月が美しい夜だった。
どこまでも続く闇の中でぽっかりと浮かぶ大きな黄色い月の灯りだけを頼りに、長い夜をさまよう。春の月はぼんやりと霞んでいて、夏の夜は気持ちのいい匂いがする。秋は、そう、こんな風に虫たちが壮大なBGMを奏でていて、その中で見上げる月は、どの季節よりも明るい色をしていた。
夜の散歩・・どこかに俺のお仕事はないかなって、キョロキョロと辺りを探しながら。
俺は魔法使い。ちっちゃなこども達のでっかい夢を叶えてあげるのが俺のお仕事。
明日のおやつはチョコレートがいいなってお願いすれば、俺がチョイチョイと魔法をかけて叶えてあげるし、パパとママが喧嘩をしたって泣いている子には、仲直りのお手伝いだってしてあげる。
俺は優しい魔法使い。今日も空飛ぶホウキに乗って、夜をさまよう。
月が綺麗なこんな夜は、なぜか俺のお仕事が忙しい。
きっとみんながお月様にお願いをするからだね。
あなたに出会ったのはそんな静かな夜の事。
まあるい月を見上げて涙を流す横顔は、この世のものとは思えないほどの美しさで、思わず見惚れてしまった俺は、つい、うっかり、そんな軽率な理由を並べて、ふわりと下界へと降り立った。
「美しいお嬢さん、あなたに涙は似合わないよ?よかったら、俺に話を聞かせてくれる?」
[newpage]
むかしむかしあるところに、とても美しくて聡明な子どもがおりました。
その美しい男の子は「リッカ」と名付けられ、優しい父親の元で、それはそれは大切に育てられていました。優しい父親は、幼い頃に母親を亡くしたリッカには新しい母親が必要だと思い、二人の娘を連れた女性と再婚しました。新しい継母や義理の姉達は、最初こそは優しかったのですが、リッカの父親が病気で亡くなると途端に本性を露わにし、父親の財産を食い荒らしては家を傾かせ、リッカの美しさを妬み、召使いのように辛く当たるようになりました。
けれども明るさや美しい心を失わないリッカは、森の小動物達と遊んだり、父親が残した沢山の本を読んだり、趣味の料理をしながら、日々の生活をそれなりに楽しんでいました。
「お前も物好きだよなー。こんな家、さっさと見限ってやればいいのに」
「そうだよ。俺たちと、森の奥で暮らそうよ」
リッカの家の庭に現れる動物たちは、彼の唯一の話し相手でもありました。
今日も歌の上手い小鳥の兄弟の「イッセー」と「イッチー」が、洗濯物を干すリッカの傍で、ピヨピヨと歌を歌うようにおしゃべりに花を咲かせています。
「当たりはきついけど、根は悪い人たちじゃないと思うんだよ・・俺の作ったご飯を「美味しい」って食べてくれるから」
「リッカのご飯は美味しいもん」
「だよなぁ。あれを不味いっつったら俺がぶっ飛ばしてやるよ」
「それに、俺がいないとあの人たち何も出来ないし・・」
「リッカ、そうやって何でもかんでも尽くしてあげるの良くないと思う」
「いつか悪い男に騙されるぞ。生活能力の無い男なんて最悪だからな」
「あは・・あはは・・・」
小鳥たちの言葉は辛辣でしたが、リッカには身に覚えのあることばかり突いてきます。
パタパタと風に煽られる真っ白な洗濯物達を横目で見つめて、リッカは手にしていた洗濯カゴをギュッと胸の中に抱きしめました。
「それに、良い事もあったんだ。聞いてくれる?」
リッカが取り出した一枚の封筒。それは、お城で開かれる舞踏会の招待状でした。王子様のお誕生日を記念して開かれるその舞踏会は、街では王子様のお妃探しも兼ねていると噂されていて、リッカの二人の義理の姉達をはじめ、国中の若い娘達がどこか色めきだっているように感じられます。
「俺は男だからお妃探しは関係ないけどさ、王子様は大層音楽がお好きで、自分で作曲もするんだって。王子様の作った曲を国で1番の楽団が演奏するっていうから、聴いてみたいなぁって。」
「そいつはすげーな。おれも行ってみたいなぁ」
「リッカは歌が好きだからなぁ」
「それを義姉さんたちに話したら、面白そうだから私のドレスを貸してあげるって」
「えっ女装してお城に行くの?!」
「?そうだよ、舞踏会には街の娘さんしか招待されてないからね」
「・・りっか、それはまずいんじゃないか?」
「??」
人を疑うことを知らない薔薇色の瞳と歌を啄む艶やかな唇。
それから、日焼けとは無縁の、傷ひとつない白磁の肌。
かつて街で1番の美少年と評判だったリッカの美しさは、成長しても損なわれることはなく・・むしろこんな辛い生活でも更に磨きがかかっていましたが、当のリッカ本人は自分の美しさにはてんで無頓着だったので、イッセーもイッチーも、リッカの事が心配で堪りませんでした。けれども無邪気なリッカは、イッセーの心配も、イッチーの不安も気に留める事もなく、まだ知らぬ王子様の奏でる音楽や、煌びやかなお城の舞踏会が楽しみで楽しみで仕方なかったのです。
ーー
「ーー・・まったく、あんたも面白い事を考えるわよね」
「でしょ?だって女装よ。いくら綺麗でも男なんだからさ、きっと面白いもんが見れるわよ」
「あんたのドレスだって入らないんじゃない?」
「あっはっは!ウケる!」
今日は王子様のお誕生日、お城の舞踏会当日でした。リッカの家でも朝早くから、二人のお義姉さんたちがパーティの準備に勤しんでおりました。大きな鏡に向かってパウダーを叩いたり口紅を塗ったりして忙しくしていると、そこへ、支度を終えたリッカがやってきました。
「お義姉さんたち、そろそろお城のお迎えの馬車がやってくる時間ですよ」
「あーはいはい、うるさいわね〜、今終わるって、・・・ば・・」
「は・・・・ハァ?!!」
二人の義姉が振り返るとそこにいたのは、絶世の美女。
ピンク色のドレスは肩の開いた大胆なデザインでしたが、ガタイのいいお義姉さんたちに比べたらリッカは男でしたがとても華奢だったので、それはそれは見事に着こなしていました。
綺麗に結い上げられた長い髪の毛も、施された淡いお化粧も・・ーーただ一つその辺の女性と比べると若干背が高い事を除けばーーどこからどう見ても美しいプリンセスがそこにおりました。
「やっぱり、貸していただいた靴だけが入らなかったから、流石にフラットシューズにしたんだけど・・ど、どうかな?」
恥ずかしそうにはにかみ笑いを浮かべる姿すら、花が咲いたように美しいリッカです。呆気に取られていた義姉たちは、手にしていたブラシを握り締めながら、わなわなと震え出しました。
ガッチャーーーン!!!!
