[月〜Dearest〜]
まんまるのお月様だけが、俺たち二人を見下ろしていた。
今日は、月の綺麗な晩だった。
チームメンバーで飲みに出かけた帰り道であった。ドイツ人の男たちはとにかく酒、特にビールが大好きで、翌日試合が無い日や、試合を勝利でおさめた日なんかはチームみんな揃って飲みに行くのが通例みたいになっていた。俺は元々酒が強かったのか、それともここの環境に慣らされたのか、そんなに酔い潰れる経験は無かったのだけれど、一緒にドイツに来てコンビを組んでいるこの男は違うようで、おそらく人並みには耐性はあるのだろうけれど、それでも日本人の成人男性の平均的な許容量なのだろうなと思うくらい、黒名は三回に一回くらいは、こうやって飲みつぶれる事があった。それでもやっぱり自分の許容量は心得ているようで、翌日の練習が早い日や試合が続いている時は上手い事回避しているのだから器用な男だった。飲み潰れてもいい日を選んでこうやって上手く泥酔するのだから、酒に強くて酔うまで飲むとコスパの悪い俺からしたら羨ましい事この上無かった。
だって黒名が酔っ払った日は決まって、俺が送り届ける事になっていた。
同じ日本人で、チームメイトでコンビを組むほど仲が良く、住んでいるチームのアパートメントも一緒だったから、そりゃあ、送らない理由なんて無かったのだ。
だから肩を貸して引き摺って帰る日もあったし、それこそ今日みたいに寝てしまったらおぶって帰る事もあった。黒名はフィジカルが課題の代わりに、その小柄で小回りが効くのが武器だったから俺がおぶってもそれほど負担では無くて(まぁ、それでも泥酔した成人男性なのだからそれなりの負荷はあるのだろうけれど、一応アレ、俺も鍛えてるし?)、こうして毎度の黒名の泥酔に付き合うくらいには、俺たちは仲良しだった。
だって今日は試合で勝って気分が良い。
しかも俺のゴールが決勝点で、そのアシストをしたのが黒名だったから、明日が休養日な事もあって、メンバーは大いに盛り上がった。黒名も俺も、いつも以上に酒が進んでいたし、俺も気持ち良く酔っ払っていた。ドイツの酒は美味くて、最近はビールの味もわかってきた。最初飲んだ時は苦い炭酸程度に思っていたそれが、試合で疲れた身体に染み渡る一杯になったのは、俺も大人になったのだなぁと感慨深かった。
よいしょって黒名を背負い直すと、黒名がモゾモゾ動いて何やら小さな声でボソボソと呟いているようだった。
「どしたぁ?気持ち悪い?」
「うんにゃ」
コート越し、感じる温もり。黒名は酔い潰れやすいけれどあんまり悪酔いはしない方で、今も俺の背中に頬を寄せて気持ちよさそうにしている。
「いさぎ、見てくれ」
「んー?」
「今日は月が綺麗だな」
俺の肩に手を掛けて、自分は空を見上げているのだろう。
黒名の言った通りに俺も倣って空を見上げると、なるほど、今日は満月で、寒い空気の中にあるせいか、月の周りにはお星様も綺麗に輝いていた。
「ほんとだ。綺麗なお月様だ」
だから俺もそう返して笑うと、黒名はまたもぞもぞと俺のコートの背中に額を擦り付けて、何やら訴えかけて来る。いつもの酔っ払いだって思うけれど、これは。
小さな声だったけれど、俺らの他には誰もいなかったからさ、聞こえちゃったよ。
「潔ぃ……好きだ……」
「黒名」
「好きだぁ……」
「黒名、飲み過ぎだって」
ずずっと鼻を啜る音が聞こえたから、もしかしたら黒名は泣いているのかもしれなくて、だから俺は冗談混じりにそんな事を言ってしまう。俺だってお前が大好きだよ。けどさぁそれはコンビとして、チームメイトのお前が大切なんであって、だからせめて、俺たちが二人一緒から離れられるまでは、一線は越えられないってずっと思っていた。
黒名を背負い直した俺は、多分自分が思っている以上に甘い声をしていたと思う。
「俺はお前が大切だから、それ以上は無いよ」
ずずっともう一つ、黒名が鼻を啜った。
翌日、酔いが覚めたら、きっとお前は何も無かったような顔をして、あのいつもの仏頂面を向けて、「潔」って俺の名を呼ぶんだろうけれど。
月が綺麗な晩だった。
だから俺は幸せな夢でも見たのだと思うことにした。
俺たちが住むアパートメントまで帰って来たのは日付が変わる頃だった。チームで借りている、独身寮みたいな扱いのアパートで、アパートといえど家具が完備されており、セキュリティのしっかりした1LDKのマンションみたいな部屋だった。俺たちはお互いに何かあった時のためにと合鍵を交換していて、だから俺も手慣れた様子でキーケースから黒名の部屋の鍵を取り出して、なんて事ない風に開錠して行く。
俺の部屋と間取りはおんなじ、ベッドルームはリビングの奥だった。広いベッドにぼすんと音を立てて黒名を下ろすと、黒名は目元を押さえて、まだぐずぐずしていた。
俺は勝手知ったるといった様子でキッチンの冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを持って来て、黒名のベッドサイドに置いてやる。
「潔はずるい」
ずるい男の、自覚は合って。だから俺は、お前だけのものにはなれない。
泣いて熱を持った黒名の汗ばんだ額を撫でてやって、それからチュッと音を立てておでこに小さなキスを落とす。そしたら涙なんか引っ込んでしまった様な顔をして、驚いた様子の黒名が俺を見上げてきょとんとしていた。
「ずるい男だ、おまえは」
「……なんとでも言えば良い」
俺は黒名の髪を撫で付けて、そっと部屋を後にした。

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