花火

 

 

君を、君にふさわしい花で飾ろう。

 

見下ろした先には夏の雨雫に濡れた白百合の花が咲いていた。濃い色の髪の毛に刺さった一輪の百合の花の髪飾りをつんと指先で突くと、丸い瞳が弾かれたようにこちらを振り返って、揺れる。
瞳も、髪飾りも。

 

「・・おれ、すごい雨男なんだ」

 

ザアザアとバケツをひっくり返したような雨は止むことがなくて、駅の構内は同じように雨から逃げてきた人々で溢れかえっていた。その中で、はぐれないように咄嗟に繋いでしまった手のひらは、離せないままで今に至る。俺を見上げる琥珀の宝石みたいな瞳は残念そうな色を滲ませていて、血色のいいこどもらしい頬っぺたがぷーっと膨らんでいた。

 

「そうなの?俺もなんだけど」

 

夏の終わりの花火大会。小雨決行、荒天の場合は中止、との区のホームページを見ながら、色とりどりのてるてる坊主を寮の窓際に吊るしている様子を数日前から目撃していた。最初は幸ちゃん一人だったけど、カズくんや椋くん、夏組のみんなで作ったてるてる坊主が、窓一面を覆い尽くす様は中々に壮観で可愛らしかったんだけど。

 

「てるてる坊主、仕事しろよ・・」
「あはは・・ちょっと荷が重かったみたいだね・・」

 

その日は、1週間前から、降水確率60パーセントの予報が出ていた。
じめじめと湿気が肌を包むような、じんわり暑い、夏のある日。

 

 

 

 

 

「花火大会?」

 

夜のお勉強会、その、別れ際。それぞれ散り散りに部屋に戻って行く他の面々の背中を見送っていると、不意にシャツの裾を掴まれて、振り返ると意志の強そうな瞳がこちらを見上げている。

ーーー花火、大会。

 

「二人で?」
「だめ?」

 

正直言って、魅力的なお誘いだ。
花火大会なんて、学生の時にサークルのみんなで行って以来だし、大人になってしまったら、彼女でも居ない限り行く機会なんてそうそうない。しかも、幸ちゃんからのお誘い。
この一夏でだいぶ俺に懐いてくれるようになった人嫌いな子猫は、暇を見つけては俺の元にやってきて、俺を遊びへと誘ってくれる。例えば、お買い物だったり、ストリートアクトだったり、夜のコンビニだったり、そんな些細なお出かけなんだけど、これまで夏組のみんなと一緒にいるところを多く見かけていたから、嬉しくもあって、夏組の子たちには申し訳ない思いもあって。

今日のこれも多分、その一環だ。
だから、ちょっとそこまで、の気分かと思ったんだけど。

 

「でも花火大会なんて、この辺でやってないんじゃないかな?」
「そう、だから、ちょっと遠くまで行こう」

 

幸ちゃんが取り出した一枚のフライヤーに載っていた地名を見て、俺は思わずへぇと声を上げてしまう。確かに、ここからなら、電車を乗り換えなければいけないちょっと遠い場所だ。けれどその花火大会は、イベントごとにも疎い俺でも知っているくらいの有名なものだった。

 

「監督が、誰か大人の人が一緒ならいいよって言った」

 

大人の人。
それはあれか?

 

「保護者的な、」
「・・・紬が保護者なんて面白すぎるでしょ」
「だよね」

 

保護者なんてそんな、重要な役目、俺に務まるなんて思ってないけど・・あっさり言い返されてとほほとうなだれていると、俺を見上げる顔からクスクスと笑みがこぼれて、苦笑まじりに、くいと腕を引かれた。可愛い顔が近づいて、長い睫毛がぱちぱち揺れてる。

 

「保護者じゃなくて。・・デートの誘いなんだけど。」
「えっ?」

 

とどめの一言で、俺は陥落させられる。

 

「今、可愛い浴衣作ってるの。出来たら紬に見せてあげるね」

 

これは、随分と魅力的なお誘いだ。

 

 

 

ーー・・

君が、今日の日をすごく楽しみにしていたのも知っている。雨の予報が出てから毎日毎日増えていったてるてる坊主もそうだし、自信作らしい浴衣も紺地に白い花柄で、大人っぽくて可愛い。昼間から監督と2人でいそいそと支度をしていたことも、知っていた。だから、この大雨に凹みたくなる気持ちも、よくわかる。
寮を出た時はまだ小雨だったから、区のホームページでもツイッターでも、今夜の花火大会は決行予定の旨が記されていた。それが、夕暮れから腹ごしらえにと出店を回っていて、さぁいざ、花火が上がる時間だって意気込んだタイミングでの、この雨。

 

「冷たくない?大丈夫?」

 

慌てて近くの駅に逃げ込んだけど、髪の毛から雫がしたたる程度には濡れてしまった。
幸ちゃんの濡れた前髪を親指でちょいちょいとかき分けると、汗でしっとりと湿ったおでこが覗いた。髪の毛に触られて、君は、少しだけ頬を染めて身を引く。