「わっ」
「なんだなんだ」
心配で様子を見に来ていたイッセーとイッチーが窓枠に降り立つと、中から大きな音が聞こえてきて、思わず小さな体を震え上がらせました。おそるおそる中を覗き込むと、義姉たちのメイク道具や割れたティーカップが床に散らばっており、それから、ドレスを引き裂かれて床に倒れこんでいるリッカの姿が目に留まりました。
「リッカ!!」
「ひどい・・なんて酷い事を!」
リッカの美しさを妬んだ義姉たちは、そのドレスをビリビリに破いて、ティータイムの残りの紅茶をぶっかけて、そして極めつけと言わんばかりに、空になったカップを彼へと投げつけたのです。
そこまでの仕打ちをされてもなお、優しいリッカは、女性に手をあげるなんて事は出来るはずもなく、ただひたすら耐えるように、義姉たちの折檻に身を委ねていました。
「身の程を知りなさい!!男のアンタが舞踏会なんて行けるわけがないのよ!!」
「そうよそうよ!!大人しく家で縫い物でもしてればいいわ!」
そう言い残して、二人の義姉と継母は、お城からやってきた迎えの馬車に乗って行ってしまい、後には傷ついてボロボロのドレスを身に纏ったリッカだけが残されました。
「・・・」
「・・リッカ、立てるか?ほら、外に顔洗いに行こうぜ」
「元気出してよリッカ。・・俺たち、ずーっと一緒にいるから。ね?」
「ありがとう、イッチー、イッセー」
優しい小鳥たちに伴われて、リッカはボロボロの身体を引きずって、中庭へとやってきました。
その日は、月の綺麗な晩でした。庭の噴水を覗き込むと、丸くて綺麗な黄色い月がぽっかりと浮かんでいる様がとても鮮やかで、こんな状態でしたが心はとても穏やかな気分でした。
「お城に行ってみたかったなぁ・・」
王子様って、どんな人なんだろう。
どんな音楽を作る人なんだろう。
噴水の縁に腰掛けて見上げたお月様もやっぱりまん丸で、その月の美しさに、ふと、リッカの瞳からひとしずく、涙が零れ落ちました。すると、月を見上げるリッカの耳と、何も言わずにリッカに寄り添う小鳥たちの耳に、どこからともなく声が聞こえてきたのです。
『美しいお嬢さん、あなたに涙は似合わないよ?よかったら、俺に話を聞かせてくれる?』
あたりはたちまち、眩いばかりの光に包まれました。
キラキラと暖かい光の中で、リッカは、ホウキに乗って空を飛ぶ、水色のフードを被った一人の青年の姿を見つけました。どこまでも透き通った白い頬、そこにかかる金髪は星のようにキラキラと輝いていて、フードの中から覗く、気の強そうな瞳もお星様のような金色をしていました。
「・・あなたは?」
リッカがそう問いかけると、青年は、ホウキから地面へと降り立って、ゆったりと微笑みかけます。
そうしてその穏やかな微笑みに合わせて手にしていた金色のステッキをふるふると振ると、キラキラと光の雫が暗闇に舞い散りました。
「俺は魔法使いのツバサ。美しいお嬢さん、どうして泣いていたの?」
「魔法使い?!あはは、面白い人だね」
「あ〜、信じてないでしょ?美人さんが泣いてるから、気になって降りてきたのに。」
「俺はこう見えて現実的なの。それから、お嬢さんじゃなくてごめんね、男なんだ」
「えっ?そーなの?ーーまぁいいや、綺麗な人に男も女もカンケー無いしね」
魔法使いと名乗る青年が、そう言ってグローブをはめた指先でリッカの涙を拭うと、不思議な事に、義姉たちによって付けられた顔や身体の傷が、スーッとひいていったのです。
痛みも、もう殆ど残っていませんでした。
「すごい。これが魔法?」
「そーだよ。酷いことをする人がいたもんだね。こんな綺麗な顔に傷をつけるなんて」
ツバサがもう一度頬を撫でると、リッカは力無い笑みを浮かべて、深い深いため息を吐きました。
「俺も悪かったんだよ。・・招待状も貰ってないのに、舞踏会になんて行こうとしてたから」
すると、魔法使いのツバサは目をまあるくして、リッカの顔を不思議そうに覗き込んできます。
「舞踏会に行きたかったの?」
「そうだよ?」
「お城なんてつまんなさそうじゃん。」
「でも俺は、外の世界が見てみたかったんだ。この国がどんな所なのか、この目で。」
「ふーん・・・じゃあ俺が連れてってあげよっか?」
「えっ?」
ぎゅうっと力一杯、ツバサに両手を握られると、今度はリッカが目を丸くする番でした。
猫のような金色のつり目にはニコニコと楽しそうな笑みが浮かんでいて、踊るようにリッカの手をひいて、そのりんごのような赤い唇に魔法の言葉を載せていきます。
「まずは馬車かな。ねぇ、スイカはある?」
「スイカなんてこの時期ないよ。カボチャで良ければ。」
「しょーがないな。はい、ビビディバビディブー!」
魔法のステッキを振って呪文を唱えると、腐りかけの熟れたカボチャは、眩く輝く黄金の馬車に
「馬車には馬が必要だ。はい、ビビディバビディブー!」
軒下のネズミは、毛並みのいい真っ白な馬達に
「それからお前達は、馭者と付き人だ。隠れたって無駄だぜ?」
「はぁ?ふっざけんなよ!!」
「・・みつかっちゃった」
それから、リッカの後ろに隠れていた小鳥のイッセーとイッチーも、ツバサの手によって引っ張り出されて、たちまち魔法をかけられてしまいました。
光の中から現れたのは、見目美しい二人の青年。
「わぁ・・可愛い!」
「イッセー、かっこいい・・」
「イチルも・・」
合わせ鏡のようにそっくりな小鳥達を満足げに眺めて、ツバサは、最後にリッカに向き直ります。
