2分間だけの恋人 - 2/2

1.

俺の名前は千切豹馬、なんてことない、ごくフツーの男子大学生である。隣にいるイケメンは同じ大学で同じゼミの國神という男で、彼はこのタッパと男前な顔面を生かして、大学生活の傍ら、小さな劇団で俳優業を行っていた。そんな國神から変装用に手渡されたキャップとサングラスを外して、俺たちはとある劇場の座席へと腰を下ろす。前を見ても後ろを見ても、関係者席が続く左右の席だって女性客ばかりのその舞台に招待されたのは、この國神という男が原因であった。
「頼む、他に頼めるようなやついないんだよ」
彼の手には2枚のチケットが握られていた。どうやら、役者仲間から貰ったらしいその2枚のチケットは、女性向けソシャゲの2.5次元舞台のチケットらしく、役者仲間も脇役でその舞台に出ていて、彼は同行者を探しているのだと言う。
「……って言われてもな〜、女性向けの舞台なんだろ?女の子誘えばいーじゃん」
「そんな恐ろしい事は出来ない」
「あぁ〜……」
國神はこの顔だから、女の子にも、それこそ舎弟のような男たちにもよくモテて、いつも綺麗な女の子たちに囲まれていた。特定の彼女は作らないようだったけれど、成程、そんな危機迫った表情で言うのだから、國神の一声で女たちの争いになる事は目に見えた。
「かと言って、むさ苦しい野郎が2人で並んで観劇も目立つだろ?」
大方、俺はちょうど良い存在なのだ。そういう事なのだろう、幼い頃から中性的な容姿をしている自覚は合って、背が伸びきって大学生になった今でも、男からナンパされる事は少なくも無い。それこそ國神と連むようになってからはそんな頻度も減ったけれど。俺はこの男をナンパ避けにしているし、國神だって俺のことを女の子からの防波堤扱いしている。俺たちはそんな、都合の良い友人関係で成り立っていた。
「なっ、頼む!このとーり!」
「えーー。俺ラーメン食べたいんだけど」
「夕飯くらいなら奢ってやるよ」
「よっしゃ、乗ったぜ」
かくして俺は國神に誘われて、女性向けソシャゲの2.5次元舞台を観に行く事になったのである。舞台観劇は國神に誘われて、彼の出演する小劇場の舞台を何度か観に行った事がある程度だったし、それくらいの知識しか無かったが、ここはその時の劇場よりは少しばかり広い。それでも「キャパ的には、2.5次元舞台としては狭い」部類に入るのだという。後方、俺たちが座る関係者席の更に後ろの方の席はまばらに空いていて、國神にチケットを譲ってくれた役者仲間の友人も、「それでも平日の日中は埋まらない」とぼやいていた。
「俺も2.5次元は初めてなんだよな。これも、後で使うって言われたし」
俺たちの手には、入り口で関係者用のチケットと引き換えに渡されたペンライトが握られていた。ペンライトとは、スイッチを入れるといろんな色に光る棒型のライトで、さっき点灯チェックでスイッチを入れたら綺麗な赤色に光った。劇を終えて、最後に行われるライブで使うらしいけれど、どんな風に使うのか少し楽しみであった。
「俺も。どんなもんかわからないけど、楽しめると良いなぁ」
そんなふうに、俺は、特に期待もせず、座り心地の良いシートに背中を預けた。
ちょっと良い映画館の椅子みたいだなと思いつつ、視線は暗転した舞台へ向かう。

俺の期待は、思いがけない、それこそ良い方向に裏切られる事となった。

いや、別に期待してなかったわけじゃなかった。でもせっかく國神がタダで誘ってくれたのだし、ちょっとでも楽しめれば良いと、そんな風に思っていて。それがどうだ、舞台を終えてライブパートまでの休憩時間の今、俺は、呆気に取られて動けなくなってしまっていた。
舞台は女性向けのソシャゲが原案となっているものの、キャラクターを借りた完全なオリジナル脚本で、俺の目はそのオリジナルキャラクターである1人のキャストに釘付けになっていた。雨がモチーフの話で、舞台上でびしょ濡れになって演技をするその俳優を見て、うっかり泣きそうになったのは内緒だった。この後のライブパート、オリジナルキャラクターである彼は出ないのが残念だが、終演後のカーテンコールの挨拶には出てくるだろうと期待して、俺は再度暗転したステージへと視線をやる。周りの席の女の子たちが次々とペンライトを付けていたから俺もそれに倣って。色は、とりあえず1番最初の赤色を振った。

終演後のカーテンコールの挨拶に、彼も姿を現した。
舞台端の方でニコニコ微笑んでいる白シャツ姿の俳優を見つけて胸がドキドキして、彼の挨拶にもドキドキしてしまって、上手く言葉が頭に入ってこなかった。主要キャラクターたちのように決して派手では無いけれど上品な、整った顔立ちをしていて、声は優しい。黒くて艶やかな髪の毛が綺麗だった。それにしてもどうして、こんなにドキドキが止まらない。舞台を終えて幕が降りて、関係者席だから真っ先に退場しなければならなかったのに、俺はどうにも席を立てそうに無かった。
「あー意外と面白かったな。ライブなんて新鮮だったし」
「國神、先帰ってて」
「は?」
「俺ちょっとグッズ買って帰るわ」
「……………は?」
終演後に30分だけ、グッズ販売があるらしい。ほとんどの人が開演前に買い物を終えているから、終演後にグッズを買う客なんてまばらで、並ばなくても買えたのは好都合だった。結局國神は待っていてくれたけれど、俺はそこでパンフレットと、あのオリジナルキャラクターの彼が写っている個人ブロマイドを1セット買って、劇場を後にした。
この後約束していたラーメン屋に向かう予定だったが、俺は胸がいっぱいで苦しくて、ラーメンなんか食えるのだろうかと思っていた。(結局替え玉までしっかり食べたけど)

2.

