、ではなく。言わば団内園芸部の活動、的な?

俺が返答の言葉を探しているうちに飽きたのか、幸はあくびを嚙み殺しながら、ふと、思い出したように庭を見下ろしてポツリと呟く。

「そういえば。そこの花だけやたらと紬が話しかけてるのよく見るわ。なんの花なの?」
「は?」

思いがけない幸の言葉に、間の抜けた声が出る。
・・そういやあの人、植物は人の言葉がわかるとかなんとか言ってたっけな。
けど、他にもここには色んな花が育てられているというのに、こいつだけ、特別なのか?
一緒に種を蒔いたのは、まだ春先のことだった。未だ開花に向けて成長途中のまだ見ぬ黄色い花を思い浮かべて、ここに居ないあの人の事を想って、心臓がこそばゆいような、不思議な気分になる。

「ねーなんの花なの?」
「うっせ。ヒマワリだよ。ヒマワリも知らねーのかよ」

幸の大きな目が驚いたように見開いて、なにかを察して無言で俺のことを見下ろしていた。

 

 

 

***

 

 

ヒマワリが、咲いた。

七月中旬のある日、一輪の花が開いて、それを追いかけるように続々と咲いていって、紬さんが愛情込めて育てたヒマワリたちは、今まさに、満開に咲き誇っていた。
季節は盛夏で劇団では夏組の公演の真っ只中だったけど、俺は忙しい公演の暇を見つけては中庭を訪れるようにしていた。公演は順調だった。本公演が終わったら、学生組の夏休みを利用しての地方公演の予定も組まれている。
忙しい、けれど、充実した日々の中で、このヒマワリは夏の象徴みたいに燦々と咲いていた。

「わーー満開だ!!」

青々とした茎の根元に水をかけて、嬉しそうに紬さんが言う。
満足そうな横顔には、汗がじんわり滲んでいた。

暑い日だった。テレビで猛暑日って言われるくらいの、真夏の太陽が燦々と照りつけるような。寮には人が少なくて、庭先では蝉の声がやかましいくらいに響いている。
この人でも汗かくんだなって見当違いな事を思って、その、よく整った横顔を眺める。

ーーあなただけを見ている。

紬さんは真冬の太陽、陽だまりみたいな人だ。あんたが俺のことをヒマワリみたいだって言うなら、俺はあんたの方を向いて、まっすぐ大きく伸びて、誰よりも綺麗に咲いていたいと思う。真冬の太陽にヒマワリ。季節は真逆だけど、真冬のヒマワリなんて詩的だ、って、誉さんみたいな事を考えて、太陽の方を向いて咲く、ヒマワリが、少しだけ羨ましい。

「あっちいな・・・・」

ジワリと額に汗が滴る。いつぞやに買った麦わら帽子を被っていたけど、暑さは凌ぎきれていないようで、水をまいた花壇がゆらゆらと蜃気楼みたいに揺れていた。青いホースを握った紬さんの顔も赤くて、そういや、日焼けしても赤くなっちゃう体質だって言っていた事を思い出す。
赤い頬で、俺を見上げて、そして。

「綺麗に咲いたね」

無邪気なその、笑顔が可愛い。ーーって、思うなんて。
熱に浮かされている、きっと。

額の汗を拭おうと伸びてきた腕を捕まえて、ぐいと引く。
驚いた様子で、何か告げようと半開きになった口元。その、ちょっと間の抜けた唇に、一瞬のキス。

「・・・・???」
「ーーっ!!」

と、ホースの軌道が外れて、あたりに水が飛び散る。
2人してびしゃびしゃと頭から水をかぶって、紬さんは慌てて、ホースのロックを外した。

「わーーー!!だ、だ、大丈夫?」
「・・・つ、めたっ・・」
「うわあびしょびしょ・・着替えないと・・」

Tシャツの裾を絞りながら、暑さだけじゃない理由で顔面を真っ赤に染めた紬さんと、やってしまった感たっぷりなおれ。けれどかわした視線はそのまま反らせなくて、じっと、穏やかなブルーの瞳を見つめる。 頬が熱い、頭も。

2人しかいない中庭には、ミンミンと蝉の声だけが高らかに響く。

「・・顔、真っ赤だよ」

俺を見上げるあんたの顔だって、相当赤いけどな。

「可愛い。」

今度こそ指先でおれの額を拭って、涼やかな顔でふんわりと笑う。
「愛す可し」っていう言葉の意味をようやく理解して、もう一度、赤い頬に手を添えて、改めてそっと唇を重ねた。青い瞳が、きゅっと閉じられる。

 

 

 

 

あなただけを見ている、暑い暑い夏の日。

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