「仕上げは君だよ、美しいオニーサン。」
「え?俺も?」
「当たり前。目をよく見せて、ふんふん。」
そう言って手を取って、金色の猫目がリッカの瞳を覗き込むと、魔法使いは上気した頬に少しだけ不満の色を混ぜて、ツンと、ひとりごとのように呟きました。
「・・俺の魔法なら、君を王子様みたいに美しい男にだってしてやれるけどさ。」
「それはこまる。今日は男の子は入れない、王子様のお妃探しの舞踏会だからね」
「だよなぁ・・まっ、しょーがないか。そういえば、君の名前は?」
「リッカ」
「リッカ。オーケイ、君のその潤んだ薔薇色の瞳には、シンプルだけど、大胆でゴージャスなデザインが似合いそうだ」
魔法使いが、ステッキをひとふり。
魔法の呪文はビビディバビディブー。
一つ目の魔法は、淡いピンクの、上品なドレス。キラキラの金色の粉に包まれて、ふっくらと膨らんだプリンセスラインのドレスの裾がふわりと風に舞い踊ります。ウェストはキュッと絞られて、頭の上にはピンクの宝石が散りばめられたゴールドのティアラが添えられていました。
「うゎぁ、すごい!」
「まだまだ終わらないよ?」
くいっと、リッカの顎を持ち上げて、お次は小さくひとふり。
二つ目の魔法はお化粧。リッカの白磁の頬にチークをひとさし、唇には鮮やかな紅を。
「仕上げは靴だ。リッカ、ドレスの裾をあげてくれる?」
「こう?」
「いいね、ビビディバビディブー!」
魔法使いがリッカの足元にステッキを振ると、古いピンク色のフラットシューズが、透き通るほどに透明なガラスの靴へと姿を変えたのです。サイズもぴったり、それに不思議なことに、こんなに細いヒールなのに、今にも走れそうなくらいに身軽でした。
「ありがとう!すごい、夢みたいだ!!」
庭の噴水の水面に写るのは、眩いばかりの美しいプリンセス。
満面の笑みを浮かべて、リッカがぎゅうとツバサのグローブに包まれた手を握ると、その、魔法使いのフードに隠れた白い頬がみるみるうちに真っ赤に染まっていきます。
「えっ、・・っと・・急がないとリッカ、舞踏会が始まってしまうよ!乗って乗って」
「あっ!何か、お礼を!」
「いいっていいって。目一杯楽しんでおいで」
ぐいぐいと馬車に押し込まれて、車窓から外を見下ろすと、金色の魔法使いが上機嫌そうに笑っていました。
「言い忘れたけどリッカ。この魔法は0時ちょうどに解けるーー夢は所詮、夢でしかないからね」
「・・・ツバサ、」
「?」
リッカは、そんなツバサの手を引いて、驚いたその白い頬にそっと口づけを贈ります。
ふわりと2人の間に、薔薇の花の甘い香りが漂いました。
それから、頬に形作られた薔薇色のキスマークを指先でなぞって、こんな事を言うのでした。
「素敵な夢を見させてくれてありがとう、ツバサ」
リッカの笑みとともに、馬車のドアが閉じられます。
そうして、カボチャの馬車は光の軌跡を残して去って行ってしまいました。魔法使いの、念を押すようにもう一度告げられた「0時の鐘が鳴り終わるまでには帰ってくるんだよ」という言葉は、リッカの耳に、届いたのでしょうか。
後には、光の無くなった静かな屋敷の中庭に、ぽつんと1人、魔法使いだけが残されました。
未だ熱の帯びた頬にグローブの指先で触れると、先ほどのリッカの花が咲いたような愛らしい笑顔が、脳裏に蘇ります。
「まいったな・・相手は人間だぞ?」
魔法使いは、自分の頬が熱を持っている事を自覚していました。
そしてその熱が、意味するところも。
***
この国の王子様は若く聡明で、見目も麗しく才色兼備。加えて音楽の才に長けていて、ピアノを弾かせれば国一番の演奏を披露して見せ、歌を歌わせればその歌声は他国にまで評判が広がるほどでした。そして何より王子様の曲作りの才能は、王立劇場で披露されるような正統派なオペラから、大衆に歌い継がれる流行歌まで、様々なジャンルの曲で遺憾無く発揮され、この国には王子様の作った曲を知らない者は居ないとまで言われておりました。
非の打ち所がない、まさに理想的な王子様ではありましたが・・
「ーーーー・・殿下、いい加減フロアに出たらいかがですか」
王子様のお誕生日をお祝いする舞踏会、その宴の席で、張本人である本日の主役様は人の喧騒からだいぶ離れた壇上の玉座で億劫そうな表情を浮かべていました。
「・・俺はダンスは得意ではない」
「得意不得意の問題ではないでしょう?みんなアンタの誘いを待ち構えてるんだ」
ーーだから嫌だというのに。飢えた獣の群れに自ら飛び込むような真似はしたくない。
王子様はその整った面立ちをわかりにくいくらいのレベルでひっそりと歪めて、傍らに控える側近の男の精悍な横顔を鬱陶しそうに見上げます。
「巷では今宵の舞踏会は王子様のお妃探しだとも言われているらしいですよ」
「・・人聞きの悪い。俺はそんなつもりは微塵も無いというのに・・」
「殿下がそんな風にいい歳して妾の1人も持たないもんだから、変な噂が立つんです」
王子様は、呆れた目でこちらを見下ろしている男の視線からそっと目をそらすと、逸らした先に淡いピンク色のドレスを身に纏った、1人の女性を見つけました。
大衆のダンスの輪から少し離れたところで、ワイングラスを片手に、そっとオーケストラの生演奏に耳を傾けているその娘は周囲の人々が目を奪われるほどの美しい容姿をしていたのですが、あいにくそういった人の美醜には疎い王子様、彼は、娘の容姿よりも何よりも、その美しい形をした薔薇色の唇から奏でられる歌の方に、強い興味を抱いたのでした。