ラーメンを奢ってもらって、まだ終電には全然早い時間だったから、そのまま飲みに行っても良かったんだけど、國神に明日は一限からだからと断られてしまった。仕方なく電車に乗って、大人しく家に帰る事にする。帰り道のコンビニでビールとつまみを買って、1人で夜道を歩きながら、今日の舞台の事を思い出していた。あの俳優さん、めちゃくちゃかっこよかった……。いや、こんな気持ちを同性相手に抱く事なんて無いと思っていたけれど、それでも彼は、俺が今まで出会ってきたどんな人物よりも魅力的だった。それこそ、性別の壁を超えて。引き込まれるような演技も勿論だし、それから、あの上品な容姿と、控えめに笑うところとか。目を奪われて離せなかった。家に帰ったらソッコーパンフレットを開けよう、それから一緒に買ったブロマイドも。ブロマイドを入れるケースも100均かどこかで買わなきゃなと思いつつ、俺は家路を急いだ。
「ただいま〜」
と言っても勿論返事は返ってこないのだけれど、これはもう癖みたいになっていた。誰もいないドアを開けて、ワンルームのリビング兼寝室に電気をつける。明かりのついた部屋の、ソファの上にリュックとコートとコンビニの袋を放って、自分はベッドに飛び込む。パンフレット見よう、とりあえず、あの人のページだけでも、と思っていた。ベッドから身を起こして、袋ごとリュックに詰め込んだパンフレットとブロマイドを取り出す。パラパラと目的のページを探していると、あった。あの人が演じた、あの青年のキャラクターのページを見つけて指を止めた。片手でビールを開けて、まだ充分に冷えているそれを喉に流し込みながら、そのたった2ページに釘付けになっていた。
【○○️○○️役/ISAGI】
ページの右下に、役者の名前と経歴が掲載されていた。いさぎ……、と名前を反芻して、俺は、すっかりその眼力の強い役者に瞳も心も奪われていた。ISAGIの経歴を見てみると、聞いたことの無い作品の舞台に出演しているみたいで(多分これも女性向け作品なのだろう)、普段はアイドルグループに所属しているみたいだった。そのアイドルグループの名前も、勿論聞いた事は無かったけれど、SNSを調べたら何か情報が見つかるだろうかとリュックの中からスマホを取り出して、そのユニット名とISAGIの名前を検索した。検索結果のトップに出てきたのが多分公式のアカウントだろうなと思って、早速インスタとTwitterのアカウントをフォローする。ついでに所属しているユニットの方も。多分SNSに関してはマメな性格では無いのだろう、更新頻度はそれほど高くは無さそうで、それでも直近のあの舞台の写真は何枚か上げられていたから、俺は、食い入るように一つ一つの記事を追って行った。ISAGIの個人アカウントに投稿された記事を読み終えてしまうと、今度は所属しているユニットのアカウントへと移動する。そこには、ライブや配信、ファンクラブの情報が事細かに載っていた。多分こちらはマネージャーさんとかの担当者がきちんとしているんだろうなとわかるくらいマメに更新されていて、その最初の方に月末に行われる予定の無料ライブの情報を見つけた。多分新規の客層を獲得するためなのだろうが、前方のエリアは有料で後方エリアは無料開放だと言うこのライブに、俺はお試しで行ってみる事にした。
國神を誘っても良かったんだけど流石に興味は無いだろうし、元より俺は興味のある事だったら割とどんな事にも臆する事はなかったので、女の子ばかりの客層でもあまり気にする事はなかった。アイドルのライブなんて初めてだったし、どんな服を着て行こうかなって楽しみが出来てしまった。何より、またあの人に会えるのだ。今度はアイドルをしているあの人に。それがとても楽しみで、自分の胸がドキドキと高鳴っていた。

3.

今日はISAGIの所属するユニット「EGOIST」の単独ライブの日だった。アイドルのライブだし、女の子ばかりだろうから浮かないように、シンプルに黒のスキニーに黒のニットでまとめてきた。長い髪の毛は低い位置で一つに縛って、キャップからピョンと伸びている。入り口で電子チケット見せてドアを潜ると、ドリンクチケットを売っているおねーさんがいたから、500円玉を渡してワンドリンクのチケットを買う。引き換えは中でだそうだ。
喉が渇いていたからウーロン茶を頼んで、ステージからは後方の無料ゾーンにあるカウンターにドリンクを置いて、俺はきょろりと辺りを観察していた。前方、ロープを張られた向こう側の有料ゾーンにはもう既に女の子の壁が出来ていて、そのみんながみんな、揃って気合いの入った髪型とファッションをしていた。なんか良いな、こういう熱気も新鮮で、と、遠巻きに女の子たちを眺めながら、そんな事を思っていた。有料ゾーンにいる子たちは揃ってこの間舞台で渡されたみたいなペンライトを持っていたから、アイドルのライブにも使うのだろうなとそこで学んだ。舞台ではISAGIはオリジナルキャラクターだったから歌って踊るような事は無かったが、今日は歌もダンスも見れる。アイドルとしてのISAGIが見れるとあって、俺は今からワクワクが止まらなかった。
そうこうしているうちにステージが暗転した。想像していたよりもずっと小さいステージだったけれど、そこに5人の男の子が登場して、ISAGIはその真ん中にいた。センターなんだって思いながらISAGIを見つめる。前方の女の子達からは黄色い歓声が上がって、自分がいる後方ゾーンには、俺と、数組の女の子(2人連れが多い)が、ジッとステージを見つめていた。曲が掛かってステージ上の男の子達が歌って踊り始めると、歓声は更に大きくなった。曲に合わせてペンライトの光が揺れるのが綺麗だなって思った。
曲は、ザ・アイドルなテイストのものからしっとりとしたバラードやダンサブルでセクシーな曲までバラエティにとんでいて新規にも飽きさせない構成だった。俺はその曲に合わせて身体を揺らしながら、成程このタイミングでペンライトを使うのかと理解する。ISAGIのイメージカラーはどうやら緑のようで、ファンの女の子達が振るペンライトの色は5色、どの色も同じくらい。まちまちだった。ISAGIは、これは相当レッスンを頑張っているのだなとわかるほどにダンスも歌もしっかりとしていて上手いなと思った。良く言えば上品、ともすると地味にも受け取れる容姿でセンターを張るだけあって、あの舞台の時もそう思ったんだけど、ISAGIにはどこか目が離せない特別な魅力があった。
かっこいい、これはまた、お芝居とは別の意味で魅力的だ。
ジッと見惚れていると、一瞬、本当に一瞬だけ、ISAGIの視線がこちらを向いた気がした。
ヤバい、目が離せない。その一瞬に囚われたように、俺は。その場から動けそうにない。

ライブはあっという間に終わった。時間にして1時間かからないくらいだったと思う。ライブといえば、俺の知ってるようなアーティストのライブよりは短めだけど、無料ライブだったらこんなものかと思う事にした。この後はどうやら物販があるらしい。
物販と聞いて、まず始めに頭に浮かんだのは先日の舞台の物販だった。メンバーのブロマイドとかを売るのかなと、だったら記念にISAGIのブロマイドが欲しいなと様子を伺っていると、会場にいたスタッフが衝立を用意しているのが目に入った。近くにいたスタッフの男性に声を掛けてみる。
「あの、物販って何やるんですか?」
「あ、初めてのお客さんですね!この後の物販では1枚1000円のチケットを買ってもらって、それと引き換えにメンバーのチェキと30秒のトークタイムが与えられます」
「トーク、タイム……?」
「はい、チケットを買ったらお好きなメンバーの列に並んでくださいね」
優しそうなスタッフさんの丁寧な説明を受けて、俺は目を丸くしていた。
トークタイム……いや、まさか、あのISAGIと直接話せるっていうのか。いきなりそんなクライマックスみたいな時間が与えられていいのだろうか。気付いたら俺はチケットを4枚買っていた。チケットは最大10枚まで買えるらしいが、正直言ってそんなに話せるのだろうかと悩んだ結果4枚、2分間のトークにチャレンジしてみることにした。4枚のチケットを持ってISAGIの列に並ぶ。列はペンライトの色のようにまばらだったが、ISAGIの列は少し長いような気がしていた。さっきまで後方の無料ゾーンにいた子たちも並んでいるから、多分、俺みたいに舞台がきっかけでライブに来てみた新規のお客さんも多いのだろう。
「では、物販を始めまーす」
女性のスタッフさんの声で、衝立の向こう側から、さっきまでステージ上にいたアイドル達が姿を現した。俺が並んでいる列の先にキラキラ衣装を着たISAGIを見つけて、ドクンと胸が高鳴った気がした。俺の前には5人くらいの女の子が並んでいたけれど、あっという間に俺の順番が回ってきた。たった2分、それで、俺はISAGIに何を伝えられるのだろうか。
緊張してちゃんと喋れるのか、ただただ不安だったけれど、それはISAGIの姿を見た瞬間にどこかへ吹っ飛んでいった。
「はじめまして、ハンドルネームでいいのかな……、chigiって言います」
「chigiくん!ISAGIです!!初めてのお客さんだよね?今日はきてくれてありがとう!」
初めて間近で見たISAGIは、舞台で遠巻きに見た時やパンフレット、SNSの自撮り写真で見るよりもずっと、お肌も髪の毛もツヤツヤで、ぴかぴかで、笑うと可愛らしくて、アイドル!って感じのアイドルだった。俺は先々週に舞台を観に行って感激した事、ISAGIが1番輝いていた事を伝えると、ISAGIは頬を赤らめて喜んでくれているみたいだった。
「嬉しいな。キミ、綺麗な人がいるな、同業者かな?って噂になってたよ?」
「そんな、俺はただの大学生で」
「ふふ、俺、男の人のファンって珍しいから本当に嬉しい」
一応俺は、周りの目とかは気にして無くて、例えばこの場にいる女の子達が俺を見てヒソヒソしていても気にすることは無かったんだけど、ISAGI本人に男のファンなんて気持ち悪いって思われたらヤダなって思っていた。けれども今日のこの反応を見る限り、全く嫌がっている様子は無くて、だからそれに1番ホッとして。
ISAGIはこういう場に慣れてるんだろうなってわかるくらい、聞き上手で話し上手だった。だから2分間があっという間に過ぎて、スタッフさんがおしまいの時間を知らせる。
「今日来て良かったです、まさか話せるとは思ってなかったから」
「俺も嬉しかった!あ、これ、チェキ。4枚引いて!」
ISAGIに言われて、そこでようやくチェキの存在を思い出した。
俺はもう、ISAGIと話せたこの時間がボーナスタイムみたいなもんだったから、本当にオマケ程度の気持ちでチェキを引いたんだけど、その中の一枚がサイン入りで、ISAGIはそれを見つけて「わぁ」と声を上げる。
「おめでとう!直筆だ!」
「じ、直筆?」
「来てくれてありがとうね、chigiくん。また来てね!」
「うん、必ずまた来るから」
そう、ブンブンと手を振るISAGIに手を振り返して、俺は列を後にする。
直筆のチェキは珍しいらしく、ISAGIのサイン入りの1枚を含む4枚のチェキは全部違う顔のISAGIが写ってて、宝物が増えてしまった、と胸が温かくなる。

