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〇二.光燈花(めいめい/相思相愛/閃く)
朝からずっと雨が降っていた。夏に向かう暖かな季節の中で、ジメジメとしたこの空気。昨日から降り続けている雨は、日付けが変わっても止む様子はない。めいめいの空を見上げて、俺の頭には『梅雨』という言葉が頭に浮かんでいた。今日はお出掛けするはずだったのになぁと窓辺に立ってシュンとしてしまった俺が振り返ると、歩さんがコーヒーを飲んで笑っていた。昔は、梅雨の時期になるとよく「頭痛がする」と言って寝込んでいたこの人であるが、最近はそういうのも無いらしい。春先から通っているというジムも安定してきたみたいで、今は来月に控えている舞台の稽古に励んでいるとの事だった。俺の方も、ユニットが軌道に乗ってきた頃で、ちょうど最近発売されたニューシングルのプロモーションでテレビに出ずっぱりだったから、今日は久しぶりにお休みが重なって、喜んでいたというのに。
「はーぁー」
「そうわかりやすく凹むなって」
「だって……、お出掛け……」
「雨も悪い事ばかりでは無い」
すっかり尻尾が垂れ下がってしまった俺が、よっぽど可笑しかったのだろう、クスクスとこぼれ落ちた笑みは歩さんのマグカップのコーヒーの水面を揺らしていた。
「雨だって、出掛ける事は出来るだろう?」
「えっ⁈」
「最近新しい傘を買ったんだ。お前にも見せたい」
歩さんが綺麗に微笑む。俺は多分、分かりやすく喜んでいた。
「良いんですか‼︎」
雨は、止む事は無い。
最初は適当に散歩をする予定だったのだけれど、歩さんが「和菓子も買いに行こう」って言い出したから駅の近くまで歩いてみる事にした。その言葉に俺も、パッと閃く。
「駅前の和菓子屋さん、今日お団子の日‼︎」
今日は8の付く日。毎月八日、十八日、二十八日はお団子の日で団子が安い。
俺もたまに寄り道をして、歩さんに買って行くことがある。
「……目的が出来たな」
家を出る前にスニーカーには防水スプレーをかけて来た。
二つ並んだ、ビニール傘と水色の傘。歩さんの新しい傘は良く晴れた空のような明るい水色で、最近見つけてつい衝動買いしてしまったらしい。珍しい、って思って歩さんを見つめている俺の視線に気付いたのか、歩さんも照れ臭そうに笑っていた。
「相合傘をするには小さいな」
「は……?え……?相合傘?」
そんな事を言い出す人だったのかと俺が目を丸くしていると、歩さんはコテンと首を傾げる。
「おかしな事言ったか?」
「ううん!そんな事ないです‼︎」
おかしくは、無いのだけれど。相合傘、そんな事を言って傘を傾ける歩さんが可愛くて、見惚れてしまっていたのは、こっちだ。最近、歩さんが可愛い。そんなものは一緒にいた五年間でとっくに気付いていたはずなんだけど、最近の歩さんは特に可愛いのだ。笑顔でいる事が増えたからかもしれない。そうして俺は、膨らみ続けるこの人への「好き」って気持ちを、ずっと持て余していた。
相思相愛の関係ではあると思う、思う、けど、それ以上をこの人が望んでいないのだとしたら。
どこまでも報われない想いだなぁなんて、思っていた。
雨はまだ止まない。
一〇五.渉砂(奇跡/21グラム/かまって)
人は死んだ時に二十一グラムだけ軽くなるという。それは、魂の重さだと言われていて、じゃあ、この焦がれるほどの思いも、その二十一グラムの中に含まれているのだろうかと、ベッドで眠る、愛しい人の寝顔を見つめている。そんな映画を大昔に見たなぁと思い出しては、急にロマンチックな気分に浸ってしまうのは事後の気怠い空気だからだ。直助はよっぽど疲れていたのだろう、行為が終わってしまえばそのままうとうとと寝入ってしまったから、一人残された俺はシャワーでも浴びて来ようかとベッドを抜け出そうとしていたところであった。
けれども、
もぞ、と身体を動かした俺は、直助の腕に拘束されてしまう。
「歩さぁん……」
