Can’t Take My Eyes Off You

 

 

女の子の好きなものがいっぱい。
カップケーキとマカロン、ロリポップキャンディ、3段重ねのアイスクリーム、細いグラスに入ったシャンパン、ボトルに入ったアロマオイル、バスオイル、ハートの瓶に入ったマニュキュア、リップスティック、 チークブラシ、ハート型の赤とピンクの風船、レトロな電話、それから、たくさんのピンクの薔薇の花。
視界を囲むピンク色の世界の中で、僕は下着みたいなピンク色のベビードールを着せられて、ダスティピンクのラブソファーに寝そべるように言われる。お行儀悪くピンクのピンヒールを履いた足を椅子の上に投げ出して、短いレースのスカートの中が見えちゃうんじゃないかってヒヤヒヤした。

「いいね、可愛い。」
「足、肘掛けに乗せちゃって。」

80’sサウンドをBGMにして、ピンクだらけの甘ったるい空間にカメラのシャッター音とストロボの音が鳴り響いている。ピピピピ、ピピピピ、と、ストロボが発光するたびに、僕は言われるがままにポージングを変えて、デカくてゴツいカメラを構える「彼」を迎え討つ。

ツインテールに結ばれたふわふわのウィッグもピンク色。僕の髪色に合わせて、彼が知り合いの美容師に加工をお願いしたものらしい。ウィッグに頬ずりをして、目線だけをカメラに投げる。次はキャンディ。ハートの棒付きキャンディにローズピンクの唇を突き出してキスして。アップで抜かれた。近過ぎるんじゃないか、肝心な、衣装が写っていないのではないか。
キャンディよりもアイスよりも、レンズ越しにちらちらと見え隠れするその瞳が一番甘ったるい。

「…やめて、恥ずかしい…」
恥ずかしいからそんなに見ないで。
嘘。もっと見てほしい。

「なんで?すごい可愛いよ」
「だって服、写ってない…!」
「ちゃんと撮ってるってば」

絶対うそ。調子に乗ってソファに乗り上がって、僕に馬乗りになって。
服なんて写ってるわけないじゃん。
「もう、」って怒った素振りをしたら彼は観念したのかクスクスと笑ってカメラを外す。
現れたのは超絶美形な王子様。
甘ったるいべっこう飴みたいな色の瞳で僕のことをうっとりと見下ろして、細くて真っ白な、傷一つない指が僕の化粧に塗りたくられた顔をくいっと持ち上げる。

「世界一可愛い。」

それは、僕の事を言ってるのか、それとも自分が作ったこの可愛いベビードールを示しているのか定かでは無かったけど。不機嫌な僕を宥めるようにキスをすると、前下がりのショートボブが動きに合わせて揺れて、元の位置に収まっていった。

倒錯的な、二人だけの秘密の時間だった。
BGMが変わる。
あ、これは知ってる、邦題は確か…

 

ーーー君の瞳に恋してる

 

 

***

 

都会の喧騒が耳に痛い。
チクチクと頬をさすくらいに寒い外気に耐えきれず、思わずマフラーに顔を埋める。久しぶりに外に出た、日にちの感覚が既に危ういけど、確か一週間ぶりくらいだったはず。気温は低いのに太陽は眩しくて灰になりそうだ。スケッチブックと資料用の分厚い雑誌が数冊、今日は課題提出のためにMacBookも入っている、肩が折れそうなくらいに重たいトートをかけ直して、ハァとため息を吐くと息が白くてげんなりした。
キャメルのチェスターコートのポケットに手を突っ込んで、人混みを逆行するように進むと、通りすがった人たちが振り返る視線を感じる。主に若い女の子。チークで不自然なくらいにピンク色に染まってる頬を赤らめて、ヒソヒソとこっちを見てる。
人に注目されるのは慣れていたし、自分が美しいっていう自覚もある。って言うと物凄いナルシストみたいだけど、そうあるための努力を惜しんだ事は無かったし、この顔に産んでくれた両親にも感謝しているから別にいいだろう。小さい頃から女の子みたいな格好をしてちやほやされて育ち、途中、思春期にはその少女趣味と容姿をやっかまれて男からも女からもイジメ紛いの仕打ちを受け、一時期スレそうになったものの、服作りと演劇という今の自分を構成する2大要素に出会ってからはおかげさまで夢に向かって真っ直ぐに育っている。
「可愛いものが好き」「主に自分が身につけるもの」という根っこからの趣味嗜好は変わらないものの、高校に入ってから嘘みたいににょきにょきと伸び続けている身長は175を越えてからは絶望してもう測っていない。うちの劇団のポンコツ役者と目線が同じくらいだから多分それぐらいなんだと思うけど。
ともかく、背も高くなって、顔も女の子みたいとは言えないくらいには男らしくなってからは、可愛い格好をするのは辞めた。パニエをたっぷり仕込んだふわふわスカートも、真っ白なブラウスもリボンもピンク色もまだ大好きだったけど、俺が身につけると美しく無いから。
好きなものを自ら汚しているようで、それは許せなかった。
それからはメンズのブランドの服を着るようになった。スカートはもう履かない。化粧もやめて、髪を少しだけ切った。
そうしたら、これまで俺をやっかんで陰湿ないじめをしてきた女の子達が、手のひらを返したように俺をちやほやするようになる。女ってこれだから怖い。男が好きってわけでは無いんだけど、どうしても女の子は好きになれなかった。なんも悪いことしてないのにいつか刺される気がして。

 