俺はライブハウスを出て、その足で写真アルバムを買いに無印良品へと向かった。

4.

「なんで俺だったんだ」
糸師冴は最近人気の若手俳優である。有名な作品の2.5次元舞台化には必ず出演しているし、そのどれもが主役クラスなのだから、売れっ子と言っても過言では無かった。冴は、何にでもなれる演技力も魅力的なんだけど、それ以上に、俺が気に入っていたのはこの顔だった。スッと鼻筋が通っていて、唇は薄い。切れ長の涼やかな目元は、長い睫毛に覆われている。ため息が出てしまいそうなほど、綺麗な男だった。だから「なんで俺だった」の問いには、「アンタの顔が好きだったから」と答えるほか無いのだけれど、それでもこの甘ったるい雰囲気を壊したく無かったから、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
この男に抱かれたのは初めてだったけれど、綺麗な男のセックスは意外にも激しめで良かった。もっと淡白そうに見えるんだけどな。ねちっこくて、イイとこばっかり攻められる。そういうのが好きだったから、俺はすっかり冴の事が気に入ってしまっていた。
冴はタバコを吸う。綺麗な肌と、それから歌声をしているのに意外だと思いながら、紫煙を吐き出す様子を目で追いかけていた。キスをねだると、タバコ持った手を俺から離してくれて、ちょいちょいと手招きをする。チュ、と静かに唇を重ねると、甘ったるいバニラみたいな香りがした。さっきまでの冴とは違う匂い。タバコの匂いだろうか。
「俺じゃ、不満だった?」
唇を離した俺は、曖昧な笑みのままで髪の毛を耳に掛けてそんな事を言う。そうしたら冴はこれまたなんとも言えない表情を浮かべて、タバコの煙を誰もいない空間に吐き出す。
「別に……。お前が誘ったら、他にも付いてくるやつなんて沢山いるだろ」
「いないって。それは買い被りすぎ」
クスクス笑う俺の頬をくすぐるように、今度は頬や鼻先にキスを落とす。
「……ただ、綺麗な人だなって思って」
「は?」
「俺、綺麗な男の人に抱かれるのが好きで」
始めたらやめられなくなっちゃった。ポツリとこぼした残りの言葉は、冴に届いているのだろうか。面食いだっていう自覚は無かったけれど、顔の綺麗な男の人に抱かれる背徳感は癖になりそうだった。綺麗な人が、雄の欲望丸出しみたいな顔をして腰を振ってるのを見るのが好きで、そういう男の人は手慣れていて、みんなセックスが上手い。
俺は冴から指先のタバコを奪うとスウっと吸って、そうして盛大に咽せる。タバコなんて吸ったことが無くて、不慣れな様子が丸出しだった。
ゲホゲホ咳き込む俺を見下ろして、冴は可笑しそうに笑っていた。
「はっ、ガキが無茶すんな」
「……甘いと思ったんだけどなぁ」
バニラの匂いがするから、味まで甘いわけでは無いのだ。煙は俺にとっては煙でしか無くて、美味しくは無かったそれを、大人しく冴に返す。
冴は誰に教えて貰ったんだろう、タバコの吸い方も、セックスのやり方も。
俺がそれを追求する事はなくて、ただその懐に入ったら温かくって。このまま眠りに落ちて、一緒に朝を迎えられたらなぁと思っていた。叶わない願いだ。
俺はベッド下に脱ぎ捨てられていた下着を身につけ、シャツを羽織る。
終電はまだあったけれど、電車で帰るのも億劫だなぁと思いながら。
「今度は弟くんも一緒にどう?」
「あ?」
シャツのボタンを留めながら、そう言えば……と口にした俺に、それこそ人でも殺しそうな勢いの視線を向けられて、ギロリと睨まれる。
俺はヒラヒラと顔の前で両手を振って苦笑した。
「あはは、ジョーダン。でもまた会いたい。暇な時誘って」
「おーー」
冴は気のない返事をくれた。どこまで本気なのかわからなかったけれど、俺たちは揃ってホテルを出て、人混みに紛れながら駅へと向かっていた。

ISAGIは蝶のように軽やかな男だった。
「じゃあな、また遊ぼうぜ」
「あぁ」
終電間際の駅前の雑踏に包まれて、ISAGIはスマホを取り出して笑っていた。冴も片手を上げて応じるけれど、ISAGIの言葉には半分くらい信用が無くて。自分は雑踏の中に消えていくけど、彼はきちんと家に帰るのかって、思いながら改札を潜る。

5.

