1.masterpiece

masterpiece とは

【主な意味】
傑作、名作、代表作

 

***

 

「演劇部の、客演?」

夕食を終えた寮の談話室。今日は金曜日で週一回のカレーの日。かちゃかちゃと食器を洗うお手伝いをしていると、カレーの匂いが残る談話室から、驚いたような声が上がる。
キッチンのカウンターから様子を覗くと、声の主はこの劇団の劇団員で脚本家でもある綴さんで、ソファに座って寛ぐ彼の向かいで、ピンク色の少女趣味なルームウェアを着て、ハートのクッションを抱きしめたぱっと見美少女が、大きな瞳を迷惑そうに顰めて、こくりと頷いているのが目に入る。

「幸が?」
「そう。椋も。」

瑠璃川幸くん。
こんな愛くるしい容姿をしているがれっきとした男の子で、着ている服の趣味とかも可愛らしいのだが、口を開くと意外と男らしい。
幸くんとは中等部からの付き合いで、中3の夏にこの劇団で知り合う以前から彼のことは知っていたけど、ここで寝食を共にするようになってからは急速に仲良くなって、今では親友みたいな間柄だ。高等部に進学して、3年間同じクラスになった事は無いけれど、変わらず仲のいい関係は続いている。

お皿のカレーを丁寧に落として、泡立てたスポンジを滑らせる。

「学園祭の演目で、俺は嫌だったから断ったんだけど、どうしてもって言われて椋が断りきれなくて」
「だって、クラスの仲良い子の頼みだったから断りづらくて」
「うそ、王子様役って言われて心動かされてたじゃん」

カウンターから口を挟むと、幸くんにそうやって一刀両断されてしまう。
まあ、半分くらい本当で、引き受けたあと半分の理由は別にあるんだけど。

「で、何の劇なの?」

それまで綴さんの隣でテレビを見ていた咲也くんも、CMに入ると同時に幸くんの方に向き直る。ドラマに夢中かと思いきやどうやら話だけは聞いていたらしく、興味津々といった様子で、目をキラキラさせていた。
幸くんは図書館から借りてきた一冊の本を取り出して、談話室のローテーブルに置く。

「これ。」
「…美女と野獣。へー?」
「へぇ、意外」
「あれ、あんたらストーリー知ってんだ」

きょとんとした様子の綴さんに、なんだか腑に落ちない反応の咲也くん。

「アニメ版見たことあるんだけど、なんか、この王子様、って言うか野獣だけど。椋くんのイメージじゃないよね?」
「幸がベル役なのか?」
「うん。なんかそれも違うと思うんだけど」
「空想好きで夢見がちな女の子と、強欲な野獣って設定だけならおまえら真逆だもんな」
「あ?誰が野獣だって?」

パラパラと本をめくって、やれやっぱりデ◯ズニー版が良いだの、実写のあそこの脚本はどうだの、綴さんの持論が聞こえた。幸くんは幸くんで好き勝手に、フランス版の実写とデ◯ズニー版の実写の衣装の違いについて熱弁を奮っていた。会話を聞き流しながら、かちゃりとお皿を片付けて僕も談話室へとやってくる。おとなしく幸くんの隣に座ると、幸くんは何かを企んでいるような表情を浮かべていた。

「まあ俺も、演劇部には何度か衣装も提供していて、知らない仲じゃないし。受けたからにはちゃんとやるけど」
「やるけどなんだ。第一何で俺にこの話をふった?」

綴さんがそう言って、訝しげに幸くんの顔を覗き込んでくる。
流石話が早いと、ニッコリと美少女みたいな笑顔を浮かべて、小悪魔みたいなセリフを吐く。

「綴に、ちょーっと脚本書き替えて欲しいんだけど…どのくらいあれば出来る?」

後には、キラキラした瞳で僕らを見つめる咲也くんと、げんなりとした表情の綴さんと、事前にそんな事全く聞いてなくて、唖然としてる僕。

学園祭まではあとふた月。季節は残暑の頃で、僕は先日18歳になっていた。

 

***

 

夏が終わって、秋が来ようとしていた。

劇団に入って4回目の夏組の公演は、大成功のうちに幕を閉じていた。公演に、稽古に、加えて今年は受験生。連日の夏期講習もこなしてきた。僕も幸くんも有名大学を受験するつもりは無かったから周りのクラスメートよりは切羽詰まった状況では無かったが、それでも忙しい夏休みを終えて、今は二学期を迎えて一息吐いていた。カンパニーの方も秋組の公演準備にシフトしていて、綴さんは先日秋組第4回公演の脚本を上げたところで、幸くんもそれに伴って衣装の構成を練っている所のようだった。

あくびを堪えながら並んで通学路を歩く幸くんは、今日も寝不足みたいだった。
出会った頃は同じ高さからの目線で物を見ていたのに、3年のうちに開いた身長差のせいで、今は幸くんを見下ろす形になる。数々の華やかな舞台衣装を生み出す才能の塊みたいな彼だったけど、その相変わらず華奢な両肩にかかる負担は結構大きい。今年の夏組公演は、幸くんは主演でも準主演でも無かったからそこまで負担じゃないと言っていたけど、公演前は必ず寝不足になるのを知っていたし、秋組公演を前に、プラスして学園祭の劇だなんて。身体を壊しちゃうんじゃないかって心配になる。

「ねぇ、やっぱり、出演するの僕だけでいいよ。幸くんは無理しないで断りなよ」

振り返った顔が、何言ってんだこいつみたいな表情をしていて、話を振った僕の方がうっとたじろいでしまう。普段はきつめの大きな目がふっと緩んで、たまに見せる柔らかい表情に変わる。

「今更何言ってんの。引き受けたからにはきっちりやる。それに、椋とやれる最後の作品になるかもしれないしね。」

ーー最後の作品。

最後という言葉を反芻して、その後に続ける言葉に詰まった。
幸くんは卒業後、ニューヨークへの留学が決まっている。向こうの大学で服飾を学ぶという。学校自体は9月入学になるのだが、準備などで夏頃から向こうに向かうため、夏組としての公演も今年が最後。進路が決定した時点で、監督や劇団のみんなよりも先に、僕はその事を知らされていた。

今回の公演で、僕は綴さんの当て書きで念願の王子様役を演じさせてもらったが、先に述べた通り幸くんは相手役ではなかった。この4年間で、僕は彼の王子様になる機会は無くて、まあ仕方ないなと思いつつも、寂しい気持ちを抱いていた。

「幸くん…」
「それに、綴に言われたっしょ。改変した脚本は、俺たちのために書いたって。」

出かけに手渡された薄い冊子は、学校指定カバンの1番上に仕舞ってある。これを手渡して玄関先で倒れた綴さんは、最後に言い残したかのように「2人のために書いたから…」と息絶えた。
中身はまだ読んでいないけれど、連休を丸々使って書いてくれた脚本は相当な自信作みたいで、息絶えた姿はとても穏やかだった。

「演劇部の部長さんにこれ提出して、オッケー貰ったらあとで読み合わせしよう。」
「そうだね。オッケー出るかなぁ」
「出るでしょ。高等部の演劇は客が入ってなんぼなんだから。あの人たちも手段選ばないって」

学芸会の延長みたいな中等部の出し物とは違って、高等部の演劇部の劇は、例年有料のチケットが無いと入れない仕様になっていて、気合の入り具合がまるで違っていた。もちろん、学園祭の出し物だからそこまで高い値は付かないが、それでも集まったチケット代は大道具小道具衣装代として使えるし、来年度の予算にもなるので部員たちは必死の様相だった。だから、演劇部の出し物とはいえ学園祭の公演だけは主役クラスの役を客演として外部から招待したり、学園内の人気者を起用したりしていた。

「幸くんはともかく、僕なんかで務まるのかなあ」
「…ミスター最有力候補が何言ってんの」
「えぇ?」

そんな、演劇部の今後が決まってくる舞台だけに、僕たちに掛かる期待も相当大きい。
華やかな容姿で学園内でも相当目立った存在の幸くんはともかく、どうして僕にまで声がかかったのか。演劇部の部長さんは僕の少女漫画仲間で、その友達のよしみで誘われたんだとばかり思っていたが、内実はどうやら違うらしい。
僕は何故か、学園祭の目玉でもあるミスター&ミスコンテストにノミネートされてしまっていた。
これがまた、僕以外のノミネートされてるメンバーが、サッカー部の主将だったり、バスケ部のエースだったりするから、冴えない帰宅部の僕なんて甚だ場違いなわけで、一体誰が名前を挙げてくれたのか心底謎で仕方なかった。(もちろん幸くんも候補には挙がっていたらしく、ただそれがミス部門だったから、本人が怒って実行委員に直訴して、ノミネートを下げて貰っていた。)

