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「ねえどうして、俺だったの?」
雨の鎌倉、二つ並んだビニール傘。
しとしと降り続ける温い雨を傘越しに眺めて、隣を歩く長身の男を見上げる。男もまた、俺の視線に気がつくと雨の滴る傘を少しだけ傾けて、こちらに表情が伺えるようにしてくれた。曇ったビニール傘から、普段のこの男からは不釣り合いなくらいの、柔らかな微笑みが覗いた。
「・・どうしてって。何、不満だったか?」
「そういうわけじゃ無い。けど、」
「じゃあいいだろ」
ピピッとオートフォーカスが合った音が聞こえて、直後、パシャリとシャッターを切られる。
職業柄、にこりと顔を作ってしまうのは、もう癖みたいなものだ。
けれど、普段から慣れているはずのその行為が、カメラを向ける人間が変わっただけで、こんなにくすぐったいものになるなんて、今日までの俺は知らなかった。
***
今日は終日オフで、雨の予報だったから、部屋に引きこもって買いためていた本でも読もうかと、前日から、そんなのんびりとした予定を組んでいた。けど、早朝にラインの通知音で起こされて、送り主の性格がそのまま現れている端的な文面を読んで、意識を覚醒させる。
【今日オフって聞いた。これから、付き合ってくれないか?】
どこへ、とも、何に、とも記されていないあまりにも不親切なメッセージは、けれど俺を飛び起こさせるには充分なもので、数秒後には、何も考えずに返信のメッセージを打ち込んでいた。
【ーーいいよ。支度するから30分だけ待ってて】
【了解】
直ぐに既読が付いて、更に端的な返信が届く。それを確認した俺は、もう一度ベッドにダイブして、スマホの画面を見返す。今日は朝から、雨が降っていた。そんな日に、どこへ行くんだろう?何をするんだろう?って、送り主の名前と、見慣れたお城のアイコンを指先でなぞって、1人でほくそ笑む。
着替えて時間通りにエントランスに降りると、待ち合わせの相手は既にロビーのソファで待ち構えていて、俺の登場に気がつくと口元の端に緩い笑みを浮かべて、スクと立ち上がった。
「宗司、おまたせ」
「悪かったな、急に誘って」
「いや、暇だったから別にいいよ」
隣に立って、どちらからともなく歩き出す。手元には長いビニール傘が握られていて、ますますどこに行くんだろうって、疑問と期待とが高まる。隣を見上げると、宗司は見るからに機嫌が良くて、どうしたんだろうなって首を傾げていると、その首からぶら下がっている、大ぶりな一眼レフが目について、ご機嫌な理由はこれかなって、合点が行く。
「カメラ、買ったの?」
「あ?あぁ、そう。だから、何か撮りたいなって思って。」
「それでお出かけか。どこ行くの?」
外へ出るとやはりしとしとと雨が降っていて、順番に、ビニール傘を開く。
宗司は少しだけ、考える素ぶりを見せた後に、涼やかな目元を細めて、俺を見下ろしていた。
「鎌倉、方面」
ここからなら電車で1時間強。ちょっとした、小旅行みたいだった。
***
宗司は俺の特別だった。かと言って別に、恋仲にあるわけでは無い。同じ事務所、兄弟ユニットで切磋琢磨し合うもの同士、同い年で、不思議と気が合って、こうやって月に数度、一緒に出かけるような、そんな程度の仲。隣を歩いているからと言って、手を繋ぐわけでもないし、だからこうやって、今日みたいに雨が降った日は、傘の分だけ距離が広がる。そんな距離感。けれど、大人びていて落ち着いた雰囲気の宗司と一緒にいるのは、俺にとって、特別な時間だった。
鎌倉に連れてこられて、雨の中、神社や仏閣を巡った。梅雨のこの時期、紫陽花が見頃のこの近辺はひどく混み合うらしいけど、雨の平日、人の足は疎らで、すれ違う人はみんなおじいさんやおばあさんばかりだったから、俺たちに気付いている人はいないみたいだった。傘で顔が隠れているおかげもあると思うけど。宗司は終始上機嫌で、ずっと新品のカメラを構えていた。被写体は歴史的な建物だったり、そこいらじゅうに咲いている花だったりするんだけど、そのどれもこれもに俺が写り込んでいるのは、きっと気のせいなどでは無い。
「涼太、そこ立って」
「こう?」
「そう、そのまま。」
淡い、桃色の紫陽花の前でふと足を止める。
促されるがままにその前に立って傘を傾けると、パシャリと、また一つシャッターが切られた。
背面のモニターを確認して、その整った面立ちがふわっと崩れるのが、ここからでもよく分かる。
「・・やっぱり、綺麗だな」
宗司のカメラには、俺はどんな風に写っているのだろうか。
きっと、どんな風に撮れた?見せて?って言えば、すぐに見せてくれるんだろうけど、それすらもくすぐったくて、今日はまだ一度も、その撮影した写真を確認できずにいる。
なんで俺だったの?今日はみんな休みで寮にいたはず。空でも守人でも望でも・・廉でも無くて、どうして、俺のことを誘ってくれたの?この、しつこく降り続ける雨みたいに、疑問も止むことはなくて、俺はただ、心の中にくすぶり続けるモヤモヤした想いを、上手いこと消化することも出来ない。
「涼太」