二月後に、ISAGIの次回の舞台出演が決まった。今度も女性向けの2.5次元舞台で、シリーズものになっているらしく、降板などが無ければしばらくこの役での出演が続くおいしいお仕事である。しかもそのシリーズの過去作品を探ってみた感じ、グッズ展開が豊富で、アクリルスタンドやトレーディングブロマイドもある、と、俺は張り切っていた。
前回のようなオリジナルキャラクターではなくて主要メンバーの1人なので出番も多いだろうと、俺は行けるだけの日程でチケットを取っていた。暇な大学生様様である。
今回は舞台という事で國神を誘ってみたら、初日、平日の夜なら行けるとの返事を貰い、その日は一緒に観劇する事にした。死ぬほどチケットを取って、グッズも買うので資金はあればあるほど良い。俺はバイトを詰め込んで、舞台に備えていた。
大学の昼休み、カフェテリアで昼食を取りながら、俺はぽちぽちとスマホをいじる。
「あ〜〜、グッズ、売り切れないと良いんだが……」
「俺に何か手伝える事、あるか?」
「ほんとか?!國神、お前ってマジでいいやつだよな!!」
俺の様子を見かねたのだろう。ふとそんな事を言い出す國神に、バッと身を起こす。
こいつは、ほんとにほんとにイイヤツなのだ。だから男にも女にもモテるのだが、時々、たまーに、本当にイイヤツすぎて不安になる時がある。女の子が國神を巡って争っているのを見た時とか。当人は至極どうでも良さそうな顔をしているのだから厄介だった。
「じゃあグッズ列に一緒に並んでくれ」
けれどもこいつ相手に遠慮というものを知らない俺は、遠慮無く「お手伝い」をお願いするわけだ。グッズというものには簡単に売り切れないように、1人が買い占めないように上限というものが存在していて、今回の舞台にもそれが適用されていたのだ。
「今回の公演でアクスタが出るんだけど上限2個でさ〜、何個買えるか不安で」
「は?アクスタ?」
「お礼にメシ奢るわ!いや〜助かる〜」
はてなマークを浮かべている國神に対して、俺は完全に舞い上がっていた。

だって今晩は、ISAGIとのオンライントークが控えていた。
オンライントークとは、インスタのライブ配信とは違って、アイドルと一対一で対面で話せる夢のようなイベントである。ISAGIのユニットは、このオンライントークを頻繁に行っていた。それまで対面は……と尻込んでいた俺だったが(まぁでもよくよく考えたらあのライブの物販だって対面だったけど……)、思い切ってチケットを買ったのだ。(ちなみに2分で¥2000のもの。5分で¥4000のコースもあるけどこっちは倍率が高くて悩んでいたら売り切れてしまった)オンライントークは夜に行われるから、その日は早めに風呂に入ってしまって、ケアまで終えた、準備は万端だった。
チケットは買ってあるから、メールで届いたURLにアクセスして、時間を待つ。
時間が来ると画面が切り替わり、あの、いつもの柔らかな笑顔のISAGIがタブレットの画面に映し出された。
『こんばんは〜、あー!やっぱりライブのお兄さん!』
「こんばんは、えっと、chigiです」
『chigiくん!リスト見てもしかしたら〜、って思ってたんだ』
「覚えててくれて嬉しい。えっと、迷ってたんですけど、チケット買ってみて、」
『えー、おれもめっちゃ嬉しい。楽しい2分間にしようね』
「はい、あっ、今度の舞台のチケット取りました」
『見に来てくれるの?!嬉しいな〜、chigiくん見つけたらファンサしちゃおっかな』
「ふぁ、ファンサ?!滅相もない……」
『あはは、でも本当、楽しんでもらえるように頑張るね』
ISAGIとの、楽しい2分間はあっという間だった。
成程、これは5分コースは争奪戦になるなって思いながら、そろそろ時間が来てしまった。
『……えっと、それじゃあ、サヨナラの挨拶は女の子にはキス顔にするんだけど』
chigiくんどーする?って聞かれて、確かにキス顔も魅力的だけど、キモイって思われたらやだなって思って、当たり障りの無い投げチューをリクエストする。
『わかった、良いよ!バイバイchigiくん。また来てね!』
チュって音が聞こえてきそうな熱烈な投げチューだった。そんなISAGIの言葉と共に破壊力抜群の投げチューを受けて、俺の初めてのオンライントークは終了した。

6.

ISAGIが出演する舞台の初日である。この日を迎えるにあたって、俺は、オタクの女の子達の気持ちがよーーーーーーっく理解できた。ライブのように直接話が出来るわけじゃ無いんだけど、前日の夜は念入りにパックをしてお肌のケアをしたし、今回のISAGIの演じるキャラクターのイメージカラーが青だと知って、青をベースにしたファッションをしていた。
前回の舞台よりも大きな箱だし、別にISAGIが見つけてくれるって期待してるわけじゃ無いんだけど、それでも『自分の推しは△△(ISAGIが演じるキャラ名)』と主張するにはこうやって青色を身につけるに限る。俺は昼の部が始まる前のグッズ列形成から並んで、昼公演前に一周、昼公演後に一周し、計4個のアクスタとトレブロの山を抱えていた。國神と合流する前に近くのマックに入って開封の儀式に入る。俺は多分、あのライブでの直筆もそうだけど、ISAGIの引きが良い自覚はあった。それでもコンプにはまだ足りないようだったから、ISAGI以外のキャラクターを分けて、交換のためにSNSに掲載する用の写真を撮る。
【駅に着いた。直接劇場に行けばいいか?】
続いてアクスタの写真を撮っていると國神から連絡が入る。待ち合わせの時間5分前、律儀なやつだと思いながら、俺はアクスタを袋へ戻して國神に返信する。
【近くのマックにいるからそっち行くわ。列出来てると思うからその辺にいて】
そうしてるうちにもスマホの通知がポロンポロンとなって、お取引きのお声がけがかかる。今日の劇場は駅前の商業ビルの上階にあって、俺は劇場までのエレベーターの中で、取引きのお声がけのメッセージに一件ずつ返事をしながら11階を目指した。
劇場がある11階に降り立つと、入り口横にはもう既に夜の部のグッズ列が出来上がっていた。國神は、頭ひとつ分はみ出てるから目立つなぁと思いながら、俺は國神を伴って列の最後尾へと並ぶ。今日は気合いを入れてヘアメイクもしてきた。っていっても緩いポニテだけど。列が進むのを待つ間、鏡でヘアスタイルを整える。お取引きのメッセージのやり取りの続きを送っていたら、グッズ列の進みが良くて自分達の番になった。
「アクスタ二つな。頼んだ」
「おー。任せとけ」
先にレジに向かった國神にそう託して、自分も空いているレジへと並ぶ。
「△△くんのアクスタ二つとペンライト一つください」
俺は支払いを済ませて注文した物を受け取ると、出口で待ちぼうけをしている國神の元へと駆けた。頼んでいたアクスタと引き換えにさっき買ったペンライトと自販機で買った清涼飲料水を手渡して、ロビーの空いている椅子への着席を促す。
「俺ちょっとブロマイド交換してくるから、ジュースでも飲んで待っててよ」
「おぉ。サンキュ。じゃあここで待ってるわ」
「すぐ終わると思うから」
國神を置いて、俺は劇場の一角にあるトレーディングスペースに向かう。トレーディングスペース、通称・トレスペは、主催側が作ってくれた、トレーディング商品を交換するエリアの事である。会場外、例えば商業施設なんかで取引きをして会場側に迷惑をかけないように設けられているスペースなのだが、俺はここで、お取引きの相手と会う約束をしていた。

國神は渡された炭酸飲料を飲みながら、足早に駆けて行く千切の後ろ姿を見送っていた。椅子に座ってその様子を眺めていると、側にいた女の子二人組が小さな声で話すのが聞こえてくる。
「あの人めっちゃかっこよくない?俳優さんかな」
「いや、待って。グッズ持ってるよ?誰かのファン?」
「えっ?オタク?!」
ヒソヒソ声の女の子たちの話は千切には聞こえていないようだった。
トレスペでいい交換ができたのだろう、戻ってきた千切の顔はこれまた満足気だった。
「國神!コンプできた!!」
「良かったな」
ただでさえ、男のオタクというだけでも目立つというのに、千切は、何もしなくても目立つ容姿をしていて、本人もそれを自覚しているのだから変装なりなんなりしてくればいいのに、男前な性格もあってそんな事には臆しない。全身青い服で推しをアピールしている友人の満足そうな姿を眺めて、「これで良いのだ、千切が満足なら」と思う國神だった。