「出来るよ。だって椋の王子様役、カッコよかったもん」

幸くんはこうやって、学校でも劇団でも見せないような笑顔を、僕の前でだけ見せたりする。僕を見上げるその笑顔が、朝の澄んだ空気でキラキラ輝いていて、とても綺麗だと思った。

「あ、向坂先輩、瑠璃川先輩、おはようございまーす!」
「えっ、あ、おはよう!」
「おはようございます、向坂先輩!」
「おはよう。」

「キャー、お返事してもらっちゃった」

校門前に差し掛かると、通り過ぎる女子生徒達に次々と挨拶をされ、律儀に一人一人に返していると、幸くんが呆れたため息を吐く。

「…椋はもっと、王子様の自覚持った方がいい」

 

***

 

【演劇部所属、衣装&小道具担当、自称・瑠璃川先輩の小間使い、A子(1年)の独白】

 

 

本日の演劇部は華やかだ。
いつも地味な活動しかしていない、うちの学校では地味な部活代表格の演劇部が、一年に一度、学祭の期間だけは学園内で1番華やかな存在になれる。中等部から演劇部で、高等部も持ち上がりで演劇部に入部した私だったが、1年のうちは小道具や衣装の調達に駆け回ったり、端役を演じたりして、地味な割に忙しく活動していた。
数ある雑用の中から衣装係に任命されたのは偶然だった。昔から手先が器用なのが自慢だったから、他の力仕事よりはマシかなって思って立候補したら採用された。
演劇部の衣装係は想像以上にハードだった。
私も、他の1年部員の誰も知らなかった事だが、衣装係とは、学園中の注目を浴びる「ルリカワ先輩」の手となり足となり、こき使われる役職だったのだ。
中等部にいた頃は知らなかったが、瑠璃川先輩は高等部では相当な有名人。
そこらの女子生徒よりも可愛らしいお姫様みたいなお顔、華奢な体躯で、女の私でも守ってあげたくなる系の儚げな美人。こんな見た目で男性なのだが、その性別を超越した美しさに、男女問わず熱烈な隠れファンが多い。校外活動として劇団で活動しているため、特定の部活動には所属していないのだが、特技の服飾の腕を生かして演劇部の衣装や小道具をデザインしたり、作成の際にアドバイスをくれたりする。衣装係は、いわばその際に瑠璃川先輩と演劇部の先輩達との調整役のようなものだった。
美しい先輩の小間使い。
それだけだったら、誰もが羨む役職なのだろうが。

何というか、先輩は些か口が悪い。
「まつり縫いもまともに出来ないの?このヘタクソ」は、衣装係に任命されて早々に瑠璃川先輩に食らったお叱りの一言だった。以来、容赦無い言葉の数々を浴びせられている。

「脚本、読んでくれたでしょ。どうだった?」

パイプ椅子に足を組んで座る姿すらお美しい。
小さな顎のラインで真っ直ぐに切り揃えられたサラサラの髪の毛を指先で弄びながら、うちの部長の次の言葉を待つ。

「とっても素敵だったわ。原作の美女と野獣より、野獣が優しい性格でだいぶ向坂くんのイメージに寄っていていいと思う。ベル役も癖が強くて幸くん風に改変されてて面白い。」

眼鏡の奥に隠れてはいるが、うちの部長も隠れ美人だ。美人と美人のやり取りに、ハラハラとしながら麦茶を3つ差し出す。部長と、瑠璃川先輩と、そこまでは演劇部の日常的によく見る光景。今日はそこに、もう一輪の華が添えられている。
ニコニコと、脚本の感想を述べる部長と瑠璃川先輩を見守る優しい笑顔。

向坂椋先輩。
成績優秀、運動神経も良くて、甘い容姿からは想像もつかないけど、腕っぷしも相当強いらしい。
それでいて、物腰柔らかで誰にでも分け隔てなく優しく接してくれる正統派王子様。
瑠璃川先輩と同じ劇団で活動されていて、先日の向坂先輩が王子様役を演じた公演は大盛況で、うちのクラスの子達も観に行ったって言っていた。

本人は知らない事だが、向坂先輩には後輩女子の有志が結成した隠れファンクラブがあって、そこで抜け駆け禁止の協定が結ばれている。ファンクラブの合言葉は、「向坂先輩はみんなの王子様」とのこと。

その王子様が、姿勢を正して瑠璃川先輩の隣にぴったりと寄り添ってる。高等部の二大美形が並ぶと迫力があると言うか何というか。流石の毒舌プリンセスも王子の隣にちょこんと収まっているとだいぶしおらしく見えるから不思議だ。

「じゃあその脚本に変えてもいい?」
「うちは幸くんと向坂くんがダブル主演を引き受けてくれるってなら概ね問題は無いわ。ただ、所々で大人向けな部分があるから、保護者にも見せるものとして手直しが必要だけど」

部長は私の方に向き直ると、手にしていた台本を手渡して言った。

「とりあえず3部コピーしてきてくれる?みんなの分は、修正加えた正式なものを配るから」
「わかりました、行ってきます。」
「お願いね。」
「よろしく~」

ひらひらと手を振る瑠璃川先輩と、部長に見送られて部室を後にする。

元々、今年の学園祭の演目は原作ありきで話が進められていたため、配役で向坂先輩と瑠璃川先輩の両名の名前が上がったのは、だいぶ後になっての事だった。だから多分、私を含めた大多数の人は、野獣の配役に向坂先輩を当てた事に違和感を感じていたと思う。もちろん、向坂先輩も劇団で活躍しているプロの役者さんだから、与えられた役はそつなくこなしてくれるんだろうけど、それでも、強欲でワガママで不器用な野獣役の向坂先輩なんて、ファンクラブの女の子達は求めてないんだろうなって思うと、2人のダブル主演前提で行くなら原作自体を違う物に変えてしまった方がいいのでは無いかと思っていた。向坂先輩と瑠璃川先輩だったら、もっと王道のプリンセスものがいい。白雪姫とか、シンデレラとか、眠れる森の美女とか。

下っ端だけれど偉そうにもそんな事を考えていたから、この脚本をこっそり読んでしまった私の胸は、今とても高鳴っている。瑠璃川先輩が劇団の仲間に頼んで書いてもらったという美女と野獣の脚本は、向坂先輩と瑠璃川先輩が演じるために、それはもう素敵に改変されていた。

向坂先輩の演じる野獣は、元々は心優しく美しい王子。荒廃した国を追われ、悪の魔女に野獣の姿に変えられてしまう。傷ついた姿でたどり着いたのが心を閉ざしたお姫様のお城で、野獣は美しいけれど誰にも心を開くことのない姫に恋に落ちてしまう。姫も最初は野獣に怯えて距離を置いていたが、その優しさに触れて少しずつ野獣に心惹かれていく。しかし、姫には野獣に言えない過去があった。野獣も、夜な夜な訪れる獣の本性を隠すことが難しくなっていた。
互いに少しずつ踏み込めない距離感。それでも穏やかに日々は流れていくのだが、とうとう野獣を追っていた魔女の一味が城にまでやってくる。穏やかな性格の野獣も、姫を守るために剣を取って戦う決意をした。

「はー…ステキ。」

ウィンウィンとコピー機を操作しながら、思わず深いため息を吐いてしまう。
素敵。お姫様の心を癒してあげる優しさと、姫を守るために戦う強さと、野獣の二面性がとてもいい。これを向坂先輩が演じるのか。またファンが増えちゃうんじゃないか。瑠璃川先輩演じるお姫様もツンとした嫌味な感じだけではなく可愛げもある、とっても魅力的なキャラクターで、見せ方が流石プロの脚本家は上手いなあって思う。
10枚ほどの紙の束をカチリとホチキスで綴じて、それを三部分作る。

部室へ戻ると、瑠璃川先輩と向坂先輩が、頭をつき合わせてあれやこれやと相談しているようだった。今度は部長が、傍でその様子を微笑ましく見つめている。

「おまたせしました、コピーしてきました。」
「あぁ、ありがとう。」
「じゃあ私も、活動に戻りますね」

「あ、A子。」

役目を果たして、他の部員の待つ講堂に向かおうとする私を、それまで仲睦まじく向坂先輩と話していた瑠璃川先輩が呼び止めた。魅力的な唇が、ニィっと笑顔の形を作る。

「俺、劇団の方も公演が重なってて、こっちの衣装まで手が回らないからさ。A子に頼むとこも増えると思うけど、よろしくね」

瑠璃川先輩は口が悪い。それでいて、人使いが荒い。
でも、頑張った事はちゃんと褒めてくれる。この、他の一般生徒が絶対に見れないような、絶世の美少女の(男だけど)可愛い笑顔のために、私は今日も頑張ろうと思うのだ。