「あー珍しい!王子が登校してるー」

「女」って怖い、が、ここにいる奴らは女としてカウントしてない。本人達に言えばそれこそ刺し殺されそうだが。頭がスキンヘッドの女もいるし、ショッキングピンクの髪色のやつとか、服から羽が生えてるやつとか、いっつも着物を着てる市松人形みたいなやつとか。一見まともそうに見えても舌にピアス穴が開いてたりするから油断できない。どんな変人も「個性」として処理される空間、デザイン系の専門学校。特に俺が選択してる服飾科のクリエイティブデザインコースは、一般的なデザインや縫製を学ぶアパレル系のコースとは異なり、オートクチュールの一点ものを製作して発表する特殊なコースで、他の学科よりもイカれた生徒が多い。
変人の園に入ればまだまだ凡人だなぁとは思うものの、俺はここで、「クリエイティブコースの変態王子」という嬉しくもなんともないあだ名を賜っている。
2年間、好きな服を作る事に没頭出来るからと、高校卒業後は真っ先に専門学校に進むことを選んだ。遊んでるだけのちゃらい学校とは違い、ここは能力のある子は評価してくれるし、海外交流も学外発表も盛んで、ついでにワーキングスタディ制度を利用すれば、劇団の公演や衣装作りで授業に出れなかったりした時も、申請して許可が下りれば授業の振替や課題提出で単位が取れたりするので助かっている。

「王子って呼ばないで。月の課題貰いにきたんだけど、せっかく来たから授業受けてく。」
「ねぇねぇ、シーズン課題見たよ〜。相変わらずぶっ飛んでて好きだわー。」

前の席も隣の席も女。最初は離れて座ってたけど、趣味が同じだからか不思議と話が合って、今では中高とクラスで浮いた学園生活を送っていた俺からは想像もつかないくらいに友達に囲まれている。
男女比率2:8。つっても年齢も性別も不詳なやつらが大半の女の園。ここの女は俺を陰湿にシカトしたりしなければ、色目を使ったりもしない。まあふざけたり酔った勢いで抱いて!とかは言われるけど、多分俺より年上の人たちがほとんどだから、19のガキなんて男として見ていないのだろう。

「いつものモデルの子、めっちゃ可愛い子だけど。彼女?」

先日提出したシーズン課題の話だ。一年次の年間課題で、一年を通して4つ、各季節毎に決められたテーマに沿って作品を作る。4つの題材は、例えば共通のモデルを使っていたり、素材を使っていたりして関連性を持たせなければならない。春は「花」、夏は「色」、そして今回秋は「人形」。俺の場合は同じモデルを使い、ロリータ系の服という縛りを付けていた。「人形」の課題では、ベビードールみたいなドレスを作って、女の子が好きそうなピンク色の空間に、ピンクの下着みたいなドレスを着た、ピンク色の女の子の写真を撮って課題として提出した。
俺の理想をぎゅっと詰め込んだ、久しぶりのお気に入りの作品に仕上がった。

「彼女じゃ無い。カレシ。」

ワオ!という歓声が上がる。なんで女ってこんなにうるさいの。

「あらやだ意外。王子ってそっちの人だったの?」
「意外って言われんのが意外なんだけど。逆にストレートに見える?」
「だって、あんたの作品、甘ロリ系が多いからそういう女が好きな性癖なのかなーって」
「でも甘ロリ系の男の娘じゃん。余計に変態くさいよ」

うるさい声を聞き流して、重たいカバンからMacを出して立ち上げる。
Photoshopを起動して、時間まで別の作品撮りの写真のレタッチ作業をする予定だった。
が、トラックパッドを滑らせていた指をふと止めて、小声で呟く。

「…ごめん、ちょっとウソついた。彼氏になればいいなって思ってる人」

本当に小さな声だったけど、目ざとくもそれまで姦しくお菓子を食べながら会話していた声を止め、女達が一斉に振り返る。

「やああだあああ!かーわーいーいー!!」
「あー甘酸っぺー」
「もー言わなきゃよかった。」

カチカチとパッドをクリックして、モデルの肌荒れを修正していく。
彼氏になればいいなって、聞こえはいいけど。色々歪んだ愛情を孕みながら、俺のものになればいいなってずっと思ってる。足掛け5年の片思い。別に男が好きなわけでは無くて、俺の「可愛い」判定に引っかかったのが、たまたま男だったってだけだ。

あの子以上に可愛い子がいるとしたら、14の時の俺くらいだ。
それでも俺は大人になって、可愛いを失くして。
あの子は同じだけの年月を重ねたのに、変わらず可愛いままで俺の隣にいる。

ふわふわのわたあめみたいな髪も、菫の砂糖漬けみたいな大きな瞳も、小柄で、細身で、首も肩も細くて、本当に俺の理想だった。俺の作った服を着せて、誰の目にも触れないようにして、作品として飾っておきたい。可愛い可愛いお人形みたいに。
どうしても俺の作品にしたくて、課題に付き合ってもらう事にした。
最初は写真が外に出される事に抵抗を見せていたけど、それでも絶対にばれないようにメイクでなんとかすると説得して、ようやく条件を飲んでくれた。
仕上がりは想像以上で、ここまでの春、夏、秋の課題はいずれもトップ評価を得ている。

「ねえ、王子とあのかわい子ちゃんだったら、どっちがどっちに突っ込むの?」
「マジで昼間っからそういう下品な話やめて」

 

***

 

冬の課題が発表された。テーマは「夢」
毎度のことながらざっくりしたテーマなのだが、いくらでも広げようがあって楽しい。眠ってみる夢か、それとも現実でみる夢か。どっちにしよう。夢がテーマなら、眠り姫でもいいかもしれない。
学校の授業は楽しい。これまで独学で服を作っていて、それなりのクオリティを誇っていたけれど、基礎を勉強するのも、自分が知らなかった事を新しく吸収するのも楽しい。
劇団の稽古と、衣装作り、公演がない時期には学校に通って、課題をこなす。中高生の時よりも確実に忙しかったが、それでも朝から晩まで芝居と服の事だけ考えていればいいので毎日が充実していた。
寮の最寄りの駅までは数駅だ。実家よりも寮の方が専門に近いから、高校を卒業してからも寮生活を続けている。夕方の帰宅ラッシュの人の波に乗って改札を抜けると、駅前に見覚えのある顔を見つけて思わず笑顔になってしまう。