「ちょっと早いけど中入るか?」
俺は交換を終えてISAGIの演じるキャラクターをコンプすることが出来た。嬉しくて満足してほくほくしながらブロマイドの入ったプラスチックケースをカバンに仕舞うと、2枚のチケットを國神に翳して見せた。
「今日の席は〜、なんと通路側なんだ!」
「やったじゃん、ISAGI来ると良いな」
「あーー、ふふ。楽しみだなぁ」
入場がギリギリになってしまった。俺たちが席に着く頃にはキャストによる案内アナウンスが流れていて、それはISAGIじゃ無かったから聞き逃したんだけど。
舞台が暗転して、ISAGIの舞台が始まった。
俺は昼の部(マチネっていうらしい)も見たから2回目だったんだけど、ストーリーが結構重たくて、1回見ただけでは完全に内容を把握出来なかった。ISAGIの演じるキャラクターは主要メンバーの1人で、主役では無いけれど物語のキーパーソンになるような重要な役どころで、正直これは美味しい役をもらったなって、ファンとしては嬉しい限りだった。
2回目だったけれど、また同じところでウルッと来てしまった。ISAGIは本当に演技が上手くて、人を引き込むのが上手い。感心していると、幕が降りて芝居パートが終わった。
静かな場内を観客の拍手が包んで、一旦休憩、この後はライブパートだった。
ライブパートも2回目だったけれど、マチネではISAGIの客席降りは無かったのと、それから後方の席だったから俺はずっとペンライトを片手に双眼鏡を覗いていた。
けれど今回は前方の通路側の席だからISAGIが来てくれると良いなと思っていた。
ライブパートでは、俺も國神も慣れたもので、俺はマチネで買ったペンライトを、國神も俺が渡したペンライトに明かりを灯す。
「ISAGIは青だからよろしく」
「へぇへぇ」
うちわも見様見真似で作ってみたのだ。もちろん、慣れた女の子達のクオリティには程遠かっただろうけれど、これならファンサもしやすいかなって思って。
ペンライトの操作も慣れたもので、俺は自分の分と、國神のも青に変えてやって。ペンライトとうちわを両手に持ち、ISAGIがステージに現れるのを静かに待った。
暗転したステージに曲がかかって、女の子達の悲鳴みたいな歓声が聞こえた。
ISAGIは、やっぱりアイドルが本業なだけあってステージで魅せるのが上手い。ダンスも上手いなぁと、ペンライトを振りながらそのキレッキレのダンスから目が離せない。
ソロ曲は、多分ISAGIが演じているキャラクターのキャラソンとやらがバラード曲なのだけれど、違和感がないくらいに歌も上手くて、高音が聴いていて心地良かった。
いよいよ最後のアンコール曲である。これは、マチネでは半分のキャストが客席降りしていたから、ソワレはもう半分のキャスト、つまりはISAGIも降りてくるはずと思うんだけど。俺は上手だから逆サイドだったら残念だなぁと思いながらペンライトを振っていると、下手にいたISAGIとバッチリと目が合った。これは多分、俺の思い込みでは無い、だって、ISAGIは俺を見つけて、下手にいたのに俺目掛けて駆けて来てくれたから。
俺はファンサ用のうちわを持っていた。文字は無難に、『△△(ISAGIのキャラ名)ハート作って』と、裏面は『バーンして』にしていた。ISAGIはその表面を見つけて、顔の前におっきなハートを描いて真ん中からバキュンと撃ち抜いてくれる。ISAGIが満面の笑みで去って行ったあと、近距離でそんなISAGIのファンサを受けた俺は、真っ赤な顔をしていた。
「千切?!」
「ひぇぇ……」
そのまま、がっくりと膝から崩れ落ちて、隣にいた國神をギョッとさせた。

7.

「ISAGI、香水変えた?」
グッと、身体が繋がっているこのタイミングでそんな事を聞いてくる男の真意が分からない。よくそんなところまで細く気付くものだと感心して、俺は俺を組み敷く男の瞳をジッと見上げていた。
御影玲王。この男も舞台で共演したことのある若手俳優だった。男にしては長い髪の毛を高い位置で一つに括って、程良く筋肉の乗った逞しい身体で俺を抱く。レオのセックスは甘くて優しい。まるで女の子みたいに優しく扱われて、甘い愛の言葉を囁いてくる。
甘い言葉が耳朶をくすぐってこそばゆい。
でも、それがかえって大事にされているみたいで、俺には心地が良かった。
レオはこの若さで土地を幾つか所有していて、自ら芸能事務所を立ち上げて、自分もそこに籍をおく、プレイング社長みたいなやり手の経営者だった。この容姿でお金持ち、セックスだって上手い。さぞかし女の子にモテるんだろうなって思っていたけれども、意外な事にレオが好きなのは男の方だった。レオの方から誘われて、こんな綺麗な男と寝れるならと二つ返事で了承したのだった。こんなになんでも持っているのに、男しか愛せないんだって。可哀想なやつ、って思いながら、俺はレオとの関係に甘んじている。
「…………ファンの子にもらった」
「あー、だからか。ちょっと女の子っぽい匂いだなって」
いや、男の子のファンなんだけどね、との言葉は続けなかった。
なんとなく、男に抱かれている時に他の男の話題は出したくなかった。
香水のプレは、最近お気に入りのchigiくんからのものだった。桜の香りなのだと言う。まだ桜が咲く季節には遠いけれど、俺が4月生まれだと知ってのプレゼントらしい。chigiくんはあの女の子みたいに綺麗な見た目に反して、好きなものには全力投球の性格らしく、舞台に出る度にプレボにはプレゼントと可愛らしい手紙を入れてくれるし、ライブも欠かさずきてくれるようになった。俺の固定ファンみたいになってくれて、ファンの子達の間でも「ISAGIファンの王子様」と呼ばれてまことしやかなウワサになっていた。
お気に入り……、そう、お気に入りの子なのである。
正直言って好みのタイプど真ん中だった。だって俺は綺麗な男の人が好きで、中性的で王子様みたいなchigiくんの、その綺麗な仮面の裏側はどうなってるのかなって、引き剥がしてやりたかった。
レオのが奥を突いて、気持ち良いところが擦られて、甘い声を上げて。そのまま俺は達した。chigiくんの事を考えながらイってしまった、と、罪悪感でいっぱいになった。レオは俺の中でしばらく動いていたけれど、しばらくして達したみたいだった。俺がコンドームを外すのも億劫で項垂れていると、レオが代わりに外して、口を縛って捨ててくれた。
シャワーに行くのも面倒でシャワールームへと消えるレオの後ろ姿を目で追いかけている。レオとのセックスは、都内の高級ホテルに連れ込まれる事が多かった。最初はあまりにも豪勢な部屋に引いていたのだが、今では慣れたものだ。シャワーからしばらくして戻ってきたバスローブ姿のレオの手の中にはホットタオルが握られていた。温かなそれで身体を清められると、俺はうつらうつらと眠りそうになる。
「一泊してくか?疲れ溜まってんだろ」
「んーー……」
レオは優しい。俺の小さな変化も見逃さない。
枕に顔を埋めて肯定の返事をすると、レオは苦笑してフロントに電話をかけてくれた。
そうして朝まで延長の一言を告げるとベッドへ戻ってくるから、俺はレオが入るスペースを開けて待つ。服はどうせ、朝まで着せてもらえないのだろう。
ベッドに入ってきたレオに抱きしめられて髪の毛を優しく梳かれる。その心地よさにうっかりまどろんでいると、レオの口からはこの甘い時間に反するかのようなリアルな「ご相談」が発せられた。
「なあ、ISAGI、俺の事務所来る気無い?」
レオのお誘いは突然だった。
甘い言葉に混ぜて、突然、そんな事を言われて、俺は目を丸くしてしまう。
「無理、だろ……、俺はまだ、アイドルの仕事もしたいし……」
「メン地下?俺んとこ来たらそれこそアイドル俳優として売り出してやるよ」
レオの考えるアイドル業は、某事務所みたいなガチなやつだ。俺は今の、ファンが近くにいる地下アイドルのポジションが気に入っていて、辞めるつもりは無かった。
「……考えさせてくれないか」
レオに抱かれながら、今後の事も考える。今はまだハタチそこらで何にだってなれると思っていたけれど、5年も10年もこの業界で一定の人気を保ち続けるのは容易いことでは無いと分かっていた。
「(会いたいなぁ)」と、レオの腕に抱かれながら、彼を思い出していたのは内緒だった。