 

***

 

10月に入った。学園祭まであとひと月を切って、秋は一層深まっていた。
その日も肌寒い日だったが、寮の談話室は久しぶりに人で溢れかえっていた。
今日は、数日前に誕生日を迎えていた太一くんのお誕生会。当日は平日だったから、社会人組も参加しやすいように土曜の夜である今夜、開催することになった。おかげで、夏組の公演ぶりにカズくんに会うことが出来たんだけど、同じ社会人の天馬くんは、映画の撮影で関西に行ってしまっているらしく、参加できないのをすごく悔やんでいた。
臣さんが主導で用意してくれた数々の美味しそうな料理、監督お手製のカレー、十ちゃんオススメのケーキ屋さんのバースデーケーキを堪能して、僕のお腹は既にだいぶ満たされていて、苦しい。
夕方から始まった宴も、気づけば10時を回っていて、テーブルの上には段々とお酒の量が増えてきていた。臣さんの振る舞う料理も、おつまみみたいなものにシフトして行ってる。
今回は太一くんが成人を迎えたって事で、大人組の監督下のもとで、万里さんや至さんが「太一に酒の飲み方を教えてやる」って張り切っていたっけ。

太一くん、そんなに強くなさそうだけど大丈夫かな?ってヒヤヒヤ見守っていると、肩に感じる暖かな感触と、重み。

「あれえー?ユッキー寝ちゃった?」

向かい側に座ってカクテルを飲んでいたカズくんが、いつもより幾分か声を潜めて僕に声を掛ける。
それまで盛り上がっている大人組をのんびりと眺めていた幸くんだったが、どうやら眠ってしまったようで、僕に寄りかかってすやすやと寝息をたてていた。

「ユッキーがみんなの前で寝オチすんの珍しくない?」
「幸くん、最近本当に忙しくて。あんまり寝れてないのかも」
「ありゃりゃ~。ユッキー、いつも無理しがちだから、声かけて休ましてあげなよ~?」

本当に。僕がいくらかフォローしてあげれればいいんだけど。
ここ数日の幸くんは、秋組公演の衣装作りに追われていた。毎度のことだけど、今は1人で使っている彼の自室は生地や小道具に溢れ返っていて、寝る場所がないと言って、気付けば僕の部屋の空いているカズくん側のベッドに寝ている事もしばしばあった。
加えて、日々の学校生活と、学園祭の劇の稽古。一体いつ休んでいるのかと聞いたら、彼は平然と「授業中に寝てる」って言ってたけど。それでもテストになったら成績を落とすことの無いように努力しているのも知っている。

「頑張りすぎなんだよね。でも、そんな幸くんが格好いいなって思うから、応援してあげたくなっちゃう」
「むっくんは本当に、ユッキーが大好きだよね~」

目を細めて、お兄さんの顔になるカズくんに、笑顔で返して、幸くんの頭を撫でる。
大好き。そうだね、幸くんは本当に大切な、僕の無二の親友だ。
髪に指を通すように撫でると、さらさらの髪の毛は引っかかる事なく、元の位置に戻っていった。

「…まだ盛り上がりそうだから、コドモはおいとましようかな。」

隣のテーブルで盛り上がってる大人組に目配りをしてそう告げると、カズくんも頷いてコップを置く。

「部屋まで運ぶの手伝おっか?」
「いや、幸くん軽いから大丈夫。カズくんも無理しない程度に楽しんでってね」

笑って、眠りに落ちている幸くんの身体を横抱きにする。
幸くんは、本当に軽くて心配になるくらいだった。
カズくんに挨拶して、ドアを開けてくれた監督さんにお礼を言って部屋を出る。

「はー、なんかすっかり王子様じゃん?むっくんカッコ良すぎ!」
「あれで発展途上中なんだから、男子高校生怖いわ~」

眠る幸くんを抱えて、彼の部屋は物で溢れているからスルー。そのまま、僕の部屋まで連れて行く。
電気は消えたままいつも通りに階段を上って、隣の空いているベッドに横たわらせた。

無防備に眠る姿はまるで眠り姫。
原作が違うなって苦笑して、細い輪郭をそっと撫でる。

『なんて美味そうなんだ…真っ白な頬、赤い唇、至極の宝石のようなその瞳。今すぐにでも食べてしまいたい。』
第五幕、ようやく慣れてきたベルは、野獣の前でも無防備な姿を見せるようになる。
穏やかな顔で眠るベル。野獣は大きな口を開け、牙を剥いて、本能のままに今にも襲いかかろうとする、が。
『いやだ、僕は、こんな事したくない。』
王子の優しい心は消える事がない。
愛しい姫を怖がらせるような事があってはいけない。

幸くんは起きない。
暗がりでもわかるくらいに長い睫毛が、閉じた瞳が、スッとした鼻すじが、彼の美しい顔を形作る。その、美しい寝顔を見つめていると、台本を読んでる時は本能に抗えない野獣の気持ちに入り込む事が出来なかったけれど、今ならあるいは、理解できるかもしれない。
吸い込まれるように、唇が触れそうな距離まで近づいて、触れる直前ではっと我に返った。

僕は、大切な友達になんて事を。

キスはしていない、大丈夫なはずだ。それでも自分のしでかした事に自分が一番驚いていて、思わず口を押さえる。
幸くんはくすぐったかったのか少し身じろぐ様子を見せて、目を擦っていた。

「…むく?」
「起こしちゃった?ごめん、眠ってていいよ」

誤魔化すように頭を撫でると、心地いいのか僕の手のひらに頬を擦り寄せてくる。
猫みたいな姿。起きてる時は綺麗なのに、寝ぼけていると幼いな、なんて、本人が聞いたら怒られそうな考えが浮かんだ。平静を装いながらも、僕の心臓は大分早いペースで鳴り響いていた。

「寒い…一緒に寝よう…?」

頭を撫でていた手を取られ、布団に招き入れられる。
これは…完全に寝ぼけているようだが…。
寒いと言ってる割には幸くんはあったかくて、ふんわりといい匂いがした。いつも一緒にいるのに、今日は距離感が近いというだけで何故か落ち着かない。どうしてこんなにも胸がドキドキするんだろ。

布団の中で手を絡められたまま、そっと目を閉じてみたけど眠れそうにない。階下からは盛り上がる大人たちの声が聞こえて、それすらも別世界の出来事のようだった。

幸くんは、僕の大切な親友。
これまでも、これからも、ずっと。

芽生えかけている気持ちを否定するように、僕はそっと心の中でそう唱えた。

 

 

***

 

 

【元男子バレー部、中等部からの椋と幸を知る、とある男子生徒B男(3年)の回想】

 

体育館に張られたネットの中央で、パイプ椅子に座り、退屈な審判役をこなす。夏の総体は地区予選で敗退してしまったために部活自体は早々に引退していたものの、可愛い後輩たちに請われれば部活の指導に来るのも先輩の役目だろう。もっとも、弱小バレー部の弱小選手だったのだから、指導も何もあったものではなく、試合形式の練習の人数合わせだったりもするのだが。

ともかく俺は、体育館の真ん中でバレー部の練習を見守っていた。

退屈だ。と欠伸を噛み殺していると、体育館ステージの方からスピーカーを通して音楽が聴こえてくる。どっかで聞いた事のあるような耳馴染みのいいメロディは、女性ヴォーカルの洋楽?
流れるようなメロディーに乗せて、1組のカップルがステージ中央に現れ、手と手を取り合ってダンスを始める。
演劇部だ、とすぐに分かったのは、ステージの真下で声を掛けているのが、クラスメートの演劇部部長だったからだ。となると中央で踊っているのは演劇部?…いや、違う。
こちらも同じクラスの向坂だ。向坂は学園でも話題のイケメンで、王子様然としていて、それを気に留めない…というか鈍すぎて自分がモテていることに気付いてないタイプだった。この容姿で、そんなのほほんとした性格で、女にモテる。男子生徒からはやっかまれそうな要素に溢れているが、驚くほど本人の人当たりがいい事と、ここらで評判のヤンキーがバックに付いているというウワサがまことしやかに流れているため、そんな人物に手を出すような馬鹿はこの学園には居なかった。