久しぶりに出てきたんだから、飲みに行こう、遊びに行こうという、学友の誘いを断って良かった。散々「彼氏?」「じゃねーよ、ぎゃははは!!」ってからかわれたけど。第一俺、未成年だからクラブとか女が好きそうなオシャレなバルみたいなとこに連れてかれてもつまんないんだよね。

あいつらの言ってることもまあ正解。
だってあの子が、「学校早く終わったから迎えに行くね」って言うから。

愛らしい顔を伏せて、スマホを覗いている。さっき俺が入れたLIMEかな。
こっちに気づいて欲しくて、少しだけ声を張って名前を呼ぶ。

「椋、」

あ、気付いた。
俺を見つけて嬉しそうに微笑む顔が可愛い。寒さのせいか色白な頬を赤く染めてて、かさかさに乾燥した唇が小さく「ゆきくん」と呟いた。
ネイビーのダッフルコートに身を包んで、首にはバーバリーチェックのマフラー。どっちも、俺が選んであげたやつ。傍には真っ白な自転車が控えている。競技用で結構な値段らしいそのおしゃれな自転車で、彼は片道30分ほどかけて毎日大学へと通っていた。インドアな自分には考えられないが、椋は昔から体を動かすのが好きだったから、通学は苦ではないらしい。

「おかえり。一週間ぶりの学校、どうだった?」
「みんなチョーうるさかった。」
「きっと、久しぶりに幸くんに会えて嬉しいんだよ」

隣に並んで歩き出す。椋は自転車を押して、のんびりと歩く俺の歩調に合わせてくれた。
横顔をちらっと盗み見る。やっぱり可愛い。でもちゃんと、男に見えるんだよなあ。
小柄で細身だけど、日頃から運動してるせいか無駄のない筋肉が付いているし、甘い顔立ちは今時の女の子が好きそうな造りをしている。実際、椋は中学生の頃から女の子にモテていた。何人もの女の子に告白されていたのも知ってるし、その中で一番可愛くて性格もいい子とお付き合いをしていたのも知ってるし、特に目立った進展もなく忙しさを理由にフラれたことも知っている。
俺はなーんでも知っている。だって椋が全部教えてくれるから。

好きになったきっかけなんて忘れてしまった。
中3で出会ってからずっと、椋は1番仲良しの友達だった。高3までの4年間を、同じ学校、同じ劇団で朝から晩までずっと一緒にいた。優しくて可愛くて、本人も認めるくらいドジで、でも芯が通っていてカッコイイところもあったりして。気持ちが落ち込みそうな時いつもそばにいてくれた。
おそらくその後の人生を構築する青春時代の大事な4年間を、家族よりも近い場所で過ごしてきた。

「…最後の冬の課題、もらって来たんだけど」

帰り道、今期のシーズン課題の話題を切り出すと、ほっこりとした空気が少し固まって、椋が小さく「うん、」と頷く。

1番の仲良しだった。
俺も男、椋も男の子。だから、1番の友達で充分だと思っていた。
が、この友情を拗らせたのはいつからだったか。

「また、みんなに見られるの?」
「うん」

チェックのマフラーに埋めた顔が赤いのは、きっと寒さのせい。
ふと、何か言いたげに黙り込んでしまった椋に、ちょっとだけ意地悪をする。

「椋が嫌なら、他の子にお願いするけど。」

こういう言い方をすれば椋が断らないのを知って、わざと言うんだから俺はズルい。
他の子になんか頼めるわけないのに。今度の課題はどれも、椋のために作った一点物。俺が本気出して作った、「可愛い」を詰め込んだ服だ。あれを着こなせるくらいに可愛い子を、男も女も含めて、椋以外知らない。

「やだ」

自転車をひく足を止めて、冬の空気に消え入りそうなくらいに小さな声で呟く。

「他の子になんか頼まないで」

いつものふんわりとした優しい雰囲気を押し殺した強い口調で、俺の事を睨みつけてくる。
これ。この顔。舞台の上とかでたまに見せる、俺の加虐心を煽ってくるような、貴重な表情。

あーもう、サイコーに可愛い。

うっとりと見惚れてしまっていて、きっと締まりのない顔をしていたと思う。怪訝な顔で俺を見上げてくる椋にニコッと微笑んで見せると、椋は赤い頬をさらに紅潮させた。

「そういう顔するの、ずるい」

俺とこの子のイケナイ関係。
そろそろ終わりに、するつもりだった。

 

***

 

女装のきっかけは些細なことだった。
高校は同じ学校、劇団の寮では隣の部屋。その日は休日で、お互いにルームメイトが不在で、多分暇を持て余していたんだと思う。高等部に進学して半年、夏組の公演を終えた時期だったから季節は秋頃だった。俺はルームメイトの天馬が仕事のために部屋を空けていて、やる事もないから部屋の掃除でもしようと倉庫から掃除機を借りて来たところだった。
部屋一面に掃除機をかけて、細々と散らばった私物を集める。大方室内が片付いて来たところで、後はクローゼットの中、と言ったところ。うちらの部屋のクローゼットは、俺も天馬も服好きで季節が変わる毎に色々買ってきては詰め込んでしまうから、多分寮では1番とっ散らかっているクローゼットだと思う、不本意ながら。
いつか掃除しなきゃなあと思っては居たものの、夏の公演と、秋以降も俺は服作り、天馬はその間に空けていた他のスケジュールに追われていたため、一夏の間に荒れてしまっていた。
クローゼットを開け放って、中をざっと見渡す。
向かって左の天馬のスペースは…まあ本人がいる時にでも一緒に片そう。こっちに雪崩れ込んでる小物を潰さないように押し返して、スペースを開ける。問題は右側の俺の方。
夏の始め、さあ今年も夏組始動だ、という場で、三角星人に「あれぇ〜?ゆき、おおきくなった〜?」って言われた。実際身体が軋むくらい急激に身長が伸びてる実感はあったものの、そう言った三角と目線の高さがさして変わらない事に俺が1番驚いた。
夏の衣替えで去年着ていた夏服を出した際に、これまで着ていた服が着れなくなっていて、夏の間に一気に服を買い替えていた。クローゼットの手前側、よく着る服が置いてあるスペースは、今では殆ど男物の服で、こっちは秋以降も冷え込むまでは着れるだろうからそのままでいい。