起きていた?というか、起こしてしまったかなと、俺は俺を抱きしめる熱を覗き込むと、無邪気なチョコレート色の瞳が俺を写してうっとりと細められる。
「起こしたか?」
「いや、起きてました。シャワー行っちゃうの?もうちょっとかまって」
「かまって、って……」
さっきまで、いやってほど俺を求めて来たのは誰だ?こっちはもう充分だと思っていたのに、俺を抱きしめる腕は力を緩めてくれる事は無くて、素肌に柔らかな頬が触れる感触が気持ち良くて、絆されそうになっているのは俺の方だ。
「仕方ない……少しだけだからな?」
「ふふ、はぁい」
もう何度目なのか、数えることも放棄してしまった口付けを交わして、熱いくらいの舌を絡める。夏に近いこの季節で、体温の高いこの子供に抱かれているとこちらまで熱に浮かされた気分になってしまうからいけない。心臓が痛くって、好きという気持ちが先走りそうになっていた。
もう、俺がそれを口にする資格なんてどこにもないのだけれど。
出逢った頃は、まだほんの子供だった。付き合っていた頃なんてそれこそ十九歳の大学生、未成年で、バレたら不味いのは俺の方なんじゃないかって、幼い腕に抱かれながら頭を抱えたものだ。
最初は、猫を真ん中に挟んだ関係だった。バズがいてロックがいて、猫と子供と遊ぶ時間は楽しくて、心が穏やかで。俺は気を負いすぎる性格でどうしても他人と距離を置いてしまいがちだったんだけれど、直助はそんな人見知りな俺の内面にもスルスルと入り込んできて、自分の存在を植え付けて行く。そんなだから、一緒に過ごして行くうちに、少しずつ、想いが募っていった。気付いたら、好きになってしまっていて、こんな想いはダメだって、この子供に背負わせるわけにはいかないって、思って、俺は我慢していたのに、自分を制御していたのに。
「好きです」と、俺の一番求めていた言葉を吐き出す、その子供が、好きで、仕方なくて、ダメだって分かっていたのに、あっさり手を出してしまった。
それは、俺の中で、子供が子供では無くなった瞬間であった。
笑うと太陽みたいに眩しいと思っていて、腕の中はお日様みたいな匂いがしていた。
奇跡みたいに愛おしい時間だった。好きな人に抱きしめられて、愛されて、一緒の布団で眠る。お日様の温もりに抱かれて、これ以上の幸せは無いんじゃないかって、俺は静かに幸せを甘受していた。
そこからはもう、ずっと好きだったのだ。
好きで好きで堪らなかった。
〇三.紅雅(血潮/あなただけ/厚化粧)
やってしまった、と、俺は熱に浮かされた布団の中で、一人で猛省を繰り広げていた。
思い返せば朝から体調は思わしく無かったのだ。でも今日は昼過ぎまで、雑誌の撮影が一本入っているだけで、それだけならなんとか、……というかユニット全員での撮影だったから、俺のせいで穴を開けるわけにはいかないと、部屋にあった風邪薬を飲んで少々無理をしたのだ。ちょっと青白かった顔色はメイクさんに頼んでファンデーションを重ねて厚化粧してもらって、なんとかこれならいけると思っていた。仕事は集中していたから問題無くこなせたんだけど、終わった瞬間に気が抜けたのか、俺は着替え用の控え室で崩れ落ちた。霞んだ視界の中でメンバーとマネージャーが駆け寄って来るのが見えて、「ナオさん!」「すごい熱!」なんて言葉が遠くの方に聞こえていた。
「……すみません、ご迷惑をお掛けしてしまって」
『仕事を詰め込みましたかね。明日はお休みを頂いたので、今日はゆっくり休んでくださいね』
「ありがとうございます」
スマホを切って、タクシーのシートへと背中を預ける。結局、他の仕事が残っているメンバー達とはそこで別れて、俺は病院に寄って、睡眠不足と過労との診断を貰って、タクシーで帰宅する事となった。栄養剤の入った点滴を受けたら少しは楽になったけれど、若い頃は多少無茶しても元気で乗りきってたのになぁと、さっき点滴を打たれた左腕をタクシーの車窓に翳す。
流れる血潮に光を受けて、頭にはあの人の顔が浮かんでいた。