イケメンはダンスも踊れんのか。
どうやら体育館で部活動をしている他の生徒たちも、ステージ上のカップルに釘付けになっているようだった。特に女子、「向坂先輩…」と、目がハートになっている。
感心して眺めていると、ふと、カップルの女役の方も、見知った生徒である事に気づく。
ーーー4組の、瑠璃川幸。
背の高い向坂の手を取り、腰に手を回され、社交ダンスのようなポジションをとる姿は本当に女の子みたいで。苦い過去を思い出して、ふと胸が締め付けられる気持ちになる。

瑠璃川とは中等部の3年間、ずっと同じクラスだった。

瑠璃川幸の第一印象は「かわいい」だった。特に変な意味はなくて、人気女優とか、綺麗な子を見ると、女達がよく口走る「可愛い~」というあれだ。中1の瑠璃川はまさしく「かわいい」見た目をしていたため、同じクラスになった男子生徒も女子生徒も、似たような第一印象を抱いていたと思う。
今よりも短いショートカットのサラサラヘア、小柄で、細身で、そんな華奢な身体にそこら辺のアイドルよりも可愛らしい顔がくっ付いてる。だから最初にクラスで見た時は、「なんでこいつ、女なのに男子の制服着てるんだろ」と思ったくらいだった。しかし瑠璃川幸は男で、この容姿を持って生まれた故か何なのか、女の格好をする趣味があって、加えてとてもきつい性格をしていた。
いじめのようなものが起こるのに、時間はかからなかった。
中学生という多感な時期に、他とは違う異質な存在。とある生徒が「おい、男女」とからかえば、他の男子も同調する。瑠璃川は瑠璃川で、そういった扱いに対する防衛策なのだろうが、ツンケンした態度で反発をする。だからいじめてるやつらも面白くなくて、かえっていじめがエスカレートするのだ。瑠璃川は顔が良かったから最初は女子達は瑠璃川の事を庇っていたが、あいつ本人が自分に構うな、とかなんとか言ったせいで、次第に女子生徒達も距離を置くようになる。
男子には揶揄され、時には手を出され、女子には腫れ物を扱うように、距離を置かれる。クラス替えをして2年に上がる頃には、その異常な光景が当たり前のものになりつつあった。俺自身も直接的ないじめには加担していなかったとはいえ、傍観して何もしなかったのだから、他の奴らと一緒だったと思う。
そんな状況が変わったのが中3の夏休みに入るか入らないかの時期からだった。
瑠璃川が劇団に入ったといううわさを耳にしたのは、クラスの男子生徒からだった。

「あいつ、劇でも女のカッコするらしいぜ!面白そうだからおまえも行かねえ?」

興味が湧かなかったから同行する事は無かったが、その頃から瑠璃川にも変化が見られるようになった。普段は退屈そうに窓の外を見ながら授業を受けている後ろ姿が、授業中も休み時間も、なにやら必死に書き物をしている姿を多く見るようになったし、劇を観に行ったという男子生徒達が、手の平を返したように瑠璃川をちやほやするようになったし、瑠璃川本人も、以前はそういった男どもはきつい言葉と見下すような目で突き放していたが、笑みを浮かべて受け入れるようになった。
でも、一番の変化はあいつだ。ーーー向坂椋。

「幸くん、一緒にお昼食べない?」
「今日は委員会が無いから一緒に帰ろう」

同じ劇団に所属しているという向坂が、積極的に瑠璃川に声をかけて来るようになったのも同じ時期からだった。その頃の向坂も、雰囲気は違うが瑠璃川と同じようなタイプだった。女子みたいな顔立ちで、小柄で貧相、可愛いものが大好きで、しかも向坂は気弱な性格。系統から行ったら向坂の方がいじめられっ子のタイプなのにそれが無かったのは、あいつは何故か昔から女に囲まれる性質があって、向坂をいじめようものなら女子達に総スカンを食らう羽目になるから、誰も手を出す事は無かったからだ。この頃から向坂は女子達の「王子様」的存在だった。
だから、そんな「王子様」が仲間はずれにされている瑠璃川を気にかけていても、男子達は「物好きなやつだなぁ」という感想しか浮かばないし、女子達は「椋くん優しい(ハート)」と相変わらず向坂を持ち上げていた。

実際、2人はとても気が合ったようで、それ以来校内でもつるんでる姿をよく見かけるようになる。
互いに、見た目も中身も女子みたいではあるが、初めて気の許せる男友達だったんだろうなって思うと、俺も他人なのにすげー感慨深い。
それに、見目麗しい2人の組み合わせは、あらゆる方面にファンを増やす結果となる。

「はぁー!流石ね!素晴らしいわ、貴方達ダンスも踊れるのね!」

曲が終わり、それまで部活動で賑わっていた体育館が静寂に包まれていた。
それを打ち破ったのは演劇部部長の拍手で、そのダンスを眺めていた俺らも思わず拍手してしまう。

「劇中でダンスがあるってきいて、劇団の仲間に稽古をつけてもらったんだ」
「っはー、はー、ねえやっぱ4分はキツイって…」

その場にへたり込む瑠璃川。そこまで気づかなかったが、2人は学校指定のジャージ姿だった。すっかり舞踏会だと思い込んでいたが、ここは学校。部活動中の時間の、体育館のステージ上。

「幸くんは体力なさすぎ。ここがクライマックスの見せ場だから頑張ろう?」
「んなこと言っても4分俺らのダンスだけだと間延びするって」
「それもそうね、2人なら場も持つかと思ったけど…やっぱりショートバージョンの音源使おうかな。流しでいいから音かけしてみてもいい?」

はーいと返事をしながら向坂が瑠璃川の手を引いて起き上がらせると、瑠璃川もハイハイと促されるままにスタートのポーズを取る。ドレスの裾を持った、お辞儀のポージングだ。
ジャージ姿とは言え、本当にドレスを着ているように見えるし、背景にはお城のダンスフロアが見えてくるから不思議だ。

「そう、曲のクライマックスはもっと身体反らせて、顔を寄せて!そう!触れそうで触れられない距離感よ!!」

流しと言っていたはずなのに、部長さんの演技指導には熱が入ってしまっている。
ダンスのポジションを取ったまま、細い腰がこれでもかってくらいに反って、2人の顔が近づく。そこらじゅうから女子生徒の悲鳴が上がっていたが本人達には届いていないだろう。

見目麗しい2人の組み合わせは、あらゆる方面にファンがいる。
いやいや俺はそうじゃないと否定しつつ、来月に控えた学祭本番の劇のチケットは手に入れておこうと思うのであった。

 

 

***

 

 

学園祭本番を明日に控え、いつもより臣さんの気合が入っていて豪華だった今日の夕食。
幸くんの大好物のオムライスを2人で並んで食べて、一緒に食事をしていた監督さんと左京さんが明日の劇を観に来てくれるって言うから、ありがとうございます、授業参観みたいですねって笑って、明日は一日中忙しくなるだろうから、早めにお風呂に入って部屋に戻ってきた。

暖かい部屋の中で、台本の最終チェック。2ヶ月間読み込んでいた台本は、書き込みにあふれていて、すっかりボロボロだった。静かな部屋に、台本を捲る音だけが聞こえる。
1ページ1ページを大切にめくっていると、コンコンとドアが鳴る。
「むく、いる?」という控えめな声は、幸くんのものだった。「いるよ、どうぞ。」と声だけで招くと、こちらも控えめにドアが開けられる。
顔を出した幸くんは、お風呂上がりのようで、いつもよりもほっぺがツヤツヤしていた。冬に向かおうとするこの時期に幸くんのルームウェアは長袖のモコモコのものになっていたが、ズボンは面積が狭い。膝がだいぶ見える短さのモコモコパンツを穿いた足で、とことこと駆け寄ってくる。
笑顔を浮かべて迎え入れたものの、内心は「まずいな」という気持ちでいっぱいだった。

あの夜の一件以来、僕は過剰に幸くんを意識してしまっていた。

幸くんは可愛い。でも僕にとっては、幸くんは出会った頃からずっと「男友達」でしかなかった。綺麗な顔立ちをしているが周りが言うほど女顔では無いと思うし、フリフリの可愛らしい服を着ていても、僕の知り合いの誰よりも男らしい性格をしているのも知っていたから。