「・・ダイ、あの娘。」
「あっ、殿下!!」
見たことのない食材を使った美味しいお料理と珍しいお酒、煌びやかな内装のダンスフロア、美しく着飾ったお嬢さんたち、それから、先程から途絶えることなく続けられる、オーケストラの生演奏。お城で目にするものはどれもこれもリッカにとっては新鮮で、心踊らされるものばかりです。
特にこのオーケストラに混じるピアノの旋律は、初めて聴く曲なのにどこか懐かしいメロディで、力強く包み込まれるような、暖かく美しい、不思議な魅力の曲でした。
「おい、お前、」
「えっ?」
リッカがその、暖かなメロディに聴き惚れていると、急にぐいと手を引かれて身体がよろめきました。振り返るとそこには、色鮮やかなロイヤルパープル。闇よりも濃い色で宝石のように艶やかなそれは、よく整った面立ちをした男の一対の瞳でした。
「誰・・」
「おまえ、その歌・・」
「歌?」
「口ずさんでいただろう、演奏に乗せて。あれをきちんと歌ってほしい」
「歌っていたといっても・・そんな・・あれは本当に適当に口ずさんでいただけで・・」
「適当だって?」
ぎゅうと、握られた手首に力が込められて、リッカは思わず眉を顰めます。
少し高い位置にある男の瞳をじっと見つめると、ロイヤルパープルは強い意志を持って、リッカのことを見返してきました。
「あれはスランプの中で生まれた大切な曲なんだ。オケ用に書いたものだが・・そうだな、あんたが歌うなら独唱も悪くない・・」
「あなたが作った曲・・?・・えっ、じゃあ、まさか、」
「王子様?!」と、驚いた唇を大きな手のひらで塞がれて、目前の男は「しー」っと人差し指を立てて目配せをしてきます。
「頼む。歌ってくれたら、なんでも一つ、お前の望みを叶えよう」
「そんなこと・・言われても・・」
どこまでも強引な王子様の口ぶりでしたが、けれどリッカも、不思議ともう一度あの曲を歌ってみたいと思っていたので、渋々了承しました。
「わかりました、では、一度だけ」
「感謝する。じゃあ、手配をしてくるからステージへ、」
「は?あ、え、ちょっと!」
ーーあなたの前だけで、歌うのではないのか。
リッカは頭を抱えましたが、もう、後の祭り。表情には現れにくいのですが、嬉しそうな顔をして去っていく王子様の背中を呆然と見送って、はーっと大きなため息をひとつ零しました。
ーー
「殿下、お戯れはおやめください」
「そう言うな、ダイ。見てみろ、一級品の歌姫を見つけてきたぞ」
「見つけてきたって、言い方・・ダンスの一つにでも誘って差し上げればいいのに・・」
文句も、小言も、言いたい事はたくさんありましたが、もとより表情の変化が少ない王子様の顔が久しぶりに楽しそうに輝いているのを見て、側近の男はやれやれと大きなため息を吐きました。
黙々と準備を始める宮廷楽団の中にひときわ美しい先ほどの娘の姿を認めて、男もまた、感嘆の息を漏らします。王子様ははやる気持ちを抑えきれずに、前のめり気味に玉座へと腰を下ろしました。
「さぁ、あの娘。どんな歌を聴かせてくれるのか。」
スッと、楽団の指揮者が指揮棒を振ると、それまで騒然としていたフロア内の喧騒が止んで、あたりを静寂が包み込みます。次の瞬間、溢れ出したのは音、音。音の洪水でした。
リッカはこの曲を、今日初めて耳にしたのです。それなのに、心の中から、頭から、歌詞が溢れ出してきて、唇からは勝手にメロディが零れ出てくるようでした。まるで生まれてくる前からこの曲を知っていたかのような不思議な感覚に、胸がじーんと熱くなりました。
リッカは歌が大好きでした、けれど、こんなにたくさんの人前で歌うのはもちろん初めての経験で、だからこんなにも歌を歌う事が気持ちがいい事だとは知らなかったのです。
「ーー殿下、これは・・」
「あぁ、素晴らしいな。是非宮廷へ迎えたい。」
「あっ、あんたはまた勝手に!!」
側近の男の引き止める声を背に、王子様はスッと玉座から立ち上がると、その足は真っ直ぐステージ上で歌を歌うリッカの元へと向かいました。それを合図に歌が止んで、音が止むと、聴衆の注目のど真ん中で、そっと膝をついて、リッカの目の前へと白い手袋に包まれた手を差し伸べます。
「王子様、・・これは、えーと・・」
「素晴らしい歌だった。よければ俺と、一曲踊ってほしいのだが?」
「すみません、おれ、ええと・・私、ダンスは苦手で・・」
差し伸べられた手は明らかにダンスのお誘いでしたが、男のリッカに女性のパートを踊れるわけがありません。もっともらしい言い訳を並べて、大げさなジェスチャーで目の前で手を振って見せましたが、王子様はそんな反応は気にも止めず、リッカの両手をぎゅっと捕まえます。
「俺がエスコートしよう。任せておけ、ワルツは得意だ。」
「えー・・」
「あんたさっき、ダンスは得意じゃないって言ってたじゃないですか」
「ワルツは、得意だ。」
「あぁもう、これだから。知りませんよ」
強引に手を引かれて、ワルツのポジションを取られて、王子様はその無愛想な顔に微笑みすら浮かべながら、楽団が奏で出したワルツのリズムに乗ります。
「足を踏んでも恨まないでくれる?」
「そんなみっともない真似はさせないさ」