 

「さ、寒くない、平気。」
「タオルあるから、拭いて」
「ありがと。・・紬こそ、風邪ひいたりしないでよ?おれが幼馴染に怒られる。」

 

差し出した小さなタオルで額を拭って、そんな事を言ってる。
流石に、いくら丞でも俺が雨に濡れて風邪をひいたくらいで、同行者を怒るなんて事しないと思うんだけど・・しかも相手は中学生だし。
過保護な幼馴染が青筋立てて怒る顔を思い浮かべて、否定しきれない部分もあったり。

苦笑したまま、水滴を拭う横顔を眺めていると、駅の構内アナウンスが遠くの方で聴こえた。

 

【ーーお客様にお知らせいたします。ただ今、区の方より、本日の花火大会の中止が発表されました。繰り返します、本日の花火大会は中止となりますーー】

 

用意されたカンペを慌ただしく読み上げるような駅員さんの声に、悲鳴のような、怒声のような、人々の声が狭い構内に反響していた。改札内にも入れないくらいにごった返した人混みの中で、見下ろした大きな瞳は、残念そうな色を浮かべていた。

 

「中止だって。残念だったね、」
「うん」
「・・帰ろっか?」
「・・うん。」

 

はぐれないでねって、俺が差し出した手を再びぎゅうっと握ると、幸ちゃんは喧騒にかき消されそうな位の小さなため息を零して、不機嫌そうに頬を膨らませている。

 

「秋に花火上げるとこもあるみたいだし、そっちで仕切り直そう?」
「・・でもおれ、雨男だし、また雨になるかもしれない」
「ふふ、俺だって雨男なんだから、お互い様だよ」

 

可愛い愚痴にそう切り返すと、眉間のシワをふっと緩めて呆れたように俺を見つめる。

 

「そしたらずっと雨じゃん、それは困る」

 

 

 

 

夏の終わりの夕涼み、とはいかず、じめじめと湿気のこもる蒸し暑い夜だった。
電車から降りると雨はもうほとんど止んでしまっていて、つくづくタイミングの悪い自分たちを呪ってもいいところだったが、傘が無かったのでちょうどよかったのかもしれない。
アスファルトに溜まった水たまりをぴちゃりと草履を履いた足で踏みながら、幸ちゃんは軽やかに俺の数歩前を進んでいった。土曜日の駅前は夜なのに人通りが多くて、駅から吐き出されて来た人波に乗っかるようにして夜の道を並んで歩く。

 

「コンビニ寄ってもいい?アイス食べたい」

 

ふと、思いついたように振り返った君が、ぎらぎらひかるコンビニの看板を指差してにんまりと笑っていた。

アイスくらい買ってあげるよ、という申し出には丁重にお断りをされて、満足そうに自分の分のイチゴのソフトクリームを買った幸ちゃんの隣で、レジ横に並んでいた商品に目がいく。
これは・・・うん、なかなかいいんじゃないか。

 

「これください、」
「・・えっ、買うの?」
「ダメ?」
「ダメじゃ無いけど・・雨上がりだとシケない?」
「そっかーー。うーん」

 

いい案だと思ったんだけどな。
しょんぼりとした俺を見つめて、幸ちゃんは「しょうがないな」って苦笑してる。
これじゃあどっちが大人だかわからない。物分かりのいい君に、優しい君に感謝して、俺はお目当ての商品をお買い上げ。紬、これも、って幸ちゃんが指差した100円ライターも、一緒に。

 

夏の終わりの花火大会。
2人きりの、花火大会。

 

 

 

 

 

一番最初に訪れた寮から程近い公園は、火遊び禁止の看板を見つけて早々に諦めた。最近はそう言ったところが多くて、俺が子供の頃なんかは、河原とか公園とかで花火、したもんだけどなって言ったら、まあ火事になったら大変だからねって結構ドライ目に返された。
色々彷徨ってたどり着いたのがこの古い神社の前にある広場で、夏休みなんかは小学生がここでラジオ体操をしているらしかった。今でもあるんだ、ラジオ体操。
火遊び禁止の看板も無くて、近くには水道もある。バケツを用意するのを忘れてしまったから水場の近くに陣をとって、幸ちゃんは手頃な岩を椅子代わりにして腰を下ろした。

 

「夏組の合宿でもね、花火したんだけど。一成と三角がふざけて天馬をからかって、椋は椋で、大きい花火は怖くて火がつけられないって言って俺につけさせたり。みんな可笑しいの」
「みんなで花火、楽しそうだね」
「楽しかったよ、冬組から見たら、ガキっぽいかもしれないけど」
「冬組も結構みんな、童心に返ったりもするよ」

 