それが今では。前よりももっと、可愛く見えて仕方がない。

「台本読んでたなら、合わせる?」

ソファの隣に座る。距離が近いように感じるのは僕が意識してしまっているからだろうか。
平静を装いつつ、ちらりと視線をやると、ぷるぷるの唇。視線を落とすと、真っ白なおみ足。
目に毒だと思いつつ、僕はにっこりと微笑む。

「いいよ、どこからやろうか」
「……」

じとりと、拗ねたような表情で顔を見上げられる。
その、責めるような視線をゆるりとかわして、どこの場面から読み合わせをしようかと考えていると、言い出しにくそうに幸くんが口を開く。

「…あのさ、」

いつもずけずけと物を言う幸くんにしては、珍しく歯切れの悪い様子だった。続く次の言葉を待っていると、それまで僕をにらんでいた視線を逸らされて、しばしの沈黙が訪れる。
幸くんは難しい顔で、じっと白いテーブル見つめていた。
どれくらいの時間そうしていただろうか。さすがに何か言わないとと、僕の方が気まずくなって言葉を探していると、何かを思い切ったらしい琥珀色の大きな瞳がこちらを振り返って揺れた。

「椋!」
「は、ハイっ!」
「…俺、最後の最後で自分が憧れてたプリンセス役をやれて、その王子様が椋で、ほんと良かった。」

幸くんは、卒業後、海外の大学への留学が決まっている。
だから進路が決まった時点で、劇団を抜ける事をみんなに打ち明けていた。紆余曲折あって夏組のメンバーになり、団員として様々な公演に出演していたが、元々は服飾デザイナー志望で、最初から、彼は夢に向かって真っ直ぐだったから、みんなはそんな幸くんを応援していた。

団員の中で一番最初に寮を出た天馬くんは、これまで通り忙しい日々を送っているようだったが、舞台も役者の勉強の一環だと言って、夏の間は他の仕事をセーブして、夏組の公演に専念してくれていたし、二番目に就職のため退寮したカズくんも、デザイナーとしてフリーランスで活動する傍ら、仕事に都合をつけて、可能な限りは劇団員との二足の草鞋で行くと宣言していた。
そんな感じで他の組に比べて、夏組だけは進路がバラバラだったんだけど、それでも毎年夏にはみんなが集まるって言う繋がりはあった。
新生満開カンパニーの中で、一番最初の卒業生が幸くんだとは想像もしていなかったから、誰よりも一番にそれを本人から伝えられて、僕は呆然とした。同い年で、一番末っ子で、中学生コンビとして双子みたいに扱われて、学校でもそれ以外でもずっと一緒にいて、仲良しで、初めて出来た親友。これからもずっと、そういう関係が続いていくんだと思っていた。
僕だって幸くんの夢を応援したいけど、今は無理だ。
海外になんて行かないで、って口走ってしまいそうになる。

「学祭は一回きりだから、明日は最高の舞台にしようね。」
「…幸くん、」
「椋、泣かないで、」

ここは笑顔で頷くところだろう。
大切な場面で泣く僕は、王子様失格だ。
それでも、彼に進路を打ち明けられてから今日まで耐えてきた僕は、幸くんの細い腕にぎゅーっと力強く抱きしめられてぼろぼろと泣いてしまう。

その夜は、手を繋いでベッドに入り、眠りに落ちるまで2人でセリフを反芻した。
この間みたいなドキドキは無くて、ただ、寂しくてまた泣きそうだった。

 

 

***

 

 

【学園祭実行委員、向坂椋非公式ファンクラブ会員、C子(2年)の記録】

 

待ちに待った学園祭当日。私の担当は講堂、ステージのスケジュール管理。時間通りに滞りなく演目が行われるように促すのが仕事だった。その仕事の性質上、一日中予定がぎっしりと詰まっている忙しい役職だったが、私は自ら立候補してこのお役目を勝ち取った。
だって今年は、憧れの向坂先輩が演劇部の演目に出るんだもの。
それにミスコン。こっちにもばっちりノミネートされてるから、ずっと講堂にいれば先輩に会える機会が多いし、他の仕事に追われる事なく演劇部の公演を観る事だって出来る。そういう下心をふんだんに含んで、私は右腕に「学園祭実行委員」の腕章を巻いていた。

ミスコンは学祭の華だ。事前に自薦他薦を問わず出場者を募って、学祭当日に生徒や一般客に投票をしてもらう。ステージ上にずらりと並ぶ出場者は、名だたるメンバーが揃っていて圧巻されてしまう。これから、開会式を利用しての最終アピールタイムだった。1人3分の持ち時間の中、特技を披露したり演説をしたりする。
向坂先輩は、男子の4番目だ。他の参加者は部活動のユニフォームやスーツ、女子はドレスや私服姿の中、1人制服姿の向坂先輩だったが、逆に目立っていて格好いい。

「3年2組の向坂椋です。」

1、2年女子の、「キャー!」という悲鳴が聞こえてくる。歓声に混じって保護者席の方から男の野太い声で「椋!頑張れ!」と叫ぶ声も聞こえたが向坂先輩の保護者の方だろうか…?
野太い声に気づいたらしい向坂先輩が、顔を赤くして手を振っている。可愛い。

「あの、応援、ありがとうございます。それから、こんな僕をエントリーしてくださった方も、ありがとうございます。」

ひらひらと手を振って、マイクに向かって話す先輩。
司会者役の先輩が寄ってきて、他の出場者と同じように質問を挟む。

『事前に貰ってる資料で特技:演劇って書いてあるけど、今日はどうする?』
「ここでは披露出来ないので宣伝になっちゃうんですけど。この後1時から演劇部の劇に出させてもらうので、もしお時間があれば見に来て頂けると嬉しいです!」
『あれ、でも今はお芝居の衣装じゃないんだね』
「あはは、そうなんです。午前中にクラスの出店に出る事になってて。一回衣装着ると着替えが大変なので。」
『劇では何の役を演るの?』
「美女と野獣の野獣役です。」
『へー、意外だね~』
「ですよね。みんなにキャラじゃないって散々言われたんですけど、いい意味で期待を裏切る演技が出来ればいいなと思います。」

ふんわりとした笑顔が今日も素敵だ。優しい雰囲気なのに、話し上手だなあ、度胸があるなあ、って感心してしまう。人前に立つ事に慣れているのは、流石舞台役者と言うべきか。

「とても素晴らしい舞台になると思います、是非、皆さん観に来てください。」

先輩はそう言って挨拶を締めると、ぺこりとお辞儀をして、出場者の列に戻っていく。
向坂先輩以外の出場者は、サッカー部の元主将、バスケ部のエース、生徒会役員、軽音部のベーシスト。手強いメンバーが揃ってるけど、ファンクラブの一員として向坂先輩には絶対に勝ってほしい。
向坂先輩、後輩女子には安定した人気だけど、男子票が他の出場者に流れてしまったら結果が読めないなあと思う。
この後、開会式終了後に、事前にパンフレットと共に配布済みの投票用紙に出場者名を記入して、講堂前に設置されている投票ボックスに投票してもらう仕組みになっている。
学園祭実行委員には投票権限がないので、私には先輩頑張れ!と、微力ながらエールを送ることしか出来なかった。

 

***

 

 

朝目が覚めたら腕の中に幸くんは居なくて、ぼーっとした頭で昨夜は恥ずかしいところを見せてしまったと顔が真っ赤になった。
もちろん、朝ごはんを食べに談話室に降りたらばっちりと制服に身を包んで何事もなくトーストをかじる幸くんの姿があったんだけど、彼に「椋、顔ひどいよ」って言われて、僕は不自然な笑顔で返す事しか出来なかった。
今日は何気に一日中忙しくて、クラスの出し物の喫茶店の店番をしたり、開会式ではミスコンの挨拶にも出た。正午には昼ごはんを食べながら演劇部の劇の準備を始めていたから、ここに来るまでまともに幸くんと会話が出来ていない。
でも、忙しいのは好都合だった。舞台まで余計なことを考えずに済むから。

僕は煌びやかな王子衣装に身を包み、舞台袖で開演を待っていた。
隣には幸くん。華やかな衣装の僕に対して、質素な茶色のワンピースを着ている。まだ野獣に心を開く前のベルは、自分を醜いと思い込んでいて、着飾ることに背を向けている設定。野獣への気持ちに比例して、ベルの衣装が少しずつ華やかになって行くのも見所のひとつだった。