クローゼットの最奥。この夏の間目を背けていた現実が、そこにある。

最近買った服たちをかき分けて奥へ頭を突っ込むと、今ではもうサイズの合わない、「可愛い」服たちが、出番を無くして寂しそうにそこに収まっていた。
パステルグリーンのワンピ、ピンクのふわっとしたスカート、フリルの沢山ついたブラウス…。どれもこれもこの劇団に入った当初着ていたお気に入りの服たちだった。クローゼットから取り出して、先程掃除して綺麗になった床に並べる。まだ着れる?…いや、難しい。丈が足りたとしても肩幅で色々アウトだ。服が可哀想。でも捨てるのも惜しい程に思い入れがある服だから、何とかしてリメイク出来ないものか。でもリメイクしたとしても、今の俺が着て似合うものだろうか?
何で俺、こんなにいきなり背が伸びちゃったんだろ。父さんも母さんも、姉だってそんなに長身じゃない。そういう家系なはず。背が伸びて演じる役柄も変わってくるし、身体も痛くて眠れない事もあるし、本当にいい事なんてない。
服の前に正座して、考え込んでいると、ぽとぽとと床に水滴が落ちているのに気づく。
泣いていた。情けない事に。
こんなことで泣くなんて、大の男が情けない。と涙を拭うものの、一度溢れてしまったものは止まりそうもない。

「幸くんいる?宿題でわかんないとこ教えてほしいんだけど」

宿題を手に俺の部屋を訪れた椋に、その場面を見られてしまったのが、一番の誤算だった。

「…むく」
「えっ、ちょっ、どうしたの?!」

何で椋だったんだろう。例えばこれが他の大人たちだったり、同室の天馬だったりしたら、俺は突っぱねて「うるさい、見るな、出て行け」って言って、それでおしまいだった。
ここでは最年少で、周りの大人たちは「もっと周りに甘えてもいいんだぞ」って言うけど、あいにくこちとら年上に甘える事には慣れていない。今思えば、対等に扱ってほしくて、背伸びをしていたんだと思うけど。
そう言った意味では椋は違った。本当の意味で対等の存在で、タイミングがいいのか悪いのか、俺が弱っている時に側にいてくれる事が多いから、よくこうやって情けないところを見られてしまっているし、彼はいつも何も聞かずに、両手を広げて受け止めてくれた。

今回も同じように、情けなくも泣きついてきた俺の背中に腕を回して、よしよしと撫でてくれる。
どんどん成長する俺に対し、椋は小柄で可愛いままで、少女漫画の王子様に憧れている本人としては背が伸びないのを悔やんではいるものの、俺は彼が羨ましくて仕方なかった。
椋の胸はいつだってあったかい。そこに頬を寄せると、自然と心情を吐露してしまいそうになる。

「可愛くなくなった自分なんて嫌だ」

本当はもっとずっと、可愛い服を着ていたい。可愛い自分でいたいのに。これを着た可愛くない自分には耐えられそうもなかったし、それでも大切な服を捨てるのは嫌だ。色んな感情がぐちゃぐちゃになって、何も悪くない椋相手に八つ当たりしそうになる口をぐっとこらえる。
これ以上、自分を嫌いになりたくなかった。

「…大人になんかなりたくない」

すん、と鼻をすすると、それまで黙って背中を撫でていてくれた椋が、俺の顔を見上げてそっと涙を拭ってくれる。

「可愛くないなんて言わないで。幸くんはいつだって、可愛くてかっこいいよ」

椋はいつでも俺を肯定して慰めてくれるし、俺は椋のそういうところが大好きだったんだけど、今回ばかりはそんなこと言わないでほしい。
だってそれを言う椋の方が、もっとずっと可愛い。
肩も首もこんなに細いし、足も綺麗だから短いスカートとか似合いそう。顔だって色白で化粧が映えそうだし、長いまつ毛をビューラーで巻いて、アイシャドウはブラウン系かグリーン系。コーラルピンクのリップを付けたら可愛いだろうなって。
きっかけは些細なこと。出来心。戯れ、だった。

「…ねえ、椋にお願いがあるんだけど」
「なあに?僕にできる事なら」

いいよ、って頷いた椋を言い包めて、俺が着れなくなった「可愛い」服の中から、小花柄のワンピースを着せた。身体のラインが目立たないストンとしたデザインで、首元まで隠れるハイネックの形をしている。髪の毛は細かく編みこんで、アイメイクは迷ったけどグリーン系にした。マッドなオリーブ色で縁取って、まつ毛にはナチュラルなブラウンのマスカラをのせる。唇はツヤ感のあるピンク色のリップ。胸元の黒いリボンをくるんと結んで、茶色の編み上げブーツを履いて、白のベレー帽を被せたら完成だった。

出来たら劇団のみんなに見せびらかそうと思っていた。
可愛いでしょ?俺がコーデしたの、って。

それが出来なかったのは、完成体が予想以上に可愛かったからだ。

「かっ…」

言葉が続かない、どころか、俺が作ったものなのに直視できなかった。
可愛い、何だこれ。
椋が好きだった。男の子の椋が。ちゃんとその自覚はあった。
可愛いところも、男らしいところも、全て引っくるめて、見た目も性格も大好きだった。

だけど、これは…

「じろじろ見ないで…やっぱり似合わないんでしょ、早く脱がせて」

俺があまりにも凝視するから、椋は俯いて顔を隠してしまう。
なんなのそれは。可愛いカッコをすると、仕草まで可愛くなっちゃうのか。
可愛い、可愛くて仕方ない。
見せびらかす?とんでもない。こんなに可愛いの、誰にも見せたくない。俺が独り占めしたい。