王子様の言う通り、彼の動きに身を委ねていると、軽やかな三拍子のリズムにのって身体が勝手に動いてしまうようでした。エスコートが上手なのか、はたまた。リッカは羽のように軽い足元をふと見下ろして、王子様には気づかれないくらい小さく、首を傾げます。
ーーもしかしたらこの靴のおかげかもしれない。だとしたら本当に、すごい魔法だ。
「おまえは一体何者なんだ?これほどの歌声を持っていて、表舞台に出てこないなんて」
「えぇー・・いやー、あはは」
正体など明かせるはずがありません。リッカはただの町人で、その上しかも、男、なのですから。
「・・夢だったんだ、王子様の作った曲を聴くのが。だから今夜、それが叶って嬉しいよ」
「お前とは是非、曲の解釈や音楽について色々と話したいものだ。」
「はは、・・それもまた、いずれかの機会に」
鳴り止むことのない一流の楽団の演奏、軽やかなワルツのリズム、キラキラのシャンデリアの光が眩しい、華やかな宮廷舞踏会。人々の視線に慣れることはありませんでしたが、リッカにとってはまさに夢のようなひと時でした。
『リッカ。この魔法は0時ちょうどに解けるーー夢は所詮、夢でしかないからね』
「ーーー・・っ!!」
うっとりと音楽に身を任せていたリッカの耳に、リンゴンと、0時を知らせる時計の鐘の音が飛び込んできました。同時に、あの金色の魔法使いの言葉が脳裏に蘇ります。
ーーまずい、あの鐘の音が鳴り終わる頃には、この魔法が解ける。
「ーー・・、どうかしたのか?」
「ごめんなさい王子様、もう帰らないと」
「っ、おい、待て!」
「ごめんなさい!」
鐘は、何度鳴った?馬車は外に待たせてある。間に合うだろうか。リッカはさまざまな考えを頭の中に巡らせ、同時に、一目散にその場から逃げるように駆け出しました。
ホールを飛び出して、玄関へと。なおも王子様は後ろから追いかけてきます。その途中にある長い長い階段を三段飛ばしで駆け下りると、その拍子に、するりと靴が脱げおちました。
リッカは「あぁ」と声をあげましたが、取りに戻っている暇はありません。どうせ魔法が解けてしまったらあの靴も消えて無くなるだろうとタカを括って、振り返ることなく、足を進める事にしました。
10回目の鐘の音が鳴り響く頃、リッカは馬車へと飛び乗りました。
「リッカ、楽しかった?」
「うん!それはもう!」
「リッカ、早く帰ろう、魔法が解けてしまう前に。」
馬車で出迎えてくれた馭者のイッチーと付き人のイッセーに最大級の笑顔を見せて、リッカはやっとひと息つけました。夢の時間はおしまい。これで明日からの辛い仕打ちにもきっと、耐えられる。
ーーそこでようやく振り返ると、もう、王子様の姿は見えませんでした。
0時を知らせる鐘の音が鳴り終わる頃、お城には、呆然と立ち尽くす、王子様だけが残されました。
「ーー不思議な娘でしたね」
「ダイ、見てくれ。あの娘がこれを落としていった。」
その手には、片足だけのガラスの靴。
王子様が差し出したそれを眺めて、ダイは「はて」と首を傾げます。
「・・これは・・随分と大きな足だ」
「だな。俺でも履けそうだ。」
「いや、流石にそれは・・。これを手がかりに、国中におふれを出して探させましょうか?」
「頼む。・・あの歌声を埋もれさせるのは惜しい」
ダイがガラスの靴を受け取って王子様の顔をふと見やると、王子様は楽しげな様子を隠すこともなく、きっと周りにはわかりにくいのですが、不敵な笑みを浮かべていました。
***
「あーー面白くないっ!!」
それからというものの、リッカの元には、以前となんら変わりのない平凡な日常が戻ってきました。家事の何もできない継母や義姉たちの世話に明け暮れ、ぞんざいな扱いを受けて、溜まった鬱憤は動物たちとのお喋りや、歌で晴らす。けれどもお城で過ごしたあの時間を思い出すと、不思議と辛い扱いを受けても、頑張れそうな気がしていたのでした。
ニコニコと鼻歌を歌いながら庭に洗濯物を干すリッカの姿を、屋根の上からこっそりと見つめる、人影が一人分・・。
「面白くなーい!」
「うるせーよツバサ!!」
「隠れて覗き見するくらいなら、リッカの前に出て行けばいいのに」
「いっってぇぇ」
あの日と同じ水色のフードを被った頭を左右から小鳥の兄弟にチュンチュンと突かれて、文字通り突き刺さるような痛みに、思わず頭を抱えてうずくまります。
「何がそんなに面白くないんだよ。リッカもあんたのお陰で楽しそうだったんだからいいじゃん」
「だからだよ!!」
二羽の小鳥を手のひらに乗せて、ツバサは重苦しいため息をひとつ吐き出しました。
「リッカのこと!可愛くしてあげたのは俺!俺が魔法をかけてあげたの!それなのに他の男のせいであんなに楽しそうなのは面白くない!!」
「おまえ・・」
「ツバサ、それって」
「全部言うな!俺もわかってる!」
状況を察したらしい聡い小鳥達の様子に、ツバサは真っ白な頬を赤く染めて、唇をツンと尖らせます。
「・・わかっちゃいるけど、どうしようもできないんだよ・・」
「そいつは重症だな、」
俺は魔法使いで、あっちは人間。生きている世界も、時間も、あまりにも違いすぎる。
軽薄そうな面しか知らなかったツバサの別の一面を見せつけられて、イッセーもイッチーも、お互いに顔を見合わせたのですが、かけてあげる言葉が見つかりませんでした。