「大丈夫?」
「うん。ねえ、2人しかいないけど、円陣しようか。」

気遣うような幸くんの言葉に明るく返して、僕は手のひらをひらひらと翳す。
幸くんも呆れた様子で笑って見せると、自分の手のひらを僕の胸に当て、僕の手のひらを自分の胸元に持ってきて、そっと目を閉じる。
夏組お馴染みの円陣は、主演を囲んで行うのが恒例なんだけど、今日はダブル主演だからこういう形。僕も目を閉じて、昨日の夜は言えなかった言葉を紡ぐ。

「…僕、夏の公演でお終いだって思ってたから、こうやって、幸くんとまた共演する機会が出来て、本当に良かった。」

目を閉じた状態で、講堂の中に、開演を知らせるブザーが鳴り響いているのが聞こえた。

「最高の舞台にしよう、幸くん」

うん、という返事を聞く前に、その胸をトンと押して僕は舞台上に飛び出す。
幕が開く。2人で王子様とお姫様を演じる、はじめての舞台。そして、幸くんの、最後の舞台。

講堂を埋める満員のお客さんに、一瞬、声を失った。

用意していた分のチケットが完売という話は演劇部の部長さんから聞いていた。
中等部と高等部共用の講堂は、両方の生徒を収容できる広さで 、普段立ち慣れたMANKAIカンパニーの専用劇場の数倍のキャパがある。今日1回限りの上演とはいえ、こんなに集客しているなんて。これほどの人前で演じたことは無かったため、正直怯む、が。先程2人きりの円陣で幸くんに触れられた胸元を握って小さく息を吐くと、大丈夫な気がした。
大丈夫だ。もう、弱虫だった昔の僕じゃない。
舞台に上がる前はいつも高揚とした気分になる。
役が乗り移っている、と言うほどでは無いと思うけれど、それでも舞台の上では何にだってなれるから、キラキラした王子様にも、喧嘩の強いヤンキーにも、重い過去を背負った悪役にも。僕はそういった自分とは正反対の役を演じる時は、いつだって強気な心持ちで板の上に立っていた。

今日だってそうだ。僕は、今、王子様。
だから大丈夫。

ふうと深呼吸をすると、舞台には静かにナレーションの声が響く。

 

ーーー昔々、遠い国の輝くお城に若く美しい王子様が住んでいました。

ナレーションも、演劇部の部員さんが担当していた。
プロローグ、王子が魔女に魔法をかけられて野獣になる場面から、劇はスタートする。

原作の美女と野獣は、優しさを忘れた強欲な王子様が、人を見かけで判断してしまったばかりに、お仕置きとして魔法で野獣にされてしまうところから始まる。
けれど、綴さんが書き加えた脚本の野獣は、優しい心を持った王子。悪の魔女である継母に、父王を殺され、国を滅ぼされ、自らも野獣になる呪いを掛けられて国を追われた。

第1幕で、野獣は森で力尽きて倒れていたところを、通りかかった美女、ベルに助けられる。
急いでボロボロの衣装と野獣のマスクを被って、舞台の上に倒れこむ。

「もうだめだ、痛みが酷くて一歩も動けない。僕もここまでか…」
「しっかりして、こんなところにいたら死んでしまうわ」

フードを被った女の子。ベルだ。目深に被ったフードの奥から、幸くんの顔が覗く。

ベルはとても美しいけれど、心を閉ざしたお姫様。
偏屈で、自分の事を醜いと思い込んでいて、他人と距離を置くために、イバラの城に引きこもって生活をしていた。最初は野獣とも、距離を置いてドア越しに会話を続ける。
でも次第に、野獣の優しい心と真っ直ぐな思いに気難しいベルの心も動かされ、少しずつ2人の距離は近づいていく。

第5幕でベルの見た夢によって、ベルの過去が明らかにされる。実は、人を見かけで判断したばかりに罰を受けたのはベルで、彼女は呪いによって、薔薇の花びらが落ちきるまでに本当の愛情を見つけなければ命を落とす事になっていた。

この後は僕の一番好きな、バルコニーでのシーン。野獣とベルの距離が少し近づく、ロマンティックなシーンだ。こういう演出は、綴さん、流石だなぁと感心してしまう。
ベルの夢から暗転して、セットが準備される。
僕は首にストールを巻いて、舞台の中央へとスタンバイ。

「あなたは、魔法でそんな姿にされて、どんな気分?もう死んでしまいたいと思ったりした?」
「僕は…最初は、絶望的な気分に襲われたよ。父も国も全て失って、その上こんな姿にされてしまって。ぼろぼろで、傷を負って苦しくて、森の中で力尽きて…ここで死んでしまうのだろうかって思ったんだ。でも、」

野獣は、ベルの小さな手を取って、甲にそっとキスをする。

「君が、命を救ってくれた」

きゃあ、と、客席から小さな悲鳴が発せられたけど、僕の耳に入ってこなかった。
複雑な表情を浮かべてじっと野獣見つめるベル。野獣の言葉に少し心を開いた彼女は、今夜は眠るまで手を繋いでいてほしいと言う。
穏やかに眠るベルの傍で、寝顔を見つめて牙を剥く野獣。

「なんて美味そうなんだ…真っ白な頬、赤い唇、至極の宝石のようなその瞳。今すぐにでも食べてしまいたい。」

何度も練習したシーンだ。優しい王子が、獣の本性を隠しきれずに出してしまう一瞬の演技。
すぐに、自らに爪を立て、胸を掻き毟り、頭を抱えてベッドの傍で蹲る。

「いやだ、僕は、こんな事したくない。愛しい君を怖がらせるような事があってはいけない…」

野獣は、その醜い本性を隠しながら、ベルも、自らの命のリミットを隠しながら、それでも2人で過ごす穏やかな日々が過ぎていく。しかし、ベルの命のリミットを表す薔薇の花びらが最後の1枚となった時、城を突然の雷鳴が襲う。王子の国を滅ぼし、その姿を野獣へと変えた、あの悪の魔女が王子の居場所を突き止めたのであった。

第8幕、魔女との決戦。舞台は城の西の塔。
簡素なセットの中央に一輪の朽ちかけた薔薇、その前で、祈るベルの両手を野獣の手が包み込む。

「君はここにいれば安全だ、この薔薇が、君を守る。」
「嫌だ!行かないで…!1人にしないで…」

西の塔はベルにかけられた薔薇の花びらの魔法が強く、魔女の攻撃が届くことはない。
ここにいれば2人は安全だったが、いつまでもこうしているわけにもいかなかった。
優しい野獣は剣を取り、戦う事を決意していた。

「君に出会って僕は強くなれた。必ず魔女を倒して、ここに戻るよ。」
「あんな強い魔女、勝てるわけがないわ!あなたがいなくなったら…私は…」

台本通りに行くと、この後野獣はベルの手を振り切って塔を飛び出す。無言で上手に退場する予定であった。でも、僕の手を握る幸くんの手が離れない。役に入り込んでいるのか、それとも幸くんの意志なのか。俯いた顔には涙が滲んでいて、そんな顔をされてしまっては、ぎゅうと力のこもった手を引き剥がす事は、今の僕には出来そうもなかった。
握った手を引き寄せ、華奢な身体を抱きしめると、僕の口からはするするとアドリブの言葉が出て来る。

『約束してくれないか?無事に戻ってきたら、僕と結婚して、僕の国に来てくれるって。』

きっとこれまでに読んだ少女漫画や小説の一文だ。とびっきりのロマンティックなセリフだったはずだけど、腕の中の幸くんはふふっと笑って、マイクに拾われないくらいの小さな声で、呟く。

「(野獣、死亡フラグじゃん…)」
「(もう。約束してよ、)」

耳元で囁くと、幸くんも観念したのか、ぱっと顔を離して笑ってみせる。

『いいわよ、約束するわ。』

舞台が暗転して、魔女と野獣の対決の場面。
野獣は剣を取り、演劇部の部員さん演じる悪の魔女に対峙する。野獣の剣が魔女を掠め、魔女は、魔法の矢を放つ。魔女の放った矢が野獣に突き刺さろうとした瞬間、舞台が暗転して真っ暗な講堂の中に女の悲鳴が響く。息を飲む観客席。再び舞台にはスポットライトが当てられ、中央には魔女の矢に倒れるベルと、彼女を抱きかかえて茫然と天を仰ぐ野獣。
ベルの真っ白な手が野獣の頬に伸びて、そっと撫でる前に力無く垂れる。同時に、2人の前に置かれた薔薇の花びらの最後の一枚が落ちた。
しん、と静まり返った講堂の中に、野獣の咆哮が響く。