そりゃ、俺たちは、他の組から見たら、年齢的にも社会経験的にもだいぶ大人なのかもしれないけど、それこそ花火なんてしたら、子供以上にはしゃいでしまうのがいい大人というものだ。
苦笑する俺をふっと見上げて、幸ちゃんは花火のパッケージの中から手頃な一本を取り出す。
その、手持ちのスパーク花火に火を着けてあげると、すぐに鮮やかな色の火花がパチパチと散って、暗闇でせん光していた。

 

「変なの。どうして大人は子供に戻りたくなるんだろうね」

 

同じように花火を手にとって着火した俺に、まんまるの瞳が心底不思議そうに問いかけてくる。

 

「大人は子供に戻れないって知ってるから、戻りたくなるんじゃないかな?馬鹿みたいって思うかもしれないけど。」

 

「ふーん」と尖った唇で呟いた幸ちゃんは、花火の火をじっと見つめながら、くすくすと小さな笑みを浮かべていた。

 

「馬鹿みたい。子供なんてつまらないのにね。」
「早く大人になりたいの?」
「そりゃ、大人には、なりたいけど・・」

 

子供なんて不便な事ばっかりだからねって、子供らしからぬ口調で、子供の君は言う。
赤いピラピラの紙のついたススキ花火には目もくれずに、次もスパーク花火を手に取って、着火。
ぱちぱちぱちと綺麗に光る火花を目で追っていくと、べっこう飴みたいな色した大きな瞳を、花火のキラキラの光で輝かせて、幸ちゃんは真っ直ぐに、俺を見つめていた。
暗がりで見る君の顔は、いつもよりも大人っぽい。それは後ろにまとめた髪型のせいかもしれないし、もしかしたらお化粧をしているのかもしれなかった。

 

「今は、ゆっくりでいいかなって思う。子供は必ず、いやでも、大人になるんだから」
「・・・言い方が、子供っぽくないなぁ」
「それに、大人になったら、紬が遊んでくれなくなるかもしれないでしょ?」

 

「そんなことないよ」って微笑み返した俺の本音は、幸ちゃんが早く大人にならないかなって、思ってるんだけど。大人は大人で、楽しい遊びもいっぱいあるよ。お酒を飲んだり、今よりもっと遅い時間まで夜遊びしたり、それから、色々。ーーそれは、でも、君が大人になってからでいい。

 

「・・そしたら、大人の遊びを、教えてあげるよ」

 

そう、精いっぱいの背伸びをして言った俺に、幸ちゃんはふふっと吹き出して笑う。

 

「・・・紬が?・・それ、すっごく健全なんじゃない?」

 

 

 

 

ーー・

帰り道は手を繋いで帰った。夜も遅くなってしまって、人気もほとんどない。街灯の明かりが消えそうにチカチカとちらついて、ちょっとホラーだねって幸ちゃんが笑う。監督さんに遅くなりますってLIMEを入れたら「紬さんも一緒なら大丈夫でしょうけど、気をつけて帰ってきてくださいね」って、100パーセントの信頼が込められた返事が届いた。そんなに全幅の信頼を寄せられてしまうと、困ってしまうんだけどなぁって、繋いだ手を絡め直して、ご機嫌で鼻歌でも聴こえてきそうな横顔を見下ろす。

この曲がり角を曲がれば、寮まではあと一本道。数十メートル程しかない。
そろそろ手を離さなきゃなって思う一方で、せっかくつなぎ直したのだから、もう少しだけこのままでいたいなって、ずるい大人な俺はふと、足を止めてしまう。

 

「紬?」

 

急に足を止めた俺を訝しむように、幸ちゃんが不思議そうな顔でこちらを見上げていた。

 

「あ、・・えっと、ごめん」
「つむぎ、」

 

小さな謝罪をにやにやといたずらっ子みたいな表情でかわしてくる。そのままくいっと手を引かれて、半歩分空いた距離が近づくと、近づいた分だけ、君の花のように染まった頬と、ゆるりと微笑みを浮かべた唇が、暗闇でもよく見えた。琥珀色の瞳が、なにかを期待するように、そっと閉じられる。綺麗な色のリップを塗った、つんと尖らせた唇はたしかに魅力的だけど・・

少しだけ屈んで、頬にかかる後れ毛を指先で摘んで。
唇・・ではなく、その少し上の鼻先を、つつくようなキス。

一瞬だけのそれに、弾かれたように瞳を見開いた君は、不服そうに告げる。

 

「こどもだましだ。」
「こっちはもうちょっと、大人になってからね」

 

 

不満をたっぷりと含んでいるみたいに尖った唇を指先でちょんと突くと、幸ちゃんはぽっと頬を朱色に染めて、ジロリと俺のことを見上げていた。

 

「前言撤回」
「え?」
「早く大人になりたい」

 

それは、なあに?わかってやっているのかな。

上目遣いで拗ねたような表情を浮かべるのも、子供らしくて可愛いんだけど。
うっかり手を出してしまいそうになる衝動をぐっと堪えて、 最後の曲がり角を曲がる。

寮まであと50メートル。火遊びも、鼻先だけの子供騙しのキスも、2人だけの秘密。

送信中です

×

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です