王子様が「ガラスの靴の歌姫」を探しているという噂は、城から遠く離れた片田舎のリッカの街にも届いておりました。街中にはお触れが立てられ、有益な情報を提供したものには褒美が出るとも記されておりました。当然、あの場にいたリッカの継母や義理のお姉さんたちには、あの歌を歌ったのがリッカだと既にバレていたのですが、召使いのリッカに居なくなられては困ると考えた意地悪な継母の入れ知恵で、リッカが件の「ガラスの靴の歌姫」だと言う事は内密にされておりました。
それはリッカにとっても好都合でした。万が一「歌姫」が「男」だとバレてしまったら。王子様を騙していた罰は重罪でしょう、死すらも免れないかもしれません。熱りが冷めるまでひっそりと、身を潜めて暮らそうと思っていたところでした。
ですが、そんなリッカの思惑も、突然何の前触れもなく街に現れた王子様の遣いの一団の登場で、呆気なく崩れ落ちました。
「私たちはこのガラスの靴がぴったりはまる娘を探している」
「年頃の娘は全員ここへ連れてこい!殿下のご命令だ!」
どうやら王子様は、国中の娘たちをしらみつぶしに探しているようでした。街の娘達はそのお触れを見て、こぞって広場へ集合し、ガラスの靴を履こうと試みたのですが、ガラスの靴は娘達が履くにはあまりにも大きすぎて、かかとが余ってしまいます。
リッカの継母もまた、二人の娘を従者たちに差し出して、ガラスの靴を履かせようとしました。
「おおっ、これは・・」
「いい線いってるんじゃないか」
リッカの二人の義姉たちは、体格も良ければ足も大きかったので、上手く履けるかと思ったのですが、足幅が広いせいで途中でつっかえてしまい、二人とも呆気なく断られてしまいました。
「こんなデカイ靴、履ける女なんていないわよ!」
「そうよそうよ!!」
そう、捨て台詞を吐いて立ち去ろうとする義姉達を、苦笑を浮かべて眺めていたリッカでしたが、ふと、王子の一団の端の方で凛と佇む精悍な男と目が合ってしまい、条件反射で不自然にもばっと顔を逸らしてしまいました。
ーーあの男、舞踏会で王子様の隣にいた側近の男だ。
「そこの、」
リッカは思わず人影に隠れようとしたのですが、一団からは少し離れたところで状況を見守っていた男の声に、広場に集まっていた人々の視線は、一斉にリッカへと集中します。
「そこの、桃色の髪の、」
「は・・・はあ、」
「あなたも履いてみてください、」
「あの、俺は見ての通り男なので・・条件には満たされていないと思うのですが・・」
「それはこの靴が決める事です、さぁ、履いてください」
男は穏やかな目をしていましたが、腕を掴まれ、有無を言わさない口調でそんな事を言われてしまったら、素直に従うしかありません。リッカが差し出されたガラスの靴にそっと足を通すと、靴は、まるで探していた持ち主を見つけたかのように、驚くほどすっと足に馴染みました。
「やっぱり、男だったか・・」
目を丸くする男を前に、リッカはげんなりと項垂れました。
「騙していたわけではないのです。王子様にも、直接謝らせてください」
「いずれにせよ、殿下はあなたとの謁見を所望されております。取り敢えずお城へ、」
リッカは、「ダイ」と名乗る王子様の側近の男に伴われて、馬車に乗せられてお城へと連れていかれてしまいました。
そして、広場の木の陰に止まっている二羽の小鳥ーーそれまでひっそりと状況を見守っていたイッセーとイッチーは、リッカが馬車に乗せられるのを見て、慌ててその場から飛び立っていきました。
「まずいことになったぞ」
「不本意だが・・あいつに知らせないと」
***
「面をあげよ。」
馬車に揺られてお城へと連れてこられたリッカは、すぐに王の間へと通されました。
傍らには件のガラスの靴が豪奢な箱に入れられて置かれていて、今もなお魔法は解ける事なくキラキラと美しい輝きを放っておりました。床に敷かれた長い絨毯は光沢のある艶やかな赤色をしていて、そこに膝を折って座っていると、ちっとも膝が痛くない事に驚きます。上質な生地だなぁと感心していると、目の前の御簾がゆらゆらと開いて、その向こう側から聞き覚えのある低い声が聞こえてきてぴくりと反応しました。
それまでじっと絨毯の赤を見つめていた瞳をゆっくりとあげると、そこには先日会ったままの王子様が、相変わらずの無愛想な面構えで玉座に座っておりました。
王子様はリッカの姿を上から下まで眺めると、「ほう」と感嘆の息をもらしました。
「・・まあ、こうやって見ると、男だな」
「その節は・・とんだご無礼を・・」
王子様の抑揚の無い反応にさーーっと顔を青ざめさせたリッカは、再び深々と頭を下げて謝罪の言葉を並べたのですが、王子様はそんなリッカに逆に慌てた様子で頭を上げさせました。
「よいよい、俺は別に怒ってはいない。」
「えっ・・でもお妃探しの舞踏会に、男が紛れていてお怒りなのでは・・?」
「それは城下で流れている勝手な噂だ。妃など探していない。」
王子様がジロリと、隣に控えていた「ダイ」を睨み付けるとダイはその強面に苦笑を浮かべて、そっと顔を逸らします。
「今日は改めて、お前に頼みたい事がーー・・」
『ちょーーーっっっと待ったああああ!!!!』
ゴンッという痛々しい効果音と共に部屋に飛び込んできた水色の人影は、身軽そうにホウキから飛び降りると、リッカを庇うようにその前へと躍り出ました。その只ならぬ様子に、ダイが、かちゃりと剣に手をかけます。
「曲者」
「ダイ、待て・・」
剣を抜こうとしていたダイを制して、王子様はその不審者を一瞥しました。