俺の足は寮ではなくて歩さんのマンションへと向かっていた。メンバーに心配をかけたく無いと言えばそれまでだったんだけれど、歩さんの家には、おおよそ一人暮らしの男性にしてはあまりあるくらいの看病グッズが置かれている。市販薬に体温計、冷えピタ、氷枕、経口補水液。殆どがあそこで暮らし始めた頃に俺が買い揃えたものだったんだけれど、最近調子良さそうな歩さんに使われる事は無いまま、救急箱の中にしまわれていたのだ。良い傾向だと思っていた。
それをまさか自分で使うことになるとは思いもしなかったけれど。
……まぁ、そんなものは言い訳で。ただ単に、あの人に会いたかっただけだ。
いつもは二人で寝ている広いベッドの中で、歩さんの事ばかりを考えてしまうのは、それくらい、心が弱っていたからだと思う。さっきまた熱が上がってきたみたいで、熱い頭は殆ど働いていなかった。こんな状況でここに来てもあの人を困らせるばかりだと分かっていたけれど、どうして足が向いてしまったのだろうか。高熱に魘されていた俺はベッドの中で少しだけ泣いた。
気付いたら少し眠ってしまっていたらしい、未だにズキズキと痛む頭に、玄関のドアが開いて閉まる音が聞こえて、俺はうつらうつらと目を覚ました。
「直助、来てたのか?……直助⁈」
歩さんが部屋に入ってくるなり、電気を付けて、この惨状に気付いて真っ青な顔をして駆け寄ってくるのを視界の端っこに捉えていた。カバンをその辺に置きっ放しにして、氷枕と冷えピタを付けてうんうん唸っている俺を見つけたら、そりゃあ、そんな反応にもなるのだろうけれど。
「どうしたんだ?熱か⁈」
「ごめんなさい、どうしても会いたくなっちゃって」
「直助……」
「ごめんなさい……」
極限の状況の中で、俺が会いたかったのは、あなただけだった。
歩さんの冷たい手のひらが熱を持った額にそっと触れる。俺が一番聞きたかった声で俺の名前を呼んで、それから手のひらが気持ち良くて、またじんわりと涙が滲んでくる。
「……俺は、お前が俺を頼ってくれて嬉しいぞ」
「歩さん……」
「何か食べれそうだったらお粥でも作ろうか?」
歩さんはそう言ってくれたけれど、正直、食欲はそんなに無かった。
俺はふるふると首を振って、額を撫でる、優しい感触に頬を擦りつける。
「いらないです、歩さんがいてくれれば、それで良い」
一一八.朱夏(36度5分/釘付け/柔く荒く)
直助が、熱を出した。普段から元気いっぱいで体調不良とは無縁そうなこの男であるから余計に、体調を崩しているところを見るのは心が痛かったのだけれど、寮にも帰らないで俺を頼ってくれたのを素直に嬉しいと思ってしまうのは、多分惚れた弱味というやつなのだろう。薬を飲ませて、部屋着に着替えさせて、広いベッドの中でうとうとと微睡む姿は子供だったあの頃に戻ったようで、ぎゅっと握られた手のひらはどうしても離してくれそうに無い。俺の方から手放すのもしのびないと思いながら、握った手にぎゅっと力を込めた。手のひらだって、こんなに熱い。
「歩さぁん……」
熱で寝苦しいのだろう、多分眠っているとは思うんだけど、うなされたように俺の名前を呼ぶものだから、繋いだ手を離し難くて、空いた手の方で汗の滲む額を撫で付ける。
「少し待てるか?」
「う……ん……」
自慢にも何にもならないけれど、こういった時の病人の看病には些か慣れていた。幼い頃から病気がちで、小さな頃は母親を困らせていたし、成長して芸能界に入ってからも度々寝込んでいた。ROCK DOWNのメンバーに世話を掛けた事も数度ではない。高熱は、身体が病気と戦ってくれている証拠で、だから無理に下げるようなものでは無いのだけれど、そのしんどさもよく知っていた。だから上手く薬を併用して、あとはその人の免疫力を信じるしか無い。