濡れないようにカメラを抱えて、こちらへ駆け寄ってくる宗司の笑顔は、静かな神社の空気感に合ってるよなぁってそんな事を思って、俺は少しだけ熱を持った頬を、曇ったビニール傘に隠してしまう。傾けた傘から雨だれがぴちゃりと伝って肩を濡らしたけど、それすらも気にならなかったのは、宗司がこちらを覗き込んできたからだ。
「涼太、顔赤いぞ。寒いか?」
「べ、つに。平気、ちょっと、」
「何」
「ち、近い」
男らしい、造形の整った顔が至近距離に近づいて、俺は思わずうっとたじろぐ。
傘の分だけ距離があったけど、それすらも縮めてしまうように、宗司はぐいと、俺の顔覗き込む。と、ぶわわわっと全身の毛が逆立ったみたいになって、赤かった頬が更に熱を上げているのを感じていた。宗司はそれに気づいたらしく、意地悪そうな笑みを浮かべて、更に距離を縮めて来る。
傘を傾けて、一歩ずつ歩み寄って、それでようやく、距離がゼロになった。額と額とをくっ付けて、吐息のかかりそうな近さで見上げた顔は、やっぱり意地悪そうにニヤニヤと笑っていた。
「ほらやっぱ、熱、あるんじゃねーの?」
「うるさい・・いじわる、わざとやってるでしょ」
宗司の額はひんやりと冷たくて、俺の熱がジワリと緩和されるみたいだった。
ひと気のない静かな神社に、雨だれが傘を叩く音と2人の息遣いだけが響いている。こんなに近くにいるのに、唇は触れそうで触れられなくて、そのまま、ゆっくりと距離が離れて行ってしまった。
「宗司は意地悪だ」
ツンと、拗ねた顔でそっぽを向くと、ククッと堪えきれずに零れ落ちた笑いとともに、再度シャッターを切る音が聞こえる。
「俺おまえの、そーゆう顔が好きだから、意地悪したくなんの」
ファインダーを覗いたままそんな事を言って、宗司は何度も、パシャリパシャリとシャッターを切って行く。
「性格悪っ、ちょっと、撮りすぎ!」
「いいよ涼太、もっと怒って。サイコーに可愛い。」
「は、ァ?!」
いくらなんでも無駄打ちのし過ぎだ、そんなに撮られていては、俺も、顔を作っている暇が無い。
止まらないシャッター音に、こちらまで意味もなく可笑しくなって、笑いが止まらなくなって、俺は邪魔だった傘を置いた。そうして空を見上げたらもう雨が上がっていて、神社の木の間から、キラキラと光が差しているのが目に留まった。眩しくて目を細めた俺を、最後にパシャリと写真に収めて、宗司は満足げに笑っていた。ファインダーから目を離して、宗司もまた、眩しそうに目を細める。
「どうしてお前だったのか、教えてやろうか?」
「は?」
それは、俺がずっと気になっていた疑問。
愛おしいものを見つめるみたいな優しい視線は、きっと俺の気のせいなどでは無い。
「大切なものや綺麗なものを、形に残しておきたくて、カメラを買ったんだけど」
「それで一番最初に浮かんだのが涼太だったの」
宗司は俺の特別だ。
恋仲にあるわけでは無いから、手も繋がなければ、唇を重ねる事もない。けれど、雨が止んだら傘ふたつ分開いていた距離は、それなりに近づく。閉じた傘を振って、雨雫を飛ばして畳むと、肩が触れるくらいに近いところを並んで歩くことが出来るから、そうしたら、宗司は俺の、一番好きな笑い方で、機嫌よく笑う。
願わくば、俺も宗司の特別だといい。
***
「わ、ぁ!すごい!!」
「くぅ〜〜、おまえはまた、イケメンな趣味をはじめおって・・・」
「趣味にイケメンもなにもあんのかよ・・」
その日、昂輝がソアラの共有ルームを訪れたのは、リーダー会議用の資料を手渡す為だったとか、そんな程度の理由だった。覗き込んだダイニングでは、メンバーが5人揃って仲良く頭を寄せ合っていて、一体何事なのかと気になって顔を出すと、テーブルの上にはA4判ほどの大きさの写真用紙が数枚、広げられていた。興味本位でちらりと覗き込むと、そこに写っている被写体が、見覚えのある人物だった事に驚いて、昂輝はそっと、側にいた空の肩を叩く。
「これは・・・すごいな」
「うわあああああコウ!!!!」
「うるさい・・」
「あれ?コウ、どうしたの?」
突然の来訪に驚いて数十センチは跳ね上がった空を横目で見やって、昂輝の視線は、並べられた写真たちに移る。
「本当にすごい。誰が撮ったんだ?」
「ソウだよ!すごいでしょ?まさかの才能発揮〜?みたいな」
「おまえはうるせーよ」
「・・宗司が、撮ったのか」
「まあ、な」
宗司が照れ臭そうに笑う理由は、きっと、この被写体のせいだ。
写っていたのは、雨、紫陽花、寺、神社、そして、光。
その中で微笑む、眩しいくらいの笑顔の持ち主の事を、昂輝もよく知っていた。
「リョウは、お前の前で、こんな風に笑うんだな」
「あいつには、内緒な」
「どうして?こんなに綺麗なのに」
「バレたら、データごと没収されかねないだろ?」
ふっと笑う宗司を、昂輝は不思議そうに、目を丸くして見つめる。
なんとなく、だけど、リョウはそんな事しないと思う。
むしろ・・と、今度はまじまじと写真を見下ろして、ふわりと、穏やかな笑みを浮かべた。
「きっと、気に入ってくれると思うぞ?」
ーーー涼太本人が仕事帰りにたまたまソアラの共有ルームを訪れて、真っ赤な顔で写真を回収して行くまで、あと、数分の出来事・・

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