「う…ああああああああああああああああああ……」

薔薇の花びらが落ちきった事により、城にかけられた魔法も解けて、城の崩壊が始まる。
崩壊していく城の中で、悪の魔女は瓦礫に巻き込まれて絶命。魔女に当てられていたスポットライトが消えて、真っ暗な舞台の上で、僕は野獣のマスクを脱いで元の優しい王子へと衣装チェンジ。

再び明るくなった舞台にはベルの亡骸を抱えて項垂れる王子。
魔女が絶命し、王子に掛けられていた魔法は解けた。しかし、

「…魔女を倒して、元の姿に戻っても…君がいなければ何の意味もない…」
「……愛しています、ベル。」

ベルの亡骸を抱きしめ、愛の言葉を囁く。
顔を近づけて、そっと、唇の端っこにキスをする。
僕らに背後に美しい魔女に扮した部長さんが登場し、朽ちた薔薇をマジックで満開に咲き誇る真っ赤な薔薇に蘇らせる。彼女はベルの心を試し、自分を醜く見せる心の魔法を掛けた魔女だった。

「…貴女が優しい心を取り戻し、真実の愛を手に入れた時に、魔法は解けるでしょう」

美しい魔女が薔薇にキスをしてベルの亡骸に花を手向けると、それまでぐったりと動かなかったベルは息を吹き返し、その場に起き上がる。

「…私は、一体何を」
「ベル!!」
「あなたはまさか、あの優しい野獣?」

ゆっくりと歩み寄り、ベルの手が王子の頬に触れる。
王子も、喜びを隠しきれない様子で、ベルを抱きかかえて舞台の上をくるくると回る。

「そうだよ!ねえ、魔法が解けた!君も僕も!」
「えぇ、すごいわ、私は一度死んだはずなのに…」
「でも生き返った!僕のところに戻って来てくれた!『ねえ、約束、覚えてる?』」

ストンとベルを床に下ろして、王子は再びベルの頬にキスをする。
そして舞台が光に包まれ、魔法が解けたベルの家来達が、人の姿に戻って2人を祝福するラストシーン。それまで静かだった空間に音楽が鳴り出し、家来たちが踊り出す。
ラストは、ダンスシーン。

『僕と結婚して、僕の国に、来てください』

跪いてそっと手を差し出す。

『はい、王子様』

ベルが王子の手を取って王子がベルの手の甲にキスをすると、2人のダンスが始まる。
背景がダンスフロアに変わり、2人の周りを家来達が囲む、 くるくると踊る2人の、幸せいっぱいのラストだ。ダンスも2人で沢山練習をしてきた。劇団の仲間にも沢山、稽古を付けてもらって。

2分半の音楽が鳴り終わるとキャスト全員のダンスが静かに終わって、辺りを再び静寂が包む。
次の瞬間、拍手が沸き起こった。
鳴り止まない拍手。
そして、1人、また1人と観客が立ち上がって、客席がスタンディングオベーション。

見たことのない光景に、僕の気分は高揚していて、隣の幸くんと顔を見合わせて笑い合う。
舞台袖では部長さんが涙を拭っているのが見えて、ああ大成功だ、良かったな、と漠然と思った。

 

 

***

 

 

【学園祭実行委員、向坂椋非公式ファンクラブ会員、C子(2年)の記録・続き】

 

演劇部の劇は大成功だった。
こんな劇、観たことがない。きっと過去にも例がないくらいの傑作だった。
終幕の瞬間、実行委員である私は演劇部のスタッフと共に舞台袖で見守っていた。袖からは舞台上も客席もよく見え、向坂先輩と瑠璃川先輩の笑顔も、演劇部の部長さんの涙も、スタンディングオベーションの客席も全部見ていた。今日この瞬間に居合わせる事が出来て本当に良かったと、部外者の私まで泣きそうになった。
向坂先輩の野獣役ははまり役だった。ファンとして、何度かMANKAIカンパニーの夏組公演を観に行った事があったけど、それに引けを取らないクオリティだった。

この劇の成功が、結果として先輩をミスコンの優勝へと導いた。

後からミスコン担当の実行委員から聞いた話だが、それまで拮抗していたミスターの出場者の得票数が、この劇の後から大幅に動いたという。ちなみにミスの方も、出場者以外の名前が書かれたいわゆる無効票が増えて、開票作業をしているスタッフの頭を悩ませたらしい。
勝ってほしいと願ってはいたが、まさかの圧倒的な票数に私も驚きを隠せずにいた。
きっとそれは先輩も同じだったらしく、閉会式での結果発表の場で、ドラムロールの音と共に優勝者を発表すると、自分にスポットライトが当たったのを一拍おいてようやく理解したらしく、「えぇぇえ?」と、普段の先輩からは想像出来ないような間の抜けた声を上げていた。

で、問題はこの後だった。
劇本編よりもこの後のミスコン優勝者の挨拶にて、先輩は学園祭の伝説を残す事になる。

『では、優勝した◯◯さん、それから向坂くん、前へ出て挨拶をお願いします。』

司会の実行委員に促され、まず最初にミスの優勝者の女の先輩が前に出る。嬉しいです、ありがとうございます、と当たり障りの無い挨拶をしているのは綺麗な先輩だったが、これもまた気の毒な話で、実際蓋を開けてみれば出場者の得票数を抑えてトップだったのは瑠璃川先輩で(というか一般客には正体が知られていないので、「ベル役の女の子」って書かれ方が多かったらしい)、もちろん出場者以外の得票は全て無効になってしまうから、この先輩が繰り上げで優勝したらしい。
パチパチと拍手を受けて、次は向坂先輩の番。

「えっと、投票してくださった皆さん、ありがとうございます。あの、ちょっとだけいいですか?」

優勝者の花かんむりを付けて、大きな花束を持った先輩が、司会者に振り返って言う。
ミスコンの優勝者が、その挨拶の場で公開告白って言うのもたまにあるらしいから、向坂先輩のもそれだろうか?おおおっという期待の声が客席から聴こえて、私含むファン一同は心の中で嫌だー!と悲鳴を上げていた。が、先輩は大方の期待を大きく裏切ってくれた。
いいですよ~というお気楽な司会者の了承を得て、先輩はマイクに向き直る。

「僕は、元々は陸上競技をやっていて、怪我で走れなくなって、演劇の道に進む事になったんですが、劇団に入って、でも元々すごい気弱で人前に立つ事が苦手で、最初は全然声も出なくて演技も下手くそで、本当にどうしようも無かったんです。挫けそうだった時、劇団の皆さんに優しく接してもらったり、時に厳しく指導して頂いたり、とても充実した時間を過ごさせてもらいました。送り出してくれた両親や、劇団の皆さんには本当に感謝してもしきれません。それから、」

先輩が元々陸上をやっていたのは、ファンの間では周知の事実だったが、本人が直接語る事がなかった。成る程、家族や身内への感謝の言葉の方だったか、と安心して、流石先輩はこう言う所まで優等生の王子様だなあと感心していると、客席の全生徒が見守る中、一呼吸おいて、マイクに向かってゆっくりとその名前を紡ぐ。

「3年4組の、瑠璃川幸くん。」

公開告白では無かったけど、そっちかー!という私の心は置いておいて、比較的前の方の席に座っている3年生の列の中から、瑠璃川先輩の姿を探す。前から5列目くらいに、「行ってこいよ」「呼ばれてるよ」というクラスメート達の声に全力で頭を振って「やだやだ!恥ずかしい!無理!」と逃走しようとしている瑠璃川先輩の姿が見えた。

『瑠璃川くーん、出て来てくださーい』

司会者の声と、クラスメートに半ば力づくで連れ出され、瑠璃川先輩もステージ上に立たされる。
元々、ミスコンにもノミネートされていたのに、実行委員長に直談判してノミネートを取り下げたと聞いている。目立ちたくないからだと言っていたのに、結局はこんな形でコンテストの場に立つ事になって、瑠璃川先輩も割と不憫な人だ。後方の一般客、保護者席の方から、「あれ?お姫様役の子?」「男の子?」とざわつく声が聞こえる。
瑠璃川先輩は往生際悪く真っ赤な顔を両手で隠して、向坂先輩とマイクの前に向かい合っていた。

「卒業後進路が分かれちゃうって聞いてから、ずっと言いたかった事があって。せっかくの機会なのでこの場を借りて言わせてください。
4年前カンパニーで出会った時から、辛い時も楽しい時も側にいてくれて、話を聞いてくれて、素敵な衣装を作ってくれて、ありがとう。僕が今日まで頑張れたのは、幸くんのおかげです。」