俯いた顔を上げてあげて、細い体をぎゅうっと抱きしめる。

「似合ってるよ。…どうしよ、めちゃくちゃ可愛い。」
「えぇえ?」

胸の奥に抱いてはいけない感情が芽生えているのを自覚してしまう。胸がドキドキして、頬が熱い。抱きしめて壊してしまいたいような、でも大事に飾っておきたいような、不思議な気分。
腕の中で混乱している椋を尻目に、俺は新たなる趣味を見つけてしまう。
誰にも明かすことのできない、とっても背徳的な趣味。

親友に女装をさせて、誰にも内緒で愛でるっていう…

胸元のリボンを指先で弄んで問う。

「脱がせてもいいの?」
「…やだ」

 

***

恋心を抱いて足掛け5年。
それを拗らせて4年。

4年の間に俺の歪んだ愛情は、拗れて拗れて、今に至る。
最初は部屋の中で、こっそり。俺が着れなくなった服を着せて、化粧をして、2人きりで遊ぶ。その頃ちょうど、椋のルームメイトのカズナリが就職して寮を出ていたから、言ってしまえばやりたい放題だった。既製品の服じゃ物足りなくなって、椋のためだけに服を作った。学友の女たちに言わせれば「俺の性癖」を詰め込んだ、フリルとリボンとパステルカラーがたくさんの「可愛い」服。お店で売ってるようなベーシックなデザインのもあれば、しれっと、ちょっとエッチなデザインの下着みたいなやつも作って着せたりした。

高3の冬に椋に彼女が出来て一旦は自粛したけど、距離を置いたら寂しくなっちゃって、俺はちょっと荒れた。つっても周りにはわからない程度に。暇になった時間で、万里や天馬に遊んでもらったり、寂しくて眠れない夜はあず姉に添い寝してもらったりしていた。
そうこうしているうちに春が来る前に椋は彼女と別れていた。
理由を聞いたら「なんか上手くいかなくて」って、割とあっさり流された。

椋は最初は若干ひいてたけど、俺の行為がエスカレートするにつれて、段々のめり込んでくるのが手に取るようにわかった。当初誰にも見せないつもりだったものの、ちょっとした好奇心で外へ連れ出した事もある。もちろん、万が一の場合を考えて遠くの街にしておいた。いつもより気合を入れてメイクをして、手持ちのウィッグから椋に似合いそうな毛質のロングヘアのウィッグをチョイスした。どこからどう見ても完璧な女の子。バレるはずがなかった。
困った顔が見たくて手を繋いでみたら、ショーウィンドウに映った自分たちの姿を見た椋が、少しだけ寂しそうに「なんだか映画に出てくるカップルみたいだね」って呟いたのが印象的だった。

戯れでキスもしたし、ふざけてそれ以上のセックス紛いのイタズラも何度か。そこまでやっといてアレだけど、ちゃんと椋の事が好きだって言うタイミングを逃したまま、今に至る。
こんなのいけない、いつか終わりにしなきゃなって思いながら、今日までズルズル。

「そういえば…」

冬課題のフィッティングだって言って椋の部屋にお邪魔して、8割完成してる衣装を試着してもらう。テーマは「夢」。俺は、不思議の国のアリスを題材にしてアリスみたいなドレスを作った。でもいわゆるブルーのアリスっぽいエプロンドレスじゃつまんないから、アリスの見た夢をイメージして、ドレスには色んなモチーフがくっついている。ふんわりしたミニスカートを履かせて、足元はつま先がコロンと丸い厚底のロングブーツ。

「紬の紹介でカテキョのバイト始めたって本当?」
「…紬さんから聞いたの?」
「そうだよ。」

ぎくりと、気まずそうな顔をこちらに向けてくる。
まだ服の試着の段階だから化粧もしてなくて、髪型も素。男の子の椋の姿のままで、アリスのドレスを着て、俺の機嫌を伺うように可愛い顔がこっちを覗き込んでいる。

「内緒にしてたの怒ってる?」
「怒ってないけど。面白くない。」

ぷん、と拗ねて見せると、困ったような笑顔。

「僕、教職取りたいなって思ってるから、いい経験になるかなって思ったんだけど…」
「生徒さん、男の子?女の子?」
「え?女の子だよ」

聞いといてあれだけど、どっちにしろ面白くない。
女の子なんて、またモテちゃうじゃん。もちろん小学生だか中学生だかとどうにかなるとは思えないけど、「先生カッコイイ〜」とか言われちゃうんでしょ?なにそれ、面白くない。

「なんて呼ばせてんの?向坂先生?椋先生?」

拗ねた顔を意地の悪い笑顔に変えて、ふりふりのドレス姿の椋に馬乗りになる。
やばい、困った顔も可愛い。その整った顔をもっと困らせたいなぁって、赤くなった耳元に唇を寄せて、声を吹き込む。

「先生が女の子の格好してイタズラされてるって知ったら、その子どう思うのかなぁ…」

ぶるりとパフスリーブの肩が震えて、頬が引きつったようにぴくぴくしてる。

「やめてよ?」
「…冗談だけど」

クスクスと、さっき留めたばかりの胸元のボタンを外して、覗いた白い肌を撫でて笑う。

俺の子供じみたワガママな本音は「他の子のところになんか行かないでよ」
そんな事言えるわけないってのも理解してる。だって俺は椋の彼氏でも彼女でもないから。

 

***

 