8.

月末に、ISAGIが所属しているユニット、「EGOIST」の1周年記念のライブがあると知ったのはSNSの公式アカウントがきっかけだった。ライブ開催の告知と、それから長く連なったツリーにはスケジュールやら入場特典の情報が掲載されていて、その中の物販の項目に「ツーショットチェキ」の文字を見つめて目を丸くする。
「ツーショット、チェキぃ?!」
他のアイドルユニットではツーショットチェキを売りにしているユニットもあるみたいだったけれど、EGOISTは普段のライブではツーショットチェキを行ってはいなくて、そういう方針なんだろうなぁと思っていたんだけど。こういった記念の行事で売りにしてくるとは。
当然撮る以外に選択肢は無かったけれど、それこそ服、何着て行こうかなと今から楽しみだった。可愛くて、でも可愛すぎず。ISAGIはどんな衣装で来るんだろうか。ISAGIと並んだ時のために、恥ずかしくない格好で臨まなければいけない。
俺はスマホを握りしめて、クローゼットに向かって唸っていた。

結局、いつもみたいな服装になってしまった。目立ちすぎず、ISAGIの輝きの邪魔にならないような服となるといつものシンプルな服が1番という結論に至った俺は、シンプルな黒スキニーにふわふわのラビットファーの白いニットを合わせる事にした。それに、まだまだ肌寒い日が続いていたから、ライブハウスに着いたら脱げるようにオーバーサイズのMA-1を羽織って、足元はゴツめがカワイイ黒のマーチンにした。鏡の前で何度もチェックしたし、ここに来る前に駅のトイレでも確認して来た。プレゼントも、準備は万端だった。
今日のためにお花籠も贈っていた。俺のはISAGI宛ての小さな花籠だったけれど、ファンの皆さんが連名で贈ったそれこそ巨大なアーチみたいなフラワースタンドもあって、愛に溢れているなぁって感心して、その一つ一つをスマホで写真に納めていく。
ISAGI宛ての花籠は、彼のユニットでのイメージカラーに合わせて、黄緑色の花で揃えて貰った。黄緑の花なんてあるんだなって驚いたし、たまたま見つけた花屋さんのセンスにも感心してしまった俺である。ISAGIが気に入ってくれると嬉しいなって思いつつ、誰かに花なんて贈るのは初めてだったし、男から花なんて貰って嬉しいのか甚だ疑問だった俺は、気恥ずかしくて差出人のところを「豹馬」と本名を入れてしまった。気付いてくれると嬉しいけれど、いや、いっそ気付かないでくれという複雑なファン心理を抱えていた。

ライブはいつもよりも曲数が多くて、それだけでスペシャル感があった。
衣装は新規の王子様みたいな衣装で、白を基調にしていて、アクセサリーでそれぞれのイメージカラーを取り入れている。ISAGIに似合う素敵な衣装だーと感激してしまった。
ライブは、2.5次元舞台のライブとは違ってうちわは持たない。その分ペンライトを振るんだけど、俺はいつも後ろの方で大人しく緑色のペンライトを振っている。これは常に思ってる事だけど、前の方にも行けるんだけど、小柄な女の子達の中でそれなりに身長もある自分がグイグイ前に行ってしまうと女の子達が見えなくなってしまうんじゃ無いかって、いつも後方の壁に寄り掛かって鑑賞していた。それがますます関係者っぽいと女の子達の噂になってしまっていたのは後に聞かされた話である。
ライブが終わって、小休止を挟んで、いよいよ物販の時間になった。今日は1周年記念で特別にブロマイドも売り出されていたから俺はISAGIのセットを観賞用持ち歩き用保存用に3セット購入した。ツーショットチェキは、撮影中のおしゃべり付きで1枚3000円だった。1人上限1枚。つまりは一度きりのチャンスなのだが、俺にとってはそれで充分だった。
というか、それ以上は持ちそうに無い。顔面が。
俺は緩んでしまいそうな顔を必死に保って、ISAGIの列に並んでいた。
「ども、」って、もうすっかり顔馴染みになったISAGIファンの常連の子たちに会釈で挨拶をして、大人しく列に並ぶ。どうやらポーズが選べるらしいが、1番最初に撮影してる子は並んで指ハートを作っていた。ハート良いな……、ISAGIとハート作るのはどうだろうか、キモいって思われたりしないかなとちょっと不安になって、もう待ち時間もそんなに無いのにどんなポーズで撮影するのかで頭を悩ませていた。じわじわと俺の番が近付いて来る。いよいよ、自分の番になった時に、俺はもう既に緊張で口から心臓が出て来そうだ。
「わーい、chigiくんだ〜!ポーズどうしようか?」
「うっ」
何よりも、ISAGIに認知されているのが最高の幸せなんだけど、ISAGIからふわりとかおる香りが馴染みのあるもので、俺はハッとする。
「香水!つけてくれてるんだ!」
「えへへ〜、そう、俺、chigiくんのセンス大好きでさー」
「ありがとう、嬉しい」
「俺も、いつも応援してくれてありがとうね」
ハートにしようかってISAGIが言ってくれたから、俺は促されて片方の手でハートを作る。
もう片方がISAGIの手になるんだけど、同じくらいの大きさの手で、指先がほんのちょっとだけ触れてしまって、俺は自分のほっぺたがボボっと赤くなるのが分かった。「ハイチーズ」の掛け声と共にスタッフさんがシャッターを切ってくれるんだけど、1枚、撮影を終えて、ISAGIがチェックしに行く。
「あー、ごめん!俺が目瞑っちゃってる!!もう一枚良いかな?」
「あ、うん」
今度はしっかりと笑みを浮かべて、ISAGIとハートを作る。
ISAGIがコテンと首を傾げて来て、なるほど流石アイドル……と感心してしまった。
「はい!ありがとーchigiくん!これからもよろしくね!」
チェキを手渡されて終了なのだが、俺はハッと思い出して、傍らに置いてあった紙袋をISAGIに差し出す。これは、1周年の記念にと用意しておいたプレゼントだった。
「はい、えっと、気に入って貰えると嬉しい」
「えー!なんだろうな、開けるの楽しみだな」
ばいばーいと手を振られて、俺はISAGIの列を後にした。
手の中にはさっき撮ったツーショットのチェキがあって、まじまじと見つめると、ISAGIのカワイイ笑顔の隣で、俺はちゃんと笑えていてホッとする。ISAGIは、公式プロフィールを見て知っていたけど、俺より少しだけ小さくて、でも写真で見るとほとんど同じくらいだった。顔小さくて、手元もピカピカで、やっぱりアイドルは可愛い!って思う。