向坂先輩が花束をそっと床に置いて、瑠璃川先輩に向かう。あ、っと客席が声を上げた瞬間に瑠璃川先輩は向坂先輩に抱きしめられていて、マイクはちょっと遠くなったけど、それでも向坂先輩の最後の声は拾ってくれていた。

 

「ーーー幸くん、4年間本当にありがとう。」

 

ボロボロと、劇では堪えていた涙が零れおちる。
向坂先輩でも瑠璃川先輩でも無く、ただ見守っているだけのモブ観客である私の目からだ。
先輩、それは反則です。向坂先輩本当にカッコいい、やばい。
私の語彙が追いつかなくなった所だったが、客席にももらい泣きをしている女子生徒多数。もっとも、先輩方は泣いていないのだから、貰い泣きと言う言い方が正しいかどうかは謎であるが。
舞台袖で見守る私の目には、向坂先輩の胸に顔を埋める瑠璃川先輩のいい笑顔が見えた。

 

 

***

 

 

【とある人気劇団の劇団員。みんなの王子様に恋するYくん(3年)の告白】

 

学園祭が終わった。
今日まで忙しい日々が続いていて、気を張っていたのだけれど、それが全部終わって疲れがどっと押し寄せて来た感じだ。校庭の遠くの方で盛り上がる後夜祭の騒ぎをBGMに、誰もいない教室で窓際に置かれた自分の机に顔を伏せる。

忙しかった。でも、楽しかった。

元々、乗り気でない劇の主演を受けたのは、椋が居たからだ。
約3ヶ月後に卒業を控えた3年にとっては、学園祭は学生生活最後の大きなイベントだ。それは俺にとっても「最後のチャンス」だった。
衣装作りや受験勉強で忙しいからと監督や脚本家に気遣われ、最後の夏組公演は助演で終えた。体力的にも余裕を残し、精神的には舞台の成功に満たされていたが、これでとうとう俺の演劇生活は終わってしまったんだな、と、どこかぽっかり寂しい気分になった。心に空いた穴の理由には気付いていたけれど、今更どうにもならなかったので、誰にも打ち明けることはなかった。
そんな中、演劇部部長からのお誘い。
演劇部の客演。それも、お姫様の役。
演劇部には衣装の関係でちょくちょく顔を出して居たから、これまでも何度かそういう話が上がっていた。でも、悪目立ちしたくないからと、その度に丁重に断って来た。
顔見知りの部長との何度目かの攻防の中、今回彼女は「最後のお願い」と言って、椋とのダブル主演を切り出してきた。部長は椋のクラスメートで、普段から少女漫画の貸し借りをする仲だと言っていたから、そのツテで声を掛けたのだろう。王子様役ということで椋は割と早い段階から承諾していて、彼のキラキラな瞳で「一緒にやろう?」と言われてしまったら、俺には否と言えなかった。

次の夏は俺にはもう無い。だから最後に、どうしても「椋のお姫様」に、なりたかった。

 

「幸くん」

聞き馴染みのある声を頭上に感じて顔を上げると、薄暗い教室の中に俺の大好きな笑顔があった。

「な、にしてんの?後夜祭は?」
「幸くん探して抜けて来ちゃった」

クスクスと笑ってはいるが、ミスコン優勝者は後夜祭でも挨拶したり、イベントに参加したり、色々とやる事があるはずだ。居なくて大丈夫なのかと不安になるが、それでも「幸くんを探して」っていうワードに、俺は単純だから仄かな期待を抱いてしまう。

「一人で何してたの?」

笑顔のまま、椋は俺の前の席に座って、同じ目線の高さになって顔を覗き込んでくる。
結構な至近距離にある顔にどきりと胸が高鳴って、思わずぶっきらぼうに「べつに」って言ってしまう。言ってから、それは無いだろうと後悔して椋の表情を盗み見ると、相変わらずにこにこと締まりのない笑顔を浮かべていた。
出会った頃は同じくらいの背丈で、顔も女の子みたいに可愛かったのに。
椋はこの4年で本当に格好良くなった。本人に自覚がないのが厄介なのだけれど、相当モテているのも知ってる。だってずっと一緒にいたから。
4年間の様々な思いが込み上げてきて、俺の口からは自然と感謝の言葉が零れ落ちる。

「……むく、俺の方こそ4年間ありがと」

ふたりきりの暗い教室、生徒たちは校庭で行われている後夜祭に夢中だ。
きっとあそこでは、行方をくらました王子様を探してるんだろうけど、今だけはみんなの王子様を独り占めする事を許してほしい。

「俺、ずっと一人で、友達なんていらないって思ってたけど、椋と出会って、一緒に昼ごはん食べたり、学校通ったり、部屋で宿題したり、教科書の貸し借りしたり、そういう普通の学生みたいなことやれて、ほんとに嬉しかった。」

一人でいることに慣れていたけど、椋と出会って、二人で食べるお弁当の楽しさを知った。一人では長く感じた通学路も、誰かと話をしながらだとあっという間に学校に着いてしまう。宿題だって一緒にやれば捗るし、初めて人の教科書を借りた時はすっごくくすぐったかった。
俺は親友だと思っていた、勝手にだけど。
椋のお姫様になりたかったけど、それでも親友と呼べるような存在は他にはいなかったから、この関係を壊す事はこれまで無かったし、椋も結構鈍いから、俺の想いには気付かれないままでいいと思っていた。

「未練はもう無い。最後に、椋のお姫様になれて良かった」

だから、精一杯の感謝を込めて、笑顔を浮かべる。
目の前にあった顔が、小さく声にならない声で「いやだ、」と呟いて、次の瞬間には、自分の唇が塞がれていることに気づいた。
キス、されているが。ええとこれは。
タイミングよく校庭には花火が上がっていて、そんなの見る余裕なんて無いけど、音が脳内に響く。
これはどういった意味でのキスなのだろう。超が付くレベルの鈍ちんな王子様だから、このキスだって平気で「友情のキス」とか言ってきそうだけど。

「うわあああ、ご、ごめん!」
「はぁ?ごめんって何が!」

案の定、唇が離れると、真っ青な顔を机に打つけんばかりに擦り付けて謝罪をしてくる。

「ごめん、だって、ファーストキスだよね?ファーストキスは、好きな子と、ロマンティックなシチュエーションでするものでしょ?幸くんの気持ちも確かめもせずに、僕は…!」

脳内が少女漫画で構成されている椋の思考は、時々砂糖を吐きそうになるくらいの妄想が飛び出してくるから油断できない。この状況でそんなん言われたら流石にキレてもいいだろうけど、実際は怒れないのも分かってる。俺は彼には、甘々だから。

ちゅっとキスで返して、俺からのキスに狼狽える瞳を覗き込む。

「学園祭、誰もいない教室、花火…好きな子とキスするのに、これ以上無いくらいのロマンティックなシチュエーションだと思うけど」
「…え?」

想いに気付かれないままでいいなんて嘘だ。
俺は何とかして、この鈍ちん王子に気づいてほしくて、分かりやすいアピールを重ねて来たつもりだった。

「椋は気付いてないかもしれないけど。寝たふりして抱っこしてもらった事もあったし、寝ぼけて一緒に寝てもらったり、短いパンツ穿いて足出したり、全部わざとだったんだけど」
「えぇ!?」
「この意味わかる?なんとも思わなかった?」

ともすればあざとすぎる程のアピールを、彼はいつもの王子様スマイルでかわしてくるから、もう絶対に無理だって、脈なんか無いって思っていた。第一、俺だって男だ。それも仲のいい友達。だから気付かれないならそれはそれでいいって思っていたのに。一番の友人のポジションに収まっていれば、ずっと一緒にいられるからって。それなのに全校生徒の目の前でだきしめられて、このロマンティックなシチュエーションでキスしてきて、ごめんで無かったことにするのはずるいんじゃないか。

じとりと睨んで見せると、椋は一瞬泣きそうな表情を浮かべて、次にやっぱり、笑ってくれた。

「なんとも思わないわけない。幸くんのする事にずっとドキドキしてて、でも友達だからこんな風に思っちゃいけないって思ってた。

…だから、未練がないなんて言わないで」

ふんわりと机越しに抱きしめられて、背後ではまだ花火が上がっている音がする。

「ごめんね幸くん、僕に言わせて。」

大きな手のひらが頬を撫でる。
教室の中は真っ暗だったけど、遠くの花火の明かりがあれば、椋の表情が明瞭に見えた。

 

「好きだよ」

 

花火と一緒に、今度は愛情のこもったキスが降ってきて、
甘い王子様みたいな顔が、とろりと溶けた。

 

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