あっという間に年が明けて、新年、1月。
クリスマスも年越しも寮で賑やかに済ませて、新年三が日は実家でおとなしく過ごした。男ざかり、華の19歳。彼女はいないけどそれなりに楽しい一年だったなあと、年寄りみたいに振り返る…暇もなく、俺は2月の頭にある校内発表の準備に追われていた。
発表は、各学科で制作した作品の展示と、服飾科は小規模だけど校内のホールを使ってファッションショーも行う予定だった。
これまた、ショーの件を椋に話したら最初は嫌だって言われたけど、校内発表なので先生と同じ科の人しか見れないって言ったら渋々承諾してくれた。ていうか出てくれないと困る。今回の企画の衣装は全部、椋のサイズに合わせて作った一点物なのだから。
今回の課題を最後に、このおかしな趣味はおしまいにするつもりだった。
俺の全力の可愛いを詰め込んだ服を作って、椋に着せて、作品として残す。1番可愛い姿のままで。

冬課題、兼、ショーで使う用の衣装は仕上がった。
今日は当日校内に展示するポスターのスチール撮影。
これまでに撮影した、春課題、夏課題、秋課題、と並べて、A3サイズの4枚を飾る予定であった。
春は妖精をモチーフにパステルイエロー、夏はマーメイドのディープブルー、秋はベビードールのショッキングピンクをイメージカラーにした。
既に完成している3枚の色鮮やかな写真の仕上がりを見て、とりあえず満足。
あとはここに、冬課題の「白」が加われば俺の作品は完成する。

撮影用に臣の紹介で貸しスタジオを安く借りれた。
汚してもちゃんと掃除すればオッケーな緩いとこらしく、古びたマンションの一室を改造した部屋で、管理者も支払いを済ませたら出ていってしまった。AVの撮影とかもするらしい。臣はアクションものの撮影で借りて血のりまみれになって、掃除が大変だったって言ってた。
貸しストロボが2台だけ置かれていて、借りてきた機材でセッティングする。

真っ白な部屋の真っ白なベッドの上、横たわって瞳を閉じているのは俺だけのアリス。
襟付きの真っ白なワンピースドレス、袖はふっくらとしたパフスリーブで、タイトな胸元はレースで縁取られている。ミニスカートの中は何重ものパニエが仕込まれていて、ふんわりと広がって細い足が覗く。スカートには沢山のモチーフ。うさぎや花やティーパーティ、トランプの柄。全部刺繍やコサージュで作ってある。足元はロングブーツにする予定だったが、白黒ストライプのオーバーニーソックスと黒のレースアップシューズにした。頭はプラチナブロンドのウィッグに、大きい黒リボン。
ベッドの上には沢山の白い羽根と不思議の国のアリスに出てくる小物を散らばらせてある。
白黒のコントラストの中で、唇の赤だけが際立つ写真にしたい。
脚立に登ってカメラを構え、ベッドを見下ろす。

「可愛い」
「これでいいの?」

パチリと片目だけ開けて、こっちをチラ見してくる。
ねえなにそれ。スゲー可愛いんだけど。
バシャ、ピピピピ…思わずシャッターを切ってしまい、ストロボの光が目にチカチカした。

「可愛いんだけど両目閉じて。」
「こう?」

両手を胸の前で組んで眠り姫のポーズ。うん、それも可愛い。

「いいね、可愛いよ。ポーズ変えて色々撮ってみようか」
「そう、今度は両手をだらんと投げ出す感じで」
「瞳は閉じたままで、口元に微笑み浮かべて」

何パターンか俯瞰からの全身のショットを抑えて、脚立を降りる。
白いベッドに足をかけると、真っ白な羽根がふわりと舞った。カメラのファインダー越しに、すみれ色の双眸が開いて、ぼんやりとした様子でこちらを覗き込んでいるのが見える。
可愛い、本当に。
俺のものになってしまえばいいのにってずっと思っていた。この瞳も、この身体も。
ゆっくりと瞳が閉じる…
アリスの見た夢。ーーー椋は、どんな夢を見るんだろう。

「ねえ、今日まで俺の趣味に付き合ってくれてありがと。」

バシャッ…ピピピピ…
静かな空間に、シャッターの音だけが途切れる事なく響いていた。
その中でピクリともせず、まるで本当に眠ってしまったかのように、横たわっている。

「おかげで最高の作品になった。…ショーが終わったら、もう椋を解放するね」

ピピピピ…ピピピピ…
夢見るアリスは目覚めない。その間も様々な角度からシャッターを切り続ける。
聞いているのかな?まさか寝てしまったという事は無いだろうけど。

また1番の友達に戻れるとは思っていないけれど、拗れた関係くらいはリセット出来るんじゃないかって淡い期待をしている。青春時代を共に過ごした、元学友。同じ劇団に所属していて、部屋が隣同士。その程度のあっさりとした仲に戻れるんじゃないかって。

「オーケー。おしまい。もう起きてもいいよ」

予定していたカットを撮り終えて、目覚めを促す。
美しい寝顔で横たわるアリス姿の椋は、赤いリップの塗られた唇を笑みの形に変えて、瞳を閉じたままで続ける。

「終わらせないって言ったらどうする?」

ライトを落とした薄暗く静かな空間に、聞き慣れた椋の声だけがしんと聴こえていた。

「終わりなんて嫌だ」

ぐいっと腕を引かれて、頬をプラチナブロンドが掠めた。
形成逆転されて、今度は俺が真っ白なベッドに沈められる番。
俺のおなかの上にちょこんと座って、被せてあるだけのウィッグを外して椋は言う。

「…どうしたら僕のこと好きになってくれるの?やっぱり本当の女の子じゃないからやだ?」

背中のジッパーを外して上衣を脱ぐ。暗闇の中で白い素肌が見えた。
ゴシゴシと手の甲でリップを拭ってしまえば、可愛いけどどこからどう見ても男の子。

赤の残る唇で口付けられ、2人一緒に真っ白いベッドの海へ沈んで行った。

 

***

 

ーーー王子様になりたかった。

小さい頃は、おとぎ話の王子様。優しくてかっこよくて、時には悪の魔女と戦うような強さもあって、僕はそんな王子様に憧れていた。小学校高学年くらいの時に姉の影響で少女漫画に出会ってからは、漫画の世界の「王子様」へとシフトして行ったけれど、ずっとぶれる事なく、僕の夢は王子様になる事だった。