チェキと物販で買ったブロマイドを手に帰宅した。
それぞれアルバムに整理しながらEGOISTの曲を聴いていると、ISAGIのインスタ更新を知らせる通知がピコンと鳴る。ロックを解除してインスタを見ると、メンバーと撮影した写真や自撮りの写真がいっぱいで、それを眺めながら今日のライブを振り返る。
通知がもう一度ピコンと鳴ってページを更新すると、花に囲まれたISAGIの写真。
その手の中には俺が送った花籠が抱えられていた。【ファンのみんなから貰ったお花〜】のコメントの通りに、やっぱりISAGIは可愛い。多分、持ちやすいサイズだったから持ってくれたんだろうな、と、その程度に思っていた。
その夜のインスタライブでは、ISAGIは今日俺がプレゼントで贈ったトレーナーを着ていて、それだけのことなのに嬉しくなってしまう。ライブを終えたISAGIはご機嫌で、30人ほどいる視聴者のコメを一つ一つ拾ってくれた。
「『1周年おめでとう、これからも応援します。』だって、ありがとう〜、これからも応援よろしくね!」
俺は照れ隠しで、ありきたりなコメントしか残せなかったけれども。

9.

今日はEGOISTの1周年記念ライブの日だった。
開場3時間前に会場入りした俺たちは、最初に入り口のフラワースタンド達が目に入った。
いつものライブではフラスタどころか楽屋花も受け付けていないのであるが、こういった周年イベントやメンバーそれぞれの誕生日には花もオッケーらしい。
俺は沢山ある花々の中から、緑色のセンスの良い花籠を見つける。緑は俺のメンカラだったから、これはきっと、俺宛ての花籠ということになる。その緑色の花籠に付いていたメッセージカードには見覚えの無い名前。けれどもその癖のある文字には些か見覚えがあって。「(あの子だ)」と秒で察した俺は、読めない漢字を側にいたメンバーのHIORIに尋ねる。
「『豹馬』って、これなんて読むんだろ」
「ひょうま、ちゃう?」
「ひょうま……」
なんでいつものHNじゃなくて本名?だったのかは謎だったけれど、愛し気に唇に音を乗せる俺を見て、HIORIはクスクスと笑っていた。
「最近、お気に入りやねぇ。ひょうまくん」
「えへへ〜、綺麗な子なんだ。綺麗な顔してるのに、まっすぐで、男前で」
「ふふ、好きなん?」
「あぁ」
そんなふうに臆面無くはっきりとそう言ってのける。「ISAGIくんもよっぽどやわ」とHIORIは目を丸くして俺を見つめていた。
「HIORI!せっかくだから写真撮ろ!」
「ふふふ。ええよ」

ライブ後のチェキの列にはchigiくんも並んでいた。俺のファンの子達は結構おとなしめで、ポーズも控えめな子が多くて助かった。もちろんおさわりは厳禁だから出来るポーズにも限りがあるんだけど、指ハートが人気で、今回のチェキ会では指ハートが多かった。けど、chigiくんとは何としてもハートで撮影したくって、chigiくんの順番になった俺は、ハートを期待して、「どんなポーズにする?」と声を掛けた。chigiくんは特にやりたいポーズが思い浮かばないみたいだったから、俺の方からハートを提案した。
近距離まで迫ったchigiくんは男の子なのに良い匂いがしてクラクラしそう。いつもオシャレな子だけど、今日のモコモコニットは可愛い、レディースのものかなって思いながら、そのモコモコに触れてしまいそうになる衝動を堪えていた。
2人でハートを作っていたら、おさわり厳禁なのに指先がちょんと触れてしまった。
それだけで赤くなってしまうchigiくんが可愛くて、こっちまでドキドキして来る。
スタッフさんが撮ってくれたチェキをチェックして、chigiくんは可愛かったけど……と、俺はこっそりそのチェキをジャケットのポケットに仕舞った。
「……あー、ごめん!俺が目瞑っちゃってる!!もう一枚良いかな?」
「あ、うん」
そう、小賢しい嘘をついて、俺はまんまとchigiくんとのツーショットチェキをゲットしてしまった。2枚目のchigiくんも笑ってて可愛かったけれど。
別れ際、chigiくんは毎度お馴染みのプレゼントを渡してくれた。
「はい、えっと、気に入って貰えると嬉しい」
chigiくんはセンスが良い。同性ってこともあるけど俺が欲しいものをピンポイントでくれるから、贔屓してるつもりは無いのに普段使いしてしまうのだ。
今回のchigiくんのプレゼントは俺が好きだって言ったブランドのトレーナーだった。この時期部屋着にするのにちょうど良いなって思って、その日のインスタライブではそのトレーナーを着ていた。chigiくんは気付いてくれるかなって期待して。
chigiくんとのツーショットチェキは、スマホに入れるのは流石にまずいかなって思って、俺の部屋のカメラの死角になるところに飾っている。写真写りもイケメンなchigiくんを見つめて、俺は恋する男の子みたいなため息が止まらないのだった。

数日後、今日はオンライントークの日だった。リストの中にchigiくんの名前を見つけて、俺はワクワクと胸の奥が高鳴るのを感じていた。時間になると、PCのモニターの画面に、chigiくんの綺麗な顔が大写しになってこっちが照れてしまう。
「chigiくんこんばんは!」
『こんばんは、あの、1周年おめでとう』
「ありがとー!綺麗なお花もありがとうね!」
『えっ、気付いて……』
「あはは、男の子のファンって珍しいからすぐわかったよ」
俺の言葉には、chigiくんは真っ赤になって照れていた。これは内緒にしておいた方が良かったかなぁと思いつつも、真っ赤なchigiくんが可愛くて、手を伸ばしてしまいそうになる。触れたいって思うんだけど、画面越しのキミは遠い。そして、ファンの子には決して手を出さないって言う俺のルールは裏切れないのだ。歯がゆい気持ちでいっぱいだった。だってこんな、たった2分間じゃ、ありきたりな会話しか出来なくて、ライブに来てくれて、舞台を見に来てくれてありがとうなんてやり取りは社交辞令でしかない。あっという間に過ぎてしまう時間が惜しくって、でもこれ以上の事はできなくて、俺ははがゆい思いを抱いたままでchigiくんにサヨナラを告げるのだ。

もう我慢は出来そうに無かった。
だから、その時の俺の頭の中には一つの計画が思い浮かんでいた。

10.

