[風〜Milk〜]
寒い日の空気を、「真っ青やなぁ」って言う。
空気を色に例える人を、俺は知らなかった。
ベッドの中、腕に抱きしめていた温もりが無くなっている事に気づいて眠たい目を擦っていると、寝室からベランダに繋がる大きな窓が少しだけ開いていて、冷たい空気が流れ込んでくるみたいで俺はブルリと身を震わせた。もうタオルケットに薄手の布団では肌寒い季節になっていて、秋冬用の温かな布団を用意せねばと思っていたところだった。
時計を見るとまだ七時前で、それでも日は登りかけていた。
こんな朝早くにどうしたのだろうと、ベランダの桟に手を掛けてぼんやりと空を見上げている後ろ姿を見つけて、寒くは無いのだろうかと、俺もぼんやり、そう思っていた。
昨夜は行為を終えてTシャツで寝てしまったから、俺もクローゼットの中から防寒用の厚手のパーカーを取り出して上に羽織った。そうして、こちらは彼、の防寒用にと試合観戦用のブランケットを手に、俺もベランダへと出た。
「潔くん、おはよう。起こしてしもうた?」
「いや、でも氷織がいなくなったから起きちゃった、かな?」
「ふふ、それは悪かったなぁ……」
氷織は俺を見つめてクスクスと笑っていた。
いつものモコモコのルームウェアを着ていたけれども触れた肩はすっかり冷えてしまっていて、一体どれだけの時間ここにいたのだと心配になりながら、俺は持参したブランケットを氷織の肩に掛けてやった。そうしたら嬉しそうにブランケットを引き寄せて、氷織は長い睫毛を伏せて「ふふ」と小さな笑みを浮かべている。
「潔くんは優しいなぁ」
「また、空でも見てたの?」
「うん。綺麗な水色やなぁって」
氷織の青い瞳には、真っ青な空と「青の空気」が溶け込んでいた。
その瞳から目が逸らせなくなった俺は、唇につめたい熱を感じて、ようやくそこでハッと我に帰った。氷織にキスをされている、と気付いて、それとほとんど同時に、戯れに触れ合った、冷えきった唇の冷たさにびっくりする。
「氷織ほんとに風邪ひいちゃうよ、いつからここにいたの」
「さぁ、」と、氷織はまたひとつ「ふふふ」と笑って見せた。
それは捉えどころの無い笑みで、氷織は捕まえようとするとするりと手の中をすり抜けていく、風船のような男だなと思っていた。風に乗ってふよふよ浮いている曖昧な存在の紐を、ギュッと離さないように捕まえているのが今の俺。
「朝メシにしよ?昨日の残りのご飯、おむすびにして」
「おかかがえぇなぁ」
「鰹節あったかなぁ……」
気が済んだら中に入っておいでって言い残して、俺は氷織の冷えきった鼻先にキスを落としてベランダを後にした。炊飯器に残っているご飯を使ってしまうとして、あとは温かなお味噌汁も作ろう、氷織はすっかり冷えてしまっているみたいだったから。それから、母さんから送られて来た仕送りボックスの中に入っていたぬか漬けも出して。
そうしたら和風の朝食が完成する。俺も氷織も朝はパン派だったけれど、ご飯が沢山残っているから仕方ない。俺はキッチン横のパントリーを漁って、鰹節を発掘した。
これで氷織のリクエスト通りにおかかのおむすびが作れる。
味噌汁の水を火にかけていると、ベランダにいた氷織がぼんやりとしたまま部屋に戻って来るところだった。キッチンに立つ俺を見つけて、自分はコーヒーメーカーにとっておきの豆をセットする。
「和食にコーヒー?」
「えぇ、コーヒー飲まないと目が覚め無いんよ」
そう言って水を入れてセットすると、今度はペタペタとスリッパの音を鳴らして、キッチンの中、俺の隣に立って手元を眺めていた。
「卵でも焼こか」
俺がぱちぱちと目を瞬いていると、氷織さんは耐えきれなくなったのかフッと笑みをこぼした。サッカーでは精度の高いパスをくれる彼は意外と不器用さんで、私生活がテキトーすぎて驚いたものだ、だからこんな可憐な顔をして、焼きそばとかラーメンみたいな大皿の男料理をさせたら意外と美味しいものを作るのだけれど、繊細な、それこそだし巻き卵のようなある程度の料理スキルを問われるものを作らせるとやけに出汁の効いたスクランブルエッグになる事を知ったのはここで一緒に朝を迎えるようになってからだった。
「顔洗っておいで、俺やっておくから」
だから当たり障りの無いようにそんな事を言った俺には不服そうな顔を見せて、自分はペタペタとキッチンを出て洗面所へと向かった。
「卵食べたかったのかな……」
そんな事をふと思って、俺はメニューに目玉焼きを追加した。ちょうど白だしを切らしていて、だし巻き卵は作れなかったけれど、卵が食べたいのならこれで妥協してもらおう。
じゅうじゅうと卵を焼いていると、洗顔を終えた氷織が戻って来てフライパンを覗いて微笑みを浮かべていた。どうやら卵を食べたかったのは正解みたいで、目玉焼きでも良かったらしい。掴みどころの無いふわふわとした男だったけれど、こういうところは分かりやすいなぁと思って、俺は半熟の目玉焼きをポンと皿に乗せた。
「潔くんはカフェオレでええ?」
「ウン、お砂糖無しでお願いしまーす」
「はーい」
俺の後ろをスルスル通り抜けて、牛乳パックと二つのマグカップを手にした氷織がキッチンカウンターの上のコーヒーマシンから挽きたてのコーヒーを注いでいる。俺がカウンターに朝メシを並べて行くと、氷織が綺麗にテーブルをセッティングして行く。
「ふふ、美味しそうや、ありがとうな」
「どーいたしまして」
だからそんな、ご褒美みたいな可憐な笑顔を浮かべると、氷織は手を合わせて嬉しそうに「いただきます」って呟いた。それが可愛くて、俺まで笑顔になってしまう。
そんな朝の、なんて事ない幸せな風景。

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