中学生になって、僕は「リアル王子様」と出会う。
僕の王子様はスカートを穿いていた。

4組のルリカワくん。彼のウワサは劇団に入るよりも以前から、しがない一般生徒で彼とは全く接点のなかった僕の耳にも届いていた。

「同じ学年にとっても綺麗な子がいる」
「でもとても変わっているの」
「あいつ男のくせに女の格好してるんだぜ」
「俺、スカート穿いてんの見たわ」
「◯◯子が告白したら、すごくキツイ言葉で振られたんだって」
「えー酷いね」

ルリカワくんのウワサは悪い話である事の方が多く、僕は勝手に怖い人なのかな?って印象を受けて、最初はあまり関わらないようにしていた。
ルリカワくんはいつも窓際の後ろの方の席にいた。横顔がとても綺麗で、スッと通った鼻すじに薄い唇は赤みがかっていて、切れ長の、だけど大きな瞳が印象的だった。みんなと同じ制服を着ているのに1人だけ印象が違うように凛としていて、胸元の、男子は付けない「リボンタイ」が、彼のささやかな、男の子は制服でスカートを穿いてはいけないって校則へ対する抵抗のように見えた。

当時、みんなが彼の容姿を称する時には「可愛い」って言葉が多く使われていたけど、僕の幸くんの印象は最初から「かっこいい」だった。王子様みたいな子だなって、移動教室で4組の前を通るたびに、僕は彼を盗み見して思っていた。

学校の外で、劇団で出会った幸くんは、確かにスカートを穿いていて、女の子の格好をしていた。
ふりふりのブラウス、ピンクのスカート。頭にはピンクのベレー帽が乗っていて、顔はふんわりとお化粧してるみたいだった。学校とは違う彼に、初めて「可愛い」って印象を抱く。
彼は自分が身に付けるものを始めとして、可愛いものが大好きで、少女漫画が趣味な僕とは意外と気が合った。仲良しになるには時間はかからなかった。
一緒にお芝居を勉強して、舞台に立って、楽しい日も辛い時も、気づいたらずっと一緒にいた。
服作りが得意だという彼は、中学生ながらすごい技術で、劇団へ衣装提供をしていた。
天才という言葉は幸くんみたいな人のためにある言葉だなって思うくらいに、彼は才能にあふれていた。その、キラキラした衣装に袖を通すと不思議と自分の演技までキラキラして見えるんだから、この衣装を生み出す幸くんの両手は魔法の手だなってずっと思っていた。

幸くんはかっこいい、その印象は今もずっと変わらない。
でも、それ以外にも可愛い一面があったり、弱い一面があったり、王子様みたいな子の人間らしい一面に触れる事で、僕は最初よりずっと、彼の事が好きになっていった。

 

ーーー…夢を見ていた。長い夢だ。
王子様が見せてくれた、魔法にかけられたようなひと時。

身体を起こすとそこは見慣れない広いベッドの上で、隣で眠る人影を認めて、先ほどまでの一連の流れを思い出してサーっと顔が青くなった。身体が重い、特に下半身。ピンポイントでおしり、って言えない位にはもう腰から下が怠くて怠くて仕方ないくらいだった。
僕から誘った。はしたないって思ったけど、だって終わりにしようって彼が言うから。そんなの嫌だって女装姿のまま馬乗りになって、唇を奪って。彼が抱いてくれるならそれで良いって思ってたし、拒絶されたら無理やりにでも僕のものにしていたと思う。それくらい必死だった。
結果は先述の通りなんだけど。でも幸くんは僕なんかよりもよっぽど理性的で、スタジオのベッドの上で事に及びそうになっていた僕を窘めて、近場の繁華街の適当なホテルに連れ込まれた。初めて来たけどいわゆるラブホってやつだと思う。男同士でこーゆうとこって入れるもんなのかと、入り口で尻込みしていた僕を見てクスリと笑って「いいの?」って一言だけで聞いて来た。
こんな時まで王子様。困ってるお顔も美しい。
僕は、とりあえず私服へと着替えてきたものの、化粧を落とす余裕もなくチークで赤いままのほっぺをマフラーに隠して、うんって小さく頷いた。

王子様が王子様だったのは、部屋のドアの前までだった。

ドアが閉まると同時に、コート姿のままで身体をかき抱かれる。
名を呼ぼうとしたら唇を塞がれて、外気で冷たいのか体温で熱いのかわからないくらいだった。

「…本当に俺のものにしてもいいの?」

長いキスの合間に、少しだけ唇を離して言われる。
超至近距離に綺麗な顔があって、でもいつもの余裕はどっかに行ってしまっていて、僕までドギマギしてしまう。数えきれないくらいには遊びのキスは何度もしてきたけれど、男の子の姿のままでは初めてだった。僕に女の子のカッコさせると彼氏ヅラして色々いたずらしてくるくせに、男の僕に対しては徹底して親友の顔を貫いて来るから、最早女装姿じゃないと勃たない性癖なんじゃないかって諦めていたんだけど。

「男の子の僕でもいいの?」

返事を聞く前にぐいっと腕を引かれてベッドへと誘われる。
優しく押し倒されて、さっきよりも広いベッドに横たわっていると、丁寧に丁寧に、コートとシャツのボタンを一個ずつ外されて、目線は合わせてくれないから、独り言なのかなって思っちゃうくらい小さい声で呟く声が聞こえた。