身に纏うのは水色のローブ、大きなフードからは輝かしい程の金髪が覗いて、形のいいおでこはどこかにぶつけたのでしょうか?赤く腫れ上がっていました。大きなホウキも、手にしている金色のスティックも、どこからどう見ても不審者、なのですが。
「つ、ツバサ?!」
「おいそこのボンクラ王子、リッカは絶対に!お前のお妃になんかさせないからな!!」
「ツバサ、ちょっと、」
「リッカも、考え直して、嫁になんか行かないで!」
「ま、まって!ほんとにちょっと落ち着いて!」
・・どうやら知り合いらしい、リッカと不審な男とのやり取りに、王子様もダイも、揃って首を傾げます。今にもこちら側に飛びかかって来ようとする水色のフードの男は、リッカに羽交い締めで制されてもなお、その血気盛んな爛々と輝く瞳で、ぎりぎりと王子様の事を睨みつけていました。
2人の様子を不思議そうに眺めていた王子様は、口元に小さく笑みを浮かべて、おもむろに玉座からすくと立ち上がると、羽交い締めにされてきゃんきゃんと吠えるツバサの前に歩み出ました。そうして、手にしていた扇子でその赤くなった額をペシリとひと叩き。
「やかましい。そこの者が困っているだろう。」
「いっ、・・・てぇえ・・」
これには、リッカも、王子様のすぐ後ろで剣を構えているダイも、目を丸くして驚きました。
「ボンクラ王子、とは。随分と口の達者な魔法使いだな。俺はこいつを娶るつもりは毛頭無いぞ」
「・・ふざけんな!!・・・・は?」
「リッカ、と申したか。青年。俺はお前を、宮廷専属の歌い手として召し抱えたい。」
「・・え?」
「男だと言うのはとっくに承知の上だ。そんなデカイ靴を履く女子はいないからな」
靴を一瞥して笑う王子様は、今までにないほどの無邪気で楽しそうな表情をしておりました。
「どうだ?俺の作った曲を、もっと大勢の民の前で歌いたいとは思わないか?」
「王子様・・」
それはリッカにとっても、とても魅力的なお誘いでした。
けれども・・ずっと隣にいた魔法使いに視線をやると、彼は星色の瞳に好戦的な色を含ませて、リッカに笑いかけます。
「リッカ、俺と一緒に行こう。お城の中で歌を歌うだけの暮らしなんて君には勿体ないよ。一緒に、世界中の綺麗なもの、楽しい事を探しに行こう!」
「ツバサ・・」
長い時間をかけて色々なものを見てきたであろうツバサの言葉もまた、リッカの心に真摯に響いていたのです。ーーそうだ、俺はもともと、世界を見てみたくてあの舞踏会へ行ったのだった。
王子様と魔法使い、2人の手が、リッカの前にすっと差し出されていました。
「お、・・俺は・・」
→魔法使いの恋人エンド[jump:3]
→王子様の歌姫エンド[jump:4]
(※どちらの分岐を選んでも最終的にはつばりつに収まります)
[newpage]
〜魔法使いの恋人エンド〜
「俺は・・ツバサ、君と一緒に世界を見てみたい」
「・・え?」
「君の魔法は本当に素敵だった。もちろん、この広い世界は綺麗なものや楽しい事ばかりじゃないと思う。だから俺みたいに辛かったり悲しい思いをしてる人を、1人でも多く笑顔にしてあげたい」
差し出された魔法使いの白いグローブに包まれた手をぎゅうっと握って、リッカは、それはそれは美しい微笑みを浮かべました。
「・・ツバサと一緒に」
「リッカ、」
リッカはその笑顔のまま、ゆでダコみたいに顔を赤く染めたツバサの手を取って、王子様とダイの方へ向き直ります。
「本当に勿体ないお誘いをありがとうございます。でも俺は、もうこんなガラスの靴が無くても、何処へだって飛んでいけるから」
ーーだって俺は、「ツバサ」を手に入れたのだから。
リッカがふふと笑みを浮かべると、そこでようやく靴の魔法が解けたのでしょう、キラキラとした光の飛沫を残して、ガラスの靴は元の薄汚れたフラットシューズへと戻っていきました。
「・・リッカ、もう行こう」
「うん!・・あ、王子様、最後にもう一つ、」
「・・なんだ?」
リッカの笑顔につられたのでしょうか、王子様もその仏頂面に笑顔を乗せて、今まさに部屋から出ようとするリッカの言葉にぱっと目をやりました。
「あの夜あなたが言っていた、『何でも一つ、望みを叶える』って。まだ有効かな。」
「構わない、言ってみろ」
「・・俺の望みは一つ。王子様がこれからもずっと、素敵な曲を作ってくれますように」
扉が閉まる最後の瞬間、王子様の素敵な笑顔と、ダイの呆れたように笑った顔が、リッカの瞳に写っていました。
「・・振られちゃいましたね」
「あれほどの声を持つものは、中々いないからなぁ・・」
「声だけですか?あんたが欲しかったのは。」
「・・何が言いたい。」
「いや、別に。」
ーー
ツバサに手を引かれるがままにお城を飛び出したリッカは、長い長い道を自分の足で駆けながら、自然と、自分の中から笑いが込み上げてくるのを自覚していました。魔法のガラスの靴が無くても不思議と足は羽のように軽やかで、ツバサと一緒なら、どこまででも駆けていけそうでした。
「どうしよう、飛び出してきちゃった!」
「後悔してる?」
「ううん!家の事とか、王子様の事とか、色々気掛かりはあるけど、でも今、心が凄く軽い!」
「そいつは良かった!ねえリッカ、君はどこへ行きたい?何がしたい?」
「そうだなぁ・・」
ツバサの問いかけに、リッカは改めて考えます。
俺はずっと、何がしたかった?繰り返しの日々で、毎日が退屈で、俺はいつも何をしていた?