純喫茶なんて初めて入った。目の前の若い男は、年頃は二十代の前半くらいで若そうに見えるのに、この古びた純喫茶もよく似合う不思議な上品さ持った男だった。
「この店はね、コーヒーもケーキも美味しいんだ」
「じゃあ、ケーキ頼んでもいいですか?」
「良いよ。マスター、コーヒー二つとチーズケーキを一つ」
そう、スマートに注文を終えると、メニューを置いて俺に微笑みかける。
初めてその男に会った第一印象は「胡散臭いやつ」だった。
「お前に会いたがってる人がいる」って、國神づてで俺にコンタクトを取ってきたこの男は、都内にいくつかのマンションを持っていて、それだけじゃなくて会社も経営しているという『御影玲生』という名の年若い男だった。レオは、ここの喫茶店を訪れた俺の顔を見るなりハッと息を呑んで、それから、コーヒーを勧めてきた。
テーブルに置かれたケーキセットのコーヒーをブラックのまま飲んでいると、レオも砂糖もミルクも入れずに、そのまま香りを楽しんでいるようだった。俺はそんなレオを上目で盗み見て、その様子すらも様になってしまうと感心していた。そうしてコーヒーを一口飲むと、成程、チェーン店ではないコーヒーを飲んだのは初めてだったけれど、苦味が強くなくてブラックでも飲みやすい。「美味しい」と呟いた俺には、レオは女が好きそうな、人当たりの良い笑みを浮かべて、自分もコーヒーカップをソーサーに置いて、本題だと言わんばかりに、俺の瞳をジッと覗き込んでくる。
「スカウトの話だ。千切豹馬くん、君は芸能界に興味は無いかな?」
それは、それこそ冗談みたいな話だった。
美味しいコーヒーとケーキで警戒を解いた一瞬の隙間を掻い潜って、レオは俺にそんな突拍子も無い話を告げる。レオの話はこうだ。彼はモデルとしてスカウトされたのをきっかけに2.5次元舞台にも出るようになり、つい最近自分も所属する芸能事務所を立ち上げたのだと言う。所属タレントを探しているうちに、俺を紹介された。らしい。どうも、俺を「ゲイノー界」とやらにスカウトしたい人物がいるのだという。一瞬だけ頭の中には、友人の中では唯一こういった界隈で活躍している國神の顔が浮かんだけれどあいつは違うだろう、何より、俺がこういった世界に興味が無い事を一番良く知っているのがあいつだったから。じゃあ誰だ、と考えてみるけれど、皆目検討がつきそうになかった。
「俳優でもモデルでも、キミの希望通りにならせてあげるよ」
「……って言われても、俺には大学があるし……」
「もちろん大学に通いながら活動できるようにこちらもサポートするし、本当にこの業界に興味が無いなら、大学を卒業したら辞めてもらって構わない。こちらはキミに「ゲイノー人」って肩書きが付けば良いだけだからね」
レオの言っていることが、ますます理解出来なかった。レオの言っていることが事実ならば、そうまでして、俺を芸能人にしたい人物がいるというのか。
「俺を芸能人にしたいやつって、それって、一体誰なんだ?」
俺の問いかけには、レオは困ったように笑って見せた。
「それはキミが、芸能界に入ったら教えてあげるよ」
正直なところ、断ってもいい案件だったのだ。元より、他人よりも優れた容姿をしている自覚はあって、先述の通りこの顔で男にナンパされたことも、モデルや芸能事務所にスカウトされたことも数知れなくて。けれども芸能界だなんて刹那的なものに興味は無かったし、俺の将来の夢は公務員である。だから大学での勉強も真面目にやって来たし、付き合う女の子もおとなしめな子が多かった。堅実な人生を歩んできたのだ。けれど。
ISAGIと出会って俺の人生は180度変わったのだ。派手な外見とは裏腹に地味だった俺の人生に光を差してくれたのは間違いなく彼だった。彼を推し始めて、舞台やライブの楽しさを知った。アイドルの追っかけが、こんなに楽しいものだなんて知らなかった。
ISAGIは俺にとっての光だった。
だから、ISAGIのいる芸能界という華やかな世界に興味を持っていたのも事実で。
「…………や、やります」
レオの顔が、みるみるうちに明るくなっていくのがわかった。
「ま、マジで?」
「でも本当に、バイト感覚。大学の勉強はちゃんとするからな」
「もちろん!学生生活はサポートさせてもらう!」
「演技には造詣が無いからモデル業くらいしか出来ないからな」
「キミなら引っ張りだこだと思うけど……、あぁ、良いよ」
「それから、」
これは、俺が芸能界に入る最大の理由みたいなものだった。
「事務所に入ったら俺をスカウトしたやつにあわせること」
「それはもう。向こうもキミに会いたがっているんだよ」
そこまでの人物がやっぱり思い浮かば無くて、不思議でいっぱいだったけれど、その日、俺はレオの用意した書類に判を押して、芸能界への一歩を踏み出す事になる。

11.

ISAGIが事務所を移籍する事が公になったのは年度末の慌しい時期のことだった。事務所を移籍してもEGOISTは抜けないと知って、一ファンとして嬉しかった。
そう。一ファンとして。俺自身モデルとして芸能事務所に所属してからはライブに行く頻度も減ってしまった。モデルとしての仕事は実際のところずっと忙しくて、大学の勉強と両立させるので精一杯だったのだ。最初はメンズ向けのファッション誌に限定して載せてもらっていたんだけど、中性的な容姿が世間では大ウケだったらしく、ショーモデルやセリフ無し、ビジュアルだけのコマーシャルのオファーも貰うようになってしまって、人気に実力が追いついていない自覚があって歯痒かった。それでも、興味本位で飛び込んだ芸能界というフィールドは思ったよりずっと楽しくて、最近では演技のレッスンも受けるようになった。もっと上達したら舞台のオーディションも受けてみたいと思っている。それをレオに話せば、「お嬢ならオーディション無しでも呼ばれると思うよ」(レオにはお嬢と呼ばれている)(不本意であるが)って言われてしまった。でもそれは本当に実力がついてからの話だと思っているし、贔屓で役を貰っても心から喜べないと思っていた。
それに何より。芸能界に入って、少しはISAGIに近付いたのかなって思っていたけれど、実際は推し活が出来なくなって余計に距離が空いてしまった気がしていて。俺は少しでも、アイドル兼俳優の『ISAGI』に近付けるように日々成長中であった。

そんな、桜咲く、ISAGIの誕生日も近いある日の事であった。せめて誕生日くらいは休みを取って、EGOISTのライブに行きたい。行って直接ISAGIの誕生日をお祝いしたいと思っていた。それで、スケジュールを調整すべく、俺は社長のレオの元を訪れていた。
そんな、なんて事のないある日の事である。
事務所を訪れていた俺は、ふとレオに呼び止められた。
「千切、約束していた人にようやく会わせられる」
「え?」
そんな突拍子も無い言葉に、思わず間の抜けた顔をしていたと思う。
「今更?急に?」と、盛大にはてなマークを浮かべていた俺を、レオは苦笑して見つめていた。
「今日彼もここに来ているんだよ。会っていくだろ?」
レオの言葉は晴天の霹靂だったけれど、俺は大きく首を縦に振って承諾した。
俺をスカウトしたのだという人が待つ会議室のドアに手を掛ける。すうっと息をひと息、吸って、ガチャリとドアを開けた。
「……………なんで、」
「会いたかった、chigiくん……いや、ひょーま」
「は……?え……?」
そこにいたのは、俺の憧れで、大好きな人。
いつだって変わらないキラキラアイドルスマイルで、呆気に取られて間の抜けた顔をしているだろう俺を覗き込んで、まるで宝物でも見るような目でこちらを見つめている。
「い、……ISAGI?!」

「やっと君を手に入れられる」
ISAGIは俺を認めると、うっとりと微笑んでいた。

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