「…いいも何も、そのままの椋がずっと好きだったんだけど」

逸らした顔は真っ赤。
こんな顔してる幸くんは、出会ってから初めてだった。僕は今、珍しいものを見ている。

「………そういうのは早く言ってよ」
「だって椋、最初は引いてたし。…かと思えば彼女出来たとか言い出すし。」

「あ」と、高3の終わりの出来事を思い出して言葉を飲み込む。そういえばそんなこともあった。元はと言えば幸くんがはっきりした態度を取らないから、気を引くためについた嘘だった。同じクラスの可愛い女の子に告白された、までは本当の話で、実際は告白された時点で断りを入れている。でも幸くんの気を引きたくて、ちょっとでも寂しい思いをすればいいのにって些細な嘘をついた。「彼女ができた、同じクラスの◯◯ちゃん」って。…でも僕の思惑は上手いこといかず、逆に距離を置かれてしまったから、慌てて別れた事にした。表向き付き合っていた期間1ヶ月足らず。思い返して見ても最悪な男だったと思う。

「あれは…幸くんの気を引きたくて、って言ったら怒る?」

正直に告げると幸くんは真っ赤な顔をわなわなと震わせていて、あ、やばい怒らせたかもって思ったんだけど、それでも顔をくしゃりと緩めて笑顔になると、僕を抱きしめて耳元で囁く。

「…〜〜ほんっとに。あんまり可愛い事言わないで」

飴色の瞳が熱に溶けていて、吸い込まれそうなくらいに綺麗な人だなって思った。
そこからは、まあ。なし崩しだ。恥ずかしくて顔から火が出そうなので割愛させてもらう。

真っ白なシーツに包まって眠る、穏やかな寝顔は年よりも幼く見える。寝顔を見るのも貴重だった。だっていつも彼は忙しそうに服を作っていたから、いつ寝てるのかなぁって思っていた。
幸くんは本当にかっこよくなった。出会った頃も充分かっこよかったけど、この4年間でそれはもう相当に。スラリと細身で長身、顔立ちも元々綺麗だったものが男っぽくなって、まるで僕が小さい頃から憧れている王子様が具現化したかのようだった。
そんでもってこの人ってば、自分がどれだけモテるかってのを自覚しているのかいないのか。本人に聞いたら「誰に好かれるかじゃなくて、俺が誰を好きになるかが大事」って言われてしまった。そんな事を言われて、思いを伝えるタイミングを逃してしまったのは内緒だ。

「…かっこいいなぁ……」

寝顔を見つめていると、きゅうん、って胸がときめいて痛い。
指先で頬をなぞっていると、吸いついてくるようにしっとりとしていた。
いつまでも触っていたくて指先がすっと通った鼻すじに移動していくと、それまですやすやと寝息をたてていた幸くんがプルプル震えだす。

「…ふ、ふふっ…あははは、やだ、やめて、」
「あー!寝たふり?」
「ごめん、だって、椋が可愛くて…」

あはははって笑いながら、枕に頬杖つく姿すらも様になってしまう。
何も身につけていない上半身の肌色が目に痛くて、思わずバッと目を逸らしてしまった。

「ねえ、終わりなんて嫌だって言ったの覚えてる?」
「そ、それは…」

言った、確かに。今回のショーを最後に、僕に女の子の格好をさせるのをお終いにするって言った幸くんに、「終わりにしないで」って言ったのは僕だ。でもそれは、僕たちの関係までもがお終いになっちゃうかもしれないと思って口から出た言葉であって、思いが届いて身も心も結ばれた今、自分から進んで女装がしたいわけではない。
…つもりだったのだけど、

「また可愛い格好してくれるの?」

そう言って甘ったるい瞳で見つめられてしまったら、僕はうんって言わざるを得ない。
というか…結構、僕自身も彼のヤバイ趣味にハマりつつあったり…。って言ったら調子に乗ってまたエッチな格好させられるから口に出して言うことは無いんだけどね。
頷くだけに留めておくけど、それでも彼は満足そうに微笑んでこう言うのだ。

「じゃあまた、椋のために可愛い服を作るね」

 

***

 

後日談ーーー

ごく健全な(とは言えないかもしれないけど)男子大学生が、魑魅魍魎の前にさらけ出されている。
今にも頭からパクッと丸呑みされちゃうんじゃ無いかってくらいにジーーっと凝視されていて、可哀想なくらいにガタガタ震え上がっていた。メイクは既に終えていて、プラチナブロンドのウィッグと衣装も身につけている。

「へーヤダァ、チョー可愛いんですけどぉ」
「やーん、意外と大きいのね」
「やだこの子、震えてるわよ、可哀想に」
「王子、これがウワサの、」

代わる代わるにベタベタ触られて、助けを求めるように見上げられた視線が可愛い。
あーもうそんな可愛い顔しないで。ここ、学校。これからショー本番なんだから。

「そう、俺のカレシ。」
「えっ?!」

ぐいっと、魍魎の匣から救い出すように腰を引くと、椋は真っ赤な顔で俺に振り返る。

「えーーー!!」
「やだ王子、おめでとう〜〜」

魑魅魍魎…もとい学友達の祝福を受けて、椋は大分混乱しているが、この後割とすぐにステージに立たなければいけない。俺の順番が迫っていた。
赤い顔であわあわしている椋の手を引いて、舞台裏へとスタンバイ。

ステージは小さく、本日客席には、審査員である教師陣数名と同じ科の見知ったメンバーしかいなかったが、それでも俺には立派なランウェイに見えた。
無音じゃ盛り上がらないからと気を効かせてかけられているBGMはエイティーズ。こんな古臭いディスコサウンド、絶対あのばあちゃん世代の教師のチョイスだろう。でも俺は結構好きだ。特にこの、『Can’t Take My Eyes Off You』ーー「君から目が離せない」の和訳の通りに、みんな俺のアリスに夢中になってしまえばいい。

震える手をぎゅっと握る。
意外と大きい、骨ばった、男の子の手のひらだ。
不安げな椋の瞳とは対照的に、そこに映った自分は、自信に満ち溢れている。

「大丈夫、椋が世界で一番可愛い。」

魔法の呪文みたいにそう、耳へ吹き込めば、俺のアリスは満面の笑みを浮かべて、ランウェイへと歩き出して行くのだった。

 

 

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