けど。直助の手を離して、足は風呂場へと向かっていた。そこで洗面器に熱めの湯を張って、スポーツタオルと小さなハンドタオルを浸す。きゅっと絞って、温かな濡れタオルを持って寝室へと戻る。こういう時は、汗をよくかくから、清拭が心地良いのだ。さっき着替えさせた部屋着のパーカーの前を開けて、しっとりと汗の滲む素肌を大きい方のタオルで拭う。いつも平然と俺を抱く、男の胸がそこにあって、釘付けになる。相手は病人なのだ、こんな事考えてはいけないと言い聞かせて、言い聞かせなきゃならない程、下心を抱いてしまっていた。
「歩さん、」
さっきまでうなされていた直助の瞳がぱちりと開いて、暗がり、その真ん中に俺を写していた。
「……大丈夫か?不快じゃなければ全身拭かせてもらうが」
「……全然。気持ちいいです、ありがとうございます」
もう一枚のタオルで額も拭ってやると、直助は潤んだ瞳で俺を見上げて、請うように俺の腕を引く。
「歩さん」
「なんだ?」
「……キスしてほしいです」
泣き出しそうな瞳が、俺を見つめてぐらぐらと揺らいでいた。
キスして、なんて、こいつがそんな直接的な事を言ってきたのは初めてで、熱があるのに馬鹿な事を、と思う一方で、熱があるから仕方ない、とも思ってしまう俺もいる。甘えるような素振りで手のひらにちゅうっと口付ける唇も熱くて、俺まで熱に浮かされてしまいそうだった。
「歩さん」
「……キスだけだぞ?」
伏せた瞳に、「睫毛、長い」なんて思いながら、そっとキスを落とす。……と、触れ合った唇が捕まって、その熱いくらいの体温に、身体をぎゅうっと拘束されてしまう。柔く荒く、口付けを繰り返す唇は熱くて、「離せ」って言っても、俺を抱きしめる腕は緩むことは無い。
「直助!」
熱があるから、体調が優れないのだから、そう、邪険にも出来なくて。なんとか拘束を解こうと身を捩る俺であったが、離してくれる様子はない。どうしたものか、と、完全にやりたい放題の子犬の頭をよしよしと撫でつけていると、落ち着いたのか、はたまた気を失ってしまったのか、「スゥ」っと息を吸って、直助はベッドに倒れ込んでしまう。俺を抱きしめたまま。
「おい、直助」
「すぅ…………」
「あー……」
汗ばんだ髪の毛を、撫でつける。薬も効いてきたのだろう、さっきよりも若干呼吸も楽になったようで、すやすや眠る、その寝顔を覗き込む。腕の拘束は解いてくれそうに無かったけれど、まぁ明日は休みだし、シャワーも明日浴びれば良い。ここで眠っても構わないと、そう、割り切って、直助の腕に身を委ねる事にした。
熱があったのだ、だから。俺が眠りに落ちる瞬間に聞こえた「歩さん、大好き」って言葉だって、俺に都合の良い空耳なのだと思う事にした。
ピピピピッと、体温計の電子音が鳴り響く。
一夜明けて、どうやら俺までそのまま眠ってしまったらしい。目を覚ましても直助の腕の中にいて、けれどもその表情は眠る前までの苦しそうなそれではなく、幾らかスッキリした様子で。だから枕元に置いてあった体温計を挟んでやると、俺を抱いていた男の目がぱちりと開いた。
「……あ、歩さん?」
「三十六度五分だ」
表示を見ると、案の定平熱も平熱で、俺までホッと胸を撫で下ろす。
「わーい!完全復活!です‼︎」
顔色も良いみたいで、良かった、と、思うのだけれど。
手放しで、そう喜ぶ男の顔をまじまじと見つめて、思う。
「歩さん?」
昨日の一連の直助は、俺を好きだって言った直助は、夢だったんじゃないかって。
一一九.向日葵(嫉妬/背中合わせ/言えない)
ナオは俺の親友だ、離れてしまってもずっと。
ナオとは芸能界デビューする前に出会った、それからVAZZYで活動した五年の間、ずっと背中合わせで駆け抜けてきた、かけがえの無い存在だった。だからVAZZROCKプロジェクトが解散するという話が出た時に、真っ先に俺の行く道を相談したのはナオだったし、芸能界を引退して勉強したい事があると打ち明けた俺の事を一番に応援してくれたのもナオだった。