そうして考えていると、ふと、あの魔法使いと出会った夜の事を思い出したのです。
「ーーおれは、世界中の空が見たい。月が綺麗な夜空も、澄み渡った青空も、泣き出しそうな雨空も。」
「空?」
「そう。ツバサと一緒にね。」
「いいね、楽しそうだ。」
ニヤリと、魔法使いはそう言って意味ありげな笑みを浮かべると、ふっと足を止めて、リッカの両手を取りました。え?と驚く暇もなく、次の瞬間には、足元が地上から離れる浮遊感。
空を飛んでる、と気付いたのは、リッカの視界が、空の水色と、雲の白に包まれたからでした。
「え?え?ええぇ??」
「どう?リッカ、すごいっしょ?」
「ええ?ツバサ、ホウキが無くても空を飛べるの?」
「俺をだれだと思ってんの?魔法使いのツバサくんだよ?」
ごく自然な動作でばちんとウィンクすると、キラキラとした光の粒子が、ツバサのまあるい猫のような瞳からこぼれ落ちました。
「何処へだって行けるよ、リッカ。俺と一緒なら、君を一生飽きさせないからね」
ーーこうして、リッカと魔法使いのツバサの長い長い旅が始まりました。
どこへ行くか、何をするかは2人にしかわかりません。けれども今までに見たことがないくらいに楽しそうなリッカの表情を見ていると、きっと素敵な旅になるんだろうなって事は、俺たちにはわかるのです。
「めでたしめでたし、だな」
「うん。リッカ、お幸せに。」
2人の旅立ちは小鳥の兄弟だけがひっそりと見守っておりました。
Happy end
[newpage]
〜王子様の歌姫エンド〜
「俺は、・・もっと歌が歌いたいです。」
「リッカ・・」
「俺は正直言って今まで夢なんて無くて、ただ日々が安定して続いていけばいいと思ってました」
けれど、と、俯いた先には未だにキラキラと輝き続けるガラスの靴がありました。
この靴が、夢を見せてくれた。リッカの一番好きな、やりたい事を教えてくれたのです。
リッカは王子様の足元に膝をつき、そっと目を伏せます。
「あなたの作った曲が俺を動かしてくれたみたいに、俺の歌で誰かの心を動かしてみたい」
「歌で、心を動かす・・か。」
「そう、俺なんかじゃ、力不足、かもしれないけど」
「そんな事は無い、お前の歌は、その価値がある。」
「・・そうかな?」
王子様の静かな言葉は、優しく、力強く、リッカの背中を押してくれました。
それからもう1人・・
「ーー俺に夢を見せてくれたのは、君だよ、」
「・・え?」
あの月が綺麗な夜に出会った、金色の魔法使い。
彼に出会って、リッカの運命が大きく動いたのです。
きょろりとした金色の猫目が、リッカを見つめて驚きでまあるく見開いていました。
「君は、夢は所詮夢だって言ったけど、ツバサが俺にかけてくれた魔法は永遠に解けない。夢はずっと、見続ける事が出来るんだ」
穏やかなリッカの言葉に、けれど魔法使いはふるふると首を振って、そっとリッカの頬に触れます。
「それは違うよ、リッカ。魔法にも限界がある。君が夢を見続ける事が出来るとするならば、それは君自身が持っている輝きに他ならないんだよ」
「俺の・・輝き・・?」
「そうだよ。いくら美しいドレスや靴で着飾っても、君の心まで飾る事は俺には出来ないからね」
魔法使いは優しい笑みを浮かべてそう告げると、「靴を貸して」とリッカの足元の箱に目を落としました。リッカが言われるがままに片足だけのガラスの靴を差し出すと、魔法使いは金色のステッキを一振り。すると、あたりはキラキラと光の粒子に包み込まれます。
魔法の呪文はビビデバビデブー、
光の中から現れたのは、煌びやかな男性用のフォーマルな衣装を着たリッカでした。上品な白の細身のスーツと、白と青を基調にしたフロックコート、それから胸元には鮮やかなピンク色のスカーフ。それはまるで、王子様に勝るとも劣らない華やかな美しさでした。
「すごい・・これは?」
「これは俺からの最後の魔法。・・リッカが素敵な歌手になれますように、ってね」
魔法使いがリッカの手を取って、その甲にそっと口付けると、リッカは大輪の花が開いたような、それはそれは美しい笑顔を浮かべました。
「・・ーーそれじゃあダイ、リッカに客用の部屋を用意できるか。」
「御意、」
「あ、はは・・使用人の部屋でも倉庫でもどこでもいいです・・」
そこでようやく、一部始終を眺めていた王子様と側近の男が口を開くと、リッカは促されるがままにツバサの前を後にしようと振り返りました。が、
「っ・・?」
くいと手を引かれてツバサが体勢を崩すと、唇が触れるだけの、一瞬のキス。
「・・ありがとうツバサ。いつかまた逢う日まで、」
ツバサが言葉も発せずに呆気にとられていると、そっとリッカの身体が離れて行って、後には薔薇の香りとリッカの微笑みだけが残されました。
部屋の扉が、静かに閉じられます。
「ほーお。」
「・・見た?」
「しっかりとな。久しぶりに現れたと思えば・・まさかお前が人間の男に熱を上げているとはな」
「・・・王子様も人が悪い」
玉座へと戻った王子様が、珍しく面白そうに声を上げて笑っていると、魔法使いは不機嫌な様子を押し隠しもせずにずかずかと傍へとやってきて、その細い顎をグローブの手でくいと持ち上げます。
「ねえシキ、リッカは俺のお気に入りなんだから、絶対絶対手なんか出さないでよ」
「・・自分が選ばれなかったから、随分とご機嫌ななめだな」
「シキ、」
ピシリと、2人しかいないその空間の空気が凍った音がしました。
魔法使いはそっとグローブを外すと、王子様の首筋にその尖った爪先を這わせて、そして、
「もしリッカに何かあったら。アンタもアンタの国も、どうなっても知らないよ?」
するりと王子様の艶やかな頬を撫で上げ、低い声でそう告げたのでした。
「心配するな。悪いようにはしない。」
ーーー・・
こうしてリッカは、王室直属の歌い手として、王子様の寵愛を受けて大成して行きました。
数年後、王立劇場の客席を埋め尽くすリッカの単独コンサートの客席の隅の方に、両手に薔薇の花束を抱えた金色の魔法使いの姿があったとかなかったとか。
ーーどうやら、2人が再会するのは、そう遠くない未来のお話のようです。
めでたしめでたし。

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