俺は大学卒業後は院に進み、かねてからの目標であった司法試験合格を目指している。仕事を辞めて、勉強尽くめの毎日となっていたけれど、前よりも時間を有効に使う事が出来ていたし、勉強は好きだったので特に苦痛では無かった。ただ、テレビを付けると向こう側にいる、かつての仲間たちの活躍を見て、胸の奥の方が苦しくなる自分もいて。勿論嫉妬や羨望なんかじゃ無い、もっと懐かしい、帰れない故郷ような感覚が俺の中にあって、少しだけ寂しい思いもしていた。
俺の方は、作ろうと思えばいくらでも時間はあったのだけれど、ナオの多忙さは知っていたから、俺から声を掛ける事は憚られていた。ナオはプロジェクトの解散と共にこの春から新しいアイドルグループのリーダーを勤めていた。多分、テレビで一番顔を見るのがナオで、深夜帯だけど冠番組もあって、お昼の情報番組にも出てて、雑誌の表紙も飾るし、秋にはファーストライブも控えているのだという。忙しそうだったけれど、それも、親友として誇らしい気持ちだった。
「優馬〜!」
「ナオ‼︎」
だからこうやって、待ち合わせて飲みに行くなんて、VAZZYが解散してからは初めての事だった。ナオの多忙さは承知の上で、俺の方から声を掛けたのだ。今日の飲みは、事前に孝明さんから相談を受けていた、「最近直助の顔見てなくってさぁ〜」って。「優馬は、直助と会ったりしないの?」って。言い方は、ほんと、軽い調子だったけど。
春先に寮を出てから二、三ヶ月ほどしか経っていなかったけれど、それまではずっと二人でいたから、久しぶりって思いが強い。だから「久しぶり」って言った俺に、ナオは大分大人びた印象の笑顔で「久しぶり〜」って返してくれた。
「ん?なんかついてる?」
たった二ヶ月ほど、空いただけなのに。しかも俺は、テレビなり雑誌なりで、その活躍を頻繁に目にしている。それなのに。ナオがすっかり大人びてしまった事に、こんなにも、驚いている。
「ううん」と首を振って、俺はジョッキのビールを飲みながら、その面立ちを覗き込む。
元々、ナオは子供っぽい性格の裏側で、周りの空気を読むのに長けていて、思慮深い性格なのは知っていたけど。それに落ち着きと、責任感と、大人の色気?みたいなものも加わって、男から見ても相当魅力的な男性になっていた。
「忙しいって聞いてたのに、呼び出しちゃってごめんね」
「ううん、優馬なら大歓迎!俺の方もごめんな?全然誘えなくて」
「テレビに雑誌に、引っ張りだこだもんねぇ」
「おかげさまで、な〜」
そう言ってハイボールを飲む親友の横顔を見つめて、急に懐かしくなってしまって、俺まで笑顔がこぼれ落ちた。出会った頃なんて、まだ子供だったから、こんな風に一緒にお酒を交わす日が来るなんて思いもしなかったのだ。大人になってしまった、今の今まで、そんな意識は微塵も無かったのだけれど、大人びたナオを前にしてようやく、俺はそう思う。
本当はこのまま、穏やかなままで、今回の再会を済ませたかった俺だったけれど、孝明さんから聞かされていた話も気になっていた。最近の、ナオについて。
「……倒れたって、聞いたけど。大丈夫?無理してない?」
「だ、誰から……?そんなに話出回ってんの?」
だから、腹を括って、口を開いた俺に、ナオは驚きで目を丸くしていた。
俺は務めて冷静に、言葉を続ける。
「……孝明さんから。心配してたよ?最近会えてないって」
「そっ……、かぁ、孝明さんか、うん、」
ジョッキを濡らしていたハイボールが、ゴクゴクと勢いよく飲み込まれて行く。
「最近、ほんと……、えっと、忙しくて……孝明さんにも会えて無いんだよな」
「ふぅん、」
「あぁでも!心配してたんなら俺からも声掛けておくよ!」
俺も、二杯目に届けてもらった梅酒のロックをちびちびと飲んで、そんな風に笑顔で振る舞おうとするナオをチラリと伺っていた。けど。これは、多分。五年間一緒にいた頃、学んだ事がある。ナオは俺に何か隠し事がある時に、こうやって挙動不審になる癖があって、他の人にはどうだか知らなかったけれど、俺はどんな些細な仕草でも、それを察知してしまうのだった。
俺に何か、隠してる?
俺にも、言えない事があるの?
今の俺にはそこまで踏み込む事は出来ない、だってもう、生きるステージがこんなにも違ってしまっている。向こうは老若男女に大人気の、今をときめくアイドルで、俺は、しがない学生で、だから、と言い訳を並べて、俺は自分に都合の悪い道を、選択肢を塞いでいた。
ナオに、何かを強く言った事は無かった。これまでの人生。
ナオは俺の道しるべであり、光だったから。
「……無理だけはしないでね?何かあったら、なんでも話聞くから」
そんな事しか言えない俺を、君はなんて思うのか怖かったんだけど。
ナオは何も言わずに、あのいつもの眩しい笑顔を浮かべて「あぁ!」って頷く。
「優馬もな!こんな風にまた一緒に飲もう!」
ナオは俺の中で、一番の親友で、一番の「アイドル」だった。VAZZYにいた五年間も、第二のステージで活躍している今もずっと。
だからその裏側で、ナオがどんなものを抱えていたのか、俺は分かろうともしなかったのだ。
一三二.凍夏(溶ける/猛暑日/フェロモン)
じっとりと、汗をかいていた。元々俺は汗をかきやすい体質ではなくて、今日は、そんな俺ですら汗ばむくらいの猛暑日だった。ニュースでは今年の夏は例年より暑いなんて言ってたけれど、そんなの毎年同じ事を言っている気がする。仕事を終えた帰り道のコンビニで買った抹茶アイスもどろりと溶ける、もう、日が沈んでいるというのに。それくらい、朝から暑い一日。
「あーゆむさんっ!」
「直助」
キッチンから、愛しい人の声が聞こえた。それから鼻先に香る、美味しそうな匂い。
「ラーメン?か?」
「暑いのでつけ麺にしてみました!お肉も野菜もたっぷりですよ!」
この春から始めた新生活は、休みの日だけ一緒に過ごす、週末婚みたいな形で、今も穏やかに続いていた。直助は相変わらずどこで覚えてくるのか美味しい手料理を振る舞ってくれていたけれど「無理だけはしないように」という俺の言いつけをちゃんと守っているらしく、あの日以来体調を崩す事は無かった。と、いうか、最近直助も忙しいのか、しばらく会えない日々が続いていたのだ。秋にはファーストライブが控えているというし、レッスンも大変なのだろう。だから今日は、久しぶりに会えて嬉しい。ご飯を食べて風呂に入ったら、買ってきたアイスを一緒に食べようと思っていた。
そんな、なんでもない一日の終わりである。
美味しいつけ麺を食べながら、直助はなんでもない調子で、なんでもない事を話すように、その話を切り出した。
「歩さん、俺ね」
「なんだ?」
かちゃ、と静かに箸を置く。
直助のお椀は綺麗に空になっていて、どうしたのだろうと首を傾げる。
「ごめんなさい、本気であなたの事、好きになっちゃいました」
「……え?」
「だから歩さんが俺のこと好きじゃ無かったら別れた方が良いのかなって、ずっと思ってて」
一瞬で舞い上がった心を、同じように一瞬で叩き落とされたような心地であった。
どうして、そういう話になるのかが俺も分からなくて、箸が止まった、俺は、言葉を紡げずにいる。
「わ、別れるって……、は?どうして?」
「俺だけが歩さんを好きでいるのだとしたら、あなたの重荷になってしまうんじゃないかなって」
そんな事は、と言いかけた唇が上手くうごかない。
そんな事、無いのに、俺は、俺だって、お前の事が好きで。けど俺の方こそ、直助の重荷にはなりたく無いってずっと思っている。三年前に付き合っていた時も、今だってずっと、そう。直助は大切な、光のような存在で、隣に居るだけで眩しくて、その優しさが、温かかった。
今は人気絶頂のアイドルで、だから。
本当は俺なんかと一緒に居てはダメなんじゃ無いかって何度も何度も思っていた。
だから、俺は一度、この男に別れを告げたのだ。
箸を置いて、コップの麦茶をごくごくと煽る。申し訳ないけれど、せっかく作ってくれたつけ麺を少しだけ残してしまった。俺は、驚いた表情を浮かべている直助の腕を、強引に引く。
「あ、歩さん?」
「……俺は」
手を引いて連れて来たのはベッドルームだ。広いベッドは、ここに移り住んだ際に一緒に選んで買ったもの。俺が寝ぼけて落っこちないようにって、直助が広いベッドが良いって言ってこれにしたのだ。実際、そんなに寝相は悪くないのに。だから、ベッドはいつだって余っていた。
お前が良いって言ったベッドなんだ、お前が。
「歩さん?……えっ?」
驚いた表情のままの直助をベッドの上へと押し倒して、俺はその上に馬乗りになる。
「お前だけじゃない、……俺だって、」
涙が、出るかと思ったけれど、俺が泣く事は無かった。戸惑っている直助の唇を塞いで、呼吸すらも飲み込み。息つく暇も無いくらいの激しいキスをも、止めようとしないのに、どうしてお前は。
「……ほんとは……別れたく無い」
それは、三年間ずっと飲み込んできた俺の本音だった。
「歩さん……、」
「別れたくない、俺だって、お前が好きだ」
筋肉の乗った、首筋。直助はじんわりと汗をかいていて、俺は目敏くもそこにも舌を這わせる。むわっと、あつい、可笑しくなりそうなくらい。首筋からは、男のフェロモンみたいな香りがした。

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